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21.体育祭、陰と陽の分水嶺4

今回と次々回は不快に感じる方が多いとは思いますが、申し訳ないです。

「……だいじょうぶ?」

「平気だよ、こんくらい。つかお前も、なんでいっつも変なのに絡まれてんだ!」

「う、うん。そうだよね、ごめんね……」

「べ、別に謝って欲しいんじゃなくて俺は、ただ――」

「えへへ。じゃあ、ありがとう。しーちゃん、大好き!」


 小学生の頃。どうしようもなくドジで間抜けでアホな小夏のため、ませた上級生たちとケンカしたことを、俺は別校舎一階の廊下を走りながら思い出していた。

 あいつは無駄に発育が良かったから、そのせいだったんだろうと今では思う。


「――で? 見たのか、見てないのか。どっちだ?」

「さ、さっき廊下から女子の声がたくさん聞こえたから……っ」

「そ、そう! たぶん、上にいる……と、思います」


 空き教室をひとつずつ調べるうち、隠れてイチャついてた地味なカップルからの証言を得た俺は上階へと急いだ。だが二階にはおらず、続けて三階の捜索を開始。


 そしてようやく。不快な金切り声が聞こえ、直後――俺は、ドアを蹴破った。

 火事場の馬鹿力みたいなものだろう。痛覚も興奮で麻痺しているに違いない。


「は?」

「……え、マジ?」


 目が合った。驚愕と嫌悪と色々なものが混じった感情が向けられるのが分かる。

 中にいたのは六人。全員女で、どいつもテニスコートで見た記憶がある連中だった。


 小夏の姿は俺の角度からは見えない。でも確かにあいつはここにいる。

 ヤツらの傍には、目を逸らしたくなるような痕跡がすでに見え隠れしているのだから。


「ちょ、ちょっとあんた。見てわかんないの、今取り込み――」

「どけ」

「きゃあっ!」


 気圧されず近寄ってきたひとりを問答無用で突き飛ばす。

 そいつから発せられた、まるで自分こそか弱いような声が俺をひどく苛つかせた。

 女は勢い良く尻もちをついて、近くのロッカーで頭を打ったらしいがどうでもいい。


「は? 女殴るとか人として終っ――」

「知るか。寝てろ」


 性格の悪さが顔に滲み出た女の、顎の少し上を平手で思いきり振り抜いた。

 鈍い快音が鳴り、「みギッ」という短い呻きを上げて吹っ飛んでいく。


「え、ちょっ。え?」

「ね、ねえ……なんか、ヤバくない? け、痙攣(けいれん)してるし……」


 歯向かえば自分もああなる、という分かりやすい未来の提示はよほど効いたらしい。

 すぐに残った女のうち三人が無言で後ずさり、大人しく俺に道を譲る。

 そして、前にゲーセンまで尾行していた女と――小夏が、ようやく視界に入った。


「…………、……」

「しー、ちゃん……」


 弱々しく教室の隅でへたり込まされた小夏が、俺の名前を呼んだ。

 まぶたが千切れそうなほど力み、眼球が乾いていくのが自分でも理解できる。

 それ以上に。どんな声をかければいいのか、上手く頭の中で整理が追いつかなかった。


 ただひとつ確かなのは、この場で行われた一方的な行為がいじめなんていう軽い言葉で片づけることは許されない、ただの暴力で、犯罪だという現実だ。なのに、


「えへへ」


 あいつは俺を見た途端、笑っていた。涙ひとつこぼさず、ひたすら耐えてしまった心を強いと表現することが正しいとは、俺には到底思えない。思いたくもない。


「お前……なんで、そんな」


 非対称に切り取られた絹糸のような栗色の長髪も、ゴミ箱の傍に落ちている子供っぽい弁当箱のフタも、刻まれて乱れたまだ新しい体操服も、露出した肌に油性ペンで書かれた下品な落書きも……俺は、本当は受け入れたくなんかないのに。


