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シノブと収穫祭とキャットファイト

前回に引き続き、タエシノブがヒーローじゃないお相手といい感じです。

 頑張る、と言ったギレス教授の言葉を本当の意味で理解したのはそれからすぐ、翌日のことだった。


 朝、助手課へ出勤して、その日一日のやることメモを作っていると来客があった。


「こんにちは、花屋です。シノブさんはいらっしゃいますか〜?」

「あ、私です」

「こちら、お届けものです〜」


 そういってエプロン姿の花屋のお姉さんに差し出されたのは小さめのブーケ。デスクの上に飾るのにちょうどいい大きさだ。


「え、誰から?」

「それはこっちのカードに書いてあるから後で見てください。受け取りのサインお願いしま〜す」

 ニコニコ答えるお姉さんに促されるまま、ブーケを受け取り、サインをする。

「では! 素敵な一日を〜!」


 私誕生日とかだったっけ? 不思議に思いながらブーケに差し込まれていたカードをひっくり返す。

 そこには綺麗な大陸文字が書き綴られている。私は1文字ずつボソボソ読み上げた。


「愛…を、こめて? はー、らる、と、ぎれッ──!?」


 ギレス教授! 最後まで言いかけて、慌てて左右を見回した。幸い朝早かったお陰で人はまばらだ。

 でも隣のデスクのテオさんはしっかり出勤済みだった。


「青春だねえ」


 眼鏡越しに、目尻にシワの入った目が細められる。こういうのを生温い目線って言うんだよね、知ってる。


「て、テオさん……ッ」

「何も言わないよ。だってバレたら生徒さんだけじゃ済まないからねえ」

「こ、こわいこと言わないでくださいよ……!」


 カードは鍵付きの引き出しにしまうことにした。ブーケは枯らすのが勿体無いので後で適当な花瓶を探して飾った。

 でもその花が枯れる前に、毎日ブーケが贈られてくることになると知ったのはその翌々日くらいだ。


 今まで付き合った人からもプレゼントはしてもらったことあったけど、日本人らしい控えめなものだったから、戸惑いが大きい。なんていうか、桜の花びら降ってくると思ってたら、薔薇の花びらシャワー浴びたみたいな……。愛情表現が欧米式のそれに近い。


 花束は嬉しかった。飾っても邪魔にならない大きさだし、選ばれる花も淡い色づかいの可愛らしい花で、職場で邪魔にならないように、それと周囲に気付かれても贈り主が悟られないように気遣ってくれたんだと言うのがわかる。ただカードが見つかるとどうなるかわからない危険物なだけで……。


 ギレス教授の攻勢はブーケだけに留まらなかった。さりげなく終業時間に来ては私を寮まで送るという名目のもと短い道のりを2人きりで歩くのはもちろん、偶然を装って学院のカフェテリアで同席したり、それから、あとは時折──


「ふわっ!?」


 ローゼンシュティール教授の授業のおつかいの帰り道だ。

 急に後ろから腕を引かれて、空き教室に引っ張り込まれた。


「ぎ、ぎれすきょうじゅ!?」


 しぃ、と長い指を唇の前に立てる姿も様になる。

 ギレス教授は後ろ手に教室の扉を閉めた。


「忙しそうだね」

「あ、ええ。今ひと段落して戻るところだったんです」

「知ってる。ユリアンに聞いたから」


 あいつ何でもペロッと喋るな。そんなことを頭で考えないと緊張してしまうくらいの距離だった。教授のローブ越しに体温が感じ取れそうなくらいで、彼の大きな手が私の肩に回っている。

 ひええガンガンくるじゃん教授……。


「会いたかった」

「へ……」


 思わず目を向けると、目を細めて笑う顔とかち合った。


「お、お昼に会ったじゃないですか」


 石壁の小さい教室内。自分の声が反響するのが気になった。

 身体が強張ってる。変だな。こんなイケメンに迫られたらラッキーって思うべきじゃないか?


