シノブと約束とゲレシャ
領主のルートヴィヒ様と合流したジークリンデ嬢は馬首を並べてともに館までの道を進んだ。
弟君はまだ乗馬が得意じゃないらしく、馬車で後を追う。私たちもその中に混じって来た道を辿った。
冬至まであと1週間ほどだ。景色も雪と寒さに閉ざされて、人馬の吐く息も白く立ち上る。
ジークリンデ嬢は手綱を握ってしゃんと背筋を伸ばしたまま、馬上から景色をぐるりと一望した。
「ヴェーヌス領はさすがだ。こんなに広いというのに、しっかりと冬支度が行き届いている」
「……ここまで辿り着くのに、苦労しました」
「貴方はそれをやりきった。素晴らしいことです、ルートヴィヒ卿」
「お褒めに預かり光栄です」
目を細めて礼を取るルートヴィヒ様は、本当に絵本に出てくる王子様みたいだ。隣には鎧姿の勇ましく美しいご令嬢。
アンバランスさはともかく、とても絵になる二人だった。
そんなお見合い中の男女を眺めていると、どこかから視線を感じる。
キョロキョロと辺りを確認すると、馬車の窓が半分開かれ、弟君のヨハン少年が顔をのぞかせていた。視線の主は彼だった。目が合うと、にっこりと微笑まれる。
か、かわいい〜! 天使やないかい。はー、目の保養。知らず耳まで真っ赤になった顔でへらっと笑い返した。
姉より少し濃い栗色の髪はくるくると柔らかく跳ねて、鮮やかな緑の目が輝き、ふくふくとした白いほっぺたが窓から吹き付ける寒風でリンゴみたいに紅く染まっている。確かまだ8歳かその辺りだ。
そろそろ家庭教師から本格的な次期領主としての教育が始まる頃で、その前に姉との思い出作りを兼ねているのだろう。見知らぬ土地を旅して見聞を広めることは将来的に良い。
このお見合いは表向きヴェーヌス領主のルートヴィヒ様がバルリング家を冬至の大討論と冬越しの夜会に招待して、父領主の名代としてジークリンデ嬢とヨハン少年の姉弟が訪問してきたという形だ。
破談になればそのままご令嬢たちは東へ戻り、婚約となれば嬉しい知らせを載せての帰郷となる。いきおくれの婚活と好奇の目で見られるジークリンデ嬢に配慮した名目だった。
館までは領地を案内しながらの移動になり、行列の先頭でルートヴィヒ様とジークリンデ嬢は会話が弾んでいるようだった。自然に進みはゆっくりになる。
ジークリンデ嬢は溌剌とした様子で話し、それにルートヴィヒ様が眩しそうに目を細めながら答える。起き出して働き始めた領民たちも若い2人の姿を遠巻きに眺めていた。
会う前こそ消極的だったものの、ルートヴィヒ様は男勝りなジークリンデ嬢と意気投合している。
長年貴族令嬢の好む観劇や服飾のような話題から遠ざかっていた彼に、乗馬や剣、領地に気を配ることに長けたご令嬢はぴったりだったのだ。妻には自分と同じだけの働きをしてもらうのが条件だと高望みして豪語していた領主様が、どうしてなにをあんなに心配していたのか気になりはする。けれどそれよりもこのお見合いがうまくいきそうなのは喜ばしい。
……だというのに。
「ダメだ、私には荷が重すぎる……」
ローゼンシュティール教授の部屋で安楽椅子にぐったりと身を預けるルートヴィヒ様の姿がそこにある。
無事に領館までの道程を乗り切り、私はその場でお役御免と学院に戻ってきた。
お仕事はお休みする連絡をしていたけど、今週から再開した魔術の授業に間に合うことになったので、教授の元を訪ねたのだ。
一時間ほど講義を受けていたら、晩餐を終えたルートヴィヒ様が石板で研究室に転移してきた。
何事かと思ったら正装のまま領主様はすっかり疲れきった様子だ。
「打ち解けていらっしゃっるように見えましたけど」
「それが困るんだよ」
「困るって……会話が弾まないよりかはいいんじゃないですか?」
「そうだけど、困るんだよ」
「ならばさっさと破談にしてしまえ」
楽しい研究を兼ねた講義の時間を邪魔されてすっかりご機嫌斜めの教授が鋭く切り捨てる。
「それも困るんだよ……!」
「……めんどくさいですね。何が困るんですか?」
ルートヴィヒ様は長い手足を動かした。もたれかかっていた椅子に座りなおして脚を組む。肘掛に腕をかけてその手を額に置いた。
それからもったいつけて長々とため息を吐く。金色の前髪がくしゃりとかき混ぜられた。
