表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヘヴンズ・ドアー  作者: 浮草堂美奈
第十章 インカの目覚め編
84/112

八十三話―幾之助、覚醒

 消毒液の中、飯塚幾乃助は眼を覚ました。

 そこは病室ではなく、洒落た客室だった。

 壁に、模写のモナリザが微笑みを浮かべている。

「まあ、死んだ感じはしませんでしたけどね」

 アントンに胃を潰され、左腕を折られた男は、それでもそんな内容を一人ごちた。

 ふいに、葉巻の香りが部屋に流れてきた。

 この香りはハバナだ、と検討をつける。

「アンドレアさん」

 右目に黒い眼帯をあて、真っ赤なコートを羽織った女が、姿を現した。

 赤いルージュは皮肉気に歪んでいる。

「よう。何をトチ狂ってドイツくんだりで死に掛けてやがった」

 幾乃助は微笑んだ儘答えない。アンドレアは深く葉巻を吸った。

「まあ良い。友達のよしみで、貸し一つって事にしてやるぜ」

「私を友達にして下さるんですか?」

 アンドレアは更に皮肉さを深くする。

「おう、男同士の信頼カンケーってヤツさ」

「アンドレア(イタリアの男性の名前である)さんは、大変女性らしいと思いますよ」

「例えば何処が?」

「タフな所が」

 軽くベッドが蹴られる。

「日本人ってのはこれだからいけねえ。イタリア男なら、ここで百は「美女ベッラ」を並べ立てるぜ」

「はあ、生憎と無粋なもので」

 クカカカカ、とアンドレアは笑い声を上げて、ベッドの端に座った。豊満な尻は眼の毒だ。

「半死人、テメエには言っとくぜ。俺はテメエを助けてやった。だが、そいつあ、俺が出そうとしている船とは丸きり無関係だ」

「船? 何をなさるんです?」

 アンドレアはイタリアンマフィア、ロッソファミリーの女ボスである。

 ドイツ沿岸までなんとか逃げ延びたものの、そこで意識を失った幾乃助を、自前の船に拾ったのだろう。

 と、すると此処はおそらくシチリア――。

「言っただろう、無関係だとな。だが、まあ、今夜俺も船出だ。教えといてやるよ。俺達が、スペイン王国と繋がりがあるのは知ってるな?」

「ええ、一応は」

「その国王陛下直々の命令だ。南米はインカ帝国より、国王アタワルパの娘、ダルシアを連れて来いってな」

 現世ではペルーに位置するインカ帝国は、既に滅んだ現世とは違い、未だスペイン領下のインカ帝国として、存在を許されていた。

 しかし、完全なる植民地で、国民は太陽神を崇める事も無く、キリスト教に改宗させられている。

 インカ国民はスペイン人に、略奪の限りを尽くされ、現在は他の地域のインディオと同様、スペイン人より格下の国民とされていた。 

 スペイン王国は、北米こそイギリスに譲ったものの、南米全域を支配する太陽の沈まない国を現在形としている。

「今、インカ帝国の王女をとは……まさか、水質汚染」

「おうよ」

 ヴァルハラの水源ユグドラシルが、張国軒によって毒に侵された件を、幾乃助も承知していた。スイスに生えているユグドラシルを中心に、水質汚染はヨーロッパに広がっている事も。

「国王陛下はビビッて小便も漏らさんばかりだ。そこで、だスペイン国民をインカ帝国を始めとした、南米に全員移住させる気らしい」

「ヨーロッパを捨てると」

「もちろん、極秘だぜ。まあ、俺がべらべら喋っちゃ説得力ねえだろうがな」

 幾乃助は考え込む仕草を見せた。

「貴女は、どうなさるんです」

 アンドレアは大きく手を振った。

「俺たちはお零れに預かれればそれで良い。その為の、姫の輸送だ」

「公にはできない」

「できるもんなら俺達みたいな、ロクデナシとアンポンタンのごった煮に頼むもんかよ」

「はは……」

 ロッソ・ファミリーはイタリアという国家の最大戦力である。軍隊を押さえ込み、警察をひれ伏させる、海賊女王レジーナ・ピラータ、それがアンドレアだ。

 裏社会という点では、対抗できる規模といえば、北米はアンダーグラウンドのカラーギャングぐらいだろう。しかし、カラーギャングの者は皆若輩だ。海と地下、ぶつかり合う事が無いのが御の字である。

「それにしても、その傷、ウラジーミルか?」

 ぴくり、と幾乃助の眉が動く。

 その様子を見て。

「違ぇな。それなら、テメエがそんなに不機嫌そうなはずがねえ。しかし、ウラジーミル以外に、テメエをそこまでボロボロに出来るヤツがいるとは思えねえ。何処のどいつだ?」

「アンドレアさん」

「幾乃助、俺は慈善事業はやりたくねえんだ。そんなものは、バチカンのニコニコ笑顔の皆さんにでも任せておけって話だぜ」

 しん

 静かになった拍子に、ぼたりと、花瓶の薔薇が落ちた。

 花びらではなく、花ごと落ちたのである。

 モナリザは笑っている。

「安心しろ、俺達はテメエをこれ以上助けてやる義理はねえ」

 ようやく、幾乃助は口を開いた。

「……ベルリンの壁が崩壊したのはご存知で?」

「ああ、あんな何もねえ野っ原開通させて、何考えてんのかと思ったぜ」

「そのテロリストにやられました」

「ははあ、読めたぞ」

 アンドレアは葉巻を灰皿に押し込んだ。

「女にやられたな」

「アンドレアさん」

「怒るなよ、からかってる訳じゃねえ。だが、幾乃助よ、そんなに強いヤツを求め続けて、テメエに何が残るんだ」

 幾乃助は、うっすらと、笑った。

「何も残らなくて構いませんよ」

「あ?」

「私は、強きものと真の勝負が出来れば、それさえ出来れば、何も残らなくて良いんです」

 アンドレアは肩を竦める。

「それが侍か?」

「いえ」

 幾乃助は笑う。

「狂人、ですよ」

 今、アントンに受けた傷より、現世で受けた背中の傷が痛んだ。

「へえ、分かってるなら重畳だ。それに、相手も俺達とは関係が無いらしい」

「何処へ」

「出航だよ。もう何時になってるか、時計を見ろ。あん? 止まってやがる」

 アンドレアは席を立ち、かちとも動かない金色の置時計を倒した。

「貴女は、分かるのですか」

「手段も目的も違えど、分かるもんはあるね。じゃあな、幾乃助。針路は遥か南米だ」

「ボンボヤージュ、アンドレアさん」

「お前にしちゃ気が利いてるが、発音がまるでなっちゃいねえ。せいぜい、イタリア料理を満喫しな。チャオ」

 木製のドアが、閉まった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