2.今さら好きだと気づいてももうダメだぁ
「――しーちゃん、私ね。彼氏ができたんだ!」
「え」
「渡会先輩……じゃなかった、真人先輩なの。すごいでしょ!」
「へ、へぇ……よ、よかったじゃん。おおおおおめめととう」
そ、そっかぁ。小夏もついに彼氏ができたか。
じゃあこれから先の人生で……俺が、俺だけが無駄に小夏の世話を焼く必要も一切なくなるんだあ。それは、それはさ。うれしいこと……だったよな?
だって彼氏のために色々頑張るもんな普通……誰かのために頑張る女の子は、いつでもキラキラして可愛いもんな。誰だってそう思う。俺だってそう思う。
もう、手とかつないだのかな……。
「でね、キスもしたよ! ちゃんとしたファーストキスっ! えへへ」
「 」
「だからね、しーちゃん。今まで一緒にいてくれてありがとう」
「え、あ」
「もう私はだいじょうぶだよ……だからね、しーちゃん――」
やめてくれ。その先は言わないでくれ。聞きたくない、嫌だ! お、おかしい!
……そう、おかしいだろそんなのいきなりっ!
テニス部の爽やかイケメンで、文武両道で実家はそこそこ裕福って話で!
足が悪くて信号を渡り切れないおばあちゃんを、おぶって助けちゃうような好青年だかなんだかよく知らんけど! 知らんけど! 知る必要もないことだけど!
小夏の、お前のことなら俺が、両親の――いや世界で一番、理解ってるんだッ!!
「やあ」
するとどこからともなく渡会真人がにゅっと姿を現した。
やぁ、じゃねぇぞ帰れこの野郎! 小夏から離れろ、腰とか肩とかに手ェ回そうとすんじゃねぇっ! というかっ。こ、小夏も……お前も少しは抵抗しろよ!?
そんなんじゃないだろ、だって……俺の知ってるお前は。お前は、俺の――
「君のじゃないんだよね」
「は?」
「もう、僕のだから」
「うん。私はもう、真人先輩のものなんだよ、しーちゃん」
小夏が渡会と手をつないだ。つないでいる。つながってる。つながっちゃった……。
ちょっと前までそこは俺のいた場所なのにっ。俺の、俺の…………っ!!
「ぇ……い、いやっ! で、でも……」
「そもそも私、最初からしーちゃんのものじゃないよ?」
「あっあっ、ああっあ」
「恋って。大事なのは知ってるかどうかじゃなくて、相手を知りたいって気持ちだよ」
「う、うぅぁ……ひっ、ひひふ……へあっ」
過呼吸寸前だった。し、死ぬゥ。殺される……だってこんな軋むような、割れるような頭痛がするんだ人死にが出るに決まってる。脳が壊れる! 思考盗聴されている!
そうだ、そうに違いない。こんなまやかし、俺の気合でぶっ飛ばして――
「さよなら、元気で――信二郎くんもお幸せにね」
「うわぁああああああああああああっっ!?」
そうして、俺は自分の机をひっくり返す勢いで飛び起きた……らしい。
しかも授業中だった。注目をされてしかるべきなのはわかるけど、とりあえず涙なのかよだれなのかわからない謎の体液をシャツの袖で拭っておく。
「真田ぁ……貴様、私の授業を散々眠り散らしたあげく。小心者の私を背後からの奇声でビビらせるとはえぇ? いい度胸じゃないかぁ、真田ぁ。ちょっと漏らしちゃったぞ」
スフィンクスの被り物をした日本史の先生が、さらっとすごいことを喋っていた。
たぶん魂が空中に分離した俺以外、クラスの心は一つになっていた気がする。
いえぇーいっ、ここでも疎外感だぁ……うーれーしーなーぁ。かーなしーなーぁ。
――で、その直後。昼休みになり、しばらく。
どうやらずっと死んでいたらしい。それだけの衝撃か……。
俺にとって、小夏にか……か、かかっ、彼氏ができたという受け入れがたい現実は。
「おーい、さすがに起きなよー。お昼休みだよー、なにか食べないとバテちゃうよー?」
「もう、誰も……俺を放っておいてくれ。いっそ、このまま死なせてくれ……」
クラスの女子が肩をゆさゆさ揺らしてくる。寝ていようがお構いなしに、俺なんていう矮小な生き物へボディタッチしてくるのは、間違いなく柚本秋那だった。
可愛らしいショートヘアは地で明るい色をしており、背丈は豆粒程にちっこい……は、さすがに怒るか。まぁ、とりあえず平均以下の身長でスピードタイプの女子である。
バスケ大好き少女の彼女は同じ中学出身でもあるため、接し方に遠慮がなかった。
「いやまー、ね? なにが原因なのかなーっていうのはね? わかるよそりゃー」
「うぅ……」
柚本がなにを指して言っているかわかるが、わかりたくない。とっさに耳を塞ぐ。
「渡会先輩と付き合ってるってホントっ!」とか、「きっかけはなんだったの!」とか、「いいなー、いいなー。わたしも彼氏ほしー」とかそういうのぁああァアアアッ。
目を閉じて、耳を塞いで、心を閉ざして、精神を身体から切り離してもッッ!
