七十三話―テロル
「ハインリヒ、あれは何だい?」
金髪の女騎士団長に、副騎士団長は溜息交じりに答える。
「あれはベルリンの壁だ。あの巨大な壁から東側が、東ドイツと呼ばれ、実質ソ連の支配下にある。姉さん、少しは常識というものを――」
「素晴らしい博識さだハインリヒ! 君を弟に持てた事を、心から神に感謝する!」
「……」
こんな台詞を心から言うクリスティーナには、黙り込む以外できないのである。
三日前。
「アントン、今どこにいる?」
顎鬚を生やした男が、公衆電話で小声で話す。
『挙動不審だと疑われますよ、ラースロー』
「誰、が、だ! っつーかホントに何処にいんのお前。此処いっぱい人いるぞ。待ち合わせに向いてねえだろ、如何考えても!」
『なあに、すぐに会えます。あなたはこの電話を切ると同時に能力を発動し、一目散に逃げねばならなくなる」
「はあ!?」
『そして私があなたを見つけるのは酷く容易だ。何せ、あなたしか人間は残らない』
「おい! アントン! まさか―」
優雅な相手は一方的に電話を切った。
「クソッ!」
ラースローは周囲を見渡した。
既に前兆があった。
建物の壁ががギシギシと嫌な音を立てている。
「あんのバカ!」
同時だった。
コンクリート製の分厚い壁は、ゆっくりと地面から浮き上がり、床がついで剥がれてめくれ上がる。
ラースローは片腕を降り、跳ねる。
次の瞬間、銀色の馬が出現した。
剣のような硬い鋼の体が大きく盛り上がった馬だ。
出来立てのステーションに突如現れた騎馬兵と、崩壊する建物。全てが混乱の元だった。
鋼の馬は勇ましき嘶きを上げると、浮くのを停止した壁に突撃する。
ついで爆発。
建物内に居た者は、鋼の馬が壁に体当たりすると同時に爆発し、破壊された壁から直前に飛び降りたラースローが脱出したのを目撃しただろう。
しかし、ラースローの脱出と共に、”浮く壁”という現象は消失した。
すなわち、大地を震わせ崩れてきた東ドイツの誇りたるステーションに、中にいた全員が押し潰されたのだ。
同時刻日本、ソビエト国境付近。
灯りのない夜戦は不可能だ。
しかし、この二人なら可能だ。
矛盾を証明するのは、辺りに転がる四つの死体である。
生きているのは、日本武士団所属飯塚幾之助。ソビエト連邦KGB所属ウラジーミル・グリゴーリビッチ・グリーシャ。
死んでいるのは、日本武士団から二人、ソビエトKGBから二人。
生者の距離は2メートル程度から0ミリ。
影も見えぬ二人が交差し、また離れる。
それは飯塚幾之助の方が確実に速く、事実、彼が握る白刃は確実にウラジーミルに傷を作っている。
その傷は瞬く間に再生し、再生を待たず拳を幾之助に向って繰り出している。
外れた拳が、幾之助の背後の小さな崖を砕いた。化石が出そうな程硬質な壁は、人の頭ほどの大きさに凹んだ。
当たれば肉体がこのようになる拳を避けつつ斬りかかる。
声は無い。
相手の息遣いと、殺気、物音。
それのみで二人は戦っていた。
常人ではない戦い。
それが突如破られた。
「Да」(ダー)
僅かな機械音と、何かに答えるウラジーミルの声。
次の瞬間、戦いは止んだ。
ウラジーミルが逃走したのだ。
当然、幾之助は追走にかかった。
しかし、足止めを食らわされた。
手榴弾を投げつけられたのだ。
爆発を足止めに使う。否、足止めにしか使えない。
実力の怪物は笑みを漏らした。
「ふ……ふふふ……ふふふふふふふ」
溢れ切れぬ高揚が溢れ出る。
「あの人、また、強くなっている……」
飯塚幾之助は強い男を殺したい。
己の刃によって、斬り裂きたい。
そして、自分も殺されたい。
死に一番近いところで、限界になりたい。
飯塚幾之助は剣士ではない。
剣豪という名の雄である。
飯塚幾之助が切り結んでいる頃。
「―以上で、話は終わりだ」
ジャックはエミリーより詳細を聞いていた。
「そうか」
「リアクションが薄いな、おい」
「いや……」
いつもの陰気な印象を与える自覚がある顔には、変化が出ていない。
「その……だ。薄ら感づいてはいたんだ」
