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シノブとドレスと男と女

今回いつもより短いです。

 大討論のための講堂が見つけられたお陰で、週末はすっきりと快い目覚めだった。


 ……のだけど。

 朝日に誘われながら目を開けて、見た光景を見なかったことにしたいと思ったのはこれで何回めだろう。

 教授の微笑を見てから視界がバグったのかもしれない。

 そうだそうだ。今日は休みだからもう一回寝よう。

 上掛けを引っ張ってベッドの中に潜り込む。


「こらこら、領主を前に失礼じゃないか」

「私はなにも見てません。これは夢……」

「起きなさい。夢じゃないから」


 やっぱりそうか〜。

 嫌々瞼を上げると、狭い私の部屋に領主のルートヴィヒ様がいる。

 彼の領館にある書斎机に比べたらチャチで小さなそれの椅子に腰掛け、優雅に脚を組んでにっこり笑っていた。


「領主様。ここ、仮にもうら若き乙女の部屋ですよ?」

「私の知るうら若き乙女はそんなはしたない格好で寝ないよ」


 指摘されたのはキャミソールに下着だけの姿。

 あっちの世界ではこれにショートパンツもはいていたけど、なにしろ着の身着のままで迷い込んできた世界だ。あれから数ヶ月でキャミソールもちょっとくたびれてきている。肩紐がずり落ちかけているのはちょっとはしたないかもしれない。


「そもそも、寝ているところを他人に見られるなんて思ってなかったですし」

「そうだろうね。寝間着の用意を忘れていたのもいけないな。今日の衣装合わせでついでに頼んでおこう」

「いや、そんなお構いなく……衣装合わせ?」

「そう、ドレスをね」

「ど、ドレス……?」




「まあ〜! とってもよくお似合いですよ!」


 仕立て屋のおじさんはクネクネしながら褒めそやした。両手は揉み手で忙しそうだ。


「うん、なかなかいい出来だね」

「工房のお針子たちが張り切っておりましたわ。領主様からドレスの注文など何年振りかしら」

「母上が亡くなってからはそちらへの注文も男物だけになっていたからね。そうだ、ついでに寝間着を買いたいのだけど、良いものはあるかい?」

「もちろん! それでしたらこちらなど……」


 ルートヴィヒ様とおじさんは懐かしげに話している。


 領主の館の広い応接間には宝石やきらびやかな衣装が広げられていた。今着ているドレスの他に数着あって、この後も試着の必要があると聞かされている私はげんなりする。


 でも、私だって女だ。着飾ることに興味がないわけじゃない。鏡に映った自分の姿をまじまじと観察する。


 いつも無造作に括っていた髪は降ろされて、ここ数ヶ月で伸びた髪が肩下まで広がる。極太のカチューシャみたいなので頭頂部は覆われていた。これがヘッドドレスってやつだろうか。

 コルセットで締め上げてきたお嬢さんたちには勝てない寸胴なので、逆にひと昔前のコルセットのいらないデザインにしたそうだ。装飾の入ったベルトでウエスト位置を高めにして、脚長効果を狙っているっぽい。緩やかに広がるたっぷりの生地のスカートで、胸元から裾までの中央部分は細やかな刺繍の入った布地の切り替えが入っている。

 肩周りで膨らんだ袖も、リボンで飾られていたり、切り込みが入ってその下からまた別の生地がのぞくという、とても凝っているドレスだ。

 いったいいつの間にこんなものを注文していたんだろう。


「あの〜、これ、どうしてサイズがわかったんですか?」

「ああ、それはね」


 領主様は私の質問ににっこり微笑んだ。


「ちょっとした目測だよ。だいたい出来上がって試着すれば、あとは余ったところを詰めて貰えばいいし」

「目測……」


 そんなん恋愛ドラマとかラブロマンス小説の富豪とかがやってるのしか見たことないぞ。ってこの人世が世なら富豪レベルだったな……。

 にしても、気障なやり方だ。半目になりながら、もう一回自分の姿を確かめた。


 黒髪の私に合わせたのだろう、全体的には落ち着いたピーコックグリーンで、艶のある生地を使って、縁取りに金の刺繍や真珠の縫取りが付いている。切り替えの生地は生成りの白で、そこに斜め格子状にこれも金糸で縫い付けられている。


