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28.五大栄養素はバランスよく摂取しよう!

「…………むぅ」

「何をやってんです、春乃先輩」


 悖徳高校。昼休みの別校舎――B棟四階にある恋愛同好会(仮)の部室。

 人間のクズと言っても過言ではない先輩。もとい俺の彼女ということになっている久住春乃先輩が、無駄に真剣な表情で天井を見上げながら唸っていた。


「見て分からない? NTRというジャンルそのものについて考えてるのよ」

「分かるわけねぇだろ」

「馬鹿ね。で、考えれば考えるほどNTRって格差が激しいことに気付いたわけ」


 どうやら話は続くらしい。とりあえず椅子を引っ張ってきて適当に腰かける。


「はぁ。何の格差があるって言うんです」

「そんなの、社会的な立ち位置の格差に決まってるでしょ」

「言うほど決まってるか……?」

「はい、じゃ質問。NTR好きってどんなヤツ?」

「え?」


 正直、驚いた。春乃先輩がこんな分かりきった答えを求めてくるなんて。

 NTRなんて底なし沼に勝手に嵌まっていくヤツなんてのは、考えるまでもなく――


「いやもう、シンプルに変態ド被虐性愛(マゾ)野郎だろ……」

「はっ、見事に寝取られ検定三級のお返事ね」


 鼻で笑われた挙句、深いため息が秒で返ってくる。

 何だろうこの気持ち。正しいことを言っているのに多数決で負けたような気分だ。


「ぐっ。な、なら正解はなんなんだよっ!」

諦念(ていねん)の境地に行き着いて人生が上手くいってない連中よ」

「えぇ……」


 ベクトルが思ってたのとだいぶ違った。これも方向性の違いってやつか、なるほど。


「もしくはすでに何かしら〝持って〟いるけど、まだ満ち足りていない連中」

「あぁ、だから格差」

「そ。一見、される側に感情移入した(くや)シコをしていると見せかけてその実、大半がする側に憑依合体してるんじゃないかってあたしは結論するの」

「そういう風に言われてみれば、まぁ……確かにそんな感じがしなくもないですけど」


 言わんとすることは理解できる。できてしまう。

 だが、それはそれとして。ひどい偏見ないし、言い掛かりな気がしなくもない。


「つまり、基本的にNTR(これ)は雑魚の趣向なのよ。惨めね全く、なははっ!」

(うわぁ、自分はそいつらとは違うと思ってんだろうな……この女)