 私の緊張を悟ってか、教授は肩を抱いていた手を離して向き合った。眼鏡越しの目尻が今日も優しげに下がっている。少しだけホッとした。ん? ホッとするってなんだ。


「もっと会いたくなるんだ。君と話してると楽しいから」

「えっ、そんな面白おかしいこと言ってましたっけ?」

「いいや?」


 いたずらっぽく、今にもとろけそうな笑顔で首を傾げる。

 本当にこの人は私に恋してるんだ。ギュッと心臓を掴まれた気分になった。




 そんな感じで、ギレス教授に振り回されて1週間。約束の収穫祭を迎えたわけです。


 ええ、私も血の通った人間ですからね、こんな素敵なアプローチされて流石に何も応えないってわけにもいかないし。いつもの色気のないシャツとズボンの男装もどきでデートってのもギレス教授に申し訳なくて。


 こちらに来たばかりの時にルートヴィヒ様が用意してくれた服が数着ある。今回はその中からキレイ目の薄水色のワンピース? を着て、靴は茶色の編み上げブーツ。髪は編み込みのハーフアップ、お化粧もいつもより色味を華やかにしてみた。

 清楚系な感じにしたかったけど、うーん。地顔がキツい猫系なのでなりきれず、無念!


 待ち合わせは街と学院の境にある北広場の噴水前。

 お化粧と髪型で時間ギリギリになって急ぎ足で行ったら、ギレス教授が先に待ってくれていた。


「ギレス教授! ごめんなさい、待たせてしまいましたか?」

「ああ、シノ──」


 こちらを振り返った教授の顔から笑顔が抜ける。驚いたように目を見開いた。


「教授?」

「いや、少し驚いてしまって……」

「えっ、どこか変でした?」


 慌てて自分の服装をあらためる。こっちのおめかしってよくわからないからな〜。


「すごく似合ってて、びっくりしたよ。とても綺麗だ。もっと好きになってしまうな」

「へっ」


 赤面する間も与えてくれず、ギレス教授は私の腰を抱くように引き寄せた。


「ぎっ、ギレス教授!?」

「今日は、ハーラルトと呼んでくれないかい?」

「え、と」

「ハーラルト。はい、言ってみて」

「ハーラル、ト……さん!」


 ただ名前を呼ぶだけなのに顔が熱くなる。向こうが上手なのがありありとわかって、また振り回されてしまうのも嫌で、悔し紛れにさん付けした。

 ギレス教授、ハーラルトさんは目に見えてがっかりする。眉尻を下げる顔がお預け食らう子犬みたいで罪悪感が煽られる。


「うーん。それもいいけど、まあそのうち呼んでもらえると嬉しいな」

「は、はは……えと、そのうち」


 ハーラルトさんは愛想笑いする私を目を細めて見つめた後、さあ行こうと背中を押した。


「わあ……! 賑わってますね!」

「ああ、ヴェーヌスは王都に次いで大きな街だから、人も多いでしょう?」

「はい! それに、こんなに出店が並んでるなんて思いませんでした!」


 大通りを挟むように両脇にズラッと屋台が並んでいる。行商人や、街の店からも出ているようだ。

 その向こう、だいぶ奥に中央広場がある。爪先立ちでようやく見えるくらいの人出で、上をあおげば街の建物と建物を繋ぐように色とりどりの三角の小さなフラグがいくつも下がっていた。

 装飾や店のラインナップは違うけど、どこか懐かしさを感じる。


「お腹は空いてる?」

「ちょっとだけ」

「それじゃ、歩きながら何か見繕おう」


 私たちも大通りに入って、店先を覗きながら人の流れに沿って進んだ。

 皿や壺、可愛い人形や置物、花冠なんてのもある。花冠は女の子が収穫祭の日に身につける定番らしくてハーラルトさんが買ってくれようとしたけど、花ばっかりもらうのも悪いしやんわり遠慮した。


 途中でパンに具を挟んだものを売っている屋台を見つけた。

 こっちの食べ物は向こうと似ている。ここの屋台は具の種類が豊富で、肉は牛豚鶏、焼いたものか煮込んでホロホロになったものか、魚は揚げたもの、チーズまである。じゃがいもを茹でてマッシュしたもの、揚げたもの、焼いたもの、他にも野菜を茹でたものや炒めたもの、ピクルスみたいに漬けたもの、……この中から2種類選んで挟んでくれるんだけど、どれにするか悩んでしまう。