 これ、もしかしなくても絶対高い。


「私、こんなの着ていく場所、ないですよね……?」


 疑問形なのはちょっとした不安がよぎったからだ。

 普段はいち事務員でも、領主が保護する『旅人』でもある。彼の要請があれば、なにがしかのお役目はこなさなければならないのだ。


 金髪美形領主様は力強く頷いた。笑顔が自信にあふれていて眩しい。


「あるよ。冬越しの夜会といってね。年越しの前夜から年明けを迎えるための宴だ。領民たちにも酒や料理を振る舞うし、もちろん客人も館にお招きする」

「えーっと、それって、私も参加しなきゃいけない……んですよね〜」


 頼むからその胡散臭そうな笑顔をやめてくれ。


「君には悪いけど、『旅人』を見せびらかす意味もある。まあ王都の社交とは違って客人も身内に近いから、そう気を張る必要はないよ」

「そうは言ってもですね……」

「まあ、マナーはちゃんと叩き込んでおいてほしいね」

「ですよね〜……」


 こっちに来たばっかりの時に家庭教師がつけられたのってやっぱそういう意味か〜。

 教わったことなんかたぶんもうすっかり忘れてますよ。当時必死にメモしたのがどこかにあったはずだから、探し出すしかない。


「あと、君に頼みたいことが一つある」

「頼みたいこと?」


 領主様が頼みごとなんて意外だ。いつも自信たっぷりで、命令するのが堂に入っているくらいなのにこんな平民もどきの私に下手に出る必要があるのだろうか。


「辺境伯令嬢を出迎えるときに、君を引き会わせたい」

「えっと。辺境伯令嬢って、この間言ってたお見合い相手ですよね?」

「そう」

「えっ、普通に嫌です。だってそんなことしたらご令嬢に勘違いされるかもしれないじゃないですか」

「いやあ、そんなことないよ」

「いやいや、その笑顔は嘘くさいですよ!」

「だって、間が持つ気がしないんだよ! 学院と領地の経営で精一杯で令嬢と楽しく話せる話題なんて全く無い!」

「どこの高校生男子!!?」


 きらびやかな美貌の持ち主なのに意外だな!?

 そうか、ご両親が亡くなってから一人で領主頑張ってきたから……実は苦労人だったんだな、ルートヴィヒ様。そう思うとちょっと可哀想に思えてきた。

 あの図々しい理想の花嫁像はこういうところからもきているのかもしれない。


「……こういうのは初手が大事です。来て早々私を引き合わせるなんてもってのほかですからね。とにかくお相手のことが最優先です。お互いにひとまず語り合って、館を案内するなりお庭を案内するなり、初日はなんとかなるでしょう。不安ならお付きに紛れておきますから」

「ありがとう! そうしてくれると心強いよ!」


 がっしりと両手で手を握られてびっくりする。おいおい、せっかくのイケメンが台無し……でもないな。

 来たるお見合いに不安と緊張が募っているのか、強ばった真剣な顔でお礼を言われると、こっちも真面目に付き合わなきゃいけないという気になる。


 それにしても、この間はめんどくさそうに話していたのに、どうしてこんな深刻そうにしているんだろうか。




 ルートヴィヒ様のお見合い相手はジークリンデ・バルリング辺境伯令嬢という。


 辺境伯家の長女で、長年東の国境であるゾンネ地方を守ってきた荒々しい軍人の育つ土地柄にあって、彼女もまた雄々しい性格だと噂のご令嬢らしい。

 曰く、求婚者が気に入らないと決闘を挑んだとか、常に男装姿でいるとか、乗馬の腕もそこらの男顔負けだとか、オマケに剣の腕もとか、遠征で忙しい領主の父に代わって領地を守ってきたから頭もいいとか。

 年の離れた弟君が生まれたのをきっかけに、アーベント王国の貴族社会では行き遅れと言われる24歳で結婚相手を探し始めたそうだ。


 両親を早くに亡くして王国が誇る学院と領地経営にいっぱいいっぱいでひいひい言ってるうちに嫁探しをぶん投げちゃってた30歳のルートヴィヒ様は破れ鍋に綴じ蓋のように思えなくも……ないけど、お互いが顔を合わせなければこういうことは始まるものも始まらない。




