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婚約破棄の断罪に呪いで反撃するお話

「私はこのフロルティアとの間に真実の愛を見つけた! そして、我が愛しのフロルティアに対し、君が嫌がらせをしていたことはわかっている! 男爵令嬢カルシェアーナ! 君との婚約は破棄させてもらう!」


 穏やかな空気で普段通り行われていた貴族の学園の夜会。そこに突如響いた声に、会場の生徒たちはみな声の主へと目を向けた。

 

 婚約破棄を宣言したのは伯爵子息ルビアーシュだ。艶のある美しい金髪に、涼やかな碧の瞳。整った顔立ちの美青年だ。

 

 彼に寄り添うはフロルティア。彼女は貴族ではなく商家の娘だ。平民でありながら、家の財力と高い学力で貴族の学園への入学を果たした才媛だった。

 肩まで届くブロンドルージュの巻き毛。大粒の瞳は薄茶色。身にまとうドレスは、要所がフリルで彩られており、優雅さよりかわいらしさを強調していた。

 清楚可憐な装いでありながら、しかしその胸は豊かで腰はきゅっと締まっている。ドレスの上からでも悩ましい身体のラインがうかがえた。可憐な顔にそぐわない色香は、多くの男子生徒から注目されている。

 

 美形の貴族子息と見目麗しい商家の娘。並び立つだけで絵になる二人だった。

 

 そんな二人から婚約破棄の宣言を告げられたのは、男爵令嬢カルシェアーナ。

 肩まで届く濡羽色の髪。長い前髪は顔の半分を隠している。片方だけ見える銀の瞳は、どこか妖しさを感じさせる。黒を基調に各所を白でアクセントをつけたドレスは上品で慎ましい。しかし彼女が着ると、その上品な黒はどこか禍々しいものに思えてしまう。

 暗い森の中、ひっそりと隠れ棲む魔女。そんなことを想起させる、どこか暗い陰をまとった令嬢だった。

 

 婚約破棄を告げるきらびやかな二人に対し、暗いイメージを抱かせる令嬢。その対峙はさながら光と影。この婚約破棄が男爵令嬢カルシェアーナにとって不幸な結果になるに違いない――多くの生徒にそんな危惧を抱かせてしまう光景だった。

 

 婚約破棄の宣言を受け、男爵令嬢カルシェアーナはしばらく黙していた。表情は変わらない。その身体はわずかに震えていたが、気づく者は少なかった。

 彼女はやがて、意を決したように口を開いた。その時には身体の震えは止まっていた。

 

「……フロルティア嬢に嫌がらせ、ですか。彼女に対し、いったいどんな嫌がらせをしたと言うのですか?」

「とぼけるんじゃない! 彼女から全て聞いている! 中庭の噴水に突き落としたこと! 階段を降りようとした時に背中を押して転ばせようとしたこと! 彼女の教科書を水でびしゃびしゃにしたこと! 全てわかってるんだ!」


 ルビアーシュは顔を真っ赤にして言い募った。

 婚約者のルビアーシュの見せた怒りに対し、カルシェアーナは悲し気に目を伏せた。


「ああ……そういうことですか。それなら心当たりがあります」

「潔く認めるか! だからといって許されるわけではないぞ!」

「待ってください。心当たりはありますが、それはわたしが直接やったことではないのです」

「なんだ、今さら言い逃れでもするつもりか?」

「違います。それはおそらく呪いなのです」

「呪い?」

 

 思いがけない言葉が出てきて、追求するルビアーシュは言葉に詰まる。

 カルシェアーナはその間に話を進めた。


「ルビアーシュ様もご存じと思いますが、わたしの男爵家は呪いの魔法に長けています」

「ふん、陰気な君には相応しい魔法だな」


 ルビアーシュの心無い言葉にカルシェアーナの瞳が悲しみの色の染まった。フロルティアはそんな彼女を見下しながら、勝ち誇った笑みを浮かべた。

 そんな逆境の中、しかしカルシェアーナは落ち着いた声で話を続けた。


「実は数か月前から、わたしの持ち物が無くなることが増えたのです。しばらくたってから探せば見つかりますが、その時には落書きされたり泥にまみれていたりするのです」

「呪いの魔法など使っているから誰かから恨みを買ったのだろうな。それでフロルティアに嫌がらせをしたとでも言うつもりか?」

「いえ……そういうことではないのです。持ち物が汚されては困るので、全ての持ち物に予め呪いをかけておくことにしたのです」

「持ち物に呪いを……?」

「悪意を持ってわたしの持ち物を盗んだ者に、災いが降りかかる呪いをかけました。学園内の誰が犯人かわかりませんから軽めのものです。噴水に落ちたりとか、階段を踏み外しそうになったりとか、その程度の災いを起こす呪いです」