「当たり前じゃない」


 当たり前らしい。俺は気を取り直して肺の中の空気を入れ替える。

 ふたりで直接話せる貴重な時間なのだ。正直、こんな雑談をしてる場合ではない。


「――じゃなくてですね、春乃先輩。俺は今後の方針とか予定とか、そういうのについて話したいわけですよ。このままだと気づいたら夏休み突入しちゃいますって」


 渡会真人。春乃先輩の幼馴染で……小夏の推定彼氏。俺が渡会に勝ってるとこは現時点だと足の速さしかないという、学校で人気のイケメン超人だ。

 競い合うのが小学生時代なら優勢だったかもしれないのが大変、悔やまれる。


「だからそれまでに校内での好印象を急いで増やす! 今、あたしたちに求められるのはコミュ力なの。あ、ちなみに夏休みは死ぬほど忙しくなる予定だからよろしく」

「死ぬほど忙しいのか……」


 主に妨害工作だったりするんだろうか、不安しかない。


「んで、並行してSNSに伏線――地雷を()くわ。というか現在進行形で撒いてる」

「伏線?」

「皆好きでしょ、匂わせ。だから付き合った日からアカウント育ててるの」

「あぁー……」


 誰しもがそうとは言わないが、男女問わず八割くらいはそうだと俺も思う。

 三大欲求も現代だと食欲、性欲、承認欲みたいなものだしな。

 プラトニックなお付き合いでドギマギするなんて、恐ろしいほど少数派に違いない。


「つーか、なに勝手にひとの裏アカ作ってんですか」

「いい感じになったらパスワード教えるから待ってなさい」


 まぁ、効果のほどはともかく飛び道具があるに越したことはないか。

 春乃先輩の運用に不安はあるものの、見ていなければ存在しないのと同じだろう。


理解(わか)ってきたじゃない。まるで巨根の童貞、おどおど隠れ巨乳の非処女だわね」

「そっちの方がよほど地雷じゃねぇかな……で、具体的にどんなのを撒くんです?」

「はぁ。いい、NTRの神は細部に宿るのよ」


 その神、天に召されてくれねぇかなぁ……。


「細部、ですか」

「そ、細部。たとえばそうね、クラスメイトに誰もが知ってる有名女優と付き合ってると自慢されて、ひったすら惚気られたらどう思う?」

「……う、羨ましいとは思いますけど。正直、言うほどそんな……興味ないね」

「ま、よほどガチ恋でもない限りこれは別に致命傷で済むでしょう」


 強がりなのが一瞬でバレてしまった。ずるいだろ、思考盗聴。


「なら、はい。SNSでふたりの裏アカが発見されました。するとこんなやり取りが発掘されました。〝ケツめちゃ柔らかいし、いい声w〟〝最近、弟が可愛すぎて困る〟〝匂い嗅ぐ時の顔、必死過ぎておもろい〟〝若いってすごいなと、しみじみ思う今日この頃〟」

「――――ッ!? そ、そんなの……」


 即死だ。

 い、いや! まだだ……俺はまだ、自分を弱者と認めてはいないぃっ!


「くだらない恋愛小説だってそうでしょ? 主人公とヒロインがエッチしたって直接描写されても興奮できないのよ。NTRの殺傷力を高めるために必要な栄養素は〝何気なさ〟〝唐突さ〟〝投影できなさ〟〝身近さ〟……あと〝素質〟。NTTMSってわけ」


 ……また知らない概念、出てきたな。

 見慣れない属性が無駄に大量にあったりする、中途半端な出来のゲームかよ。


「でもまぁ……た、確かに知らない男とホテルに消える奥さんを見るよりも、自宅で自分には見せない顔をしながら不倫された方が辛い……あ、そうか。現実味(リアリティ)

「いえす。仕掛けるからには〝おっ、効いてる効いてる〟って言いたいわよね」

「言うほどそうか……?」


 ともあれ、結局。今後は〝なるべくふたりを一緒に行動させない意識を高める〟という方針でまとまった。要するに俺は、今より小夏へ積極的になるべきなわけだ。


 俺としてはデートになるけど、なんか都合つけてふたりで遊びに誘うか……。

 最悪、飾森とかその辺を誘えば友達の集まり感が出ると思われる。


(そ、それはそうと。あ、あれについても聞かないと……聞きたくないけど)


 なにせ俺たちの間には〝この目で観測したものだけが事実〟〝先輩の目は俺の目、俺の目は先輩の目〟〝この件の隠し事はしない〟という約束があるからな!


「……ところであの、春乃先輩」

「なに? あれって」

「じ、実は――俺、昨日……小夏の部屋で、一緒に勉強したんですよ。そ、それでその時あいつのスマホを勝手に見ちゃったんですよ。そしたら……ったんです」

「――――ッ!」

「こ、小夏が彼氏ってアカウントにぃ、えっちな自撮りを送ってたんですよォおおっ!」


 言った。言ってしまった。


「…………」


 は、反応がない。逝ってしまったか? 

 無理もないか。つまり、渡会が写真を要求する変態の可能性があるわけだしな。


「せ、先輩?」


 固まっていたので声を掛けると、ハッとした態度で先輩は自分の胸を軽く抑える。


「あ、ごめん。え、で? 地鶏の炭火焼きがどうしたの」

「違ぇよ。じゃなくて、だから渡会……先輩は昨日、部活中にライ――」

「あり得ないあり得ないあり得ない! だってあたしずっと見てたしっ、たしっ!?」


 かなり食い気味な即答だった。


「そう、ですか……え、えっ? で、でも……そう、なると―――」


 先輩の〝ずっと〟は本気でガン見だろうし、嘘を挟む余地もないはず。

 瞬間。脳裏をよぎった最悪の答えを、クズは他人事のようにいい笑顔で言った。


「あんたの幼馴染はっ、もしかするとぉ、浮気をしてるのかもしれないわねぇっ!」

「゛う゛わぎぃッ!? したのか、俺以外のヤツとぉッ!?」


 俺の前途多難な人生に突如として、正体不明の容疑者Xが浮上した。


 *


 浮気。文字通り浮ついて、変わりやすい気持ちのことを指す。

 そりゃあ壊れた脳みそにも意味は理解できる。


 が、あの小夏がそれをしているかもしれないという疑念に関しては、さすがの俺も首を傾げざるを得なかった。

 願望と言われればそれまでとしても、状況的に何かがおかしい気がする。


(渡会はスタンプを押していない……先輩が監視していた以上、恐らくそれは確定事項。というか、俺が見ていた頃でも部活中にスマホを触るようなひとじゃないのは分かる)


