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ヘヴンズ・ドアー  作者: 浮草堂美奈
第二章 ジャック・ザ・リッパー編
8/112

七話―淘汰されるべき存在は淘汰されよ

 西暦1888年、イギリスを震撼させた連続娼婦殺人事件。

 ヴィクトリア朝のロンドンの夜をナイフで赤く染め上げた恐怖。

 犯人、未だもって不明!

 通称、ジャック・ザ・リッパー!

 切り裂きジャックとして名高いこの犯人が、ヘヴンズ・ドアーに訪れていたという話に、全員怪訝な顔を返した。

「ジャック・ザ・リッパーは百年以上前の事件だ。何故今頃になって貴女の店に現れる?」

 英国紳士がマナー通り、生ハムの皿にフォークを置き、尋ねる。全員の疑問も同じだ。

「このヴァルハラは一度の死の後、戦士が選ばれ送られる場所……。彼も死んだからとしか答えようがないわね」

「干し肉のような老人がやって来たとでも?」

 サマンサはアメリカンを口に運ぶ。ルージュがカップにキスをする。

「詳しく教えてあげたいのだけれど……」

 その言葉は、はっきりと発せられた。

「彼の正体を明かさない、というのは、オーディンの命令なのよ。淘汰されるべき存在は淘汰されよ、って事ね」

 オーディンとはヴァルハラの主神。

 ラグナロクに向けての戦場の管理者、ヴァルハラの戦士達は、彼と共に終末ラグナロクを戦い、新たな世界の主権を握るために、日々争い合う。

 何故、オーディンの言葉をサマンサが伝えるのか? という謎を抱えた依子だが、サマンサは教えるつもりはないらしい。

 そして彼らは全員、淘汰されるつもりはない。

「しかし、ジャック・ザ・リッパーが現れたのと、今回の事件は関係性を考えづらい」

 ドイツ人が目の前のビールの泡が抜けるのも気にせず、手を組む。話は0に戻る。

「その今回の事件とやらも全容は定かでない。説明を求める、ラインバッハ騎士団副長」

 ウラジーミルの言葉に、ラインバッハと呼ばれたドイツ人は眉を寄せた。

「協力を仰げるか不明な状態で、話せる訳が無いだろう」

「じゃあ帰ってアスパラでも掘ってろよ」

 ワインを呷るアンドレアに、ラインバッハは苦虫を噛み潰したように黙り込む。

「全てのカードを見せる必要はありませんよ。話せる範囲で話して頂ければ、こちらも協力できるか否か分かります」

 幾之助の言葉にラインバッハは表情を相変わらずで、返した。

「飯塚幾之助、お前が持っている情報があるはずだ。それを先に提示してもらおう」

 幾之助は和服の袖で口元を隠した。

「残念ながら、私の情報のどれをお渡しすれば良いのか……。失礼ながら、どういった情報がお望みなのかお教え下さい」

 どん、とラインバッハはテーブルを叩く。

「最近死亡した日本武士についてだ! 尋常では無い死に方をした者がいるはずだ! 答えろ!」

 揺れたテーブルを片手で抑え、幾之助は袖の下で笑みを浮かべたようだ。

「はい……そうですね……。最近、日本人の失踪者が増加しております」

「失踪?」

「ええ。共通しているのは、失踪する理由が全くないという事。ある者は、夜中に、ある者は白昼に、誰にも行方を告げずにふらりと消えています。まるで神隠しですね」

「カミカクシ?」

「千と~は関係なく」

「セント?」

「いえ、そこは無視して戴いて結構です。とにかく、こつ然と姿を消すのです。身の回りの品を持つ様子もなく。失踪ではなく誘拐かもしれませんね」

 ちろり、とラインバッハに目を向ける。

「しかしながら、誘拐の線は薄いというのは、ラインバッハさんの情報で分かるはずです。とにかく、そちらの騎士団に一人向かっていったのは、失踪者の一人ですよ」

「名と素性を」

「あまり必要ないかも知れませんが……島岡庄次、昭和十九年没です。死後、ヴァルハラに来た後は武士の中では凡庸な存在でした。西暦では……ええと……」

「後で調べる。問題ない。その島岡という男の死に様について、持っている情報を述べる」

「青いねえ、鉄血のラインバッハ」

 にやつくアンドレアに、如何いう意味だと聞き返すが、ウラジーミルが頷くのを見ると、「気にせず続けてくれ」とモッツアレラチーズを口に運んだ。トマトが引き立って美味い。

「三日前、我がドイツ軍の宿舎に、単独で侵入した者があった。昼間の事故、団員はほぼ出払っており、非番の三十人ほどの兵士がいるのみだった。しかし、武器銃器は豊富にあり、兵士は全員健康で戦闘経験も申し分なかった。しかし」

 その惨状を思い出したのだろう、表情に影が差す。

「その日本人の武器はナイフ一本。彼は十人以上をそのナイフで刺殺し―」

 弾丸を全身に受けて、右半分の腹部を失いながら―。

「ナイフが折れた後は、残りの我が団員を素手で引き裂いた!」

 幾之助が引き取った死体は、腹が抉れているうえ、左腕と頭蓋骨を骨折して骨が見えていた。

「日本武士達の回答は、そのような攻撃は予定に無いという事だった。詳しく調査をするとも言っていただろう。その情報を教えろ」

 ウラジーミルがウォッカのコップを置く。

「同様の事件が、ソ連軍でも起きている。陸軍演習中に、一隊がやられた。犯人は二人、時代遅れのガトリング・ガンで一隊は粉みじんにされた。犯人はやはり日本人、一人は銃撃で死亡、もう一人は、緊急要請での援軍の到着前に割腹自殺した」

「俺のファミリーでは、犯人は不明だが、船が一つ爆破された。犯人が不明な理由は犯人ごと船が木端微塵になったからだ。ただし、爆破された破片に、黒髪のついた頭皮が残っていた」

「な……」! 卑怯だぞお前達!」

 抗議するラインバッハだが、二人に、「何が?」と白々しく返される。老獪さはある程度は得ておくものだ。

「成程……英国では如何ですか?」

 紳士はふう、と一息吐く。

「我が国では、そこまで悲惨ではないが、やはり、兵士五人が日本人らしき者に殺害されている。他国と違うのは、それが軍内に居た時では無かった事だ。槍一つで向かってきた日本人は、その場にいたイギリス人を殺害後、反撃された銃創によって失血死している」

 幾之助はもう笑みは浮かべなかった。

「左様ですか。ですが、日本武士を代表して述べますと、我々はそのような命令は下しておりません。天地神明に誓って」

 連続する日本人の暴走。

 依子は席を立つと、がたりと音が鳴った。

「如何したの?」

「少し……外の空気が吸いたくて……」

「ああ、お酒のにおいに酔ったのね」

 顔色から察してくれたサマンサに、こくりと頷く。

「すみません……少しだけ……」

 袴姿が扉の向こうに消える。

 夜の闇の匂いが酒場を中和する。

 そして、依子はそのまま帰って来なかった。



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