 カルシェアーナはじっと、ルビアーシュの傍らに立つ少女、フロルティアへと目を向けた。その銀色の瞳が妖しい輝きを放った。

 

「フロルティア嬢。あなたがわたしの持ち物を盗んで嫌がらせをしていたのですね」

 

 フロルティアはその視線はひるみ、後ずさった。


「カルシェアーナの言った災いは、確かに君が受けた嫌がらせと一致する……フロルティア、いったいどういうことなんだ!?」

「ル、ルビアーシュ様、騙されてはいけません! カルシェアーナ嬢は私のことを陥れようとしているのです!」

「だが、彼女が言うことが本当なら、自業自得というものではないのか……?」


 ルビアーシュは訝し気な視線を向けた。フロルティアは焦った様子でその視線から目をそらす。だがやがて、何を思いついたのか、笑みを浮かべた。


「……以前もお話ししたように、私が災いに見舞われたとき、いつもカルシェアーナ嬢の姿がありました」

「ああ、そう言っていたな」

「彼女は私に直接呪いをかけて嫌がらせをしていたのです! 持ち物に呪いをかけていたというのは出まかせ! 自分は悪くなかったと言い逃れをするつもりなのです!」

「なるほど、そういうことだったのか! なんて卑劣な! ……わずかとは言え君を疑って悪かった」

「いいえルビアーシュ様! 私はちっとも気にしません。だって、あなたのことを愛しているのですから!」

「ああ、フロルティア!」


 ルビアーシュとフロルティアはぎゅっとお互いを抱きしめ合った。

 学園の夜会では許されない不作法だった。冷たい視線を来る生徒も少なくない。しかし二人は完全に自分たちの世界に入っており、周りの様子など気にならないようだった。

 カルシェアーナは深々とため息を吐いた。


「呪いのことを信じてもらえない……そうなることも危惧していました。仕方ありません。それでは持ち物にかけた呪いを実演して差し上げます」


 冷え冷えとした、地の底から響くような暗い声だった。

 その声の冷たさに驚き、ルビアーシュもフロルティアも我に返った。

 自分たちに集まる冷ややかな視線に気づき、慌てて抱きしめ合うのをやめた。非難の目をそらすように、ルビアーシュは問いかけた。

 

「いったいなにをするつもりだ?」

「実は先日、私のノートが盗まれました。そのノートには特殊な呪いをかけてあったのです」

「特殊な呪い?」

「『服が破けて胸が露わになる』という呪いです。三日後に発動する呪いでしたが、魔力を送れば今すぐ発動できます。新たに呪いの魔法をかけるのではなく、魔力を送っているだけであることを、しっかり見ていてください」


 カルシェアーナは手のひらを拡げ、目の前にかざした。


「では5秒後に発動させます。5、4、3……」


 カルシェアーナは指を折りながら、見せつけるようにカウントを始めた。

 ルビアーシュは事態の急変にいまいち付いていけていなかった。しかし彼も魔法を学んできた学園の生徒だ。とにかくカルシェアーナの魔力の流れに注意した。

 新たな魔法の発動や特殊な魔道具の魔力は感じられない。彼女の言葉通り、魔力を発しているだけに見える。


「2、1……」


 カルシェアーナに不審な様子はない。ただ魔力を発しながら、指を折ってカウントしているだけだ。

 不審なのは隣のフロルティアの方だった。顔中に汗をかきながら、不安げにきょろきょろと辺りを見回している。

 

「ゼロ!」

「きゃあああああああああっ!」


 カルシェアーナがカウントの終わりを告げると同時に、フロルティアは悲鳴を上げながら胸元を押さえこみしゃがみこんでしまった。

 

 ルビアーシュはフロルティアに声をかけることもできなかった。だが、この反応から事実は明らかだった。

 フロルティアはカルシェアーナのノートを盗んだのだ。

 これまで嫌がらせを受けてきたというのも嘘なのだろう。フロルティアは被害者ではなく加害者だったのだ。

 ルビアーシュばかりでなく、会場の誰もが同じことを確信した。それほどまでにフロルティアの醜態はあからさまなものだった。

 夜会にどうしようもない沈黙が降りた。


 その沈黙を破ったのは、カルシェアーナの酷く冷めた声だった。

 