「私は今でこそ少しは領主らしくなったと自負しているが、父が亡くなって後を継いだばかりの頃は少し自棄になっていてね」
「はあ……」
領主様が後を継いだばかりというと5・6年前、彼が24か25ぐらいの頃だ。
例えるなら大きな会社の社長を任されるみたいなもんだろうか。若くして社長になる人もいないではないけど、一から起業するのとはまた違う責任の重さだろう。
「父の死の知らせを聞き王都から急いで引き上げる前に陛下に挨拶をして、王宮を去る手前で彼女に出会ったんだ。私と違って立派に領主名代をこなしていた女性だ。嫉妬もあって、八つ当たりをしてしまったんだよ」
「それは何とも、情けない男ですね」
「今も大して変わらん」
「君たち、ちょっと手厳しすぎないか?」
私と教授は揃って肩をすくめた。
その頃のジークリンデ嬢は20になるかならないかだ。
年若い女性を相手に嫌味を言う姿を想像すれば情けないと言いたくなるのも仕方ないことだろう。
はっきり言われてガックリきたルートヴィヒ様はますます金色の頭をぐしゃぐしゃにした。
「確かに情けないとは思うが!」
「ですね」
「言い訳はいいからさっさと続きを話せ」
教授が鬱陶しそうに先を促す。領主様はわざとらしく咳払いした。その白い頰が心なしかほんのり赤い。
「……その八つ当たりというのが、父を亡くして大変だろうと心境を慮ってくれた彼女に、そんなに心配してくださるなら私と一緒に領地を治めてくれると心強いと言ったんだ」
「……は?」
私の隣で教授が額を押さえた。頭が痛いと呟くのが聞こえてくる。
わかる。いや教授は彼の失言が馬鹿すぎると言いたいのだろうけど、私がツッコミたいのはちょっと違う。
何でプロポーズみたいなこと言ってるの。
「当時の彼女は美しい娘盛りで、なのに幼い弟を理由に未婚を貫いている、非常にもったいない令嬢だったんだ」
「いやそれにしても当てこすりが酷いですよ」
「私だってそう思う! だが当時は……──言い訳はやめよう」
領主様はまた脚を組み直して、少し身を乗り出す。
「当時の愚かな私を、彼女は一笑に付した。それからこう言った。『貴殿が一人で見事領地を治められたなら、その申し出を考えましょう』と」
「……えーと、それって……」
領主様はまた髪をかき混ぜた。もはやサラツヤな金髪は鳥の巣状態だ。
「あのときの言葉を彼女はまだ覚えていて、私をからかいに来たということだ!」
教授はフンと鼻で嘲笑う。
私はちょっと首を傾げた。
そうかなあ。その時の領主様がどういう物言いをしたのかその場にいたわけじゃないからわからないけど、嫌だったならジークリンデ嬢はわざわざ律儀にヴェーヌス領まで来なかったんじゃないだろうか。
むしろちょっと脈ありなのでは。
「えーと。でも、今日見た限りお二人はお似合いのように見えましたけど」
それまで情けなかったルートヴィヒ様の表情が固まる。
「ジークリンデ嬢のことがお嫌いなわけではないんですよね?」
「嫌いなわけがない。あの時の私に怒ることも嘲笑することもしなかった女性だ」
「じゃあ何が問題なんです?」
ルートヴィヒ様は唸って黙り込んだ。
ええい、情けない男よ。ここは私も教授を見習って切り込む。
「ただ気恥ずかしいだけですよね? 昔の自分の情けない言葉を覚えていて、律儀に約束を守って来てくれたのがむず痒いだけで」
「うっ……」
「それで、本当は嬉しいとか?」
図星を指されたのだろう、領主様の顔がみるみるうちに赤らむ。いつも澄ました顔や人を食った態度の美形が狼狽えると子犬みたいで面白い。
「……私にはもったいないほど、素晴らしい女性だよ」
「へえ〜」
「僕にはただの男勝りの女にしか見えんがな」
教授が飲み頃になったお茶に手を伸ばしながら余計なことを言う。
でも、これが貴族男子の一般的な意見でもあるのだろう。これは領主様がジークリンデ嬢に好意を抱いている証拠に他ならない。
「な〜んだ。それじゃあ困ること全然ないじゃないですか。このお見合いは大成功ですね」
「いや、けど……彼女には迷惑ではないかな」
「はい?」
「こんな馬鹿な男の5年前の約束を守って結婚するなんて、可哀想だろう?」
私は思わず唇を引きむすんでしまった。馬鹿かな?
