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14.ファーストキスから始まる、ふたりの……

 ――で、まぁ。辛い昼食をどうにか終え、俺たちは改めて幼馴染ウォッチングに励んでいた。まるでバードウォッチングだなぁと思い、コウノトリを連想して思考を閉ざす。


「あっ」

「? どうかしました、春乃先輩」

「…………」


 無視された。どうやらかなりお怒りのご様子であらせられる。

 不機嫌で相手の行動をコントロールしようとするなんて最低だろ……。

 確かにあの一瞬に限り、俺が一〇〇悪いので素直に謝るべきなんだけども。


「ご、ごめんなさい……」

「何が?」

「真剣にお出かけの尾行に取り組む春乃先輩に対し、心ばかりの欲情をしてしまい申し訳ありませんでした。以後、どれだけ先輩が魅力的でも興奮しないよう気を付けます」

「ん。理解ればよろしい」


 許された。普段通りの無駄に尊大な態度で双眼鏡を手渡される。

 しかし精神的に格付けされたのは事実。俺はしばらく先輩の言いなり……と思ったが、よくよく考えてみれば、現時点でそうな気がするので気にすることもないか。


「それで迷子ですかね、あれ? 思いっきり泣いてますし」


 視線の先にいたのは、幼稚園児くらいの女の子だった。周囲に親の気配はない。

 存在に気づいた小夏と渡会先輩が、二人で慰めているという現状である。


「たぶんね。じゃ、状況は理解したわね? というわけで使えそうなガキは……」

「使えそうなガキ言うな」


 尾行本来の意図からすると〝迷子の子ども〟という出来事の環境模倣(エミュレート)に意味はないはずなのだが、頭のおかしい先輩に言ったところで頭がおかしいと言われるだけだろう。


 第一、そう都合よく迷子をこんなでかい遊具の中で見つけられるわけがな――


「ま、いなそうだから真田後輩、あんたがやりなさい」

「は? 何言ってんの、お前……」

「やだやだ照れちゃって。今ならお姉ちゃんが優しく抱きとめてあげるわよ~」

「あ、そういうの柚本ママだけで間に合ってるんで。大丈夫です」


 照れてないからきっぱりとお断りさせて頂く。俺はノーと言える男だからな!

 というか春乃先輩のパゥワァで抱かれたら息が止まって天に召されそうだ、物理的に。


「さっきあたしに欲情したのは、どこの後輩かしらねぇ」

「えっ。い、いやそれはもう謝ったじゃないですか!」

「別にあたし、許したとは一言も言ってませんけどぉぉおお?」

「こ、この女……」


 春乃先輩はどうやらイエスと言わせる女だったらしい。

 表情が完全に自分よりも格下の相手を見つけた時に喜ぶそれだった。きっとオンラインゲームで初心者狩りをしながら一生、ニチャニチャしてるタイプに違いない。


(つっても他の誰に聞かれるわけでもないしな、いっときの恥か)


 早くやれ、と先輩の目が訴えかけてくる。しょうがねぇ、やるかぁ……。

 咳払いを一つして気合を入れ、俺は自分を迷子の美少年だと思い込む。


「あぶあぶ。あぅっ、う、ぐっ……うえぇっ!」

「それ赤ちゃんじゃない?」


 正論と冷めた視線にも負けず俺は、ハイハイで春乃先輩の元へ四つん這いで迫る。

 すでに人生が迷子なのだから、赤ん坊の真似の方がいくらか精神的に楽なのは当然だ。


「ひぐっ、あぇっ、はぁ~い! あぶぅ……――ぁえっ!」

「あ、転んだ」

「うぅ、うっ! ま、ままっ、ま、ま……」

「え。ママが世界で一番きれい? よしよーし、さすが夫の親友の遺伝子は偉いね~」


 ……そんな托卵設定いらない。やっぱり柚本とは比べるまでもないな。年齢に関係なく心に母性を宿すことが人をママたらしめる。それをこのクズは理解っていないのだ。


「ばぅ~、ママぁ~」

「ちなみに今朝からあたしたちの行動は全て録音されてるから。その辺ヨロシク、息子」

「――――」


 いやダメだろ、そんなの。ズルい、ズルすぎる。どうせ自分に都合がいいところだけを編集して脅しの道具にするんだから。卑劣さに対する先輩の信頼感は異常である。


 何か抵抗しなければ、搾取される! と、そう思った瞬間だ。


「うげぇ~ッ、いい歳しておままごとしてるアホどもがいるよーぅっ!」

「「あぁンッッ!?」」


 振り返るとそこには、フトシの名前が似合う世の中を舐め腐った顔の少年がいた。

 小学校高学年くらいだろうか。下ネタが好きそうな、平均的なクソガキ感がある。


「ぷぷぷっ、いくら学校で相手にされないからってさぁー。高校生がわざわざ公園に来てやることが〝ごっこ遊び〟ってそれどうなんですかぁー? 絶対ろくな大人にならないと思いまーす。うちに帰って勉強でもしたらどうですかぁー?」