「……冗談です。いくらなんでも『服が破けて胸が露わになる』呪いなんてかけるわけがないじゃないですか」


 フロルティアは立ち上がった。その服にはわずかにも破れた様子は無かった。彼女は顔を真っ赤にしてルビアーシュの背中に回ると、その背にぎゅっと顔を押しつけた。

 ルビアーシュはそんな彼女に痛ましい視線を向けていた。だがやがて、カルシェアーナを鋭い目で睨みつけた。

 

「た、確かに彼女にも悪かったところはあったかもしれない……だが、だからと言ってこんなにも辱めを与えていいわけがない! なんて、なんて……なんてひどい令嬢だ!

 男爵令嬢カルシェアーナ! やはり君は、私の婚約者には相応しくない! 婚約破棄! 婚約破棄だ!」


 既に婚約破棄を宣言した。周りからはいくつもの侮蔑の視線が向けられている。ルビアーシュはもはや後には退けず、激情のままに叫んだ。

 カルシェアーナは寂し気な微笑みを浮かべた。


「偽りばかりの婚約破棄でしたが、あなたの愛情を失ったことだけは真実。婚約破棄の宣言、謹んでお受けいたします」


 カルシェアーナはカーテシーを披露した。

 あまりに殊勝な態度にルビアーシュは毒気を抜かれたようで、続く言葉を失った。その一時の安心を狙いすましたかのように、カルシェアーナは口を開いた。

 

「……ですが、お気をつけください。婚約に際し、呪いの魔法に長けた男爵家が何もしなかったと思いますか? そのことを、ゆめゆめお忘れなきようお願いいたします」


 その言葉にルビアーシュの顔は蒼白になった。

 言われた通り、カルシェアーナの男爵家は呪いの魔法に長けている。たった今、呪いの恐ろしさを思い知らされたばかりだ。

 そんな男爵家が、婚約と言う家同士の契約になんの備えもしてないとは思えない。約束を一方的に反故にした相手に対し、何らかの呪いが発動するというのはあり得る話だった。


「すこし脅かしすぎてしまったようですね。でも、大丈夫です。呪いと言うものは愛に勝てないものなのです。お二人の間に在るのが『真実の愛』ならば何も心配することはありません」


 蒼白になった顔が、今度は絶望に歪んだ。

 この婚約破棄のやりとりで、恋の熱はすっかり冷めてしまっていた。

 そうなると、明らかになるのは想い人との関係である。


 婚約者がいるのに色香に惑い商家の娘と浮気した伯爵子息。

 恋敵を憎み嫌がらせをして、嘘で陥れようとした商家の娘。

 二人の間にあるのは、果たして『真実の愛』と呼べるものだろうか。呪いに打ち克つほどの神聖な愛と言えるのだろうか。


「お二人とも、どうかお幸せに。それではこれで失礼いたします」


 一礼すると、カルシェアーナは一度も振り返ることもなく立ち去ってしまった。

 ルビアーシュは引き留めようとしたが、どんな声をかけていいかもわからなった。ただ弱々しく手を伸ばすことしかできなかった。




「お疲れ様、カルシェアーナ」

「ディルトプロート様……」


 夜会の婚約破棄のひと騒動の後。学生服に着替え、学園寮へ向かおうと校舎を出たカルシェアーナを呼び止める者がいた。

 さらりとしたブロンドの髪。メガネの下、グレーの瞳の目つきは鋭く、冷酷な印象を受ける。

 伯爵子息ディルトプロート。今回の婚約破棄の筋書きを書いた張本人である。




 話をしようと持ち掛けられ、二人は学園近くの公園に訪れた。

 公園中央にある噴水前のベンチ。学園に近いこの公園は、普段は夜となっても生徒の姿がよく見かけられる。噴水前は人気のスポットだ。

 だが夜も更けており、学生のほとんどが夜会に出席している今夜に限っては、人通りはまるでなかった。

 

「婚約破棄の様子は見ていたよ。あれほどの醜態をさらしては、彼も今後の貴族社会で立場が無いだろう。ありがとう、君は実によくやってくれた」

「恐縮です……」


 ディルトプロートの称賛を受け、カルシェアーナはあいまいに微笑んだ。

 

