侯爵令嬢、身を呈する
『あ! オオカミさ〜ん!』
小さな湖のほとりに着くと、魔獣の子どもはぴょんぴょんと跳ねながら駆けていく。
湖のそばには大きく毛並みの綺麗な狼がどっしりと座り込んでいた。
『やぁ、小さな子どもよ。』
狼は魔獣の子どもを見てから、続けて私たちに目をやった。その視線からは特に敵視するものは感じなかったが、友好的なものでもなかった。
『人間たちよ、また我々を狩りに来たのか?』
スッと細められた目が私たちを射止める。
その声は対話を使わずともこちらに語りかけてきており、ここにいる他の人たちにも聞こえているようだった。
つまりは、目の前の狼はかなり力の強い魔物……おそらく狼の群れの長だ。
ここには先ほど共に待機していた私とログレス様、アニーとサムにザジンさんとテムジェンさんの計6人しかいない。ぞろぞろと騎士たちを引き連れているよりは幾らか話し合いに持ち込みやすいはずだ。
そして、私を介さず話が出来るのならば、ここからはログレス様の出番。
「我々はこの森を調査するために来た……が、狼の長たる其方とここで会えたことには縁があると思う。話をすることは出来ないだろうか。」
『……良いだろう、話し合いで解決出来ることほど平和なことはない。』
ログレス様の申し出に狼は了承の意を示した。どうやら向こうも平和主義者のようだ。しかし、狼の視線は相変わらず鋭く心を開く素振りは少しも見せない。
「最近、狼たちが活発になり我々に多くの被害をもたらしています。何か理由があるのではないかと思い、もしそうなのであればお聞かせ願いたい。」
『先に攻撃をしてきたのは其方たちだ! 人間! 静かに暮らしていた我々を襲い無惨にも皮を剥いで行った! 勿論、攻撃的な狼もいるだろう。そういったものたちが討伐の対象となることは理解が出来る。だが、我々は違かった!』
狼は完全に敵意を見せるように牙を剥いて、グルルルッと唸りながら訴えかけてきた。
魔物の子どもがそれを見て驚き『ぴゃーっ!』と悲鳴を上げながら私の足元に隠れた。
狼はそれを見てへにょりと耳を下げて、牙をしまう。
『すまない、驚かせるつもりはなかった。』
ログレス様は牙をしまい大人しくなった狼のそばによって腰を折った。
「我々、人間側のせいだとは考えが足りなかった。申し訳ない。おそらく悪事を働く密猟者たちだ、人間の全てが君たちに危害を加える気があるのではない、ということは理解して頂きたい。」
『……勿論、我々もそれは理解していることだ。どこにでもそういった種類のものたちはいる。人間を襲っている狼も群れの一部だ……過激派で抑え込むのに常々手を焼いている連中でね。必ずや悪事を働く人間共を処罰すると約束してくれるのであれば、私も長として彼らを説得してみせよう。』
狼は初めよりは随分と柔和な雰囲気を漂わせるようになった。
これぞ平和的解決だろう。魔物と人間、だけれど無用な犠牲を払わずにいたいという気持ちは同じようだった。これが人間同士でも容易に起こり得るならば、もっと争いはなくなるのだけど。
「密猟者たちを必ずや捕まえて法律の下、処罰すると誓おう。」
ログレス様と狼の視線が交わり、密かに約束が交わされた。これで事件は解決に向かうだろうか。
安堵しても良いはずなのに、何故だか悪い予感がするのはどうして?
『法律、というものが私には分からないが、少なくとも人間と魔物では何もかもが違うということを覚えておくように。説得したからといって従うかどうかの確証はないし、小さなキッカケで暴走するのが魔物だ。わかるね?』
魔物の多くは自然の中で其々の生活を送っている。食物連鎖、生態系、それらを壊さないことが人間に課せられたルールだ。そこに無理矢理介入しなければ、魔物だって襲ってこない。
だが、魔物はいつでも温厚なわけではない。何かキッカケがあれば暴走して人間を襲ってくる。今回は、人間側がルールを犯して狼を傷つけたこと。人間側が悪いけれど、それが無実の人々にまで被害を与えていることは無視出来ない。
そして、人間と魔物では道理が違う。
それをわかっていなければ、また新たに争いが生まれてしまう。この約束が必ずしも守られる保証がないことは理解しなければならない。
狼の長は力が強く聡明な魔物であるため対話が通じる。だがしかし、そうでない魔物は沢山いるのだ。
『……殺し……やる……。』
微かに聞こえた声に私は辺りを見回す。
ノイズ混じりの声、おそらくは対話の通じない狼だ。狼の長も感じ取ったようで警戒を始めた。
だが、ログレス様やアニーたちはそのことに気がついていない。ここは注意喚起をすべきか。
そう考えたが、そんなことをする時間もなくより強い殺意を帯びた声が聞こえてきた。
『殺してやる!!』
声の方向を見ると、森からダッと狼がログレス様へ一直線に向かってきていた。ログレス様の背後で彼は気づいていない、狼に気がつき動き出そうとしたが、それよりも狼が近づく方が早かった。
「ログレス様、危ない!」
無自覚に、咄嗟に身体が動いていた。
ログレス様を庇うように私は両手を広げて前に出る。
「あ"あ"あ"ッ!!」
狼が私の肩にガブリと噛みつき、牙が身体に刺さる。私は痛みで叫ぶことしか出来なかった。
「炎の矢!」
アニーの攻撃が、私の肩に噛み付く狼に炸裂した。狼はキャンッ! と情けなく鳴いたかと思うと距離を取ってこちらを睨み続けた。その後ろから数匹の狼が姿を表す。
「レア! しっかりしろ!」
「わ、私は、大丈夫……。」
アニーが私を抱きとめて心配そうに顔を覗き込んだ。私は強がって見せるが、肩の痛みと流れる血によって自身でも平気を装える気がしなくなってくる。
『これ以上勝手をすれば、私が黙っていないぞ。』
狼の長がグルルッと唸りながら、数匹の狼に対峙した。
「俺を庇うとは……なんて無茶をするんだ。」
「殿下が、怪我したら……ダメでしょ。」
ログレス様は眉を下げて申し訳なさそうな表情をする。私は痛みと出血によって体裁を装うことが出来なくなり、ザジンさんやテムジェンさんがいるにも関わらず普段通りの話し方をしてしまう。
「レア、君が怪我をしたらジゼルに怒られてしまうよ。」
どうして、そこでジゼル様の名前が……?
そんな疑問を抱いたところで、私の視界は暗くなっていった。




