35.ホストになるしかなかった、ってやつだ
一旦ここで切らないとキリが悪かったので、短い(話が進んでいない)です。
反省しております……。
「さ、催眠の力ってすげぇ……」
「そう。すごいのよ、催眠って」
飾森が声だけ淡々と同意する。表情はどこか自分のことのように誇らしげだ。
あの日……飾森の家に行った時、俺はこいつの投げたコインを見て催眠にかかった。
どんな内容をかけられたかは覚えてないが、それだけは絶対に間違いない。
「だって。ほ、本当に何も覚えてないまま生活してたぞ、俺……お前にその、告白されたことも小夏と明日、水族館に行く――――……水族館に行くぅううううッッ!?」
「近所迷惑よ、ダーリン」
人差し指で優しく口元を抑えられる。だ、誰もいないからって距離が近いんだよ。
「し――……」
「は?」
「は、ハニー……さん」
「なぁに。ダーリン」
圧が強い。眼力だけで玉を握り潰されたような気持ちにさせてくれた。
それと今度から普通に名前で呼ぼう。平然とダーリンだのハニーだの言えちゃうメンタリティは、やっぱり誠に残念ながら俺にはまるで備わっていないと思う。
「なんでこうなったかは分かる……分かった。けど具体的にどうなってたんだ」
「いわゆる認識阻害と言葉通りの意味合いで、催眠誘導の併用よ」
「つまり、俺は小夏のLINE……というより、出かける約束の話題の時だけ内容を認識できなくなって。それをそのまま、お――……ハニーに伝えてたってわけか」
「はい、正解。お利口さん」
スマホを確認してみると、飾森とも覚えのないやり取りがいくつかあった。
「東雲さんが顔を合わせて話題に出さないかどうかは賭けだったけれど、普段からすればない可能性が高いとわたしは踏んだというわけね」
「な、なるほど……」
いやなるほどじゃないが? 思わず内心、自分でツッコミを入れてしまう。
恐らく対面で阻害が起こると、俺がバグっていたに違いない。
「あとは毎夜毎夜、わたしに画面越しのキスをしてくれたの。嬉しかったわ」
「――――っっ!? じょ、冗談だよな……」
「えぇ、冗談よ」
本当なのだろうか……実際に催眠を体験したので、乾いた笑いしか出てこない。
以前までなら俺をからかっていると決めつけたが、その俺はもう死んだ。
「そ、それはもう分かったから。だから、えぇと……明日のデートはその、勘弁して頂けないでしょうか……お、俺にとっても大事な……すごく大事な約束なんだ」
「ふふ、知ってる。でも、だからこそ。いーや」
「そ、そこをなんとか……」
「だーめ」
可愛らしいというか、かなりぶった声と態度で飾森が断固拒否する。
表情こそ心底楽しそうにしているが、これは確実に一ミリも譲らないやつだと理解る。
「いいじゃない。東雲さんにバレないように理由をつけて何度も抜け出して、背徳ダブルデート。そういうのってとても素敵だと思うわ、わたし」
「ダブルじゃ、ない……」
「はい?」
「ダブルじゃない。と、トリプルなんだ……」
「――説明して頂戴」
「ひっ」
一転して飾森の表情と声が鋭くなった。特に目が怖い。殺すとか、そういう意思表示をしている目じゃない。殺した後、どこに捨てるか既に考えている目だ。
もしも母さんが飾森みたいな感じだったら、恐らく父さんは骨も残っていないだろう。
俺は生殺与奪を握られた小動物のように事の次第を説明した。
「そう。状況は理解したわ」
「だ、だろ? というわけで譲歩を……」
「しないわ。簡単なことよ。一番どうでもいい、自治会長さんとの約束を反故に――」
「悪いがそれは死んでもしない」
飾森を遮って俺は言い切る。
それだけは選択肢として、初めから存在していないものだからだ。