 カルシェアーナは持ち物を盗まれ汚されるという嫌がらせを受けていた。それが婚約者に色目を使う商家のフロルティアの仕業だと感づいてはいた。しかしどれだけ怪しくても、証拠と言えるものは出てこなかった。フロルティアは狡猾で、悟られるような痕跡は残さなかったのだ。

 

 そこで持ち物を盗んだ者に災いが降りかかる呪いをかけた。フロルティアは才女であっても平民であり、魔力は低くその扱いもうまくない。カルシェアーナの呪いはもともと魔力探知にもひっかかりにくいものだった。バレることはまず無いはずだった。

 

 目論見通り、フロルティアは呪いによる災いに遭うこととなった。フロルティアはトラブルのたびにカルシェアーナの姿を見かけたと言っていたが、それは事実だ。呪いが正しく効力を発揮するか、カルシェアーナは自分の目で確認していたのだ。

 

 フロルティアが犯人であることは分かった。呪いの魔法で証拠も揃った。

 だがその段階に来て、カルシェアーナは迷った。嫌がらせの犯人を告げて、ルビアーシュは彼女のことを諦めてくれるだろうか。フロルティアを犯人と認めながら、それでも彼女を選ぶようなことがあるかもしれない……そんな不安から、告発に踏み切れなかった。

 ちょっとした浮気に違いない。きっといつかわかってくれる――そんな風に自分をごまかし、婚約者の浮気から目をそらすようになっていった。

 

 伯爵子息ディルトプロートが声をかけてきたのはそんな時だった。

 

 彼は魔法の扱いに長けており、カルシェアーナの呪いの魔法に気づいてきた。そして彼女のしたことをとがめてきた。正当な理由があったとしても、学内で学友に対して呪いをかけるのは校則違反だ。学園の教師が知れば、厳罰が下されることになるだろう。

 

 しかし、ディルトプロートは教師に報告しなかった。代わりに取引を持ち掛けてきた。

 

 ディルトプロートの伯爵家とルビアーシュの伯爵家は敵対する派閥にあった。ルビアーシュが裕福な商家の娘を娶り資金力を得るのは、ディルトプロートにとっては不都合なことだった。

 そこで、婚約破棄の場面で彼を貶める筋書きを書いた。婚約破棄で醜態をさらさせることによって、商家の娘と結婚しようとするルビアーシュの力を削ぐという策略だ。それに協力することと引き換えに、呪いの魔法については秘密にするという取引だった。

 

 カルシェアーナは拒否するという選択肢は無かった。ただでさえルビアーシュとの関係は冷めている。学園から厳罰が下されれば確実に破談になるだろう。それにディルトプロートが要求してきたのは、あくまで婚約破棄の場面での振る舞いだけだった。ルビアーシュがそんな暴挙に出なければ、何の意味もない取引のはずだった。

 

 だが、ルビアーシュは婚約破棄を宣言してしまった。

 

 もしなんの備えもなく婚約破棄の宣言をされたなら、カルシェアーナはショックで泣き崩れ、何もできなかったことだろう。

 婚約破棄のひと騒動はおおむねディルトプロートの事前に用意した筋書き通りに進んだ。だからカルシェアーナは内心打ちのめされながらも、台本をなぞるように落ち着いた対応ができたのだ。

 いや、むしろ事前の筋書き通りにしか行動できなかった。ルビアーシュがフロルティアを選んだことに、彼女は深く傷ついていた。平静を保っていたように見えたのは、実のところ感情を表す余裕すらなかったのだ。

 

 『服が破けて胸が露わになる』呪いというハッタリは、ディルトプロートの発案したものだ。

 婚約に際し、男爵家が呪いをかけたというのも同様だ。本当にそんなことをするはずがない。上位貴族に呪いをかけるなど許されることではないのだ。

 だが、たとえハッタリだとわかったとしても、あの流れで言われて嘘と信じ切ることは難しいだろう。呪いの魔法がかけられた可能性を疑わずにはいられない。一生怯え続けることになる。

