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第四話


「ここは三叉路。死んだあなたの次の行き先を決める場所。わたしは道先案内人。死んだあなたの次の行き先を決めるシステム」


道先案内人――サミィはシステムだ。

今、システムは彼女の後方から感じる視線に言葉にできない感情を煮やしていた。


「あなたは柏木ミドリ子。死者。六十七歳。間違いないですか?」


道先案内人の視界内、肺がんで病院から出られなかった入院期間なんてなかったかのように、六十七歳のおばあちゃんが屈伸をしている。


「ええ、ええ。間違いないですよ」


間延びしたミドリ子に頷きで返したシステム。


「いやあ、あの人に見送られてわたしは、いい死に方をしたもんですよ。ふぉっふぉ」


「魂と記憶の定着を確認。結構」


道先案内人はシステムとしての役割を果たす。

霊魂の姿でやってきた死者は稀に傷がついて記憶や精神的障害を負っている。

裂傷確認の作業のさなか、サミィの後ろでぼそりと呟く内海の声がする。


「なんだ。来た人を皆あなたって呼んでいたら、あんたって呼ぶボクのことも混同しちゃうじゃないか。やっぱし名前で呼ぶのが正しかったね、サミィ」


サミィは人と酷似した感情の発露をする。だから後ろから鬱陶しく囀る内海の言葉に対して、眉間に皺をよせる。

ただ五月蠅いならまだいい。愚痴をこぼすだけなら邪魔だと一掃すればいい。

内海は続いて呟くのだった。


「でも名前をつけたことによってこの空間に愛着を沸いてしまったらどうしよう。ボクは地獄か異世界のどちらかを選ばないといけないのに。やっぱり名前は要らないかもしれない……」


こんな風に自己完結するのかしないのか判然としない呟きを内海は繰り返していた。

ミドリ子は異世界ではなく天国へ行った。天国で最愛の旦那を待つそうだ。

網目状の光がミドリ子を包んでどこかへ連れ去った。行き先は天国だと道先案内人はデータとして知っている。

それを見送った道先案内人は無表情の仮面を勝ち割って、内海に対して暴力チョップを日課とするサミィが現れた。


「うっせんだよごちゃごちゃ! 独り言がしたいなら部屋でやってろ! こっちは死者の案内で忙しいんだよ」


チョップを受けて涙目の内海は、唇を噛みながら反射的に、


「サミィが答えをくれないからじゃないか!」


と怒鳴った。

内海が大声を出すというパターンが珍しくて物見姿勢になったサミィだったが、内海がそれきり顔を俯けたから興味を失った。


「うっせえから独り言ならここから出ていくか、もっと後ろで勝手にやってろ」


サミィは積極的に内海に選択を投げかけるようにした。選択と決断に慣れれば内海が三叉路から旅立つ日も近くなると考えたからだ。

選択を投げかけれた内海は部屋に戻って一人きりで悩むか離れた場所から眺めるどちらにしようか迷った。

次の死者がやってきたとき、内海は同じ場所に立っていた。

人知れず、道先案内人は溜息をついた。




 



光の向こうからやってきた魂は四十歳の男性の形を取った。

皺のあるスーツを着込んだ男性には無精ひげがあった。三叉路でそれを再現する必要があるのか内海は不思議に思った。内海が後ろにいる必要性のほうがないと感じていたサミィは無精ひげなんてどうでもよかった。


「ああ、おい、ここはどこだ? たしか会社のクソったれな飲み会でビールを十本一気飲みして、気持ち悪くなってトイレに駆け込んだはずなんだが」


 お酒によるアルコール中毒で死ぬ人は、まさか自分が死ぬなんて想像もしない。


「ここは三叉路。死んだあなたの次の行き先を決める場所」


「死んだ? 死んだってか。おいおい、楽しくもないうえに自腹で接待の代金を払わされた飲み会で、俺は死んだってか? 冗談じゃねえ!」


さかだった短髪の男性がサミィの胸元を掴んだ。サミィのつま先が宇宙の平面床から離れた。


「くだらねえ人生のまま終わらせんじゃねえよ!」


男性の慟哭に宇宙空間は震撼する。

それは共感じゃない。道先案内人というシステムは共感なんてしない。


「お手をお放しください」


「うるせえうるせえ!」


「お手をお放しください。わたしは息をしないので首を絞めても無駄です。わたしに女性器はありませんから押し倒しても無駄です。わたしは道先案内人ですからあなたの生を捻じ曲げる力はありません」


