31.敬語は正しくって、どの口が……
「――あの女、絶対に人間じゃないですっ、誠に狂ってるです! 可愛がりって言うからもっと嫌味なことをされると思って身構えてたらなんなんですあれはっ! 気が付いたら机と椅子の山っ! 四つん這い! 知らない間にLINE交換されて連投煽り!」
「うんうん、それは彼女が悪いね。俺ならそんなことしないのに」
放課後の帰り道。茉莉ちゃんを家まで送り届ける道中。
俺はこれ以上ないほど完璧に、相談の聞き役に徹していた。ネットにこう言えば間違いないって書いてあったんだ。だからきっと間違いなく間違いないと断言できる。
「普通じゃないです、理性のブレーキがぶっ壊れてるですよっ! 断崖絶壁のこと下り坂だと思ってて、死ぬ寸前まで相手に嫌がらせすることだけ考えてるタイプですっ!」
「うんうん、それは彼女が悪いね。俺ならそんなことしないのに」
「何でもいいです、あの女の弱点とか知らないですか? 人質を取って拳銃つき付けても平気な顔で撃って来そうな女でしたけど、一つくらい何かあるはずなのですっ!」
「うんうん、それは彼女が悪いね。俺ならそんなことしないのに」
俺は狂ったオウムのように同じ言葉を出力し続ける。けど嘘はついてない。本音だ。
それでも朝霧さんにボコられ、目が覚めてからもう二十回以上は繰り返してるが。
するとさすがに思うとこがあったのか、茉莉ちゃんが足を止めた。
「……ちゃんと聞いてるですか。聞いてないですよね? 誠にむかっ腹が立つです」
「だって茉莉ちゃん、俺のこと人語を理解する壁くらいにしか思ってないでしょ……」
「自己評価、高すぎなのです。これならAIアプリに愚痴を言った方がマシですね」
「いやAIと違って俺には。ほら、温もりがあるから」
「いらねーですよ。けッ」
誠にやさぐれていた。これも一種の愛情表現……だと嬉しいなぁ、という願望。
全部クズのせいなはずなのに何故、俺の扱いが悪くなっていくんだろうか。謎である。
「というか本当に昨日の今日で、うちに寄るつもりなのですか」
「そのつもり。どうせ中学一年生のお子ちゃまには、夜道は危険が危ないしな」
「……誠にありがとうございます、真田先輩」
茉莉ちゃんの視線は、言葉以上にじっとりとした湿度があった。
「ま、実は頼まれたからってのもある。母さんともう一度、ちゃんと話したいってさ」
「そう、なのですか」
昨晩の寝落ち前に父さんから連絡が来ており、承諾したかたちである。
いわく母さんが俺を召集したのも一度追い返すためだったらしく、しかし予想に反して子供の前でも逃げずに話し始めたせいで、その目論見は失敗してたそうな。
(これ、勝手に二人にしたから。しばらくネチネチ言われそうだよなぁ)
まぁ、たかがその程度のこと。割り切ればそれで終わる話だろう。
「家には今、おばあちゃんだけなんだよな」
「はい、母は入院していますから」
入院。正直、病気も怪我もする方ではなかったからあまり馴染みがなかった。
聞いた限り、彼女の祖母も八十前後。すぐではなくとも、いつ独りになってもおかしくない。つい大変だな、と。そう言いかけ、けどやっぱり言葉を飲み込んだ。
で、そのまま茉莉ちゃんに導かれること数十分。
古いという言葉よりも、古風が似合う庭付きの一戸建てに到着した。
家全体が横に広がりを持っているので、実はかなりの金持ちなのかもしれない。
「本当に上がっていくんですか?」
「しつこいぞ。いいからとっとと行けですよ」
前にやられたことをそっくりそのまま言い、背中を押す。すると似たようなやり取りをしてしまったことが悔しかったのか、お手本のように「ぐぬぬっ」と唸っていた。
「おばあちゃん、ただいまー。あと余計なのひとりついてきたー」
(よ、余計なの……)
恥ずかしい年頃なんだなぁ! と思いつつ、靴をきちんと揃えてから家に上がる。
居間までついていくと、そこには優しげな雰囲気の小柄な老女がいた。
孫の半分……は大げさかもしれないが、そう感じるほどの体格差がある。
「あの、初めまして。俺――――」
「おやおや、まあまあ。つりちゃんがボーイフレンドを連れてくるなんて……」
「え?」
一目見るなり、予想外の反応だった。
茉莉ちゃんにとっても同様らしく、明らかに目が点になっている。
「違うよ、おばあちゃん。これは彼氏じゃないよ」
「これ」
「おーん、おんおんおんおん……おーん、おんおんおんおん」
淡々と否定する茉莉ちゃんの言葉は、耳に届いていないようだ。
おばあさんはおもむろに声を上げ、嬉し涙を流す。いやそれにしても、
(ど、独特な泣き方だな……)
「はあ」
茉莉ちゃんはため息をこぼすと、俺にだけ聞こえる声でささやいた。
「面倒なので名前だけ名乗って、話を合わせておいてください」
「いいのか?」
「とっても嬉しそうなので。それにどうせ……次に会う時には忘れてると思います」
「そう、か……まぁ、茉莉ちゃんがそう言うなら」
認知症にも程度と範囲には個人差があって当然だろう、と俺は思う。
確か記銘力……だったか。新しいことを覚えるのが苦手なのだろう。
「初めまして。俺、信二郎と言います」
「ああ、ごめんなさいね。嬉しくってつい……みち江です。よろしくね、信二郎さん」
「こちらこそよろしくお願いします、みち江さん」
彼女は俺の手に触れ、柔らかい笑みを浮かべて歓迎してくれた。
「そうだ、折角ですから、つりちゃんの小さい頃のアルバムを見せてあげますね」
「えっ」
茉莉ちゃんが驚く。おっ、なんだなんだ。恥ずかしい写真でもあるのか?
