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ヘヴンズ・ドアー  作者: 浮草堂美奈
第九章 ベルリンの壁編
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七十七話―ナイフ

「――なんで、アンタがこれを持ってる」

 押し殺したようなエミリーの声に、アンドレアは笑って手を振る。

「お前が忘れたからさ。アメリカに」

 皮張りのケースに丁寧にしまわれたそれは、平和の作り手と呼ばれていた。


 十二月の空は、きんと冷えて美しく、星々が木製の店を照らしていた。

 店から零れ出る灯りを除けば、牝鶏の形の金属製プレートのついたガス灯が唯一の灯りだ。

「何人……この店を訪れた?」

 ジャックの問いに、サマンサは軽く背を向けて答える。

「それは……”何年人々は殺し合っていますか?”という問いと同じよ。『everlasting(永遠に)』しか答えは無いわ」

「そうか」

「まあ、別に珍しい質問じゃないけれど、貴方は初めてする質問――」

 サマンサは軽く振り返った。

 目の前に白刃があった。

 ジャックのナイフは大型のハンティングナイフで、革製の鞘と共に腰に常にある。

 一瞬の躊躇いもなく、彼はサマンサの体にナイフを突き立てた。

 本来は背中から胸を刺す予定だったナイフは、彼女が振り返った事によって急きょ位置をずらし、腹部の真ん中に突き刺さった。

 17.8センチのの刃は、柄のみを外に残すのみとなった――反対側は。

 そう!

 サマンサの腹部には、確実にナイフが突き立てられている!

 そのナイフが、腹部の傷口から先端をジャックの方に向けて飛び出ている!

 ナイフがサマンサの腹部に突き刺さった瞬間、真っ二つに曲がり、腹部の肉を切り裂いてまた戻って来たように見える。

 しかしそうではない事は明確だ。

 柄まで入ったはずのナイフの、サマンサの腹部から飛び出てこちらを向いている方は、17.8センチきっかりあると目算できたし。(常に持ち歩いているのだから!)

 何より、サマンサの腹部には、血が流れるどころか、傷口が存在していないのだ!

 日本でメジャーなアニメの、世界中に異次元のトンネルを使って移動できるドアを想像して戴きたい。

 サマンサの腹部のナイフの柄の部分はドアの入り口であり、刃が突き出ている部分はドアの出口である。

 つまり、ナイフはサマンサの体に入った瞬間、サマンサの体から出てきたのだ!

 ナイフが異次元のトンネルを通ったようなものである。そしてそのトンネルはサマンサの体そのものである!

 ピンク色のルージュが孤を描いた瞬間、ジャックはナイフを引き抜いた。

 ナイフは折れてはいなかった。血がついてもいなかった。何より、刺した感触が無かった!

 サマンサは笑った。

「お分かり?」

「ああ。いきなりすまない」

 ジャックは自信があった答案を確認するように謝った。

 サマンサの腹部どころか、エプロンにも血の一滴も無い。

「あのね、ジャック、貴方、私に「これをするな」って”命令”する事もできたんじゃない?」

 ジャックは人間ではない。人型をしたジオラマの”具現化した精神”だ。その目からは元のジオラマの体と同様に、「良心を引きはがした催眠」を行う光が発せられる。

 ナイフを仕舞いながら、ジャックは淡々と言う。

「俺は「食うな」は命令できても、「心臓を止めろ」は命令できない。自分の意志で動かすんじゃない事は、催眠できない」

 簡単な事だ。ジャックは既に催眠を行っていたのだ。ただ、利かなかったのだ。

 サマンサの体は、意志ではなく、呼吸するように攻撃を拒絶するのだ!

「俺には疑問だった。依子達がアンタに攻撃をしかけない事を。アンタはいわばオーディンの手下だ。依子達に取って、アンタは長年仕えた上司であると同時に、最も身近な敵なんだ。それを攻撃しないと云うのは、攻撃できない事を知っているのではないかと思ってな」

「普通にあの子達に聞けば良かったのに」

「彼女達では、情によってやり損なっている可能性もある。正確な検証とは言えない」

「だから、私を刺して確かめたの?」

「ああ」

「依子達に嫌われるとは思わなかったの?」

「思ったんだが」

 ジャックの表情が動いた。

 笑顔だった。

「オーディンに勝つのは、やらなければいけない事ではなく、やりたい事だから」

「ふ……ふふふ」

 サマンサは声を上げて笑った。

「あはははは! やりたいからやっているだけ? それだけなの?」

「ああ。こんな気持ちは初めてだ。俺はオーディンに勝ちたい」

「は……は……あはははは! いいわ。貴方の気に食わないところが改善されたという事だもの。私はずっと貴方が気に食わなかったけれど、今なら依子を任せても良いと言ってあげる。それぐらい、好印象を与えたわよ」

「それは嬉しい」

「ふふ、もう帰りなさい。きっと依子は察しているわ。貴方の生き生きとした顔を。帰って安心させてあげなさい」

「分かった」

「信じられないでしょうけど、応援しているわよ。良い事を教えてあげたっていいわ。”絶対の盾”を持つヴァルキリーはね、世界で私だけなのよ」

 ジャックは帽子を軽く脱いで挨拶し、牝鶏の下を歩いて行った。


「この俺をメッセンジャーとして使うなんざ、大した度胸だぜ。なあ?」

 エミリーはケースの中を、見つめる。

「なんでだ。なんでアンタがこれを持ってる」

「何べん聞くんだよ」

 ケースの中には、二丁のピースメーカー(リボルバー銃)。

 エミリーの本来の愛銃が入っていた。

 アメリカ大統領を撃って逃げたエミリーが、アメリカに残してきた銃だ。

「っていうか、本来聞くべきは、”何故俺が?”じゃねえはずだ」

 アンドレアは葉巻を左手に、顔をぐっと近づける。

「”お前に何をしろと言っているか?”を、テメェは聞かなきゃならねえ、そして」

 その顔も、また笑っていた。

「そいつは聞くまでもなく察しがついている事だ。なあ、アイアンファミリー」

 一言一言、聞かせる。

「アメリカにはお前が必要だ。それは中立地帯のこの店に居る事と、両立できない。Chi troppo vuole nulla stringe(二兎を追う者は一兎をも得ず)だ。なあ?」

「何でアンタが……」

「どうだって良い事を随分気にするなあ。ああ、お前はアメリカ南北戦争で死んだから、俺達の仲良しさを知らないんだな。ごく普通に、俺達はずっと仲が良いんだよ。現世の前の大戦でシチリア島に連合国を入れてやった時からずーっとだ。大親友なのさ、一緒にムッソリーニをぶちのめし、お祝いのケーキを焼いたんだ」

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