 具材とにらめっこしていて、ハッとする。


「ごめんなさい、なかなか決まらなくって」

「いいよ、悩む顔を眺めるのも楽しいから」


 店主から自分のパンを受け取りながらハーラルトさんは首を振る。

 大して可愛くもない私を眺めて楽しむなんて変わった趣味だ。そのおかげでこうやってデートしているわけですが。

 むず痒い気持ちを押さえ込みながら、具材と向き合って真剣に選んだ。煮込んだ牛肉のホロホロ具合が魅力的だったので、それとマッシュポテトにした。お代を払おうとしたら、悩んでいる間にハーラルトさんが支払い済みだった。


「ありがとうございます」

「どういたしまして。温かいうちに広場で食べよう。それと、飲み物は何がいい?」

「何があるんですか?」

「今日は祭りだからね。お酒なら赤ワインに白ワイン、エール、林檎酒に蜂蜜酒」

「蜂蜜酒、飲んだことないです」

「そう。それじゃあ、蜂蜜酒の店を探そう」


 広場の手前で蜂蜜酒の店を見つけた。それまでにハーラルトさんは自分の分の白ワインを買って、2人とも食べ物と飲み物で両手がいっぱいになった。


 ベンチとテーブルが並べられた広場で開いた場所に何とか滑り込み、向かい合って座った。

 最近このポジションが多い。綺麗な顔が目の前にあるって、眼福だ。けど目が合ってしまうと途端に蛇に睨まれた蛙の気分になるのはどうしてだろう。


「ハーラルトさんは何にしたんですか?」

「僕は揚げ魚にピクルス」

「わあ、それも美味しそう」


 南蛮漬けみたいな感じかな。私が食い意地汚く目を輝かせていると、ハーラルトさんがこっちにパンの包みを差し出してきた。


「食べるかい」

「いいんですか?」

「もちろん。そんな顔で見られたらあげたくなってしまうよ」


 そんな顔ってどんな顔だろう。まあいいや。


「じゃあ、遠慮なく。いただきまーすっ」


 テーブルの上に少し身を乗り出してハーラルトさんが差し出すパンにかじりついた。

 弾力がある硬めのパンの下からカリッとした歯ざわり。シャキシャキした歯ごたえと一緒にさっぱりしたピクルスの酸味と揚げ魚の脂がじわっと広がる。


「ん〜〜〜〜おいし〜〜〜〜!!!」

「……」

「ハーラルトさん?」

「いや、ちょっと」


 端正な顔が横を向いている。口元が大きな手で覆われていて表情はよくわからない。でも髪の間からのぞく耳がほんのり赤いように見える。


「えっと、もしかして、こっちの女の人って人の手からもの食べたりしません?」

「そうだね……」

「あー……ごめんなさい。その、行儀悪くて……」

「気にしなくていい。むしろ僕は嬉しかったし」

「いやあ……気を付けます」


 郷に入っては郷に従えっていうものね。自分のパンにかじりつく。軽い調子の私にハーラルトさんの顔からいつもの笑みが消える。真剣な色の目がこちらを見据えた。


「気にしなくていいって言ってるでしょう。無理に自分を曲げる必要はないんです。貴女らしさを失くして生きていくことに何の意味があるんですか」

「……ありがとうございます」


 私は曖昧な笑みで誤魔化した。私らしさ。ってなんだろう。

 異世界からやってきたからって、この国のルールやマナーを無視するのはお門違いだ。海外旅行に行く前にはその国の法律やマナーを少しは知っておくのと一緒で。

 それに私はもう日本に戻れない。十年二十年、五十年と生きていくのなら尚更。彼は前向きな言葉を掛けてくれたのに、私の胸はシクシクと痛んだ。


『余所者』とあの陰険ローゼンシュティールに馬鹿にされることもあるのに、どうしてあの時よりも、今の方が喉に魚の小骨が引っ掛かるみたいに刺さるのだろう。


「シノブさん?」


 ハーラルトさんが心配そうにこちらを覗き込んでくる。ハッとして顔を上げた。

 この人は善意で言ってくれたんだ。辛気臭いのやめやめ!