 あの言葉は呪いの魔法でこそなかったが、ルビアーシュの未来に影を落とす『呪いの言葉』ではあったのだ。




「浮かない顔だね?」

「す、すみません」


 しばし物思いに耽っていたカルシェアーナは、声をかけられて我に返った。

 ディルトプロートはそんな彼女の顔をじっと見つめてみた。


「な、なんでしょうか?」

「なぜ嬉しそうにしないんだ?」

「え……ええっ? 嬉しそうに、ですか?」

「君を裏切った婚約者がそれに相応しい辱めを受けたんだ。実に痛快な展開じゃないか」

「そんな風には思えません……」


 商家の娘との間に真実の愛を見つけたと宣言した伯爵子息ルビアーシュ。

 嫌がらせをしていたと明かされてなお、想い人を見捨てはしなかった。

 傲慢だった。頑なだった。でも、ひたむきで一途ではあった。そんな彼のことを、カルシェアーナは憎めなかった。


「ルビアーシュ様のことを愛そうと思いました。家同士の決めた婚姻でも、一生を捧げる方です。愛さなくてはいけないと思いました。わたしなりに彼との付き合いでは積極的に話して、少しでも距離を縮めようと思いました。でも、そんなわたしのことが、彼にとっては疎ましかったようなのです……」


 カルシェアーナは幼い頃から魔法の勉強に励んでいた。ファッションの流行もろくに知らなかった。だから婚約者になってからは、休みの日はなるべく街に出て流行を知ろうとした。彼の家に訪れた時は、使用人に訊ねて婚約者の好みを知ろうと努力した。

 しかし、カルシェアーナはそうしたことに向いていなかった。

 貴族の流行は濡羽色の彼女に合わないものが多かった。口下手な彼女は知識を得てもルビアーシュの興味を引き出すことができなかった。努力しても空回りして、ルビアーシュは煩わしそうにするばかりだった。結局最後まで、カルシェアーナの想いが通じることはなかった。


「そしてルビアーシュ様はフロルティア嬢と出会い、『真実の愛を見つけた』とおっしゃいました。それでわたしは思ってしまったのです。恋するお二人の間にあるのが『真実の愛』だとすれば、家のために結婚するから愛そうなどとしていたことは、『偽りの愛』なのではないかと……」


 学園ではフロルティアと共にいるルビアーシュを何度も見かけた。楽しそうだった。カルシェアーナには見せたことのない笑顔で、親密に過ごすのを何度も見た。

 

 一時の気の迷いにすぎない。貴族の婚姻を反故にするわけがない。そう思い込もうとした。

 でも本当はわかっていた。ルビアーシュの心はフロルティアのものになってしまったのだ。たとえ婚約破棄しなくても、彼女との関係を続けていたことだろう。男女の仲はなにも結婚だけではない。

 例えばカルシェアーナとは形だけの結婚をして、フロルティアを愛人として囲い、そちらにばかり愛情を注ぐという未来もあったのかもしれない。


「わたしは間違ったことをしてしまったのではないでしょうか……呪いの魔法なんて使わずに、大人しく身を引けば、お二人は幸せになれたのではないでしょうか……?」


 しあわせになるべき二人を、自分の呪いが壊してしまった。そう思うと恐ろしさに身が震えた。


「はっ、くだらない」


 カルシェアーナの不安を、ディルトプロートは一笑に付した。


「伯爵子息ルビアーシュは色香に惑わされただけだ。商家の娘フロルティアは貴族に取り入るために近づいただけだ。それが『真実の愛』などという綺麗なものであるはずがない。たとえ婚約破棄がうまくいったところで、どうせ冷めきった夫婦になっていただけだ」

「でも、私の愛は偽りで……」

「家の都合で結婚して、相手のことを愛そうと努める。それの何がいけない? ありふれたことだ。それで幸せな家庭を築いた者は大勢いる。彼らのことを『偽りの愛』などと言って貶めていいはずがない」

「でも、わたしは彼の未来を呪うような言葉を……!」

「婚約破棄の筋書きは私が書いた。君は脅されて従っただけだ。気に病む必要はない」


 ディルトプロートの言っていることはわかる。

 フロルティアは何度となく嫌がらせをしてきた性悪な娘だった。そんな娘に引っかかって醜態を晒したルビアーシュは、結局のところただの自業自得なのだ。

 理屈はわかる。頭では理解している。それなのに胸が苦しい。それがどうしてなのか、カルシェアーナにはわからなかった。

 