「はっ、なに。今度は騎士(ナイト)様、登場ってワケ? 両手に花でホント良いごみ――」


 薄ら笑いを浮かべる女が何か言っていた。


 平常心なら渡会先輩は王子様だもんなとか、もしも俺の代わりにここへ来ていたら仲が進展してたかも。なんてことを考えただろうが、今はそんな余白などありはしない。


「順番に聞く」


 無視し、遮って。リーダーと思わしき女以外を見渡しながら俺は問いかける。


「髪を切ったやつ、弁当捨てたやつ、服破いたやつ、字ぃ書いたやつ……どいつだ?」


 視線が重なってびくりと身体を震わせたかと思えば、三つの視線は露骨なほど一か所に集中する。それが真実を示すかは不明だが、そんな態度は態度で気に食わなかった。


 ……殴る理由が増えただけか。ともかく誇れるような友情なんてないらしい。


「あ、わかっちゃった。あんた、この豚女のこと実は前から好きなぶげあっっ!?」


 言葉を遮り、思いきり平手を振り抜く。吹っ飛んだモノはゴミ箱に頭から叩き込まれて情けない姿をさらし、しばらく中でもがいた後。床にひっくり返った。


 会話は必要ない。対話するような段階はもう土足で踏み越えられているのだから。


「立てよ」

「な、殴られたって、叩かれたって。わ、私は怖くなんか、怖くなんか……うゥッ!」


 また何か戯れていたが、俺は気にせず女の胸倉を掴んだ。

 強引に身体を起こし、その勢いのまま再び平手を放って冷たい床に叩きつける。


「゛いッ」


 髪を掴んで左右の頬を交互に叩く。もちろん、こんなこと別に楽しくもなかった。

 ただ機械的に、事務的に。こうするべきと思った心に従っているだけである。


「――はあっ、はあっ、はあっ……は、はっ」


 やがて数十の繰り返しの後。自分が可哀想であるかのように涙を浮かべる女は、次第に抵抗をしなくなり、ひたすら謝罪と過呼吸を繰り返すだけになった。


 最初の威勢などとっくに消え失せ、体操服が濡れているのも一目で理解できる。

 まぁ、やっぱりどうでもいい。今は小夏以外のことは全部……全部、どうでもいい。


「し、しーちゃん。もういいよ……やめよう? 来てくれて、すごく嬉しかった。だからもう十分だよ。教室に戻って、みんなでお昼ご飯にしようよ……ね?」


 絞り出すような優しい声だった。でもまだだ、まだ十分なんかじゃ絶対ない。


「駄目だ。駄目なんだよ、小夏。こういうヤツが将来、大人になって昔やんちゃしたとか抜かしてヘラヘラすんだ。タレントとかでよくいるだろ、あんなのはクソだ」


 だからここで理解させないといけない。嫉妬の腹いせで自分が誰に何をしたのか、言葉以上の言語で教えてやらないと駄目なんだ。手遅れなんだよ、こいつら。

 これを受け入れて見逃すのはもう、優しさじゃない。ただの臆病さだ。


「性根が腐ってる連中は一生、反省なんかしない。すぐに忘れて、また繰り返す」

「んなさい……ごめんなさいごめんなさい。いたくしないで、ごめんなさいごめ……」

「でも――……」

「じゃあ、いつまで耐えるんだ。こいつが卒業するまで。満足して諦めるまで?」


 拳を振り上げ、名前も知らない先輩の怯えきった顔を見下ろす。そして、


「そんなの俺は、御免だッ」

「ひ、ぃっ」

「「――――っ!」」


 呆気なく。制服の裾をそっと引かれる感触に拳は止められてしまった。


「でも、でもね。こんなしーちゃん、私……好きじゃない。好きじゃないよ」


 大好きな幼馴染が声を震えさせながら、俺の背中に身を寄せてそう言う。

 小さな手を取り、振り返ると今になって小夏の頬を涙が伝っていた。

 なんで、なんでだよ……辛いのはお前だろ、俺なんかのために泣くなよ。


「好きじゃ、ない」

「うん……」


 俺は大人しく拳を下げる。別に同じ土俵へ上がることを悪いと思ったわけじゃない。

 ただこの〝好きじゃない〟が、縁を切る類いだと直感的に悟っただけ。

 で、殴るのをやめたのと同時。ゆっくりと教室のドアが開かれる。


「――ふむ。これは、困ったな」


 現れたのは、相変わらず困ってそうには見えない冬毬会長だった。

 会長を目にした途端。呆然としていた他の女も我に返ったのか、いきなり泣き始める。


「……どうしてここに」

「いやなに。偶然にも教室から君が見えたのだが、人でも殺めそうな形相だったので後を追ってきただけだ。それにしてもまさか樽沢(たるさわ)凪咲(なぎさ)、君の執着がここまでとは」