えっと、ルートヴィヒ様って領主になるまではそこそこ遊んでたんだよね? あれから時間が経ってるとはいえここまで女心がわからなくなってるもんかな……。
いやそれとも、本当に好きだからこそポンコツになっちゃうタイプだったのか。
「……ルートヴィヒ様」
「うん?」
「これはジークリンデ嬢と同じ女としてアドバイスしますけど、女の子はまず嫌いな相手との約束なんて守りませんし、覚えてもいません」
それもほぼプロポーズみたいな約束なんてね。
「そ、そうだろうか?」
「はい。なので、ルートヴィヒ様も彼女のことを本当に思っていらっしゃるなら、素直な気持ちを伝えるだけで、上手くいくと思いますよ」
「万事? 本当か?」
「はい。八割がたは」
「八割? 残りの二割は……?」
「領主様があまりに情けないと愛想尽かされるのが残り二割の可能性です」
だから捨てられた子犬みたいな顔でプルプルすんのやめなさい。
あの領主様がここまで情けなくなるのも意外だった。
領主様にはくれぐれも彼女に正直な気持ちを伝えるように言い含めて送り返し、研究室に広げていた授業の用意やらティーセットやらを片付ける。
かなりの時間話し込んでしまった……と言うか、ルートヴィヒ様が呑んでもいないのに情けなく管を巻いていたので、授業の続きをする時間がなくなってしまった。
「大丈夫ですかねえ、領主様」
「フン」
教授は長椅子に仰向けに寝ている。腕置きに引っ掛けた脚が大層長い。
こいつ本当に見た目だけはどことっても憎らしいくらい欠点がないな。
背中から溢れる黒絹の髪が広がる様も芸術的なくらいだった。
真っ黒な魔術師のローブが地味で無粋なのがもったいない。
そのだぶついた袖の中で腕を組み、教授は白い瞼を閉ざした。
「あいつはいざと言うところで躊躇する弱虫だから、誰か尻を蹴り上げてやる役がいるぞ」
「……」
「何だ?」
眉間にまた深い渓谷を刻みかけている教授に慌てて手と首を振る。
「いえ、意外だなって。教授はこういう色恋沙汰に興味がなさそうだったので」
長い睫毛の下から宝石みたいな青い瞳が現れる。綺麗なパーツを持ってるのに、全体を見るといつもしかめ面か不機嫌だ。
今はしかめっ面の方。
「……色恋にはかけらも興味が無いが、ルートヴィヒは僕の兄代わりのようなものだ。少しは奴の幸福を願う義務がある」
「義務、ですか……」
いくら冷血漢の教授といえど、何かにつけて自分に寄ってくる領主様を嫌いにはなれないらしい。
意外と可愛いとこあるんじゃないか。
「その間抜け面をやめろ」
「え〜そんな顔してませんよ〜」
「ニヤニヤと気持ちが悪い。さっさと片付けろ」
「はいはい」
「言葉遣い!」
「はい、すみません!」
いよいよ冬至が近付いてきた。
すなわち大討論まで目前。講堂も使用の許可が下りたし、準備も万端、ゲストの宿泊手配も完了……していても次から次にお仕事は湧いて出る。
中庭の奥まった場所にあるから、案内板を用意する必要が出てきたり、受講生用の資料の精度を上げたり、講堂の特別清掃を申請したり、色々とやることはあるのだ。
肝心のゲスト、ローゼンシュティール教授の師匠であるヴァルヴァラ ・アカトヴァ師をお迎えしなくていいのかというと。教授曰く「授業までには来るだろうから問題ない」そうだ。
こっちとしては、資料の確認とか、水晶の出力チェックして欲しいとか、宿泊の他に食事の手配はいいのかとか、心配なことが諸々あるのだけれど、教授は気にしている様子はない。
あれやこれやを片付けて昼頃、中庭に下りた。
目的は暗幕だ。大急ぎで申請したのだが、どこかからちゃんとサイズの合うものが出てきた。
やっぱりあの場所は隠される前にも講堂として使われていたのだろう。もう講義まで一週間を切ったから、流石に暗幕もチェックしておかなければいけない。虫食いがないかどうかとか。防虫の魔法とかあるんだろうか。あっても、念には念をだ。
軽量と縮小魔法はかかっているが、かなりの大きさの暗幕を抱えながら並木道を歩く。木々が偽物の日差しを浴びて濃い影を作る、その先に誰かが立っていた。
縦に長い後ろ姿で、魔術師のローブを羽織っている。
