前編
“勇者”と聞いて、人々は何を連想するだろうか?
人によって出る答えは実に様々なものになるだろう。ちなみに俺は“魔王”を連想する。それは数々の創作物において、勇者と魔王という存在は切っても切り離せない関係だと言えるからだ。
勇者あっての魔王。魔王あっての勇者。
この二つの存在は、そんな関係にあるのだと俺は思う。
そして俺は、それが現実のものであると、現在では身をもって感じているところだ。
須崎迅。
俺が日本に住んでいたときの名前だ。日本人男子の平均的な身長に、引き締まった――と自分では思っている――体を持った大学生だ。家族構成は父と母、そして俺。友達は多くもなく少なくもない。それなりに恵まれた環境で、何不自由なく平和的に暮らす一般人だった。まあ家は、真剣を扱う道場を開いていたので、純粋な一般人よりは数段上の戦闘力はあるが。
これから先の人生は、漠然とだが、就職して結婚し、子供も生まれて……みたいな普通の幸せというものを享受することになるのだろうと思っていた。
そんな俺に転機が訪れたのは、就職活動を間近に控えた、大学三年生の春休みのことだった。あと、一週間もすれば大学四年生になり、本格的な就職活動が始まるだろうというタイミングで、異世界に召喚されたのだ。
召喚された場所は王城の一室だった。華美な装飾や厳かな雰囲気、そして何より数段の階段を経て高くなった場所には玉座とおぼしき豪奢な椅子が置かれていることからして、おそらく謁見の間みたいな場所であると当たりをつける。実際、そこは謁見の間だったので間違いなかったわけだ。
召喚された場所には、宝石が複数嵌め込まれた杖を持った三十代後半の男がいた。そして、その男を守るように両脇を固める騎士とおぼしき赤色の服装をした男が二人。また、俺が召喚された場所を囲むようにして待機しているローブを着た複数の男たちがいた。
杖を持った男は、召喚された俺を見るや否や柔和な笑みを浮かべて言葉を発した。
「突然呼び出すような無礼をして申し訳ない。この度はとある願いがあり、貴殿を呼んだ。混乱しているかと思うが、まずは話を聞いてほしい」
その男――アレクシス王国国王ユーラシス・フォン・アレクシスの話を聞けば、大体の事情というものは掴むことはできた。
まず、この世界は異世界であり、科学ではなく魔法によって発展した世界だと言うこと。俺は勇者と呼ばれる存在であること。この世界には、世界を滅ぼさんとする魔王と呼ばれる存在がおり、人間が滅亡の危機に瀕する可能性が高いこと。……etc.
まぁつまりは、人間を脅かしている強大な力を持った魔王を、勇者である俺に倒してほしいということだ。
俺には世界を救えるほどの戦える力がないと言ってみたが、なんでも、異世界から召喚された者には異世界人にはない莫大な魔力が宿るらしいので問題ないとのこと。
だが、俺だって馬鹿ではない。そんな話を聞かされたとしても、それが本当の話だとは限らないし、鵜呑みにするわけにはいかないとの判断能力も有している。
そこで、表向きは信じることにして、後々情報を得て、それを精査していこうと考えた。まあ、結果的には話の内容は本当のことであり、それらの行為は無駄になったわけだが。
まあ、そんなこんなで、訓練をし、現地の人に触れ合ううちに、この世界を救いたいという思いが少なからず生まれた。それに、元の世界に帰る方法はないということなので、世界の脅威になっている魔王という存在は、これから先の生活において非常にネックでもあった。何もしなければ、いずれ来るであろう人間の滅亡という危機に遭うのなら、その憂いを払っておきたい。というわけで、俺は魔王の討伐に乗り出すことにし、紆余曲折を経て、この度、魔王討伐と相成ったのである。
だが、魔王を討伐するために世界各地を巡る日々を過ごす中で、俺の心の中に、ある一つの願望のようなものが生まれた。それは、この世界について、もっと知りたいということだ。
俺は元来、旅というものが大好きだ。大学生の頃には、夏休みや春休みが訪れる度に、日本各地へ一人旅をしていた。外国にも行きたいと考えていたのだが、いかんせん俺はただの大学生なので金がなかった。それに外国に行く金があれば、日本の各地を旅行する方が良いだろうとの判断もあった。
召喚されたこの世界には、あちらの世界にはない様々な文化や風習が根付いている。そんな世界を旅しないという選択肢はあるだろうか? いや、ない。
というわけで、この度、旅に出ようと思ったのだ。だが、それを他の人に話すのは気が引けた。もし、話したとしたら何がなんでも阻止しようとする輩が大勢出てくるからだ。
