過去からの感情
岩場へ到着したら坪に水を入れ、紐を付けた布を入れて火を付ける。
沸騰するまでの間にイチジクがナイフで一つ一つ丁寧に処理していくのだが、一切の迷いの無い手付きに獣人特有の身体能力でかなりのハイペースで処理が進む。少なくとも私には無理だ。
「あのさ、血駄目だったんじゃないの?」
「む?……あぁ、いやいや、血は確かに駄目じゃが魚じゃぞ?
魚と動物では違うというか……なんじゃろ?命を奪う時に感じる重さの違いかのぅ?魚捌けるしイノシシを木の槍で一突きくらい余裕だと考えておったが、あの悲鳴は精神を抉ってきての……う~む……なんじゃろ?違いを問われれば上手く答えられぬが血が怖いと言うより血と悲鳴……その時の状況が怖いのかもしれん。
ちなみに、わらわは結構な免許マニアなところがあっての。
28免許も取得しておっての、フグ免許も持っておったから魚を捌くくらい余裕のよっちゃんじゃ」
「免許って何?」
「あ~……この世界に免許は無いのか。どう説明しようかのぅ……」
腸を抜く手を止めることなくイチジクの説明を纏めると、剣や魔法の師から一人前として認められた証のような物らしい。
それならプロではないのかと思ったがイチジク曰く、きちんとその道で安定した収入を得られ適切な評価をされなければどれだけ上手くてもアマチュアであるらしい。
「油取れたよ」
「ありがとなのじゃ。次はアレを潰して汁だけ移して」
「わかったわ」
話ながらも私達の方も指示通り油を取っていた。
油の出る木の実を砕いて取ったのだが、終わった頃にはイチジクの方はドングリの処理まで進んでいた。
油を使った料理をちゃんとした知識のある人が作るのだから旨いと期待するしかなく自分の声色が明るいものになっていると自覚できても抑えられない。
油を肉料理意外で使うってなんて珍しいと思いつつ、肉料理意外の油の使い先が真っ先に火炎瓶という発想に行き着く辺りすっかりミシシュに毒されてるなぁ……
というかミシシュで油使って料理してたら腹を空かせた獣に襲撃されるから終わった後でちゃんと伝えよ。
「沸いたようじゃの」
腸を抜きの魚を鍋に入れてドングリの処理に戻る。
魚は4つの纏まりで分けられていて、その纏まり1つごとに茹でる時間を変えて様子を見るらしい。
紐を引っ張り魚をお湯から回収し並べ、次の魚を入れる。
魚を捌き、岩場に来る途中で回収していた卵に細かくきざんだ草を混ぜ、魚を浸し………
「……………」
レネがイチジクに出会ってから一番の異様なモノを見る目をしている。
うん、卵は焼くものだもんね。
私もそう思うけど、次の行程を見て納得した。
砕いたドングリを魚に付けて油で揚げる。
昔お肉で似たようなモノを食べた事があるから想像できたけどアレって卵を使うんだと初めて知った。
いやだってどこをどう見ても卵を使った痕跡なんて無いし。
綺麗に揚がった魚を取り出し無駄な油を取る。
うん、魚を使用したのは初めてだけど見たけど思った通りのができた。
「できたぞ。さっき絞ったこの汁は味を変えるのに使うのじゃが、かけない方が好きだと思うかもしれぬから、その辺は好きなようにするようにの」
「わかったわ」
さて、揚げた魚を見つめて固まっているレネは私が食べなければ口にしないだろう。
境遇はまるで逆なのだが、なんか昔の私を見ているようだと思いながら口にする。
久しぶりに食べた油を使った料理でとても旨かった。
旨かったのだが……
「美味しかった。こんな美味しいの、本当、久しぶりに食べた。ありがとうイチジク」
「まだ作れるがどうするかの?」
「ううん、もういい」
美味しいはずなのに、どうも体が受け付けない。
先程私とレネは境遇が逆だなと思ったが、私の体はもうレネと同じ場所で完全に適応していたんだと実感した。
レネも一口食べてその美味しさにとても驚いていた。
けれど私と違ってレネは一匹全て食べる事はできなかった。
「おいしく……いや、すまぬ。わらわの考慮が足りんかった。順序というものがあったの。無茶でも最初は軽い物にすべきじゃった」
イチジクは何も悪くないのに謝罪を口にした。
私もこういうのが食べたかったんだ。だから何も謝る必要なんてないだろうにと思ったが、こんな状況だからこそ、たぶんイチジクって人はこういう人なのだと思った。
頭が良く察する力があって、優しい。
ただ優しいだけでここまで行動しようとはしない。
責任感、義務、きちんと何かしてもらった時に何かしらの対価で払おうとするのが当然となっているように感じる。
こういうのは根が凄く真面目な人種で、レネはそんな人を見たことないだろうけど、私はそれに近いけどもっと重いモノ、自分の命よりも優先された忠義というものをすぐ側で見た事がある。
だから昨日よりもずっと、イチジクという存在を強く信じられる。
「そうだね、味が薄くて軽いものなら沢山食べれたかも。
でも、美味しかったのは本当。ありがとうイチジク」
「……本当かのぅ?」
「本当だってば。だから次何か作るってなった時も期待させてもらうね」
「そうか。なら……まあ成功せんじゃろうが煮干が成功したらすぐにでもリベンジさせてもらおうかの」
「ふ~ん。それ並べるの手伝えば良い?」
煮た魚を並べるのが終わったのはあと一時間程で太陽が真上に行くだろうかというくらいの頃。
イチジク曰く本来は風にさらして三時間ほど干すらしいがそんな条件満たせる訳もなく、それ以前に気温等も足りずカビも這えてしまい煮干として使用した分は全てダメになってしまった。
「ふぅ~……わかってはおったが少しショックじゃのぅ……