 しかし所詮、子供(クソガキ)の言うことだ。ここは多めに見てやろう、俺はな。

 無論。歳の離れた相手ということは、春乃先輩が遠慮をする理由にはならない。


 案の定ノータイムで仕留めに掛かる姿は清々しく、絶対に見習いたくないと思う。

 遊具の中という周囲の目が届かない空間において、先輩は文字通り無敵だった。


「ぁ、がっ!」


 迷子のことが頭にあったのだろう。容赦無用の包み込みがフトシの全身を締め上げる。

 苦しいはずだ。にもかかわらずフトシは――ピースサインを俺に向けていた。


(やられたっ! こ、こいつあえて一度煽ることで密着の機会を得て。なおかつ苦しみで快感を覚える(すべ)を習得済みだっ! に、偽の恋人とはいえ……なんで親戚でもないヤツに目の前でNTR(そんなこと)されなきゃいけねぇっ!? フトシお前、その顔吹っ飛ばすッ!)


 そんな決意を胸に秘めた直後。一人の少女がこちらを見ていることに気づく。

 彼女に見覚えなどまったくないが、何故だか妙な親近感があって目についた。

 というのも憂いを帯びた憐憫(れんびん)の表情に、どこか既視感のようなものがあったのだ。


「「…………」」


 視線が重なり、フトシのうめき声が響いた刹那。俺は既視感の正体を悟った。

 少女は俺自身。儚げな瞳の中にいるのは、写し鏡の俺なのだ! つまり――


「「――――っ!」」


 言葉は不要だった。子供という特権を全力で行使するフトシの喘ぐような声に反応して起きる、彼女のわずかな揺らぎ。それを嗅ぎ取ることはNT経験者にとって容易い。


 俺たちはただ引かれ合い、少女は静かに胸の中へと収まってゆく。

 途端、フトシの動きがやや鈍くなった。その気配を背中越しで感じているのか、少女は姉の彼氏と手を繋いで歩く妹のようにご満悦な笑みを浮かべている。こえー。


「お兄ちゃん、いい匂いする。わたし、お兄ちゃん大好き……」


 よく耳を傾けなければ聞き取れないか細い囁きは、フトシの脳を焼き尽くすのに十分な破壊力を有していた。そのため、彼の思考は仕返しという焦りに支配される。


「ボ、ボクもお姉ちゃん好き好き好きぃーっ!」


 露骨なまでに胸へ顔を埋め、さりげななく手を脇から忍ばせていくフトシ。だが、


(甘いぞフトシッ! 春乃先輩に限ってそれは文字通りの悪手! 理解ってないな!)


 瞬間。頭を片手で鷲掴みにされて動かなくなり、手足がだらんと下がった。しんだか?

 それからすぐ先輩から排気音に似た音が聞こえてくる。しんだな。


「好きでもない男からっ、向けられる性欲はっ、等しく気持ちっ、悪いの、よ――っ!」


 雑に振り回されたフトシ少年は悲鳴の一つも上げず、遊具の壁を当然のように突き破りながら城外へ吹っ飛んでいった。さすがだなぁ、春乃先輩は。加減を知らない。


 すると俺に抱かれるメリットを無くした少女が清々しいまでの豹変を見せ、生きていることが申しわけなくなる程にささくれた視線で見上げてくる。


「――ね。いつまでさわってるの? ちかん、ロリコン! 犯罪者!」

「んう、ぐぉッ! おお……お、おぉっ……」


 鋭く研ぎ澄まされた蹴りの一撃が、俺の下半身にうねるような痛みを与えた。

 こ、この歳で〝女〟と〝幼女〟を自分の都合で完璧に使い分けるなんて。きっと彼女は将来、凶悪なトランスフォーマーになって野生(ビースト)を覚醒させるぞ! お、恐ろしい……。