「はい?」

「美味しくなかったですか?」

「いいえ? あっ、そういやこっちの蜂蜜酒飲んでなかったです」


 慌てて首を振って蜂蜜酒の入った木のコップに口を付けた。こみあげそうになった何かはアルコールで流し込むに限る。

 とろりとした飲み口のお酒は少しだけ喉を焼いて胃を熱くし、甘ったるさが口の中に残った。




 腹ごしらえを終えて、私とハーラルトさんはまた通りを歩き始めた。今度は中央広場の向こうの大通りだ。

 こっちは商人の出す店が多いのか、繊細な布地や細工品などを見かける。どれも全部手仕事で、その労力を思うと日本で着ていたさりげないレースや刺繍の服が贅沢品だったのだと気づかされる。


「お嬢ちゃん、綺麗な髪してるね!」


 細工物の装飾品の店先をのぞいていたら、店主のおかみさんがニコニコして話しかけてくる。


「え、へへ、そうですか? ありがとうございます」

「お兄さん、こちらの可愛い恋人に何か買っておあげなさいよ」


 わ〜商売上手だなあ。なるほど連れ合いを褒めて買う気にさせるのね。ハーラルトさんも悪い気はしないようですぐさま私の隣で覗き込む。


「何か欲しいものはありますか?」

「えっいやそんな、悪いですよ」

「お嬢ちゃん、男には貢がせときなさい!」

「そうそう、この髪飾りなんかどうだい。いい出来だろう?」


 店主が差し出してきたのは白い花の髪飾りだった。

 どうやって細工したのか、白い花の花弁の部分はツヤツヤと光っている。まるで本物の花みたいに丁寧に作りこまれていた。


「綺麗ですね」

「そうかい。うちの人が今日のために一生懸命こさえたんだよ」

「ください」

「毎度! 30トリウだよ!」

「えっ、だ、ダメですよ、ギレス教授!」


 私は慌てて顔を上げた。1トリウ100円ぐらいだ。ちなみに3000円あればだいたい2週間の食費が賄える。

 いくら彼が稼いでてもひょいともらっていいものではない。止めようと銅貨を差し出す彼の腕を取ると、彼は笑みを浮かべながらもやんわりと私の腕を押し返した。


「ハーラルト」

「は、ハーラルト、さん」

「今日の君には何か足りない気がしてたんだ」

「へ?」

「後ろ向いて」

「後ろ?」

「そう、ほら」


 促されるまま彼に背を向けた。そっと何かが後頭部に触れる気配がして、さっきの髪飾りを付けてくれているんだと悟る。


「もういいよ」


 今まで付き合った人はほとんどシャイでこういうのなかったな。気恥ずかしい思いで振り返ると、満足そうに目を細める美男がそこにいた。


「よく似合ってる」

「あ、ありがとうございます……」

「ああら、誰かと思ったら!」


 ドラマとか漫画でよく見かけるいい雰囲気のシーンを甲高い声がぶち壊した。

 突然の闖入者に目をやると、相手はあのお嬢様大好きのオリヴィエちゃんだった。

 今日はオフらしく、いつも被ってる白い布は外して鮮やかな赤毛を編んで肩に下ろしている。そして気の強そうなそばかす顔が鬼の首とったみたいに勝ち誇ってこっちを見ていた。


「あ、オリヴィエちゃん」


 思わず心の中での呼称が出ちゃうよね。


「誰が名前を呼ぶことを許したかしら? 全くこれだから礼儀をわきまえない『余所者』は!」


 あーそうこれこれ〜。

 ハーラルトさんの優しさですっかり忘れてたけど、私の担当する相手はこういうのばっかりだった。今や実家のような安心感だ。


「いやしい野良猫風情が、エメリヒ様じゃ飽き足らずギレス様までたぶらかすなんて! おお嫌だ。自分の立場をわきまえない下賎な輩はこれだから」

「だから、ローゼンシュティール教授は私の仕事上の担当だから関係ないんですって」

「ギレス様、目を覚ましてくださいまし! これは異世界からやってきたモノ。人間の姿形はしていても私達とは違う生き物ですわ」


 その一言にプツンと切れた。堪忍袋の緒が切れたのかもしれないし、必死で平静を保ってたホームシックが堰を切って溢れたのかもしれない。

 自分でもよくわからず、さっき飲み下した感情が喉から迫り上がるままオリヴィエちゃんにぶつけた。


「そういう貴女の方がお里が知れるってもんじゃないの?」

「あらやだ野良猫がまだ何か言ってるわ」

「貴女の仕えるゾフィお嬢様とやらもたかが知れてるわね」

「なんですって!!」

「他人を見下してありもしない噂を吹き込むような侍女が仕える女なんて、たかが知れてるって言ったのよ! 会うたびに野良猫野良猫って、その軽い口を閉じてお嬢様のために少しは考えて振舞ったらどうなの、礼儀正しくね!」