 ならこの場合、問題があるのは小夏の方ということになるのは必然。


(彼氏って名前もたぶん、小夏が自分で変更したに違いない。だとして……うーん、送信時間とかアイコンの画像とか、いまいち記憶にないのが辛いな……)


 このままだと虫食い状態なんて次元ではない。ほとんど妄想になってしまう。

 あ。いや、そうか。逆転の発想だ。結論から考えよう。浮気じゃなくなる結論から。


 これは浮気じゃない……つまり、容疑者Xなんて初めから存在していない。すると何が起こる? 少なくとも、送る相手がいないとLINEはできないんだから――――


(……Xは、小夏自身? いや、でもさすがにそれは…………)


 あいつが端末を二つ持っているなんて話は、今まで一度も聞いたことがないのだ。

 別にバイトもしてないからな。当然、携帯代もおばさんが払っているはず。


(中古スマホを買えば、Wi‐Fi環境がある場所限定で実現可能ではある、が……)


 いったい何のために? 二台持ちで彼氏彼女ごっこ? ……相手が実在するのに、か?

 それに確か新規登録は電話番号――要するにSIMカードが必須。だから、


(小夏に入れ知恵した奴がい――――)


 ないない、ないないっ! あ、危ない危ない……まるでXが現実にいるみたいな結論を出すところだった。い、いくら小夏でも高校生だぞ。少し調べるくらいできるって!


 荒唐無稽な考察に、俺は堪らずぶんぶんと犬のように首を振る。

 すると、隣から生真面目で透き通った声が素直な疑問を投げかけてきた。


「ふむ。先刻から何に気を取られているんだ、真田」

「あっ。す、すみません会長っ」

「む? 謝罪ではなく理由を訊いたつもりだったのだが」


 周防冬毬。やや無機質な反応を見せる彼女は〝自由〟と〝自立〟を掲げている我らが悖徳高校の学生自治会会長を務めるひとで、あの春乃先輩の親友……らしい。

 さらに学生の身分でありながら恋愛同好会(仮)の顧問を務めてもいる。


「少し考えごとをしていました」

「そうか。だが、動きに精細を欠いている。あまり関心はせんな」

「会長の仰る通りです、今から切り替えます」

「うむ」


 会長と話していて最近分かったのは、やたら謝罪をするよりも前向きな返事をした方が反応は良いということである。もちろん、俺も口先だけの男になるつもりはない。


(……実際、ここで考えてもしょうがないしな。目の前のできることをしねぇと)


 連日のように不徳箱へと届く恋愛相談に対処し終えた放課後。

 俺は単独、校内での認知と好感を稼ぐために学生自治会の手伝いを行っていた。


 本校舎――A棟三階にある自治会室では、監督生と呼ばれている自治会所属の生徒らがPCを睨みながら各自黙々と作業を続けている。

 俺も先程まで校内美化活動をしていたが、一段落して戻ってきたばかりだった。


(とはいえ、元々の人員だけで仕事は何の問題もなく回ってるんだよな)


 現に俺が会長の隣でやっているのも、目安箱の中身の仕分け程度のことである。

 意見・要望・質問のほかに単なる非難(クレーム)や会長宛てのファンレターなどが紛れ込んでいるため、確認の意味を含めて日付や優先度順に整理する必要があるらしい。


(……にしてもちゃんと機能してるのすげぇな、この目安箱)


 箱から溢れ出そうになっている大量の投書に一つひとつ目を通しながら思う。

 ほぼ意味を成さないお飾りではないというのは、俺のいた中学だとまず考えられない。

 内容はともかく書こうと思い、行動できる自主性の差は火を見るよりも明らかだ。


(まぁでも、女子トイレの個室にタイマー付けてくれってのはどうかと思うが)


 筆圧強いし、どんだけ不満なんだよ。どう考えても連れション文化のせいだろ……。

 その他で目についたものだと〝悖華祭(はいかさい)で屋内ローラーコースターを作りたいから事前に許可が欲しい〟〝体育祭以降、坊主が流行っているので全校レクリエーションとして坊主まくりを開催して欲しい〟などがあった。というか――


(ぼ、坊主まくりってなんだ……めくりじゃなくて? つーかこれ、俺のせい?)