「ふんっ!」


 少女(?)はどこが良いのか、フトシの後を追って遊具から去っていく。

 一方で春乃先輩は這いつくばる俺をげらげらと笑っていた。


「わ、笑いごとじゃないですよ」

「いいじゃない。一生、使わないでしょ?」

「うるせー、使ってみせるぞ俺は! そんなことより二人はどうなっ、て、る――……」


 落ちていた双眼鏡に手を伸ばし、その先に映る現実を見る。

 そして、即座に目にした光景を春乃先輩へ向けて投げやりに放った。


「――――っ!!」


 小夏たちは今も楽しそうに迷子の子供と遊んでおり、それはまるで二人の未来予想図を見せつけられるようで。身と心は言うまでもなくボロボロになってゆく。


 あぁ、これに比べたら確かに。俺たちのやっていることは〝ごっこ遊び〟以下だ。

 行き場のない想いを抱え、磁力で引かれ合うように崩れ落ち――泣いた。


 *


「はあはあ……な、長く苦しい戦いだった…………」

「ぜえぜえ……ええ、まったくよ。ホントもう」


 俺と春乃先輩はお互いに身体を支え合いながら、揃って肩で息をする。

 緊張と興奮で湿った服の汗はもう、元がどちらのものだったかもよく分からない。


 結局。公園での一幕を経て心を粉砕された俺たちを待ち受けていたのは、至って普通のショッピングウォーク。あるいはお散歩、屋内徘徊と言ってもいい。


 基本的に服を見て回っており、物陰から見る小夏は俺の知らない女の子みたいだった。

 初めて逢うその横顔に、たぶん俺は不思議なくらい魅せられていたと思う。


「どうですか、似合いますか?」

「うん、似合ってると思う」

「えへへ。嬉しいですっ」


 二人のやり取りが、表情から手に取るように伝わってきた時は死にたくなった。

 今度はイマジナリーなんかじゃない。紛れもない現実で、逃れようもない現在(いま)だ。


 俺の時はどうだっただろうかと思い出して、「どうでもいい」とか「何でもいい」とか捻くれたことばかり言っていた過去を悔やんで、胸の奥からこみ上げるものがある。


 それは春乃先輩も同様だったと思う。別に思っていることを言い合ったわけじゃない。

 ただ同じものを見て、感じて。自然とそうだと理解できただけ。


 先輩も買い物――というか、大抵のことは目的だけパパっと達成して終わるのだろう。

 だからこんなどうでもよくて、何でもない退屈な時間が、どれだけの価値を持っていたのかを理解していなかった。心のどこでなくなるわけがない、と。そう思っていたから。


 ギャグみたいに過剰なリアクションも、まるでバトル漫画みたいな息の切らし方も。

 全部、どうにもならない気持ちを誤魔化す強がりや逃避だと。本当はお互いに気づいている。口に出したらどれだけ惨めなことをしているか、それを突きつけられるから。


 だから見て見ぬふりして、蓋をする。他人は自分を映す鏡だと言ったりするが、先輩と俺は互いの輪郭を鮮明に描いてしまうような……うまく言えないけどそんな気がした。


 そうして、今。デートからの帰り道。夕暮れに照らされながら仲睦まじい様子で並んで歩く小夏と渡会先輩の後ろ姿を、俺たちはただ静かにぼんやりと見つめている。


「――きれいね」


 空を見上げ、取り繕うのをやめたらしい春乃先輩がぽつりと呟いた。


「ですね」


 二人が手を繋いだのに合わせて、俺と先輩も自然と手を繋ぐ。

 女の子らしく小さい手のひらの熱は、身も心も包み込むような温かさがあった。


 それから電車に乗って俺の地元まで戻る。渡会先輩はどうやら小夏を家まで送り届けるようだった。であれば当然、向かう方向は同じだ。見ているものは違うけれど……。


「「…………」」


 道中、俺たちの間に会話らしい会話はなかった。

 それは心のどこかでこの後で起こる出来事を何となく悟っていたからだろう。


 ――別れ際のロマンティック。つまりは、キス。


 全ては俺の主観でしかないが、付き合いたてのカップルなんて恥じらいの気持ちが強いだろうから。いつキスをするか悩んで別れ際に名残惜しさでキスを交わす、と思う。


 以前のような、渡会先輩の胸に倒れ込んでしまった光景とはものが違う。


 あれは結局、ほんの一〇分程度のことだったらしい。おばさんに直接確認を取ったから間違いない。だからやましいことは一切、なかった……かもしれない。


 部活に行っていなかった理由も、以前からしていた怪我の違和感から病院に寄った帰りだったそうだ。春乃先輩いわく仮病をするわけがないそうなので嘘はない、はず。


 対して別れ際のキスには、不確定要素の入る余地などほぼないだろう。


 それを理解しているからこそ。最寄りの駅から出て、住宅街へと入った春乃先輩の手はずっと震えていた。家の場所を知らないのだから無理もない。


「まだですよ、まだ……もうちょっと距離ありますから……」

「うん……」


 無意味な励ましだったが、春乃先輩は小さく頷いた。

 繋いだ手が汗ばみ、緊張で心臓が激しく脈打っているのがよく分かる。


 ――そうして、恐れていた運命の時はついに訪れた。


 小夏の家の前。俺の家から徒歩数歩の距離。昔はコンクリートの道路に落書きとかして遊び回った、幼馴染としての思い出が少なからず詰まったその場所で。


 東雲小夏と渡会真人は、キスをした……はずだと思う。


 というのも俺も春乃先輩も嗚咽を堪えるのに必死なうえ、夕焼けと二人の姿が重なっているからなのか、それとも涙で視界が滲んでいるからか……正直、よく分からない。


「春乃先輩……」

「……真田後輩」


 遠く離れた電柱の影。ひとけの少ない、狭い脇道の奥。


 膝から崩れ落ちる俺たちは、寂しさを紛らわすように身を寄せ逢うしかなかった。


 ただ赤ん坊のように泣きじゃくり、そして――


「「……んっ、ぁ」」


 お互いの顔もよく見えなかったからだろう。俺と春乃先輩の思考は一致し、それを理解した時にはもうすでにお互いが別の異性を想って……唇を重ねていた。


 不純で、不器用で、卑しくてぎこちない、単なる粘膜と粘膜の接触。

 そんな初めてのキスは、たぶん……どうしようもないほどに哀しみの味がした。

次はもう少し早く投稿できるかと思います。

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