「信じられない、『旅人』だからと付け上がって! あんたなんかただの平民以下の獣よ!」


 オリヴィエちゃんはカッと目を見開き、私の方を手のひらでドンと突いてきた。

 帰れるもんなら帰りたいわよ! 日本に! キッと睨み付けると彼女の中で怒りがさらに燃え上がるのがわかった。


「何よその目は!」

「いたっ!」


 彼女は私の髪を引っ張った。

 鋭い痛みが走って顔をしかめると、オリヴィエが満足そうに唇を歪めるのが視界の端に映る。

 負けてたまるかと思った。


「言葉で勝てないから手を出すんだ。やっぱりお里が知れるわね」

「なっ」


 今度は反対の手が振り上げられる。顔を殴られる、とっさに目を瞑った。


「やめなさい!」


 間に入ったのはハーラルトさんだった。恐る恐る目を開ける。

 私を押しやり、オリヴィエちゃんからかばいながら彼女の振り上げた腕を掴んでいた。


「ゾフィ・アレンス嬢の侍女だね。君は自分のしたことの意味がわかってるのかい?」

「なぜこの女ばかりかばうのです!」

「彼女には何の落ち度も無いからだよ」

「この女はエメリヒ様に色目を使っています!」

「それは君の勝手な思い込みだろう。今君がしたことは何だ? 僕は目の前で見ていたよ。君が彼女を蔑み、罵って手を上げた」

「それは……!」

「エメリヒ師と彼女は職務上だけの付き合いだ」

「そんな……」


 温かいものが肩を包む。ハーラルトさんの大きな手だ。

 傍らの彼を見上げると、彼は厳しい顔でオリヴィエちゃんを見据えていた。


「このことは僕から学院を通してアレンス家へ報告させてもらう。その結果君がどうなるかは僕たちの知ったことではない」

「……」


 オリヴィエちゃんはうなだれてスカートの膝あたりをぎゅっと握りしめる。肩が震えていた。


「行こう」

「ギレス教授……」

「彼女は放っておいていい」

「……」


 彼に背中を押されるまま、大通りを行き交う人ごみの中へ紛れ込んだ。

 ヒソヒソ囁き合う声が背後から追ってくる。

 もう明日には知れ渡っているだろう。私と彼女がやりあったこと、そしてハーラルト・ギレス教授と一緒に祭りへ来ていたこと。




 結局あの後は大した会話もなく、大通りも突き当たりまで行って引き返し、ひと通り屋台を見物した。

 中央広場に戻ってくると若者と娘たちが輪になって踊っている。

 花冠をして着飾った女の子たちが輝く笑顔でステップを踏んでいる。

 それをぼんやりと、ハーラルトさんとベンチに並んで眺めた。


「あの……」


 何を切り出すか決めていないのに、私は口を開いた。隣ではハーラルトさんが両脇に手をついて座っている。彼の視線がこっちに向くのをわかっていて、できなかった。


「今日はごめんなさい、私のせいで……」


 もう彼の顔には今までの笑顔がない。それが怖かった。


 実際には長かったのか、短かったのか。胃が痛くなるくらいの沈黙の後、ハーラルトさんはひとつ細長い息を吐き出した。


「いつからだい?」

「え?」

「いつから、彼女は、あんなひどいことを?」

「ひどいこと、って……」


 彼はこちらに向き直った。さっきかばってくれた大きな手が私の両頬を包み込み、上向かせる。

 酷く真剣な顔がこちらを見つめていた。


「君に酷い言葉を浴びせていただろう」

「ああ。でも、あんなの大したことじゃないですよ」

「大したことじゃないか。野良猫だとか、僕とエメリヒ師に二股かける悪女呼ばわりで……」

「確かに、言葉はきついですけど、いつもはすれ違いざまだけだったし」

「それでもだよ」

「……」


 優しい言葉をかけられて、助手課でいつも愚痴っていた調子で返すこともできた。そうですよね、酷いですよね。腹が立つったらない。

 でもひとつも口に出せない。転がり出たのは全く違うことだった。


「……ハーラルトさんがそう言うのは、私が『旅人』だからですか?」


 言った後で自分でギクリとした。こんなに優しくて、美しくて、愛情に溢れた人なのに。

 私が今日まで彼にたったひとこと、「はい」と言えなかった理由がわかってしまった。


 あんなに日本に帰りたい一方で、私はもう覚悟を決めてしまっていたんだ。この世界で生きること。