 勘弁してくれ。まぁ、採用されることはないだろう。

 俺は一通りの確認と整理を終え、一息をついて冬毬会長を横目に見た。


(……中身の倫理観のズレ具合を知らなければ、素直に綺麗な人なんだけどなぁ)

「なんだ、真田」


 漠然と考えていれば、会長は手を止めず視線もそのまま淡々と言った。


「あ、いえ。その、会長の横顔が素敵だな、と」

「そうか」


 言葉にした瞬間だった。俺の背筋を悪寒もとい、監督生たちの視線が突き刺さる。

 あ、あれ。俺今、何かやらかした? この手の褒め言葉は暗黙の了解でダメとか?


「もしかして基本は私語厳禁……だったり、しますか」

「いや? そんなことはない。皆、仕事熱心ではあるがな」


 聞いてから思ったが、だとすると会長に聞いても意味はないだろう。

 俺は恐る恐る、周囲の様子を窺う。すると原因はすぐに分かった。


 男女問わず、監督生の瞳が〝素敵なんて一言で片付けるな〟と熱く語っていたのだ。

 そっちの方向性か……こ、好感度を下げたままは良くねぇよな。よ、よしっ!


「申し訳ございません。素敵、では言葉足らずでした。まさしくわたくしめ如きが易々と触れてはならない高嶺の花! つい見惚れてしまいました。反省しております」

「ふむ? 急にどうした、春乃か?」

(それは心外だ)

「「「――――っっ!」」」


 瞬間、監督生たちの好感度が1上がった。そんなテキストが見えた気がする。

 本当にとりあえずの及第点はもらえたらしい。無言の圧が明らかに引いていった。


 それから何事もなく雑用に勤しみ、日もすっかり沈んだ夕暮れ。

 俺は冬毬会長と自治会室の鍵を職員室まで返却し、廊下に出ていた。

 他の監督生はいない。会長がそれらしい理由をつけて二人だけの時間にしたらしい。


 というのも、俺と会長は〝恋愛における師弟関係〟にあるからである。

 これは春乃先輩も知らないのだが正直、ややこしい事態になっているのは間違いない、


「真田、今日は助かった。感謝する」

「え? い、いえっ、俺は別にほとんど何もしてないですしそんなっ。でも、そう言ってくれてありがとうございます、トマりん会長」


 鉄仮面のような彼女のこういう部分が人を惹きつけるのだろうな、と改めて思う。


「トマりんと呼ぶのならば会長はいらないと言ったはずだが」

「……呼ぶ人、誰かいるんです?」

「春乃と奈緒だけだな」


 デスヨネー。やっぱり一歩踏み込んだ仲なのは、あのクズと飾森姉だけみたいだ。


「ところで真田。今、手を繋いでもいいだろうか」

「゛えッ!?」

「? どうした〝人目を忍んで手を繋ぐこと〟を奨めたのは君だろう」

「そ、そうですたねっ!」


 噛んだ。周りに誰もいないことを確認しつつ、俺は差し出された手をそっと取る。

 心臓が恐ろしい速さで鳴っているのが分かる。


 こんなところ、もし学生――特に監督生に見られでもしたら凶悪なアンチを生み出しかねない。

 な、なるべく壁際を歩こう。そうしよう。窓の向こうからの視線もないよな、な?


「それともう一つ。今度の休み、私はデートをしてみたいのだが、いいだろうか」

「うっ。も、もちろんですよ。デートって場所じゃないんです、誰と行くかなんです」

「ほう」


 会長が真っ直ぐな瞳で素直な感心を向けてくれる。絶対おかしいよ、この人っ!

 それでも拒否するという選択肢がないので、もう頷くしかない。

 俺が断ったところでこの異世界人は結局、他の男を頼るだけなのだから。


「ふむ、では場所の選定は任せてもいいだろうか。この次は私が決めよう」

(次があるのか……)


 関係性の終着点がどこにあるのか最早、俺にも分からなかった。普通に考えたら経験の延長線上で、行こうと思えばどこまでも行けてしまう。なんだこれ、催眠モノか?


「じゃ、じゃあ今回は……そうですね――――水族館にしましょう」

「うむ。了承した」


 二つ返事で決めるのはどうかと思うが、頭に浮かんだのは何故かその場所だった。




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