まぁ、まだ中一なんだから今も小さい部類の気はするが、年を重ねると誰しもそういう感性になるのかもしれないと思い、俺は和室へ行ってしまったみち江さんの背中を追う。
「茉莉ちゃんも一緒に見る?」
「いえ、ボクはいいです。夕ご飯の支度がありますから。それと不本意ですけど、たぶん食べていきなさいって言うと思うので、先に連絡しておいた方がいいですよ」
「んー……そうだな。分かった、そうする」
「それでは――――あ、食べられないものとかありますか」
「いや特には」
「そうですか」
茉莉ちゃんは短く答え、自室に荷物を置きに行った……と思われる。
それから俺は、過去を懐かしむみち江さんと色々な話をした。
茉莉ちゃんが4000g越えの巨大児だった赤ん坊の頃から、日焼けなんて気にもせずサーフィンを満喫するようになる小学校低学年頃までの話を。
見せられたアルバムの中には、仲睦まじい家族の姿が確かに切り取られていた。
「これは初めて公園で遊んだ時の。隣は……ふふ、つりちゃん靴を嗅ぐのが癖だったの」
「可愛いですね。でもありますよね、匂いじゃなくてもつい癖になる何か。みたいな」
「そうねぇ。実は娘も小さい頃、同じようなことが好きだったんですよ」
「へぇ……やっぱり、遺伝子だったりするんですかね」
テーブルに広げたアルバムを指さし、微笑むみち江さんが同意してページをめくる。
するとそこには、白黒のボストンなんとか、な気がする犬も写っていた。
長生きの犬種かどうかは知らないが、姿が見えないということはそういうことだろう。
「少し前まで飼ってた子犬の……モネって言うんだけどね、まだ言葉も上手く話せない頃なのにたくさんお喋りしてて。お姉さんだったのよ」
「大人びた雰囲気でも、今と変わらないんですね。まぁ、悪態もつかれますけど……」
「ふふ、信二郎さんの前ではそうなのね。でもそれは、きっと好きの裏返しよ」
「だといいんですが……」
孫が可愛くて仕方ないのだろう。俺はまだ、飯と言えば飯が出てくると思ってるような子供だけども、いつか彼女の気持ちが分かる日が来るのだろうか。
まぁ、将来はさておき。一点、アルバムにいる知らない父だけは少し複雑だった。
そうして、長々と話し込むことしばらく。みち江さんはふと瞳に僅かな涙を溜め、細い指先で拭った後。正しく座り直して、俺に深々と頭を下げた。
「信二郎さん。あの子を……よろしくお願いします」
「えっ、あ」
「あたしや娘はあんまり男を見る目がなくてね。でもつりちゃんは、あたしたちと違ってしっかりしているから。だからつりちゃんが選んだ信二郎さんならきっと大丈夫」
みち江さんが俺の手を取り、優しい声で励ましてくれる。心が痛い。
ただの義妹なら結婚も法的にセーフだが、腹違いはさすがに日本だとアウトである。
でも頷かないわけにもいかず、俺は「は、はい」と首を縦に振ってしまった。
実感なんてまだあるはずもないが、家族という意味ならもっと素直に頷けたと思う。
(これ、本当に次会う時。俺のこと忘れてるんだろうか……)
不安だ。まぁ、一緒に暮らす人間の言葉だから信じよう。つか言われてるぞ、父よ。
それに茉莉ちゃん、男を見る目ない遺伝子を持ってる説も出てきたな。
「あぁ、そうだわ。今日はぜひこのままお夕飯、食べていってちょうだい」
「ご迷惑でなければ」
「迷惑だなんて。そんなことはありませんよ」
茉莉ちゃんの言う通りだった。やっぱり次会う時は、本当に覚えてないんだろう。
そして結局、また話し込んでから頂くことに。けどみち江さんは、食事中に少し戻してしまって今日はそのまま眠りについた。最近は嚥下もやや困難になっているらしい。
祖母を慣れたように世話する中学一年生が、少し遠く見えたのは正直な感想だ。
食後。俺は茉莉ちゃんが用意してくれた桃を食べながら、ゆっくりと尋ねる。
「あの、さ……茉莉ちゃん自身は実際、どう思ってるの? その、最終的にウチで暮らすことになるかもしれないって話。嫌……っていうか、不満はねぇの?」
