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ヘヴンズ・ドアー  作者: 浮草堂美奈
第二章 ジャック・ザ・リッパー編
9/112

八話「―なら許可なしで征くまでよ」

 ヘヴンズ・ドアーに現れた幾之助の憔悴した体は、二人の不安を煽るに充分なものであった。

「依子はまだ見つからないあるか?」

 紅玉の言葉に、黙って首を振る。

「そうあるか……。一寸茶を淹れてくるあるよ……」

 エミリーと幾之助を残して、紅玉はカウンターの奥に消える。沈んだ心をどうにかしたいのだろう。

「手がかりもねえのかよ?」

「ある……と言えばあります。しかし、私の一存では決めかねます……」

「如何いう意味だ!? アンタ兄貴だろ!?」

 こつり、とカウンターの奥のドアが開いた。

「そんなにがなるものじゃないわ」

 サマンサである。美しく整えられた爪が、紅玉が持つジャスミン茶の乗ったトレイからカップを一つ取る。

「幾之助にも立場というものがあるのよ。立場が上であれば上であるほど、個人的な感情で動けないし、動いてはいけないわ」

「サマンサさん……」

 テーブルに体重をかけると、軽くきい、という音がした。

「その通りです……。立場上、依子に全力を捧げるわけには参りません……。こうしている間にも、二件の日本人による軍部襲撃事件がありました……。依子を放っている訳ではありません……。しかし、そちらを優先しなければ……。依子はまだ、行方不明になっただけですから」

「店長、あたし達も探しに行くよ。もう三日だ」

 きい、とまたテーブルが鳴る。

「許可できないわ」

「何でだよ!」

「エミリー、聞き分けなさい。大和武士団がやっきになって捜している行方不明者達は、発見された時は如何なっているの? 私は貴方たちの死体は見たくないわ」

「でも……!」

「でもも何もないわ。そもそも、貴方たちに何ができるの? 宛てがあるの? 息巻くだけなら誰にでもできるのよ?」

 各国の軍が出動しても止められない、日本人の暴走。依子もその一人なら……。

「……」

 ガシャンッ。

 トレイを床に叩きつける音が響いた。

「なら許可無しで行くまでよ」

 紅玉だ。

「依子は我の妹も同然ある。本物の兄貴が何もしないなら、我が勝手に捜しだすね」

「ホン……!」

「エミリー、許可が出るまで待つならそうするよろし。立場を気にする兄貴と一緒に、いつまでも待ってればいいある」

「紅玉さん、落ち着いてください。私も何もしていない訳では……」

「閉嘴(黙れ)!」

 紅玉の鋭い声が響く。

「口ばかりであてにならないある。我はもう行くよ。お前はそこで留まってるよろし。腰抜け侍」

「ホン! 待てよ!」

 慌ててその背をエミリーが追う。

 カランカラン、と扉が閉まり、二人は出て行った。

「あ……! お二人とも……!」

 幾之助が慌てて扉を開けようとするが、白い手がそっとその手を止めた。

「放っておきなさい」

「しかし……!」

「あの娘たちの死体は見たくないわ。でも、これで止められる娘達じゃないの」

 ドアのベルがようやく鳴りやむ。

「依子も、そうじゃないかしら?」

「ふう……」

 腕が引込められ、幾之助は店の真ん中の木造りのテーブルに戻る。

「そうです。全く持ってそうです。依子も良い友人を持ちましたね……」

 くすり、とサマンサは笑みを溢す。彼女は揺らがない。

「それでは本題に入りましょう」

「そうね。それがスマートだわ」

 幾之助は、テーブルの上で手を組んだ。

「日本人の暴走は、我々大和武士の手に負えません。よって、ソ連邦KGBに援軍を要請することにしました」

「報酬は?」

「『思い』で支払います」

「『思い』が発生する確信は?」

「あります」

 す、とぬばたまの目が閉じられる。

「我々は、生きるだけで対価となる『思い』が発生します」

 サマンサも目を閉じる。

「分かったわ。この取引、確かにヘヴンズ・ドアーが仲介しましょう」

「既に両軍には伝えてあります」

 暫しの沈黙。ジャスミン茶を静かに啜る。

「……来たようですね」

 こんこん、とドアがノックされる。

「耳の良い奴だな」

 暗き闇にスチールブルーの軍服が立っていた。

「ワロージャ、話は届いていますね」

 無愛想に童顔が頷く。

「勿論だ」

 小さなイヤホン型通信機が、ウラジーミルの頭にかけられた。灰色の瞳の狼が、動き出す。

「現時刻より、作戦を展開する。作戦番号487」

 通信相手からの返事は即座であった。

 ウラジーミルも即座に命ずる。

「第一班、カウント開始、3.2.1」

 ドン

 遠くから微かに爆発音が響く。非常に小さな音だ。しかし、確実に何かが爆破されている。

「今のは?」

 幾之助は苦しげな声を出した。

「我らが城の本丸です」

 珍しく息を呑むのに、続ける。

「このまま行けば落城です。我々日本人ならば、いや、日本人の行方不明者が拘束された状態で無いのなら、落城しそうになっている我が軍の本拠地を見捨てるはずがありません」

 城は日本人の心の拠り所だ。それを爆破するのは、舌を噛むような苦しさだろう。しかし、幾之助はそれを決断した。

「拘束されていたら?」

「拘束を解けなければこのまま落城です。しかし、その可能性は低い」

「何故?」

「こいつらは捕虜になるのを嫌いすぎる」

 イヤホンを付けたまま、ウラジーミルは呟く。

「生きて捕虜の辱めを受けず……」

「以前、ソ連邦にガトリングガンで突入した大和武士は、弾切れで勝ち目が無くなった途端割腹した。結構な美意識だ。理解できん」

「理解は、求めていません」

 とにかく、それは納得した。

「そうね……それなら……きっと」

「必ず、来ます。ワロージャ、続けて下さい」

「Да(了解)。第二班、用意」

 再び微かに聞こえる爆発。さあ、戻って来い、侍たちよ。自らの誠を示せ。


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