たしかな声で道先案内人は言った。


「お手をお放しください」


「くそっ……やろうがっ!」


男性が地団駄を踏むたびにローファーの踵が滑る音を立てた。

首を絞められたサミィの後ろにいた内海は動けなかった自分を恥じていた。

目の前で人の首が絞められていても動くか動かないか迷うなんて。

道先案内人は首を絞められても男性を咎めなかった。すでに彼女の首に握撃の痕はない。


「わたしは道先案内人。死んだあなたの次の行き先を決めるシステム。あなたはここから異世界か天国か地獄に参ることができます」


へたり込んだ男性は道先案内人の言葉を聞いているのか聞いていないのか。

道先案内人は自明の理を話すように告げた。


「オススメは地獄です」


内海は透明の能力を解きかけるほどに驚いた。

オススメが地獄。内海とは正反対だ。


「地獄の常夜灯は煉獄の明かり。罪は白日の下に照らし出されるルールがあります。あなたに嫌がらせをする人間がいようものなら閻魔大王の手下が罰を与えるでしょう」


「ああ、それはいい」


地獄に行くというのに、男性はまるで満ち足りた表情をしていた。

内海は思い当たった。これはサミィによる報復なのだと。苦しい素振りなんて見せなかったが、首を絞めた人間を天国に連れて行こうとは誰も思わないはずだ。


地獄。地獄だよ。どんな苦しい思いをするのだろうか。


いま男性は悲劇の境地だ。踏んだり蹴ったりの人生をトイレで終えるなんて、と嘆いている。そんな男性が正しい選択をできるだろうか。

内海は首を振った。このやり方は間違っていると思った。


「地獄か。思っていたより悪い場所じゃなさそうだ。俺は地獄にいくよ」


「結構。それでは左の網目状の光へ」


内海が悩みこんでいる間に、いつの間にか男性とサミィの問答は終わっていた。

内海は迷った。

男性を救うべきか。

今、ボクが声を出せば男性は地獄から天国へ行くかもしれない。

酔っぱらって死んじゃうなんて抑制のできていない大人だし、わけがわからないからって八つ当たりで殴りかかるなんて最低だ。

でも、それは死んだ直後の彼しか見ていないから。もしかしたら朝はボランティアをして昼にはボランティアをして夜にもボランティアをするいい人かもしれない。


なのにこれから先、永遠と地獄に囚われるなんてかわいそうだ!


満足気な顔で地獄に向かおうとする男性。

声を出せ、内海。

たった一言、考え直してというだけなんだ。 一言、一言だけだ。

フラッシュバックしたのは一世一代の告白と、その後の悲劇。

ボクが決断した結果どうなった。


……言うべきじゃ、ない。


ボクの頑張りは無駄に終わるんだ。

彼の殻はまだ破られない。

それを悔しがっているのは誰よりも因幡内海だった。


内海は道先案内人を見た。

道先案内人はいつも通りの無表情で地獄へ向かう男性を見ていた。

そしてボツリと呟いた。


「わたしに手を出したのだから地獄に落ちるのが相当でしょう」


内海は透明化を解いた。


「あ、あの!」

「な、おまえ」


男性に声をかけた内海と、突拍子のない行動に思わず素を出したサミィ。

そして振り返る男性。


「……君は?」

「ボクは誰でもいいんです。それより地獄じゃなくて天国に行きましょう。天国と地獄だと、犯した罪の刑期が百倍くらい違うんです。地獄にいく必要なんてありません!」

「……そうなのかい?」


男性の視線は道先案内人へと向いた。道先案内人は泰然とした面持ちで頷いた。


「犯した罪が小さくとも多大に裁かれる場所が地獄。だからこそ地獄はどこよりも穏やかな土地となっております。静かに過ごされたい周防秀樹様にはお似合いの場所かと」

「……そうなのかい?」


今度は内海に視線を向ける男性。視線を向けられた内海は目を反らす。それが正しいかはわからない。なんせ、内海は天国も地獄も知らないのだから。

天国をススメながら黙りこくる少年と、無表情のまま地獄をススメる少女。男性は童話みたいな状況に頭を抱えて、


「異世界に行くよ。能力は、一人で暮らせるように、そうだな、何も食べなくても生きていける身体にしてくれ」


道先案内人は面倒な顔を隠して、男性の望みを叶えた。






「おい、どういうつもりだ」


男性が異世界に旅立った後、サミィは内海を足で小突いていた。


「どうもこうもない。地獄に行くべきではない人間を地獄に送り出さない」


「潔い決断だな。じゃあ代わりに地獄に行くか?」


「決断ではありません。ルールに則っただけです。間違いを正すことは決断ではなく自動処理です――いたっ」


道先案内人はマジチョップをした。


「そもそもサミィが悪いんだ」

「その名前で呼ぶな。むずがゆい」

「道先案内人なんでしょ。行きたい場所に行かせてあげるのがナビゲーターの務めでしょう。なのに地獄の選択肢に誘導するなんて」


道先案内人は鼻を鳴らしてから、内海の間違えを指摘した。


「私は道先案内人。死者の次の行き先を決める(・・・)システムだ」


内海は呆然とした。今までの全てが思い違いだったのだ。

この道先案内人を天の使いぐらいに思っていた。そういう高尚なシステムなのだと。

違う。サミィは間違いだ。


「それより、もうそろそろ一週間だろ。一週間経ったことにする。お前も決めろよ、異世界か地獄か。地獄か?」


ルールの間違いは自動処理。

内海ははっきりとした声で言った。


「決断は保留する」


「テメエ、まだ馬鹿なことぬかしやがって」


「ボクはサミィの間違いを正す。正しい道先案内人にするよ。サミィが間違えなくなったらボクも自分のことを決めてみせる」


目と口を大きく開いてあっけにとられたサミィ。

次の死者が三叉路にやってくるまでサミィの癇癪は続いた。



内海は結論を出さない少年だったが、彼は決めたことを曲げることはしない人間だった。




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