俺の中にはっきりと刻み込まれた小夏が、笑顔で「えへー」と対応してるのが浮かんでしまう。タスケテ、コロシテコロシテ。気分は実験体にされたキメラだった。
「ダメだこりゃ。どーしよ、瑞希ちゃん?」
「なにが駄目なのかしら? こんなの簡単じゃないの。見ていて、秋那」
隣にもうひとりいたらしい。と言ってもこれまた中学からずっと聞き慣れた声だ。
飾森瑞希。黒髪ロングの清楚美人とかクールビューティで中学は通っていたようだが、俺はちっとも信じていない。こいつは本当に血も涙もない冷徹なヤツだ。
人の心ないんじゃない、とさえ思う。だって俺以外に対しては普通なのに、俺にだけはやたらと冷たい。なして? ホワイ。ツンデレかよって言うとガチギレするしな。
「あ、あんまり乱暴なことしないであげてね。かわいそーだよ」
「あら。わたしが純情をぐっちょぐちょのどぅるっどぅるにして遊ぶひどい女に見えるのかしら? 安心して――俺のぉっ、俺の小夏がぽっと出に寝取られたぁあああっ!」
「み、みみ瑞希ちゃんんんんっっ!?」
「あがぁあああああああッ!!」
困ったことに飾森は謎に腕力があるので、当然のごとく耳を塞いだ手をパワーで外して否応なしに現実を突き付けてくる。ひどいやつだ。女じゃなきゃぶん殴ってる、マジで。
ところで死にそうです……現実はなぜこんなにも俺に厳しいのでしょーかぁーぁ。
「俺が先に幼馴染だったのにぃいいいっ! 夜中に布団でひとりぬくぬくラインの返信を待ってる間、あんなことそんなことをおっぱじめているのよぉあああっ!」
「ギィヤアアアッッ!! あっ……――ぱたり」
「よし」
「よしじゃないよ、瑞希ちゃん! 信二くん死んじゃったよ!?」
「違うわ、秋那。殺したのよ」
「もっとダメだよ!?」
そうだもっと言ってやれ、この悪魔! 鬼! 人でなし! 当然、俺からは言えない。
数十倍となって返ってくるし、勝つまで粘着してくるからそもそも勝ち目がなかった。
「こんなに傷ついてるんだよ。えとえと、あれだよあれ!」
「保護犬かしら?」
「そうそれ!」
「もらい手なしで殺処分ね」
「うぐぁっ!?」
「あぁっ、ごめんね。痛かったねぇ、よしよーし」
ど、どうしよう。どうすればいいっ! いや、わりと切実に俺はこれから先どうやって生きていけばいいんだ!? 教えて神様! 助けて偉い人!
気づかないフリして、傷ついてなんかいないフリをして。見て見ぬフリして生きていくのかよっ!? それしかないのか? そ、そんなの無理だよォ………。
「俺は、どうしたらいいんだろう……?」
「ど、どうしたいの?」
俺がどうしたいか……そんなのわからない、わからないけど。
遠くに見える小夏を横目に見た。辛い。苦しい。この痛みは……どうすれば消える?
消したい――いや、そうかっ! 消したいんだ。つまり、そのために俺はッ!!
「ぜ、め、でぇっ! ごごろのぉずぎまをうべず、がのじょがぼじいぃッ!!」
「え、えっ! じゃ、じゃあ……あの、えとぉ」
「えとぉ、なんだよ……なにか? 柚本が俺と付き合ってくれるのか?」
「うへぇっ!? い、いやぁそ、そそれはぁ……」
明らかに挙動不審だった。そうだよな、こんなミジンコみたいなヤツ彼氏にしたいわけないよな……なに言ってんだ俺。ほんとイキってすみませんでした。許してください。
「馬鹿言わないでちょうだい、冗談は顔と見た目と容姿と面構えだけにしなさい」
「お前が相変わらず俺を嫌いだということはわかった。泣きそう」
――泣いた。
「そ、そんなに悪くないと思うけどなぁ……あっ、う、ウチはねっ。ほ、ほら付き合いがちょっとだけ長いから補正がかかってるかもってえとえと……」
「うぅう、ママぁ」
「離れなさい」
「うぐえぇっ!」
心の赴くママに抱きつこうとしたら飾森に止められた。く、くそぉ……。
こんなことすらできない事実と柚本の精一杯のフォローに、今日何度目かもわからない涙があふれてくる。ありがとう、お前は俺のママだ。ずっとそのままでいてくれ……。
「とにかく駄目よ。万が一そんなことになったら、あなたを殺してわたしは生きるわ」
「た、ただの殺人じゃねぇか……」
するともう耳に馴染んだ予鈴のチャイムが教室に鳴り響く。
しまった。結局、昼飯を食べていない。ふたりは食べてから話しかけてきただろうし、意識をしたら腹がぐぅぐぅ言いはじめた。ちくしょう。身も心もひもじいよぉ……。
「しょうがないなぁ、もうっ。はいこれ、ウチの間食。今度なんかおごってよ!」
「いや、シリアルバーでも助かるマジで。ありがとう神様仏様秋那様……!」
「もっと言ってもっと言って」
「うぉおっ、お前だけが頼りだ人として好きだ!」
「えへえへ」
「そういえば、知っている? 今世界で一番細い注射針って0.18mmなのよ。穴って一体どれくらい小さいのかしらね、気にならない?」
「食えなくなるのでやめてください、瑞希様……」
さすがに食い物で遊ぶようなヤツではないし、これはそもそも柚本がくれた私物だ。
飾森がなにか仕込んでいるとは、考えにくい。ありがたくいただいて授業に備える。
しかし精神的疲労がひどく、数学の授業がはじまって早々に挙手をして堂々と言った。
「――先生、ちょっと頭が悪いので保健室に行ってもいいですか?」
「いつものことじゃないか。大人しくケツで椅子を磨いてなさい」
「……先生が。先生が、イケメンに見えるんです……っ!」
「なるほど。それは重症だな、行っていいぞ」
「ありがとうございます……」
こうして俺は教室を出て保健室に向かい、先生にベッドを借りてひと眠りする。
どうやら先客がいたようで、なにやら隣のベッドからすすり泣く声が聞こえてきた。
それにつられてまた涙が出て、泣き疲れた俺は気がつくと寝落ちしていたようだった。