僕が壊れたあの日
あの人が好きだった。
好きで、好きで、好きで、
狂おしい程に好きだった。
僕の思考は、既にあの人のことで停止していた。
それまで恋愛はおろか『好き』という感情すら知らなかった。
『このまま一人で人生を終えるのだろう。』と思うほどに
恋愛とは縁遠い存在であった僕を
あの人は壊していった……。
あの人と出会ったきっかけは、友人の紹介だった。
初めてその人を見た時
《ドクン!?》
と、初めて体感する痛みが僕を襲った。
その痛みは僕の心拍数を上げていく。
鼓動が聞こえるくらい激しく、
そして熱く全身を打ち鳴らす。
僕は、今までに経験の無い体調の変化に困惑していた。
その人は、僕よりも身長が低く小柄であった為、
僕の事を見上げるようにして見ていた。
時が止まったかの様に、僕はその人をずっと見つめていた。
今まで他人をここまではっきりと見たことは無かっただろう。
その人もまた、こちらを見つめ
『ニコッ』と微笑んだ。
ずっと見ていたことに、僕は、
恥ずかしさのあまり咄嗟に目をそらす。
微笑みかけられた事により
例の痛みは、一層激しさを増した。
僕の今までの人生における、未知の感覚に
頭が追いついてはいなかった。
これが【恋する】という感覚であることを
僕はこの時、気付けていなかった。
あまり他人に対して、興味が持てず、
ましてや社交的でもなかった僕だったが、
その人に対してだけは、
『もっとこの人について知りたい、話してみたい』
という欲求が湧いていた。
それよりも驚いたことは、
その感情が、言葉として勝手に表に出てしまっていた事だった。
通常では考えられない行動をしていることに気が付いた僕は、
全身の穴という穴から大量の汗を吹き出していた。
既に、正常ではなかった頭は
疾うに処理落ちしており、思考を停止させていた。
頭の中は文字通り真っ白だった。
何を言葉にしているのか分からないまま、
僕は口だけをひたすら動かしていた。
唯一認識できたことといえば、
目線をそらしたはずのその人の顔が
僕の目線の先にあることだった。
その小さな顔は、笑顔を絶やしてはいなかった。
微笑みながら、僕の言葉に言葉を返してくれる。
ただの会話に、『幸せ』という感情を抱いていた。
『この人はちゃんと僕を見てくれている』
確信もない事を思った瞬間、
視界に入ってくる情報認識が変わる。
小さな顔、大きな瞳、薄ら桜色をした小さな唇、
赤らめた頬、その全てが【愛おしく】思えた。
その日以来、僕は彼女に会うのが楽しみだと
思うようになっていた。
他人と過ごす時間が、こんなにも有意義であると
初めて感じた。
彼女といるだけで、全身が満たされる様だった。
彼女ともっと会話がしたい、声を聞きたい。
見つめていたい、触れてみたい……。
時間を重ねていく毎に、彼女への
欲求はエスカレートしていった。
いつしか、僕は彼女を常に目で追うようになっていた。
教室や廊下、登下校時に使う電車内、
僕は彼女に会えないかと無意識に探す。
既に、僕の頭の中は、
彼女の事でいっぱいだった。
日に日に彼女に対する接し方は、
他の者とは逸していった。
誰が見ても、その行動や反応は過剰になっていった。
その行動を振り返る度に、後悔の念で押しつぶされる……。
それでも、彼女は、そんな気持ち悪い僕を拒もうとはしなかった。
いつも僕の言葉を笑顔で受け止めてくれた。
まるで僕の全てを認めてくれているかのように。
こんなにも他人が自分の事を見てくれた事は
生まれてから、一度も無かった。
嬉しかった。
彼女の存在が、僕の存在を確立させる。
彼女の存在が、僕を変化させていく。
彼女の存在は、僕を盲目にさせた。
然うして、
何の面白みも無かった僕は壊れていった……。