シャルル・フォン・ドジスン、推参!
「どーもどーも、はじめまして、荘夢くん? で、よろしいですかな? わたくし、シャルル・フォン・ドジスンと申します。以後お見知りおきを」
まさかの外国人!?
目の色が左右で緑と青のオッドアイ。つーか、こいつの格好、ヴィクトリア朝だかエリザベス朝だかの昔の英国紳士風というか。アリスの話に出てくる気狂い帽子屋のやつみたいなトップハットまでかぶってやがるし。
「フォン・ドジスン先生は大変高名な家庭教師の先生でらっしゃっるの。ほら、あのラストエンペラーさんの家庭教師も、たしか英国紳士だったじゃない? でも日本語もたいへんお上手だから大丈夫よー」と階下から呑気な母親の声。
いやいやいや、言葉の問題じゃねーだろ。なんなんだよ、この奇天烈紳士はよ!
「かなり驚きのご様子ですが、心配にはおよびません。なぜなら荘夢くんにはこれからもっと驚くべき体験をしていただくことになっておりますゆえ、それに比べたら、わたくしのこの奇天烈な風体などものの数にも入りませぬ」
強烈な先制パンチをくらってクラクラしている俺に、フォン・ドジスンはさらなる二次攻撃をたたみこんでくる。
「ところで、ご母堂さまからおききするところによると、荘夢くんは、たいへんに勉強がお好きではないとか?」
「あいにくとね、てゆーか、勉強すきなやつなんかいるんすかw 」
この変態紳士におされっぱなしではだめだと思い、俺は必死で語尾に草を生やす感じに、扱いづらい高校生感を出しつつ、応戦した。
「そのテンプレな修辞的疑問には、イエス、ノー、いずれの立ち位置からもお答えできるクリシェをこちらもご用意してありますが、あいにくといまはそれを申し述べる気分ではございません。したがって、別の質問にかえてお答えしますが、そうは言っても、荘夢くんは、教科書以外の本を読まれるのはお好きなようですね? 」
そう言うと家庭教師は、俺の部屋の壁際の棚の本たちに目をむける。愛好するアリスやドロシーの本から、ファンタジー小説とか、異世界小説、ゲームの設定集、声優上坂すみれのフォトブックなどが中心だが、近所の田舎書店の品揃えより多いくらいには並んでいる。
俺は医者なんぞには興味がない。なれる適性もないんだろうが、たとえなれたとしても、なる気はない。医者になるくらいなら、「小説家になろう」でデビューして、好きな異世界小説書いて気ままに生きていくか、それが無理ならニートにでもなって糞山梨家の遺産食いつぶすか、どっちかだな。
そういえばここのところ、父親とは話もしていない。まあ、田舎大病院の副院長(ちなみに院長は祖父)であり、地元政財界の有力者である父親は、多忙を口実にほとんど家におらず、俺たち兄弟は子どもの頃からそもそもろくに口をきいたこともなかった。ただ、依怙贔屓もここまでくれば清々しいレベルに溺愛する妹の朱乃宮に対してだけは違ったわけだが。
数年前、その頃両親がはまっていた親学だかなんだかいう教育方針らしきもののせいで、俺はまだスマホを持たしてくれてなかったから、同級生達がはまっていたパズドラとかモンストがやりたくて父親のスマホを借りていたことがあった。そのプレイ中に、LINEのメッセージ通知が来て、それがあまりにうざいから払いのけるようにタップすると、別段覗き見する気もなかったが、結果的には、そのメッセージの内容を窃視してしまうことになった。
「今日もありがとー。ご飯もすっごくおいしかったし、またパパにいろいろ買ってももらっちゃったね。絵文字顔文字モーリモリ」
おまえは「パパ活」なんぞやる前に、リアル家族のパパとしての活動をまともにやれや!