「……まったく仕方ないな」


 ディルトプロートはため息を吐くと、カルシェアーナを抱き寄せた。


「な、なにをするのですか!?」

「君が悲しいのは罪悪感のせいじゃない。君は今夜、愛する人を失ったんだ。だから悲しいんだ」


 優しい声で、ディルトプロートは断定した。

 言葉にされてようやくわかった。

 婚約相手だ。一生を共に過ごす伴侶となる人だ。だから愛そうと思った。愛されるように努力した。初めての経験だった。

 その努力は報われなかった。でもつらいだけではなかった。彼のことを知ることも、美しくなろうと努力することも、苦しいだけの事ではなかったのだ。

 

 それは全て終わってしまった。その喪失感が、胸を締め付けているのだ。

 

「今夜だけは胸を貸してやる。我慢せずに思いっきり泣いてしまえ」

「うわあ……うわああああああああ!」


 ようやく感情の行き場が見つかった。そうすると止まらなかった。あとからあとから涙がこぼれて、声を抑えることもできなかった。ディルトプロートの胸に顔を押し付け、カルシェアーナは泣きじゃくった。

 ディルトプロートはそんな彼女を、優しく包み込むように抱きしめた。

 

 

 

 しばらく後。ようやく気持ちを吐き出し終えたのか。カルシェアーナの涙も収まり、今はぐずるだけになっていた。もうしばらくすれば、彼女はこの手を離れ、学園寮に帰ることになるだろう。

 引き留めるべきではない。傷ついた彼女には一人で休む時間が必要だ。頭ではわかっていても、ずっと抱きしめていたいという衝動に駆られる。

 ディルトプロートは彼女に対し例えようのない愛しさを感じた。そして同時に、罪悪感を覚えていた。

 

 学園に入学した日。カルシェアーナを初めて見かけた時は、陰気な令嬢だと思った。呪いの魔法に長けた家の娘と聞いて、ひどく納得したものだった。

 だが、婚約者に気を引こうと懸命に励む彼女の姿を見ていると、かわいらしいと思うようになっていった。気がつけばいつも彼女の姿を目で追うようになっていた。

 そしてその想いにまるで応えようとしない伯爵子息ルビアーシュを憎らしく思うようになった。

 

 彼女のことをずっと見ていた。だからこそ、呪いの魔法を使っていることに気づいたのだ。

 ディルトプロートから見れば、二人の仲は既に破綻していた。だから早く縁を切らせるべく、婚約破棄の策略を持ち掛けたのだ。

 反対派閥の伯爵子息の力を削ぐことなど、そのための方便に過ぎなかった。婚約者の想いに気づかず商家の娘にうつつを抜かすような愚か者は、何もせずとも将来自滅することが見えていた。本来ならわざわざ策略を仕掛ける必要などなかったのだ。

 

 更に、彼女には知られないように、人を介してルビアーシュとフロルティアをたきつけた。

 目論見通り、婚約破棄の宣言がなされた。

 全てディルトプロートの描いた筋書き通りに進んだ。

 そして今、こうしてカルシェアーナが胸の中にいる。

 

 このまま関係を深めていけば、彼女は自分のものになるだろう。呪いの魔法の恐ろしさは夜会で知れ渡った。おそらく彼女は学園で孤立することになる。他にライバルは現れないはずだった。

 

 カルシェアーナは自分の抱いた気持ちを『偽りの愛』かもしれないと嘆いていた。ディルトプロートからすれば、あれほど純粋な想いが偽りであるとは思えなかった。むしろ、悪知恵をめぐらし彼女を落とし入れた、腹黒い自分の中に在るものこそ、『偽りの愛』なのかもしれない。

 だが真実であろうと偽りであろうと関係ない。どちらであろうと、この腕の中にいる愛しい人を手放すことなどできはしない。


 誰かを好きになるということは、綺麗ごとでは済まない。

 ディルトプロートは婚約破棄の策略を持ち掛ける前からそのことを覚っていた。そしてとっくに覚悟を決めていたのだ。



終わり

「婚約破棄と同時に呪いが発動して反撃するお話を書こう」

そんなことを思いつきました。

どうして呪いを使ったのかとか、どういう呪いなのかとかあれこれ設定やキャラを詰めていくうちにこういう話になりました。

最初はもっとコメディっぽいものを考えていたのですが、思ったより湿っぽい話になりました。

相変わらずお話づくりはままなりません。


2024/5/6

 誤字指摘ありがとうございました! 読み返して気になった細かなところもいくつか修正しました。

2024/7/1

 誤字指摘ありがとうございました! 修正しました!

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[気になる点] こやつ呪いの使い手をウチに抱えるリスクもちゃんと考えているんだよな?
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