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シノブと恋人たちとプロポーズ

 大討論が終わり、学院はしばしの冬期休暇に突入した。


 とはいっても、まだ研究から離れたくない教授や学生さんが残っているので、授業は無くなるけど私たちの仕事はある。

 実験や儀式に使用される教室の貸し出し管理や、器材の使用申請の受付、休暇中の教授に質問したい学生さんの繋ぎ……その他雑多な色々を事務員が受け付けるけど、その人数はぐっと減らして運営することになるので、私たちの休みもボチボチ入っているって感じだ。


 普段よりのんびり静かなペースで仕事をこなして一週間。冬越しの夜会の日を迎えた。


 あっちでいう新年のカウントダウンパーティみたいなものらしく、ヴェーヌス領は平民も貴族も全体でお祭り雰囲気になっている。ちなみに冬越しの夜会を迎えると新年は完全な休暇期間になるので、そういう意味でもワクワクしてる人が多いのだろう。


 私はどっちかっていうと、胃がキリキリしてる。昨夜はマナーについて家庭教師から教わったことを書き留めたメモを何度も振り返っていてよく眠れなかった。何回頭に叩き込んでも不安でしかない。


 衣装はもう出来上がっていると領主様から言伝があった。仕立屋さんで着付けてもらって、化粧や髪型もやってもらえるらしい。全部終わったら迎えの馬車に飛び込んで会場に行くだけ。


 いやめっちゃ不安だ。さっきからもう胃が差し込むような痛みを訴えている。身体を締め付けるコルセットを使わないドレスなのが唯一の救いかもしれない。


「まあ〜! とっても素敵〜!!」


 女言葉で仕立屋の店長さんがクネクネと身体を揺らしながら喜んだ。


 前回合わせたときより身体のラインにピッタリと沿うように直されたドレスは美しいドレープを描きながら膝下に広がり、上品で優雅な印象を与える。

 ヘッドドレスの下からこぼれる髪は暖炉で温めたコテで丁寧に巻かれて編み上げられた。未婚の女性は全部の髪を結い上げてはいけないので、半分は肩下でゆるやかに波打っている。

 顔には白粉を薄く塗り、ほんのりと目元にアイシャドウ、アイラインが引かれ、まぶたと頬骨の高いところ、鼻筋に真珠の粉が叩かれる。猫っぽいつり目が強調されたけど、ミステリアスでなかなかいい感じかも。

 真珠の粉って貴重で高いものだろうとびっくりしたけど、仕立屋さんでは半球にした真珠のボタンをたくさん作るので、その時に出た粉が余っているらしい。

 唇に紅を塗り終えたところで迎えの馬車が来たと知らせが入った。


「ありがとうございました、シュテファンさん」

「どういたしまして。今日のアナタ、綺麗よ。にっこり笑ってればみんなイチコロよ」

「うぐっ! ──は、はい。いってきます……」


 素敵なアドバイスに店長の男らしいでっかい手でバンと背中を押される。内臓飛び出るかと思った。でも背筋がしゃんとして活力が入ったような気がする。


 わさっとドレスの裾を摘んで馬車に乗り上げ、目指すは領主の館。冬越しの夜会にいざ行かん!


 いつもは石板で領主の書斎直近のエントランスへ転移するけど、今日は貴族式だ。

 城壁がぐるりと囲む領主の館に向かって進む。


 古い石造りの城と呼んでもいいだろう。雪を抱いた静謐な山と学院の塔を背中に厳格に領主の城館は聳えていた。過去には城塞の役割もあったから、学院もそうだけど領主の館は山の斜面に建てられている。


 馬車は大きくぐるりと迂回するように斜面の来客用の道を登っていく。

 騎士館や聖堂、納屋の屋根が城壁の向こうに見えた。あちらを通って細々した内部を見せないようにするためのものだろう。私の寮もあっち側だ。城の裏側に位置するけど、城壁で仕切られた区画は同じ。領主の居館をいくつもの城壁で区切った区画で取り囲むようにしているのだ。ちょっとした畑もある。