「Oh! どういう意味だ?」
アメリカ娘らしいリアクションに、考えながら答える。
「その、だ。戦士が現れる地域が、あまりに偏っていると思っていた」
「ん?」
「このヴァルハラに来る条件は、人を殺す事を……なんというか、抵抗が無い人間が死んだら、だろう。それなら分かるんだ。現世よりだいぶ小さいとはいえ、確かに世界各国にヴァルコラキとしてヴァルハラに送られている」
「Yes、ぶっちゃけ一般兵なら世界中にいるな。だが、戦士は……飛び抜けて強い奴は確かに――」
「ああ、ヨーロッパに偏っているんだ。俺が出会っただけでも、ヨーロッパの戦士は大体二十人程度。――まあ、俺が知らない戦士もいるだろうが。それに比べて、中国はあんなに大規模なのに、二人程度、しかし、日本人の戦士は既に三人会っている。日本のような小さく人口の少ない国なのに、だ。北米には六人いると確認。こちらは、逆にあんなに広く人口も多いのに日本の倍だ。さらに、南米、アフリカ、東南アジアは全く出会っていない」
「そうだな。あたしも知らねえ」
「俺が疑問に思っていたのは、北欧諸国だ。ヨーロッパの中でも戦士が集中して存在している。死んだアールネも入れれば、フィンランド、スウェーデン、デンマーク、アイスランド。ノルウェーを除けば全ての国に一人戦士が存在する。完全に集中している。これをずっと疑問に思っていた」
「お前……そんなん調べてたのかよ」
「無職だからな。話を戻そう。この戦士の集中が、オーディンの手によるものだとすれば納得がいくんだ」
「この世界の主、オーディンは―」
「そう、北欧神話の神だ。つまり、オーディンはこの世界でどの国が新たな世界の覇権を握るか、ゲームをしている。その際、自分に取って馴染みがある国を、贔屓しているんじゃないかと思う」
「待てよ! それじゃ、最初から新しい世界の覇権の主は決まってるのか!?」
「それはない。それじゃ、ゲームとして面白くないからだ。ラストが見えているゲームは面白くない。オーディンは純粋に楽しむ為にやっている、それが分かるのが、日本にも集中している事だ。俺達外国人が、日本と聞いて何が浮かぶ?」
「まあ、ぱっとだと、寿司、侍、芸者、忍者、腹切り、神風……」
「そうだ。日本風に言えば、キャラが映えるんだ。個性的なキャラクターが出ている方が、ゲームは面白い。日本人というのは、その点に秀でている」
「つまり」
「現世で死んだ人間が、ヴァルコラキになるか戦士になるかは、オーディンの気分次第ということだ。その結論に至る事で、俺はこの世界がオーディンのゲームだと納得する」
長い話になったな、と頷く。
「で、それは、お前は面白いか?」
ふ、とようやくジャックは笑みを漏らした。
「人生を玩具にされて、楽しい訳がない。オーディンには、嫌な思いをして貰いたい。だが、ゲームがどうすれば終了するのか分からない以上、今は目の前の毎日を生きていくしかない。それが」
僅かに笑う。
「俺には幸福なんだ」
エミリーは軽快な笑い声を上げた。
「同感だ」
笑みがまた消える。
「確かなことは、オーディンは不真面目だという事だ」
「不真面目?」
「調べれば解る事を調べないんだから。幾ら遠くたって、国がどんなものかくらい調べればすぐ分かる」
「Oh! 理解できたぜジャック」
「ああ、エミリー。だが、言わせてくれ」
ぐ、と握りこぶしを作る。
「不真面目な奴には、真面目にやれば勝てる」
ふひ、とエミリーはまた笑った。
「それより紅玉は大丈夫か? 家族を全て失って――」
「ああ、依子がついてるからな。あいつは何か良い事言う訳じゃねえし、サイパンに生きる意味ってのを落っことしちまってるが―。話の聞き方が上手い。聞いてほしい所を質問し、後はただ静かに微笑みながら相槌を打つ。お前が依子に惚れたのも、そこだろう」
「!」
「あいつの効果はすげえぞ、あたしと紅玉はあいつが来るまで、ただの同僚だったんだからな。まあ、聞いてくれよ、大した話じゃねえが、出会った時の話をさ」