けれどその色は塔の教授たちが好む黒ではなくて、少し青みがかった、かと思えば赤にも紫にも見える。カラスの羽のように黒を引き立たせながら不思議に色を変えるローブだった。
フードをかぶっていて髪型などはわからない。ただ背丈は意外と長身のローゼンシュティール教授よりもまだ高い。あのドーム状講堂の柱の横に立った時、教授の頭があった位置よりも頭ひとつ分ほど上だった。
暗幕をかけて準備をしなければならない。どう声を掛けたものか迷って観察していると、背高のシルエットがくるりとこっちを振り返った。
フードの下から、びっくりするほど綺麗な顔がのぞいている。
夏の森の木々を思わせる新緑色の瞳、白く透明感のある肌。すんなりと細い眉や鼻筋の下に薔薇が雫を落としたようにほのかに色づく唇。
とんでもない美形だ。中性的で、ローブの下に隠れてしまっているので体型や着ているものはわからないから性別がわからない。むしろ性別など無粋に思えてしまうほど清廉なオーラを持つ人だった。
その人はこっちを見るなり猫のように目を細めた。
「やあ、君か」
「は、はい?」
整った顔に表情がのると、さっきまでの謎めいた雰囲気が霧散して一気に人間味が滲んだ。
ふっくらした唇から紡がれる声は男にしては高いようにも、女にしては低いようにも聞こえる。
「君、どこから来たんだっけ?」
「へ、え?」
とっさに私は領主様から言い含められたことを思い出した。
学院や領地では私が『旅人』だということは知られているが、いつ外部から人が紛れ込んでくるかわからない。いわゆるスパイ、『旅人』を狙って潜り込み、あわよくばさらっていく者もいるという。
怪しい。警戒して少し後退った。
「えーと……」
「ほら、あっちも色んな国があるんだろ?」
「国、ですか?」
相手はただでさえ美しい瞳を好奇心でピカピカ輝かせてこっちに寄ってきた。しかも顔なんか至近距離だ。パーソナルスペースの概念とは。
「うん。わたしが出会ったことのある『旅人』は、フランセ? とか、メクシカ? ゲレシャ? だったかな?」
「フラン……?」
全部なんか発音が惜しい気がする。間違い探しみたいだな。
私は頭をひねった。スパイにしては話しぶりや顔つきが無邪気だったのもあって、一瞬の警戒心が解かれてしまったようだ。
「……もしかして、フランス、メキシコ、ギリシャ……ですか?」
「そう、それ!」
めっちゃ勢いよく手鎚打つやん。ボケてちょっとズレた言い間違いする実家のおばあちゃん思い出した。
「で、君はどこだい?」
さらにずずいっとこっちに身を乗り出してくるものだから、私はたたらを踏んでのけぞった。
「え、えーっと……」
「ヴァーリャ?」
どうしたものか困っていると、背後からよく通る涼やかな声がした。
「やあ。久しぶりだな、エメリヒ」
振り返ると、そこにはローゼンシュティール教授がいた。
「来るなら知らせろ」
「いつものことだろ。それにしても、またでかくなったか?」
「変わってないはずだ」
私は教授とさっき出会ったばかりの人とを交互に見た。
領主様以外に教授に向かって親しげに話す人がいるのも驚いたし、対する教授もいつもより険のとれた表情で返している。
「ああ、そうか。自己紹介がまだだったね。『旅人』クン」
教授からヴァーリャと呼ばれた人は私に目を向けると微笑んだ。
鴉ローブのフードを払いのけ、半分隠れていた頭を露わにする。
眩しくなるような白銀の長い髪。複雑に編み込んだ髪を後ろに流している。
無防備になった耳はほんの少し尖っている。
「わたしはヴァルヴァラ ・アカトヴァ。そこのでかいのの親代わりだ」
学院の創設者の一人で、長い年月を渡り歩いてきたハーフエルフ、魔術師の尊敬を集める魔術師。
偉大な名前ばかり聞いていたその人はふらりと現れた。
今回切りどころがわからずちょっと短めです。10話前後で終わるつもりなんですが……終わるんだろうか。
エメリヒ師のお師匠さんはエメリヒ師を子どもの頃に弟子にしてあっちこっち旅して引きずり回すというパワフルな人だったり、味噌汁的なスープを作るのが好きでエメリヒはそれ食べて育つとか、エルフっぽさは頭脳と魔法と顔だけみたいな人です。
好きです、美形の無駄遣い。