 そんな厳重な城門をいくつか越えて、やっと館に辿り着いた。


 前方に同じく招待客のものらしい馬車が何台も見えた。どこの家のものかわかるように紋章が刺繍された旗が付けられている。


 そういえばローゼンシュティール教授やギレス教授も貴族だけど、彼らの家の紋章はどんなものだったろうか。

 領主様は牡鹿に剣だったはず。こちらの紋章は動物と何かの組み合わせが基本だ。

 確かギレス教授は雄鶏? に何か草があったような……ローゼンシュティール教授は薔薇だったような……だめだ、ここら辺の貴族知識は平民生活送る気満々の私の脳味噌には上手く入ってこなかった。


 車寄せで馬車から降りて、使用人さんの案内でホールへ。


「うわあ……」


 天井が恐ろしく高い。ぶら下がった水晶のシャンデリアが煌々とした灯りを発している。

 あれは魔術がかけられてるのかな。巨大な天井を支えるためか、ホールの三面コの字型に壁から一定の距離を置いて柱が建っている。手前に階段が柱の上に伸びて中二階になっていた。


 こう言っちゃあれだけど、造りはこっちの方が何から何まで大きくて豪華だけど、構造は中学校や高校の頃の体育館を思い出す。あっちは人がひとりふたり歩ける程度のキャットウォークってやつだけど。


 奥は舞台になっていて、こっちからも階段で中二階に繋がっている。白い石の手すりに彫られた繊細な模様に金箔が貼り付けられている。遠目にも優美な印象だ。


 ホールには今は長いテーブルが並べられて晩餐の準備がされている。

 白いクロスがかかっていて、上には一席ずつ赤いクロスとお皿が載っている。等間隔に燭台と花が並んでいた。


 案内役さんはまっすぐテーブルの間を通り抜けていく。お皿の上には小さなカード。こういうの、結婚式とかで見たな。書かれているのはたぶん招待客の名前だ。


「こちらです」

「えっ」


 私は思わず後退った。着席するように示されたのは壇上の席で、端っことはいえとても小市民の私が座っていいような場所には思えない。


「あの……本当にここですか?」

「はい、シノブ様のお席はこちらです」


 再度手のひらで示された。確かにお皿に載ったカードには私の名前がある。


「えーと……」

「どうぞお座りください」


 席次に物申すのは失礼に当たる。使用人さんはにっこり笑って椅子を引いた。

 領主様のニヤニヤした企み顔が頭に浮かぶ。『旅人』待遇ってことだろうな。


「……ありがとうございます」


 おとなしく座る。長卓のほうにも招待客がチラホラと着席していた。パートナー同伴が基本みたいだ。

 ドレスを作ってもらってよかった。豪華に着飾った人々に気後れしていたかもしれない。着慣れないし汚したらと思うと落ち着かないけど、綺麗なドレスってやっぱり気持ちが高揚する。ドレスの裾に繊細に縫いとられた刺繍をひと撫でした。領主様にも仕立屋の店長さんにも感謝しなければ。


 テーブルクロスの模様や招待客をこっそり観察していたら領主様とジークリンデ嬢、それから彼女の弟君のヨハンくんが上手側の扉からやってきた。


 領主様とジークリンデ嬢の装いはわざわざ誂えたのかまさに似合いのひと組だった。


 ルートヴィヒ様は雪深い冬の落ち着きを表すような濃い緑の上衣に金糸の刺繍、ルビーの首飾りが下がっている。毛皮の縁取りがついた上着がいかにも盛装っぽい。黒い帽子にはこれも深緑の羽飾りが付いている。


 ジークリンデ嬢はコルセットで強調した曲線美を引き立てるビロードのドレスだ。領主様の着ている上衣と似た濃緑と金糸の刺繍。こっちの世界のコルセットは平にした胴の上から丸く盛ったお胸が綺麗に見えるようにするらしい。真珠の首飾りが滑らかな素肌の胸元を彩る。大きく広がった袖口にこれもお揃いの毛皮の縁取りだ。その下からまた手首まで覆う袖が伸びて、スリットと呼ばれる装飾からその下に着たコットをちょっとだけ引っ張り出すのがお洒落なのだそう。詳しいことはわかんないけど、きりっとした男装美人だったジークリンデ嬢はドレス姿でも人目を惹きつける魅力を発している。それは領主様に向けた笑みがそう見せているのかもしれない。


