第二話
宇宙に平面板が乗っている空間で、ようやく泣き止んだ内海が正座をして道先案内人を見る。
道先案内人は膝を立てて内海の言葉を待っていた。
「……」
待てど暮らせど内海が口を開く気配はなかった。待つことが嫌いなシステムは内海に問いかけた。
「地獄と異世界のどちらに行くか。ただそれだけのことだ。しかも軍配はどう考えたって異世界。これからよっぽどマゾヒズムに目覚めでもしない限り地獄にいいところなんてない。それでも迷うの?」
「迷う、というか。なんというか」
「何?」
「決められないだけというか」
「それが迷ってるってことだろうが!」
「うぅ……」
「ああもう、わかったよ。大きな声を出してわるかった。あんたが決めてくれさえすればどっちでもいいんだ。ほら、後ろがもう少しで着いちまうからさ、さっさと異世界を選んでくれ」
内海は異世界推しの道先案内人に急かされながらも思考を巡らせていた。
その思考回路を雑記したならば文脈のない突飛なものとなる。そんな入り組んだ思考回路をして様々な条件を考えていたからこそ内海は単純な選択をすることもできなかった。
内海はいつもこうだった。
「ボクはどうしたらいいかわからないんです」
「だろうな。だから異世界にしとけ」
「選ぶことが難しい。選んだ世界で後悔をし続けることを気に病んでしまう。選ばなかった世界を羨む自分も見たくない」
「だから私が一つの道しかないような情報操作をしているだろう。ほら、異世界いけって」
「決断力に乏しいことはわかっています」
「よっしゃ、お姉さんが決断してやろう。決断代行ミチ崎一護だ。異世界で刀を振り回してすっきりしてこい」
道債案内人がヤケになって内海をさとしにかかる。内海は聞く耳をもたず、それどころか頭を強く抱えてしまった。
内海が小声で吐き出す。
「決断力がないせいでボクが死んだことも覚えているんです……」
道先案内人はシステムだ。少女の姿をしたシステムは疑似感情を獲得しているが、それが死者の選択を鈍らせる設計にはなっていない。
道先案内人は死者のデータを持っている。内海が死んだ経緯も知っていた。
「因幡内海、同級生の桐野萌絵に告白。失敗した学校の帰り道、踏切で呆然としているところを電車に撥ねられる」
道先案内人は内海の記憶でもあるそれらのデータを読み上げた。
「死の直前、因幡内海は追いかけてきた桐野萌絵の姿を視認。戻れば桐野萌絵と面と向かって会話することになる。失恋のショックから立ち慣れていない因幡内海は迫る電車と桐野萌絵の板挟みのなか、決断ができず踏切の中で死亡」
内海は自嘲した。
「くだらないですよね。死ぬくらいなら電車を避ければいいのに。その時間がボクには十分あったのに。どうしても足が動かなかった。死にたくないって本能まで抑えつけて、ずっとうじうじと悩んでいたんです」
内海が自分で言うようにそれはくだらなかった。様々な死にざまを知る道先案内人でさえ思うほどくだらない死に方だった。
「ボクは地獄に落ちたほうがいいんでしょうか」
「地獄に行きたいなら行け。百年もムチで叩かれれていれば後悔も忘れてそのうち快感になるだろ」
「……」
「嫌なら異世界に行け。異世界で桐野萌絵似の美少女といちゃこらしてこい」
「……」
内海が死を迎えるほどに抱える自己の問題。
優柔不断な内海は、やはり決めることができなかった。
道先案内人は焦っていた。
有史以来、ここまで優柔不断な死者は初めてだ。
まさかここまでぐずる死者がいるだなんて考えたことなかった。百年ムチで叩かれるとまで言えば、赤子でさえ異世界に飛び移るというのに。
一人の死者に割く時間はもうとっくにオーバーしていた。なんだったら道先案内人の休憩時間も食いつぶしていた。
遠くからはもう次の死者の魂が朧げに見えている。
「はあぁぁ」
「うぅ……」
ため息をつきながら、道先案内人は決めた。
次の死者のために無表情の仮面を意識する道先案内人は荒ぶる言葉を抑えた。
「わかりました。それではあなたの決定は保留といたします」
「保留ですか」
そのときの内海の顔の喜びようといったら。自分で選択しないことがそこまで嬉しいか。
「保留です。あなたには一時的ですが透明化の刻印を付与します。それで透明マントが使えるようになります。透明状態のままそこらへんに立っていなさい」
「ここは廊下か」
保留という逃げ道を見つけたとたん、内海はくだらないジョークまで飛ばすようになった。道先案内人のヘイトが溜まる。
「透明となって次の死者の選択を見ていなさい。どういう選択を為すか。一例を見れば、あなたのこの先の指針となるでしょう。ほら、さっさと念じて隠れなさい」
内海は言われるがまま念じると透明マントが現れた。それを被った。道先案内人からは姿も驚嘆の言葉も確認できるが、やって来る死者から内海の姿は見えない。
内海が道先案内人の後ろでちょこんと座ると同時に、光の霧が像を結んで、三十歳ちょい上くらいの男性の形をとった。
「な、なんだここは」
目の前に広がる宇宙に怯えながら一歩ずつ道先案内人に近づく男性。
道先案内人は男性の独白に答えた。
「ここは三叉路。死んだあなたの次の行き先を決める場所」
「ああ、そうか。やはり私は死んだのか。いや、なんとなく無理だろうなあとは思っていたんだ」
男性は死んだ記憶を持っているみたいだった。
「FXで四億確定した瞬間に、壁の向こうから聞こえてくるトラックの駆動音とクラクションの音がどんどんと大きくなって、最後に見えたのは壊れた家の壁と真っ黒いトラックの顔で……」
どうにもならない鬱屈とした気持ちを必死に呑み込むように頬を叩いた男性は顔をあげた。
「死んだのならしょうがない。どうせ四億あってもガチャでエレシュキガルを引くことはできなかったと諦めよう。許さんからなディライト。――流れてきに、あなたは女神か天使ですか?」
道先案内人は何億と繰り返してきた行為――自己紹介をした。
「わたしは道先案内人。死んだあなたの次の行き先を決めるシステム」
「次? 来世ということですか」
「来世は神の膝元で魂を返却した者のみに与えられる。三叉路は神の膝元である天国へ行くか、別の道に進むかを選択する場所」
男性は死んだ直後だというのに落ち着いて頷いた。
「あなたは天国と地獄と異世界に行けます」
道先案内人の後ろで透明になっている内海は男性をまじまじと見た。天国へ行く人がどういう人なのかを知りたかったからだ。
けれど、彼がどうして天国に行けてボクに行けないのかはわからなかった。
「異世界、ですか。それはたとえば、海外映画みたいに衣装箪笥の向こう側にあるようなファンタジー世界ですか」
「そうです。想像の複製物と事実に異なりはありますが概ね間違いありません」
「では異世界に行きます」
内海は目を見開き、そして閉じた。
天国と地獄と異世界の三つの選択肢の中から、大胆に笑顔で異世界に行くと決断した。
彼はどうして迷わないのだろう。暗い未来に考えを馳せないのだろう。
名前も知らない男性のことを内海は眩しい気持ちで見ていた。
そして同時に、胸の内に巣くっている手も足も短くて二つの目しかない黒い虫が言うのだ。
ボクにはできないなあ、と。