「俺の本好きは勉強つーか、単なる暇つぶしだけどな。人生なんて死ぬまでの暇つぶしと思ってるんで」このとき俺はドヤ顔だったと思う。
「それもお読みになった本に書いてあったんですか?」
俺の借り物の名言を華麗にさばいたフォン・ドジスンは続けて言う。
「でも荘夢くんのおうちは代々の医者の名家でしょう。なぜ素直に医者を目指されないので? この世界線、すなわち今今今世において、この広い地球上の、日本という大変治安の良い世界有数の先進国に、お医者さんの、中でも屈指の大病院という、貴種の、しかも次男であることがディスアドバンティジにならない時代にお気楽な次男としてお生まれになった。これは非常なレアリティ、SSRの中でも大当りをお引きになったも同然のことです。普通に考えれば、その大当りキャラを育成していくべきでしょう」
「俺は」小説家になりたいんだ、という言葉は、すんでのところで飲み込んだ。「ニートになりたいんでね。高等ニートに」高校の現国の授業でききかじった明治時代の高等遊民とやらをもじって言ってみた。「父親みたいなやつにはなりたくないんで。それにうちには兄と妹がいるから。誰かが医者になれば病院は継げるし」
「2つ上のご令兄、大悟くんも、こういってはなんですが、学業面においてはここのところ相当のご苦労をされているご様子。たしか現在、宿世の医学部に入るべく、かの有名な北松高予備校、あの時代錯誤的なスパルタ運営がどういうカラクリか合法的に認められている浪人生のアルカトラズ監獄とも称される寮に収容されているそうで。今度、ご両親たってのご希望により、わたくしが面会にうかがうことになっております」
「あの脳筋豚野郎のことは知らん。どうなろうとしったこっちゃないね」
俺と大悟の関係は、なんと言えば良いか、暴君とその圧政に耐えかねて時折反乱をおこす被支配民といったところか。大悟は中学受験に合格し、鏡山県随一の私立進学校天領中学そして高校に進学する一方、俺は受験に失敗、金さえ出せばアホでも入れる山戸塾学園へ。小さい頃は、両親や学校の先生の前では優等生を演じていた大悟は、そのストレスかなんか知らんけど、やたらと俺に暴力的だった。モンハンの協力プレイでミスっただけで、DSの角で頭を小突かれた。反射的に、見よう見まねのタイガーアッパーカットで反撃してしまった俺は、かえって大悟の嗜虐心に火をつけ、やはりストリート・ファイターのボーナスステージ車さながらにベコベコに殴られた。中学入ったくらいから、あの豚野郎は筋トレに目覚めたらしく、俺よりチビのくせに、無駄に筋力だけはありやがった。あ、チビというのはよくないな、正しくは成長ホルモン分泌不全性低身長症で、この長い診断名を必殺技か何かのようにいたく気に入っているあいつは、オレはリオネル・メッシと同じなのだ、と、ことあるごとに吹聴している。
もっとも、俺も大悟も、たまに家に帰ってきたと思ったら酒を飲んでは凶暴化する父親の下では、同様の被支配民にすぎないわけだが。つーか、医者のくせに酒も煙草も飲み放題のあいつっていったい……。
「なるほど、大悟さんは、ご尊父さまゆずりの筋肉愛好家なのですね、近々お会いしますので、銘記しておきましょう」
フォン・ドジスン、こいつ丁重なのか不遜なのか、というより、慇懃な丁重さが傲岸な不遜ぶりを際立たせると言うべきか。
「それと、これも2つ違いのご令妹がおられて、中学3年生の朱乃宮さんとおっしゃる。こちらは大変見目麗しく、ご聡明でらっしゃると」
朱乃宮。こいつに対する感情は、小説家志望の俺でも、いまだにどう表現していいかわからない。
学校の男子、のみならず女子からも、このような妹を持つことへの羨望を受けるほどに、母親似の朱乃宮の容姿は抜群らしい。らしい、というのはリアルの肉親に対する容貌の批評は難しいからだ。
とはいえ、なんというか、愛らしくも涼しげな、丸アーモンド型の目は、なんというか、きっと魅力的なのだろう、この目でじっと見つめられたら、恋情という異世界に吸い込まれるような気分になるのでは、と。まあ、俺の場合は、異世界クリーチャーを観察するような目で見下されることがほとんどなわけだが。
さらに、あの、なんというか、スイートにしてクールな、声、声、声。あの声で、「おい、荘夢、わたしのモンブラン食べたでしょ⁉︎ 」と罵られる俺の役得。朱乃宮がアニメ化されるなら、声優はぜひあの毛深くも罪深い上坂すみれ様でおなしゃす。朱乃宮の肌の白さもロシア美女のような細やかさだし、三次元でツインテールやって似合うやつなんてデビュー当時のすみぺか朱乃宮くらいだろうなって、俺、リアル肉親の外見を思っきり論評してるな。
「病院の方は、朱乃宮に継いでもらえばいいよ。あいつは、俺らスーパー山梨意味無し能無しブラザーズとは出来が違うんで」
朱乃宮は幼少の頃から勉強もできた。当然、兄の大悟と同様に鏡山県下随一の進学校である天領中学に行くものと思われていたが、当人の強い希望で、俺と同じ山戸塾学園へ来ることになった。べ、別にお兄ちゃんと同じ学校に行きたいからわざわざ天領蹴ったわけじゃないから! ダサいガリ勉田舎進学校に通うくらいなら、留学生のたくさんいるヌルい学園で学生生活をエンジョイしたいだけ、あ、エンジョイといってもお兄ちゃんといるのが楽しいとかそういう意味じゃないから勘違いしないでよね! と明確に口にしたわけではないが、俺としては、そのように進学意図を解釈していた。しかし真意はわからない。
「では荘夢くんは、医者ではないとして、どうなりたいんですか? 大阪桐蔭高校からドラフト1位で中日ドラゴンズに入られた根尾昂氏、彼のご実家もお医者だったようですが、彼のように医者を蹴ってまでなりたいプロ野球選手的な何かがおありなのでしょうか? 」
小説家になりたい、などと、やはりこんなあやしげな、初見の家庭教師風情に言う義理はなかった。
「まあ、来世に期待っやつかなwwwwww 」できるだけたくさんの草が生えるような圧で、俺は言った。
「では、荘夢くん、今世にはもう未練はないということで?」フォン・ドジスンは、緑と青のオッドアイで、俺の目を覗き込んできた。
そう改まって言われると、一瞬気おされたが、ここで引き下がれない気分だった。
「『上坂すみれの❤️をつければかわいかろう』が聴けなくなることだけが未練と言えば未練かな」
「でしたら、荘夢くん、この糞みたいな今世にはおいとま申し上げるとして、あなたを血湧き肉躍る異世界へとお連れいたしましょう!」