中は……む?……これはなんじゃ?」
「それ、虫の卵だよ。この様子ならほっといても虫やらが全部食べてくれそうだし処理しなくて良いから楽だね」
「………ふふ、無知は罪という言葉を耳にしたことは山ほどあるのじゃが、半端な知識というのも罪深いものじゃの………」
レネの言葉と目の前の状況がよっぽど衝撃だったのだろう。
そんな言葉を口にし魚を棄て、私達に背を向け目元をぬぐう。
イチジクは自分のできること全部した。
きっといつもなら上手くいっていたのだろう。
しかし、イチジクにとっての"いつもの環境"とはあまりにも程遠い。
料理の自信からも、その道1つで生きている者には及ばないものの誇りも持っている事が伺える。
おそらく、この状況は次に生かすとかそれ以前の状態だったのだと思う。
だけれど、それでも、嫌だった。
イチジクのその弱った姿を見るのが。
「うむ!それじゃあ帰……」
「そんな事ない」
切り替えが終わったのか笑顔で振り返り帰ろうと口にしたイチジクの言葉を遮った。
「罪深くなんてないと私は思う。少なくとも私は嬉しかったから」
嬉しかったんだ。本当に嬉しくて、感動すら覚えた。
この辛すぎる場所から戻ってこれたと思えた。
肉とは確かに違ったけど、その匂い、その食感。
もう二度と戻らないんじゃないかと思っていたあの世界からほんの一つまみ程度のものだったかもしれない。
それでも……それに、それに私は………
「まだ……イチジクと出会ったばかりだけど、イチジクを見てるとつい頼りたくなって、ほんの少しだけ……昔を……思い出せたから………」
「ノエル……?」
私は忘れていた。けれど忘れていた事に気が付いた。
それを気付かさせてくれたのはイチジクだ。
正直、失敗して悔しくて泣いてしまう姿は少し情けなかったけれど、それでもその姿が大きく感じた。
だから、そんな困った顔しないでほしい。
こんなにも信じたいと思える人にまた出会えた。
私は環境ばかり追い求めていたけど、それだけじゃ駄目だって気付いた。
その環境に誰と一緒に要られるかが何よりも重要なのだと。
お父様もお母様も居ないのだから昔のようにとは行かないのは当然で、ただ生活水準を上げるだけじゃ駄目なんだ。
今まで余裕が無さすぎてそんな事も忘れて……あぁ、駄目だ……何故だか感情が溢れて考えが纏まらない……
「………イチジク?」
「せっかくの美人さんなのじゃから、そんな泣かないでほしいのぅ……
その、わらわが困ってしまう」
指輪を外し、尻尾も全部使って私の事を優しく、それでいて顔が肩に乗りそうになるくらい強く抱きしめ、困ったように口にする。
「泣いて……私が………?」
言われて気が付いた。
確かに涙を流していて、イチジクだけでなくレネも困ったような、驚いたような様子で硬直している。
思えばレネの事は引っ張ってばかりで泣く姿どころか弱音も言ったこと無かった気がする。
なら、驚いてどうしたら良いのかわからなくなるのも当然か。
というか最近はレネからしたらわからない事続きかもしれない。
「あ……あっ………」
頭は冷静……なのだろうか?とにかくレネの事を考えられるくらいの余裕はあるというのに、何故こんなにも涙が止まらない?
「……のぅ、何か言ってしまいたい事があるなら全部吐き出してしまった方が良いとわらわは思うぞ?ノエルはたぶん抱え込みすぎじゃ。楽になるかもしれん」
ゆっくりと、尻尾を器用に使って私を抱きしめながらその場に座り、私の耳にイチジクの髪が当たるくらい近くて、けれど私の事を考慮してくれているのか顔は見ないようにしてくれていて、イチジクの仕草の全部から優しさを感じて……
「辛かった……」
この一言、この一言が私の全ての気持ちだった。
「辛かったんだ……」「うん」「したくない事いっぱいした………」「うん」「髪……切りたくなかった……お母様とお揃いの髪……」「それはさぞ美人さんだったのじゃろうな。ノエルのように」「………私、美人なんかじゃない……」「美人じゃよ。いくら髪を切ろうが汚れようがわかる者にはわかる」「……酷い事もいっぱいしたんだよ?私より小さくて、ガリガリな子を沢山殴った………」「それは……必要だったのであろう?」
今まで漏れ出さないよう強く閉めていた感情は、一度漏れ出したら大雨で溢れだした川の水のように止めることはできなくなっていた。
「最初は、見逃した。お金を盗んで見逃されたその子供は、次に見た時は、死んでいた……たぶん、相手を間違えた。私が見逃したせいで」「………」「だから……するようにした、馬鹿をしないよう、私達に関わるとこうなるって……」「手、痛かったじゃろ?」「うん……痛かった……凄く……とっても………」「ノエルは本当に優しいのぅ。甘いわらわとは大違いじゃ」「優しくない……」「優しいじゃろ。沢山悩んで傷付いて、それで嫌われ損をするとわかってる方法を選んで、ノエルの優しさでなかったのならなんという?こんなにも傷付いてまでしておるのに」「私、怖くない……?」「何故じゃ?」「だって……こんなに………………」「こんなに?」「………この前、嫌な奴が死んでた。放置されて、鳥に食べられてて、ほんの少し……ミシシュが綺麗になったと思った……」「……そう思った事が嫌だった?」「………うん……うん…………嫌だ。嫌なことばっかり………」
それからどれ程話しただろうか、感情に任せてどれだけ話したか自分でもよく覚えていない。
町に戻っても正常では無かったと思うけれど、次の日の朝、目が覚めた時はここ数年で一番良い目覚めだと感じることができた。