「……仕方ないことなのではないですか。ボクが米良で、父が真田。それが答えでいいと思います。住む家が変わったとしても思い出が消えるわけではありませんし」
「そっ、か……」
彼女の言葉が強がりなのか、本心なのか。表情からは読み取れなかった。
なのに寂しそうと感じてしまうのは、俺が同情しているからなのかもしれない。
もしもこの一件で離婚になると親権は、俺が母さんに。茉莉ちゃんが父さんに落ち着くのはまず間違いない。それも人生のあり方のひとつではあると思う。
少なくとも、ただ生まれてきた茉莉ちゃんにはどうにもならないことで、俺があれこれ口を挟める問題でもないのは現実だ。結局、最終的には母さんの気持ち次第だろう。
「……ま、子供の俺たちが考えてもしょうがねぇか」
「何言っているんですか。そんなの当たり前じゃないですか」
「大人だねぇ、茉莉ちゃんは」
「子供でいられないだけですよ」
何でもないような、淡々とした表情で茉莉ちゃんはそう答える。
偏見なのは承知だが、もしかすると一人称の〝ボク〟は子供としての彼女の、無意識な抵抗だったりするのかもしれないな……なんて勝手な想像が膨らんだ。
「もう一個ついでだけど、これから俺のこと〝お義兄ちゃん〟って呼ぶの?」
「は? 呼びませんよ。この前、お義兄さんと一回呼んだだけで誠に限界です」
俺でもはっきり分かるくらい冷え切った真顔だった。どうじでなの……。
「ま、誠に限界なんだ……」
「はい」
兄を気取るつもりはなかったけども、ストレートに言われると誠に悲しい。
で、桃を食べ終えた後も俺は、何をするわけでもなく米良家に滞在を続けた。
というのも、その前後で父さんから生々しいLINEが届いてしまったせいである。
「――信二郎先輩、スマホいじってるだけならもう帰れですよ」
「そ、そう言わずにもう少しだけ。な? 助けると思って」
「はあ」
俺は薄目を向けてくる茉莉ちゃんに、スマホの画面を見せつける。
「だってほら〝可能な限り遅く帰って来てくれ、分かるだろ? 茉莉には先に寝ててくれと伝えて欲しい〟ってわざわざ……た、タイミング悪かったら最悪だろ? 色々と」
「……それ普通、ボクに振る話題じゃないと思うですよ。まぁ、ボクの身体が大きいから勘違いしてるんでしょうけど。それともほんとに変態さんなんですか、やっぱり」
「あっ……――――って、やっぱりってなんでだよっ!?」
「同じクラスの朝霧先輩が言ってましたよ、ド変態だから気を付けろって」
うっ、彼女の視点では何の間違いもないのが強く否定しづらい。
そして俺が口ごもれば、茉莉ちゃんがさらに訝しむのも当然だった。
「これだからいくつになっても男子は」
「ま、誠にごめんなさい」
「敬語は正しく使えですよ」
ひどい二重規範だった。まぁでも、茉莉ちゃんは色々と大きいから男のそういうとこが好きじゃないのかもしれない。ある意味で将来有望なので心配ではある。
「はあ。なら逆にもう、ボクがお風呂から出るまで帰るなですよ。戸締りしたいので」
「ありがとうございます。茉莉さま……」
「最初からそうしろです」
茉莉ちゃんはそう言うと、着替えやら何やらを用意して居間から去っていった。
よく知らない義妹の家に、俺はポツンとひとり取り残される。
「わ、割り切りがすげぇな……あの子」
素直にそう思い、またスマホの検索画面に視線を戻した。
別に俺もだらだらと無駄な時間を電子の世界に投じているわけではない。
「まぁ、ともあれこっちも場所とか決めちゃわないとな」
それは、週末に予定された冬毬会長との水族館デートについてである。
約束をした後日。会長から日曜だと都合がいいと聞いており、今日は木曜だから流石にそろそろ決めておかないとまずいだろう。
俺は数十分かけて候補を絞り、待ち合わせ時間も確定。会長に予定を送信した。
以下、ちょっとひとりごと。
正直、ランキングに同じような題材のものを見かけて評価の差にちょっと苦しくなる現実が辛い。まぁ、ざまぁ要素があるわけでも、イチャラブなわけでもないので妥当かもですが……。