 恋ってこんなに人を美しくするのか。


 ただ寄り添って立っているだけなのに、二人の姿を前にしただけでこっちにまで胸の高鳴りが伝染してしまいそうなほど似合いのカップルだった。


 慌てて立ち上がってお辞儀をしようとすると、領主様が片手を上げて止める。


「そのままでいいよ。ドレスに慣れていないと転ぶからね」

「す、すみません。それじゃあ座ったままで失礼します」

「よく来たね」

「今夜はお招きいただきありがとうございます。領主様におかれましてはご機嫌麗しく……」

「言い慣れてないね。まあ努力は認めるよ」


 楽しそうな相手に澄ました顔で返す。大仰な挨拶に慣れていないのに招いたのはそっちだもんね。

 ジークリンデ嬢、ルートヴィヒ様、ヨハンくん、私の順番に座る。ジークリンデ嬢とも軽い挨拶を交わして、さて次はと隣に目をやると、にこにこと微笑んだ美少年がこっちを見上げている。ちょっと癖のある栗色の髪がくるりと柔らかく幼い輪郭を縁取って愛らしい顔立ちを際立たせている。


「はじめまして。私、『旅人』のシノブと申します」

「はじめまして、シノブ殿。僕はゾンネ地方バルリング辺境伯の息子、ヨハン・バルリングといいます。姉上からあなたのことを聞いてずっとお話ししてみたかったんです」

「光栄です。私でお話しできることでしたら、ヨハン様のご質問にお答えいたします」


 キラキラと緑の目を輝かせて見つめられると眩しい! 常々思ってるけどこっちの世界って顔面偏差値が高すぎることない? こんな小さな子まで天使のように可愛いとは。


 ヨハンくんとお話ししているうちに招待客が集まり、三列ほどの長テーブルに全員着席していた。


 領主様がゴブレットを持って立ち上がり、挨拶をする。


「ヴェーヌスの冬越しに集まってくださり、感謝します。我が領が今年も無事に歳を越すことが出来たのはひとえに皆さんの力添えあってのことです。来年も努力を怠らず、ご支援いただいた皆さんに利益を還元できるように励むと誓います。……長々とした抱負はここまでで、今宵は大いに楽しみましょう──乾杯!」


『乾杯!』


 ルートヴィヒ様がゴブレットを高く掲げるのに合わせて酒杯を突き上げる。


 賑わしい空気がシャンデリアの輝くホールに広がった。隣り合った招待客同士が楽しげに語らう声が聞こえてきて、楽しげだ。最初のお皿がサーブされる音、食べ物を切り分けるカトラリーが上品に触れ合う金属音。舞台の両脇に控えた吟遊詩人が控え目に音楽を奏で始める。


 おお、ファンタジーの世界だ。私は食事に手をつけるのも忘れてホール中を観察した。


 ギレス教授の金色の頭。今日の彼は濃紺の上衣に毛皮の上着を羽織っていた。服の色に合わせた帽子を斜めにかぶっている。真っ黒いローブを見慣れていただけに新鮮だ。

 エスコートしている女性はいないらしく、隣り合った女性から何か話しかけられていた。やっぱりモテモテだなあ。


 それから、領主様に最も側に座したエメリヒ・ローゼンシュティール教授とその婚約者ゾフィ・アレンス嬢。

 ゾフィ嬢は淡い桃色のドレスで愛らしく華やかに装っている。

 一方ローゼンシュティール教授は今日も真っ黒な服だ。長く伸ばした黒絹の髪はサテンのリボンで束ねられ、整った顔と宝石のような瞳があらわになっている。立ち襟の上衣は黒いサテンのくるみボタンがいくつも縦に並んでいる。

 上衣の下に彩りのあるシュミーズを見せたりするのもこういう華やいだ場でのオシャレらしいのに、あの堅物陰険はどこまでも融通がきかないな。普通婚約者と色味を合わせたりとかするだろうに、あれじゃ授業するのと変わらないじゃないか。