 いつからかはわからない。働き始めて、自分の部屋を持って、自分の服を着て、新しい人間関係を築いて、地面に足をつけて歩こうとしている。案外この世界が好きなのだ。


 それなのに、ハーラルトさんはその優しさで私の行く先に絨毯を敷き詰めようとする。不慣れな世界で可哀想だからと、情け深い心で私を見ている。そういう疑心がもう私の中に芽生えてしまった。


「シノブさん……?」


 ハーラルトさんは怪訝そうな顔をする。その表情さえも優しげで、突然彼に申し訳なくなった。


「私たち、同じ世界で生まれればよかったですね。そうしたら、私きっとハーラルトさんのこと、好きになってました」


 私はもう、異世界からやってきたひとりぼっちの女の子じゃない。




 収穫祭の週末が開けて、また学院で働く日常に戻った。


 もうブーケのプレゼントはない。

 ハーラルトさん、──ギレス教授は朝にユリアンのところへ来て、少し雑談して帰っていった。昨日の返事のせいで少しぎこちなかったけど仕方がない。

 自分が冷たい人間のように思えて、決心が揺らぎそうになるけど、グッと唇を引き結ぶ。さて、今日もお仕事だ。


 収穫祭でギレス教授とデートした件はあっという間に学院中に噂として広まっていた。

 お陰であちこちからやっかまれている。女子生徒はさりげなく肩をぶつけては突き飛ばしてきたり、経理のお姉さんは小さな計算ミスで書類を受付不可にしたり(地味にこれが痛い。うう、電卓が欲しい)、聞こえよがしに馬鹿にされたりするのは基本だ。


 幸いなのは助手課の皆さんが理解してくれたことだ。なんかシノブさんと2人、いい雰囲気だったもんね。とか言って流してくれた。既婚者が多いこともあり生温かい目線が有難い。

 ユリアンにはびっくり仰天されたけど。「シノブがぁ!? ギレス教授とぉ!!? 自分の顔鏡で毎朝ちゃんと見てるっすか!?」とまで口を滑らせたので1発顔面にめり込ませた。


 人の噂も七十五日。二ヶ月半か……。

 指折り数えながら書類を抱えて私は塔を登る。今日も今日とてローゼンシュティール陰険教授の研究室に日参だ。


「失礼します」


 ノックをすると、中から歌うように滑らかな声が答える。


「入れ」


 許可をもらい中に入ると、相変わらずの様子だった。

 ただ、幾何学模様のタペストリの前に黒板が置かれ、びっしりと文章が書きつけられている。げじげじ教授はその前に椅子を引っ張ってきて、難しい顔でにらめっこしていた。

 細長い指が薄い唇を押さえ、白い眉間にシワがよって、青い目は険しく細められている。そんな姿さえ、画家が画題にしたくなるほど整っている。


「生徒の提出してきたレポートです。学年ごとに分けています。成績別に分ける時はまた声をかけてください」

「ああ」

「それから、申請のあった水晶ですが、投影の確認する日程を考えておいてください」

「ああ」

「たぶん聞いてないと思うので、今言ったこと、ここにメモ置いておきますからね。後で見てください」

「ああ」


 こうなると根暗教授は長い。けどいつもに比べて罵詈雑言も無理難題もないので楽だ。

 私はさっさと持ってきたものを置いて、メモを書き足して、机の上に重ねた。


 部屋を出て扉を閉める直前、上の空だった教授が私を呼び止めた。


「……待て」

「……はい?」


 ちっ、今日は穏やかに過ごせると思ったのに。

 仕方なく室内に戻るとローゼンシュティール教授は椅子の上で長い脚を組み直してこっちを見上げた。


「ゾフィ嬢の侍女のこと、話を聞いた」

「ああ……。お騒がせしてすみませんでした」

「僕の落ち度でもある。すまなかった。知らぬこととはいえ、婚約者の侍女のふるまいに気を配れなかった」

「気にしないでください。誰も他人の行動を制限なんてできませんし」

「それはそうだ」


 教授はあっさりと謝罪を引っ込めた。こいつ。

 相変わらず何を考えているのか読めない表情だ。滑らかな頰は怒りや不快以外でピクリと動いたところを見たことがない。


「だがそれと責任を取ることは違う。他人を操れないからこそ、相手の期待や要望に応え、信頼を得る。生徒と僕の関係がそうだ。あの侍女の信頼を得ることは考えなかった僕の責任だ」