 情けない頼みを引き受けて2日後の朝、私は週末明けの学院のお仕事をお休みしてジークリンデ嬢の出迎えの行列に紛れ込んでいた。

 領主様の館に仕える使用人のお仕着せを身にまとって、執事さんと数人の使用人さん、護衛さん、その端っこに立っている。

 ルートヴィヒ様は愛馬を引いている。領地を囲う城壁、東門の前まで館からはるばるやってきたのだ。


 朝靄も晴れ渡ってきた頃、ゾンネ地方からの一団が姿を表した。


 質実剛健、ともすれば無骨にもみえる黒塗りの馬車だ。近づいてくるとただの造りではなく、精緻な彫刻で惜しみなく手が入れられていることがわかる。漆塗りだろうか、光沢のある表面は朝の陽光に艶やかに映えた。

 そしてそれを護衛する兵士たちの鎧姿、体格や姿勢、馬の足並みまで揃って見えるようなビシリと規律正しい振る舞い。バルリング領の土地柄が透けて見える一団だった。


 ジークリンデ嬢の一団は私たちの数メートル手前で速度を落として止まった。

 ルートヴィヒ様がさっと近づいて最前列にいた兵士に馬車の中の人物への取次を頼む。兵士が頷き、黒塗りの馬車の扉を開いた。


「長旅でお疲れでしょう。ようこそお越しくださいました──」


 車中のご令嬢と思しき人にエスコートするため手を差し出しながら、ルートヴィヒ様はあんぐりと口を開いた。


「出迎えご苦労様です。この度は我が姉をお招きいただきありがとうございました。ボクは、ジークリンデの弟、ヨハン・バルリングです」


 領主の差し出す手を取らず、馬車の中から小さな少年がピョコンと飛び降りてきた。


 貴族らしいお辞儀をする様子は天使のように愛らしいが、予想外の出来事にルートヴィヒ様も私たちも度肝を抜かれた。


 けれど流石はルートヴィヒ様。数秒呆けたら次は引きつりながらもいつもの胡散臭い笑顔を顔に貼り付ける。


「ヨ、ヨハン殿……。ジークリンデ嬢は……?」


 ヨハン少年は後ろでを組んで気まずそうに目をそらす。


「えーと、その〜」


 どう答えたものか困惑する様子に、誰かがハハハと大きな声を立てて笑った。


「すまない! わたしはここだ!」


 突然、兵士の一人が兜を脱ぎ去った。


 馬車の扉を開けた兵士だ。兜の下から現れたのは亜麻色の長い三つ編み。そしてきりりと整った顔立ちの女性だった。琥珀色の瞳が意思の強さを訴えている。


 ヅカ系男役美女そのものの登場に私はちょっと興奮した。


「ルートヴィヒ卿、此度の余興を許してほしい。馬車での長旅は退屈で、道中わたしたち姉弟で貴方を驚かせようと思いついたのだ」


 にかっと笑う顔も凛として爽やかだ。

 今まで未婚だというのが不思議な美女だけど、貴族社会からしたら今みたいなおふざけもけしからんとなるのかもしれない。


 噂に違わず、しかも出会い頭にかまされた形となったルートヴィヒ様は苦笑する。


「はるばるバルリング領からの道中でこんな計画をなさっていたとは。まんまと驚かされましたよ」


 ジークリンデ嬢とヨハン少年は顔を見合わせた。

 何か目と目で話し合ったような間の後、ジークリンデ嬢の方が硬い金属の鎧の胸に手を当てる。


「冬越しの宴まで、世話になる。どうぞよろしく頼む」

「ええ、我々も精一杯もてなしをさせていただきます。ゆっくりなさって行ってください」


 凛々しい令嬢の頰にはほんのりとした笑みが浮かんだ。

 ルートヴィヒ様も、相変わらず無駄にきらきらしいけど優しく微笑み返している。


 二人の様子に、私は内心ほほうと声をあげた。


(……もしかしなくても、いい感じでないの、これ?)


ルートヴィヒ様は女性遍歴は10代〜20代前半の頃は派手に色々あったけど今は領地と学院でいっぱいいっぱいって感じです。

ジークリンデ嬢はカッコいい、勇ましい、凛々しい、みたいな、憧れを詰めて妄想してます。あとちょっといたずら好き。遊びたい盛りの弟を喜ばせるためでもあるけど。

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