 唯一襟周りと袖口に銀糸で縫取りがあるけど、上に乗ってるのが芸術品みたいなあのお顔じゃなかったら周りの着飾った人たちに埋もれてしまっていただろう。


「こういう場は初めてですか?」


 ハッとして顔を向けると、ヨハンくんが小首を傾げてこっちを見上げていた。


「す、すみません。初めてで面白くって……こういうドレスを着るのも初めてなんです」

「シノブ殿の世界ではドレスは着ないのですか?」

「そうですね……着飾ることはありますけど、ドレスはそうそうないですね」


 一度親戚の結婚式で来たことはあるけど、それも準礼装、膝丈の動きやすいものだった。


「こちらではあまり見かけませんが、あちらでは女性もズボンをはきますよ」

「ズボンをですか?」

「はい。動きやすくていいものですから」

「姉上も同じことを言っていました。こんな良いものを男だけがはくのはもったいないと」

「まったく同意です」


 深く頷くと、ヨハンくんは嬉しそうに笑った。こっちに上体を傾けてくる。

 口元に掌で筒を作るようにする仕草で内緒話だと察して、少年に届きやすいように私も身を乗り出して文字通り耳を傾けた。


「とっても嬉しいです。他のご令嬢はズボンをはきたがらないから」


 とても可愛らしい報告に思わず微笑んでしまった。私の方からも内緒話をしかける。


「私、学院で働いでいる間はズボンです」

「本当ですか?」


 ヨハンくんはちょっと大きな声を出して驚いた。ああ癒されるわ〜。にっこり頷いて肯定する。


「こちらでは女性はズボンははかないんですね。働く女性にも動きやすくていいと思うんですけどね」


 塔を登ったり降りたりする時とか、こちらで女性がよく着ている裾の長いスカートは急いでいると脚に絡まってしまいそうで怖いし、私にとってはズボンの方が動きやすいし安全だ。

 でもピッタリしたズボンばかりというのも働く日々に遊びがないというか、もっとバリエーションが欲しくなってもきた。ワイドパンツとか、なんかそれっぽいもの作ってもらえないかな。今度お給料が出たら仕立屋の店長さんに相談してみよう。


「楽しそうだね」


 ルートヴィヒ様が私達の様子を見て訊ねる。


「シノブ殿にあちらのことをお聞きしていたんです。姉上、シノブ殿もズボンをはくそうです」

「ああ、そうらしいな。どうりでシノブ殿とは気が合うわけだ」


 いやあ、気が合うだなんて。ちょっと照れながらへらりと笑う。

 こちらの女性からしたら男のような装いをすること自体常識外れだというのもわかっている。けどどうしたって私は私だし、ジークリンデ嬢だってそうだ。誰に迷惑をかけているわけでもないのだから、時と場合を選んで、着たいものを着て好きなように生きればいい。


 終始和やかな雰囲気で晩餐を終え、ホールを歓談と舞踏会の場に模様替えするために騎士の間と呼ばれる小ホールへ。

 それぞれに会話を楽しんでいた貴族や商人たちが一気に領主様のところへ押し寄せる。

 おわあ。その勢いに数歩後退ってしまった。人が集団で寄ってくるのってこんな圧迫感あるんだ。表面上はにこやかでもさすがに怖い。領主様はジークリンデ嬢と腕を組んだまま堂々と応対している。

 普段はちょっと曲者なお兄さんって感じだけど、こういうところはちゃんと領主様やってるんだなあ。

 感心して眺めていると、隣りのヨハンくんから名前を呼ばれた。


「シノブ殿」

「なんでしょう、ヨハン様」

「僕、今日は冬越しなので夜更かししてもいいんです。シノブ殿さえよければ、僕にエスコートさせていただけませんか?」


 小さな手を差し出してくる姿は小さな紳士だ。まあなんて可愛いお誘い。胸がキュンとした。

 私も子供の頃は大晦日だけは夜更かししてもOKだったな。ひと晩限定で大人になれたような特別な気分になったものだ。ヨハンくんも今ちょっと背伸びしているんだろう。


「ええ、もちろん。喜んで」


 考えてみればこれはいい采配だ。このままひとりぼんやりしていたらどこかでギレス教授に話しかけられて、エスコートを申し出られるかもしれない。

 私が断ったとしても、この周囲の耳目の多さだ。格好の嫉妬と悪口の的になってしまう。

 その点ヨハンくんにエスコートしてもらえれば好都合だ。領主様の大事な客人のエスコートだから、もし彼がおねむでこの場を去った後でも私を誘うことは躊躇われる。どこにも禍根の残らない素晴らしいお相手だ。