「……理由を訊いてもいいかしら」
「小夏は関係ねぇよ。一度は約束したんだ。なのに、自分勝手な都合でやっぱり無理ですなんて、俺はあの人にそんな態度は取れない。取りたくもない」
確かに冬毬会長は、およそまともな恋愛観や異性に対する感覚を持ってはいない。
いきなりキスしてくるし、脱いでくるし、もう本当に滅茶苦茶だと思う。でも、
「あの人、ふざけてなんかない。別にすげえ親しくなったわけじゃないけど理解る。くそ真面目に考えた結果、単にアホみたいな常識外の結論に辿り着いてるだけだ」
だから、
「反故にしろ、拒否しろって話なら。最優先はお前なんだよ」
「まあ、ひどいわ。泣いちゃうかも」
飾森は淡々とそう告げる。話の流れ的にこうなるのは、分かっていたことだ。
お互いに決して譲らない平行線。もはや落としどころを探すのではなく、相手を落とし穴に引きずり込んで出れないようにしないといけない状態なのである。
(……先輩と同じで、飾森相手にまともな論戦を挑んでも勝ち目はない。もちろん物理は論外。なら必然、最初から不利なこの状況を返すには盤外戦術に頼るしかない)
「あら、急にじっと見てどうしたの。黙ってても何も解決しないわよ」
余裕しゃくしゃくといった態度だった。悔しいが、その通りだ。
何か効果的に行動を起こさなければ、先輩との事が全部バラされてしまう。肉体的にもバラされるだろうな。先輩なら必要な量の濃硫酸調達くらいやってのけるに違いない。
(うぐっ、どうにかして精神的優位を取らねぇと! ……考えろ、考えろ。未成年だって今から入れる生命保険くらいあるはずだろ……っ!)
――そして、ふと頭をよぎる。
あの日の夜。告白してきた飾森が、俺にだけ見せた態度……恥じらう仕草が。
(……恥ずかしい。こんなやつでも内心、自分から積極的にいくのは恥ずかしいことなんだよな。けど悲しいかな動物である以上、どんな境遇にも刺激にもいつか慣れる)
だからマンネリなんて言葉があって、なんか違うって別れたりするんだろう。
(飾森にとって俺はまだ、新鮮……だと思う。それに前にも思ったはずだ。物理的に勝てないのなら、恋愛的な主導権を取って篭絡するしかないかもしれない、と)
俺は改めて飾森の目を真っ直ぐ見つめる。彼女も微笑んで、見つめ返してくれた。
この表情に偽りがないとすれば、心の中じゃ楽しそうに踊っているんだろう。なら――
(今、やれることを……最大限やるしかねぇっ! 俺の前世は100万回刺されたホスト俺の前世は100万回刺されたホスト……ホストっ!)
俺はホスト(偏見)(大体合ってる)になった。サンプルも保健室で見たし、余裕だ。
覚悟を決めて飾森との距離を一歩、深く詰める。だが、悟られてはいけない。
これから俺が何を仕掛けるのかを。恐らく予想もしていない、想定外の行動を。
「気持ちは理解できるわ。いいえ、むしろダーリンのそういうところが好き。大好きよ、けれど――――……゛んっ、んぐ。んんっ!?」
理解らせがいがあると言っても過言ではない飾森を、遮って黙らせる行為。
それはキスだ。不本意だが、今の俺にできるのはせいぜいこれくらいしかない。
でもただのキスじゃねぇぞ。忍耐力勝負。ド根性比べのキッスだ。
中学の頃。気の迷いで〝息苦しさ=快感〟について調べたのだが、どうにも脳の低酸素状態からくる幻覚作用と結びついて、元々の快感を強化している感じらしい。
つまり、厳密には息苦しいから気持ちいいわけではない、ということだ。
(気持ちいいキスなんて素人童貞状態の俺には分からん。だから俺は、信じる! 飾森の中にある〝好きな人とキスするだけで興奮しちゃう〟乙女心を信じる!)