「樽沢、凪咲……」


 以前からこの樽沢が渡会ファンクラブとして過激だったのならば、全校生徒の表面的な情報は正確に把握する冬毬会長が憂うような反応なのも理解できなくもない。


「これも一種の純愛か? まぁ、いい。ひとまず皆、ここは私が預からせて貰おう」


 その会長の一言で、今回の体育祭における事件は幕を下ろすこととなった。

 しかし恐らく小夏は被害を訴えず、問題を公にすることも拒否するだろう。


 当然そんなの納得できないが、こういう時のあいつの異常な頑固さは幼馴染の俺が一番よく知っている。万が一、槍が降っても意見を変えることはないのだ。


 優しいというにはあまりに甘い。でも、小夏が望むのなら俺はそれを尊重しよう。

 樽沢が仕返しに来るというのであれば、また痛い目に遭わせるだけなのだから。


 *


 悖徳高校、体育祭。午後の部は予定通り、何事もなく続行された。

 まぁ、著名人が急死しても別に世界は止まらないしな。当然だろう。

 それでも俺の世界は停止していた。正直、もう体育祭を純粋に楽しめる気分じゃない。


(はぁ……)


 本来はエロかっこいいと感じるチアリーディング部の統制が取れたアクロバティックな応援も、「ああ、すごいな」と冷めた感想しか出てこなかった。


 春乃先輩も元チア部らしいが、先輩ならあの中でも目立てると思う。色んな意味で。

 あと印象的だったのは全学年から選出される、女子騎馬戦だろうか。


 三年を差し置いて白組大将の座に就いた春乃先輩と、紅組の遊撃隊として無双していた飾森(馬に柚本)の大怪獣バトルは、文字通り大地を揺るがす熱戦だった。


 紅の大将が落ちたので勝敗こそ着かなかったものの、ふたりが互角なのは間違いない。

 しかしそんなクラスメイトの活躍を差し引いても現状、D組の雰囲気は最悪である。


 未だ小夏が保健室から戻らないのと、噂の相乗効果でどうにもならないのだ。

 まぁ、俺の不機嫌さである程度は察した連中も多かったのだろう。


 現に右隣に座る前園さんも、気まずさで今にも死にそうな顔をしていた。

 ……いや、彼女の場合は大縄跳びで足を引っ張りまくったせいかもしれんが。

 と、そうこうする間に二年の玉入れが決着へ近づく。つまり、


(そろそろ部活対抗リレーか……)


 会長を含めて三人しかいない恋愛同好会も参加の権利はあった。

 まぁ、大半の部は九人で走るからひとり三周も走らされるんだけども。

 移動にはまだ少し早かったが、俺は席を離れて指定された場所に向かう。


「――ま、事情は概ね理解したわ」


 やがて玉入れが終わり、顔を合わせた春乃先輩の開口一番はそれだった。

 たぶん思考盗聴なんだろうが、今はツッコむ元気すらない。


「とりあえず、樽沢(そいつ)の対処についてはあたしに任せなさい。いいわね」


 先輩もそれを分かってか、必要以上に絡んではこなかった。

 ……対処か。確かに今回はたまたま俺が助けに入れたが、次もそうなる保証はない。

 春乃先輩の、ふたりの距離を縮める要因は排除したいという考えは理解できる。


「ん?」


 ふと辺りが慌ただしくなったのを感じ、そっちに視線を向けた。

 それは、家庭科部。小夏が所属する部活の女子達によるものだったらしい。


(あぁ、そうか。小夏がいねぇから代わりに誰が走るとか――)


 直後。俺は思わず言葉を失った。

 開けた視界の先。戸惑いを露わにする女子の輪の中。

 そこには、真新しい体操服に着替え、髪型を短く整えた小夏が立っていたのだから。

長くなりそうだったため、体育祭5に続きます。

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