 ありがとう、ヨハンくん! 大いに感謝しながら少し低い位置に差し出された肘につかまった。

 子供とはいえバルリング辺境伯領の次期領主である彼のところにも、何人かが挨拶に来る。

 はきはきと賢く応えるヨハンくんの会話に邪魔にならない程度に混ざりながら、大ホールの準備が整うまで時間を潰した。


 しばらくして大ホールに戻ると、さっきとはすっかり様変わりしていた。

 三台ほどあった長いテーブルが無くなり、舞台の脇には人数の増えた楽団が控えている。

 入り口側には四人ほどで囲む大きさの円卓が数卓置かれていた。

 中心は舞踏会用に広くスペースをとり、疲れた人や話したい人は傍に避けてゆっくりできるようにか、壁沿いや中二階には椅子と長椅子が見える。


 さっきの晩餐会のように領主様が何か挨拶して始まるのだろう。集まった人たちは彼の言葉を待っていた。


「宵越しの無礼講を始める前に──貴女に話したいことがある。ジークリンデ殿」


 招待客の間に小さなさざめきが起こった。


 もうずっと前から今か今かと思っていたし、この頃の二人の仲睦まじさはもう出来上がってしまった後ではとも思っていたけど、そうではなかったようだ。

 私はゴクリと唾を飲んだ。ヨハンくんの腕に巻き付けた手にきゅっと小さな手が添えられた。いよいよか。しかもこんな大勢の前で。


 ジークリンデ嬢の前に跪き、領主様は右手を胸に当てた。

 どこの世界でも、かしこまったプロポーズのときは相手の前に跪くみたいだ。


「ジークリンデ・バルリング殿。

 四年前の貴女の言葉があったからこそ、私は腐ることなくこの領地を守ることが出来た。貴女を妻にするという約束が私を奮い立たせてくれました。

 どうか、このルートヴィヒ・クラインベックの伴侶として、貴女という喜びを与えてはいただけませんか?」


 後で聞いた話だけど、こっちの世界では伴侶を得る、結婚するということを『喜びを得る・与える』と言うそうだ。お互いの幸福となる喜び。とても素敵な表現だ。


 ジークリンデ様の答えを、誰もが息を止めて待っていた。


「──あの日のことを、覚えていてくれたのだな」


 彼女の凛とした声は少し潤んでひしゃげていた。

 俯く相手を見上げながらルートヴィヒ様は嬉しそうに目を細める。


「忘れられるはずがありません。あの日、私はひとりの男として生まれ直した」

「貴殿は、素晴らしい領主となられた。私で、いいのだろうか」

「貴女でなければならないんです」


 その言葉に、ジークリンデ嬢はゆっくりと顔を上げた。

 新米領主として経験を積み重ねたルートヴィヒ様同様、彼女の中にも領主代行として弟を守り育てた誇りがある。

 ドレスの裾をふわりと膨らませて領主様の前に同じく膝をつき、胸に押し当てた彼の手の上にそっと両手を重ねる。


「喜んでお受けいたします。貴方を梃摺らせる妻となるかもしれないが──」

「望むところだ。私のような甘ったれには、貴女のようなしっかり者が必要なんです」

「……上手いことを言ったものだ」


 返す令嬢の頰には、決して室内の暖かさのせいだけではない赤みが差していた。


「おめでとうございます!」

「これでヴェーヌス領も安泰ですな!」


 客人がいっせいに歓声をあげた。拍手の音が広がり、気を利かせた楽団が音楽まで鳴らしはじめた。


 領主様は照れくさそうに笑って、ジークリンデ嬢の手を取った。


「今宵は私の恋人として──踊ってくれますか?」


 手を取り合って二人で立ち上がる。

 重ねた手は離さないまま優雅に礼をするルートヴィヒ様に、彼女も淑女の礼を返した。

 凛とした顔に悪戯っぽい笑みを浮かべて。


「もちろん。下手なリードは許さないが」

「これは、気を引き締めなければ」


 応える青年の顔は言葉とは裏腹の満面の笑みだった。


ルートヴィヒくんとジークリンデ嬢の恋物語は蛇足じゃないかと不安になりながら書いてたんですけど、これ以上の細かいあれこれはまたそのうち番外編とかにできたらいいなと思ってます。

あと二話くらいかな? それで第一部を終わって、もう1人『旅人』がやってくる第二部を書きたいな〜とほんのり考えてます。もちろんタエシノブが主人公なんですけど、ジークリンデ嬢もゾフィ嬢も好きなキャラクターなので、そっちにも出したいです。

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