我ながら最低だと思う。だが真面目系クズみたいな最低さがなければ、ホストは務まらない! それでも正直、かなり分の悪い賭けなのは変わらない。
一度でも拒絶されれば、おしまいだ。むしろこの状況を作れた方が奇跡だろう。
(よ、よし! 何だかんだ、ほぼ抵抗してこない……! やったか……っ!?)
酸素不足による思考力低下のせいか、気付くと俺は飾森から口を離していた。
だが、すぐさま我に返り、飾森よりも短く息を吸って再び柔らかい唇を塞ぐ。
(――いいや、まだだ……っ!)
合わせて俺は飾森の身体に触れる。変なところだけは避け、とにかく触れた。
普段の俺なら絶対にやらない行為。でもホストならきっとやる行為だっっ!
「「…………っ」」
どうやら効果は抜群だったらしい。明らかに飾森は紅潮し、ぐったりしている。
「こ、こんなことをして。わ、わたしが考えを変えると――……きゃっ」
「――頼むよ、瑞希」
抱き寄せ、俺は彼女の瞳だけを見つめて言い放った。
「~~~~~っ」
「普段の真面目な顔もいいけど、照れてる時も可愛いよ」
絶対に言わない台詞に合わせて、おでこへのソフトなキスを繰り出して見せる。
そんな他人からすれば、絶望的に気色悪い行為をする価値はあるのだ。
(これで駄目なら、俺にはもう土下座しかできない……っ! ついでにキモさに幻滅してこの関係が終わるなら、それはそれで一向に構わないんだけどなぁ)
程なくして、らしくないもじもじした態度で飾森が言う。
「……う、うん。わ、分かった。い、一番後回しでいいわ……それであなたが、どれだけわたしを気に掛けてくれるか、分かるものね……うん。そっちの方がいいわ」
「――ありがとう、瑞希」
「~~~~~っ」
飾森が羞恥で顔を背ける。その隙に俺は急いで唾を飲み込み、口元を拭った。
指先についたものが、俺のか飾森のなのかはもう分からない。
「……なぁ」
「なぁに。し、信二郎」
(――――っ!?)
うっとりと、男を堕落させるような甘い声で身を寄せてくる。こ、これが音に聞こえし〝一回寝ただけで勘違いしないでよね〟の亜種か!? へ、平常心平常心……。
ここまで全て演技、という可能性も否定はしきれない。飾森だからな!
「今、聞くのも変な話だけどさ。どこを……好きになったわけ? 俺の」
「ふふ、ふふ。言わなかったかしら、顔よ。外見主義の申し子と言えばわたしだもの」
「え……あれ、マジだったの?」
「うん。不満なら清潔感に惹かれたと言い換えてもいい、よ」
「……ほ、ほぼ同じ意味じゃねぇか」
小学校高学年にもなれば、実は自分が大してカッコよくないってことに大抵は気付く。
でもそうか。勘違いってこともあるのか。俺は相対的に劣ってただけ! つまり――
(俺ってイケメンだったのか……)
「俺ってイケメンだったのか、とか思ってそうだから言うのだけれど。わたしにとっての顔の良さが必ずしも、世間一般の基準と合致するとは限らないわ……ううん、合致しなくていい」
「お、ぉう…………」
褒められているのか、けなされているのかよく分からなかった。
まぁ、とにかくトリプルデートが回避できたのならさっさと帰ろう。
たぶんだが、冬毬会長とのデート先を同じ水族館にしてしまったのは俺の本能が覚えていたからなんだと思う。だから恐らく待ち合わせ時間も全て同じになっているはず。
(……いや、不幸中の幸いか? 別の場所だったらどうなってたことか……)
しかし、だとしたらこのままはまずい。というか、物理的にどうにもならない。
帰宅後。改めてLINEを遡れば、やっぱり俺の予想は当たっていた。
(さ、最低限。待ち合わせ時間だけでもズラさないと死ぬ……っ! 明日までもう時間はないけど、施設の構造の完全把握と緻密なスケジュール調整もマストッッ!)
こうして、俺の対初デート(主観)マニュアル作成は徹夜で敢行されたのである。