魔王を倒した勇者というのは、良くも悪くも頼られる存在だ。
『魔物が出た』、『盗賊が出た』。そんな話が上がる度に『勇者様! おたすけください!』などと言われるのだ。頼られることに関しては悪い気はしない。むしろ、助けてあげたいとは思う。だが、毎回毎回頼られるのは、御免被りたい。それに、いつまでもおんぶに抱っこな状態は良くない傾向だと思うし、それらの対処を本職とする人たちの生活を邪魔することになる。
平和になった今、真に勇者が必要な場面などそうそうあるものではない。と、言うわけで誰にも知らせずに旅に出ようと思う。
思い立ったが吉日。早速、今夜あたり旅立とうと思う。
だが、元パーティーメンバーに対しては置き手紙の一枚くらいは残しておこうと思う。魔王討伐までの長い道のりでは、苦楽を共にした仲間であるわけだし、共に魔王を倒した戦友だからだ。
こういう時に書く内容は決まっている。その言葉以外には考えられない。その言葉とは、単純にして明快。そして極めてシンプルな魔法の言葉である。元々俺は筆ベタだ。長い手紙をなんてものは書こうと思っても書けるものではない。それに要件を伝えるならシンプルなのがベストだろう。
というわけで早速、手紙を書く。俺は万年筆を手に取って、サラサラと手紙を書き始めた。
♦♦♦
アレクシス王国の王都――アルゴンの貴族街には、とある有名な人物の拠点が置かれている。
異世界出身の勇者ジン・スザキ。
世界を滅ぼさんとする魔王を倒した立役者の一人だ。ジンの家は、魔王を討伐した礼の一つとして、国から無償で譲り受けたものである。国王としては、大貴族の豪邸のよう邸宅を贈ろうとしたのだが、それは彼が固辞した。結果、下級貴族が住むような家を譲り受けたという次第である。
そんな彼の家には現在、三人の少女が訪れていた。彼女らは、探し人がいないことに気付き、部屋の中を改めていた。そして、一枚の手紙を見つけるのであった。
『旅に出ます。探さないでください。
P.Sエリスは連れていきます。 ジンより』
「「「……」」」
手紙を見つけた訪問者の一人――エルーザは、ジンが置いていった手紙を読むや否や、無言でグシャッと手紙を握り潰し、わなわなと震えだした。もし、オーラというものがあるなら、まず間違いなく黒いオーラが立ち上っていることだろう。
エルーザは長い間苦楽を共にしたことでジンに対して、単なる仲間以上の気持ちを抱くようになった。だが、それはある意味必然でもあったとも言える。
この世界の命は軽い。そんな世界にあって、強大な力を持つジンという存在は、本能的に人を寄せ付けるのである。無論、それが恋愛感情に発展するわけではないが。
それに加え、魔王討伐に向かう道中で、何度も命の危機を救われれば、コロッと落ちてしまっても致し方のないことだろう。
そんなわけで、ジンに対して恋愛感情を抱いているエルーザは、何も言わずに適当な内容の手紙一枚だけを残して、置いていったことに腹を立てていた。残りのメンバー二人も、エルーザとまではいかないが、怒りの感情を少なからず抱いている。
「……これは由々しき事態です」
エルーザは握り潰した手紙を机の上に置きながら冷静に努めて告げる。いつもより数段声のトーンが低く聞こえるのは、おそらく気のせいではないのだろう。
「そうね」
「そうなのです」
そして、そんなエルーザの言葉にリーナとアネッサも同意した。
「これは見つけ出して一言……いえ、三言ほど文句を言ってやらなければ気が済みません!」
「私も説教してやるわ。全く一言も声を掛けずに旅に出るなんて!」
「私も我慢ならないのですよ。会ったら夕飯を好きなだけ驕ってもらうのです!」
「……アネッサはやはり食い気なのですね。まあ、そこがあなたらしくて良いところでもあるのですが。それでは、早速行動を開始しましょう。幸いなことに、まだ十数時間しか経っていないので、そんなに遠くには行っていないはずです」
「そうね。……あっ。そう言えばジンのヤツ、白狼と契約したって、この前、言っていなかった?」
「あっ。それなら私も聞きましたですよ? 確か三日前に冒険者ギルドの依頼で向かった森で遭遇して契約したとか」
「そんなことが?! それはマズイことになりました。狼の足で移動されたら簡単には見つかりません」
「とりあえず、森の精霊たちにジンを見てないか聞くのが良さそうね」
「はい、お願いいたします」
そして三人は、互いに顔を見合わせると、誰からともなく、
「「「ふふふ」」」
と、少し不気味な笑い声を上げるのであった。