「……まさか教授を辞めるとか言わないでくださいよ」

「辞めてどうする。王立学院の大きな損失になる」

「ああー、ソウデスネ」

「僕の責任の取り方は、お前が決めていい。教授職を辞めるというのはいささかどころでなく浅慮だとは思うがな」

「私が?」

「ああ」


 ローゼンシュティール教授は能面みたいな表情のまま、ズルズルと椅子の上に身体を伸ばした。お腹の上で長い両手の指を組んで、天井を見つめる。

 こういうだらしない格好をすると、そういえば私と同い年だったことを思い出す。


「担当を変えるという手もある」

「それいいですね」


 間髪入れずに相槌を打った。

 教授は何も答えずに瞼を閉じる。よく見ると顔色が青白い。昨夜は寝ていないのかもしれない。

 心配しているわけではないけど、整っているだけに一瞬生気が感じられなくてドキッとした。


「……少し、考えます」

「よく考えろ。僕が他人の言うことをきくなんて滅多にないからな」

「ソウデショウネ」


 うわ〜いいぞ〜! これで楽しい社会人生活が送れそうだ〜!

 ワクワクしながら教授に背を向けて研究室を出ようとする。


「ああ、もう一つあった」

「なんですか?」


 今日なんか変だぞ教授。

 渋々また向き直ると、瞼を閉ざしたままの教授が口だけ動かす。綺麗な形の唇から出る声は、その形が花とか雫とか、宝石とかになって見えそうなくらい綺麗だった。


「ルートヴィヒのところに、ハーラルトから志願があった」

「志願?」

「お前の教師役にだ」


 お腹の上で指を組み直して、教授はまだ目を閉じたまま喋る。そのまま寝入ってしまうんじゃないだろうか。でも声はしっかりとしている。


「いいんじゃないか。お前の望み通り、あれは優しい男だ。僕が教えたから間違いはない。得意分野に偏りはあるが──基礎魔術なら問題はない」

「……」


 本当は自分が教えたいくせに。今日はやけにしおらしいじゃないか。


 私が言ったことを気にしているんだろうか。指摘されたことをいつまでも気にしているなんて、やっぱり根暗だ。

 死体みたいな顔を眺め下ろしながら、なんだか悔しくなった。


 ギレス教授が私に優しさで接しようとしたのと全く真逆で、ローゼンシュティール教授は嫌なことばかり突きつける。

 できないこと、知らないこと、わからないこと……無知だの無能だの言われて腹を立てている間に、いくつかできることが増えた。知ることも増えた。考え方も変わった。


 気付かないうちに、教えられていた。それが私の居場所を少しずつ広げてくれた。


 優しくなんかない、全然ない。


 でも、彼の厳しい言葉はオリヴィエちゃんとも違って、道標のように、気が付いたら私を導いてくれている。


 この現象をなんと呼んだらいいのか、彼は何がしたいのか、少しも読めない、わからない。


 でも、ギレス教授の時とは違って、そこに疑心は芽生えない。

 彼に哀れみはない。優しさも、思いやりもない。その代わりに正しい。


「──決めました。教授の責任の取り方」


 私は背筋を正して胸を張った。

 ローゼンシュティールの青白い顔が椅子の上からこっちを見る。宝石みたいな無垢な目が私を捉える。


「教授、私に魔術を教えてください」


人称に揺れのある人物が書きたくて、エメリヒ教授はそういう感じの人です。ブレブレの人です。シノブちゃんと同い年の若さで自分と年の変わらない生徒を教えるプレッシャーとか。誤解されやすい性格な上に別に1人でも平気だもんするからとか。そういうのに耐えるために人称が揺れてます。

あと直弟子は師匠のことを〜師って呼ぶのに地味に萌えてそれ採用してます。エメリヒ師って響きよくない?って一人で気持ち悪くニヤニヤしてます。

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