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ヘヴンズ・ドアー  作者: 浮草堂美奈
第二章 ジャック・ザ・リッパー編
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六話「―吹っ飛んで頂く事となっております」

アメリカンカントリーのテディベアが小首を傾げる棚の下、紅玉は店長であるサマンサに詰め寄った。

「快気祝い渡すよろしー!」

さらりと返答。

「おめでとうと言っておくわ」

「形あるものが欲しいある!」

なおも詰め寄る紅玉だが、サマンサは軽く聞き流してエプロンをしゅるりと解く。

ソ連の巡視船事件から一か月、折れたあばらが完治した紅玉は今日も元気いっぱい守銭奴だ。

「そんなに沢山欲しいとは言ってないね! ただ肖像画の描かれた紙五枚くらいとか、そういうものが欲しいある!」

「仕方ないわねえ……依子、そこのメモ帳にイラストでも描いて」

「わ、私そんなに絵は上手くはありませんっ」

急に話題がふられて慌てた返答をする。

「そういう問題じゃないあるー!」

なおも取りすがるが、サマンサはなおも気に留めない。軽く涙目になっているのを、エミリーは呆れ以外の感情を持たずに眺める。何故なら関係ないからだ。

エプロンが木製のクローゼットにかけられる。

「今夜は私、出かけるから、依子に鍵をお願いするわ」

「は、はいっ」

更に茶色いコートを着込みだした。

「テンチョ、労災も払わずに何処行くか?」

「病院代はあげたでしょ。そろそろお迎えが来る頃よ。さあ、襲われたく無かったらその手を放しなさい」

「襲っ!?」

「冗談よ」

ふふ、という笑みと同時に、ドアのベルが鳴る。相変わらずサマンサは読めないな、という思考を止め、エミリーはドアを開いた。

「よお、準備は済んでんだろうな!」

深紅のコートに、黒の上下という洒落た格好でアンドレアが無遠慮に入ってくる。ようやく紅玉は諦めて手を放す。まあ、明日も同じ光景は繰り返されそうだが。

「あのっ」

やや頬を紅潮させて、依子が話しかける。如何しても気になるという様子だ。それはそうだろう。店長サマンサは、全てが謎に等しい女なのだから。

「何処にお出かけになられるのでしょう?」

「兄ちゃんから聞いてねえのか?」

意外そうに問い返すと、依子はますます頬を紅潮させる。

「は、はい、兄も今夜出かけるとの事でしたが……」

集会だよ、集会。ヴァルハラにおける意見交換のパーティだ。まあ、美味い酒と飯にはありつけねえけどな。あのスイス女、俺のワイン持ち込みを断りやがった」

イタリア人らしい大げさな手振り身振りの説明を聞き、また「スイス女……?」と首を傾げる。

「会場はスイス人経営の酒場でやっているからね。それにしても、お喋りが過ぎるんじゃない? アンドレア」

「この店は箝口令の下に落ちた訳じゃねえだろ? 隠すほどの事じゃねえよ。なんなら連れてってやれ」

サマンサはうーんと首を傾げるが、やがて頷き。

「そうね。お兄さんも居る事だし、依子も一緒に行く?」

「は、はいっ、宜しければ」

突然の提案にまた慌てた依子だが、すぐに頷いた。

あの家では二次元にばかり生きている兄の行動もやはり気になっていたらしい。何せ幾之助は収入源すら不明だ。一応、日本武士団家老らしいが、たびたびふらりと何処かへ出かけて行く以外は、基本的に漫画とアニメとフィギアに滾っているだけである。

「じゃあ、鍵は紅玉に頼むわね」

「あたしは?」

「エミリーはかけ忘れが心配だわ」

差別待遇に不満を覚えるが、実際に何度かあった事なので、何も言えず、唇を尖らせるだけに終わる。

「さあ、依子、行きましょうか」

「車で部下を待たせてる」

高級なイタリア車が、夜道を滑った。


着いた場所に、依子はポカンと口を開けた。

「此処……教会ですよ?」

ステンドグラスで聖母マリアや磔刑のキリストが描かれた建物に、躊躇なく車は停まる。

「気にすんな。中身は酒場だから」

十字架を見上げて依子はでも……と躊躇うが、何事も問題ではないようにサマンサ達が礼拝堂に入っていくのに気づき、慌てて追いかける。

「ま、待って下さい……っ。え?」

 またポカンと口を開けるのも無理はない。

 礼拝堂にはカウンターとテーブルが設けられ、赤い照明が下品に光る。しかし、カウンターに立っているのは、シスター姿の女性だ。

「此処は……」

 外の厳粛な雰囲気は取り払われ、木製のテーブルには、ビールやウィスキーの瓶が置かれている。

「だから酒場よ?」

 しずしずと、カウンターの六十がらみのシスターよりだいぶ若い、二十代ほどのシスターが近づいてくる。

「いいえ。此処はあくまで礼拝堂です。お布施を頂き、慈善活動として飲食を提供しているのです」

「はあ……」

 腑に落ちない話だが、そこのテーブルでポーカーをやっている男は信徒で、飲んでいるウィスキーは神の慈悲で、支払われた金はお布施らしい。

 ちかちかと赤い照明の下落ち着かず辺りを見回していると、袴姿の男が目に入り、思わず声をあげた。

「お兄様!」

 袴姿の兄、幾之助も驚いてテーブルから立ち上がった。和服姿が場にそぐわない。あたかも何かの仕事中のような雰囲気だ。

「依子、何故此処に……」

 サマンサがにっこり笑う。

「職場見学よ」

 ははあ、としばし黒髪を掻いていた幾之助だったが、隣の男の「五月蠅い、座れ」の言葉に仕方なく席に着く。

 よく見ると隣はウラジーミル大尉(通称ワロージャ)だ。ウォッカのグラスを口に運んでいる。

 他に席に着いているのは、金髪のがっちりした体格の男と、白い口髭を丁寧に整えた老紳士、傍にメイドが控えている。ちぐはぐな顔ぶれだ。

「全員そろったようだな」

 老紳士の言葉に、アンドレアも席に座る。

「全員? 足りなくねえか? エスパーニャだの、アンクル・サムだの、スピッツだのは如何した?」

「欠席というのも一つの回答だ。美食漬けで頭にも脂肪が回ったか」

「上等な口利くじゃねえかイワン。豚の餌しか食ってねえんだろ? 久々の人間様の食事だ、喜べよ」

 アンドレアとウラジーミルほど険悪な言い合いをする必要はないが、確かに、欠席というのも回答だ。一切の負債は負わないが、全ての負債の手助けも無い、という立場。

「サマンサさん、依子も座って下さい」

 ようやく、幾之助の言葉で席に座る。おそるおそる。

「ところで、BARは置いてきましたよね?」

 幾之助が深刻そうに問うのを怪訝に思いながら、はいと答える。

「それは良かった」

 何か胸を撫で下ろしているのがなお怪訝だと思っていると、アンドレアが「その内分かる」とニヤリと笑う。

「では、予定外の方も居るが、今から集会を始める。とはいえ、質問は一つしかない」

 一番若い金髪の男が切り出した。真面目な性格らしく、付け加える。

「この会話は我がドイツ軍に全て提出する。それを踏まえたうえで正直に話すことを求める」

「俺もだ」

 ウラジーミルもウォッカを置く。

「俺も大ソ連邦の代表として列席している。会話は全て報告させて貰う」

 メイドにエールのグラスを下げさせると、老紳士も話す。

「私も大英帝国の一員としてこの場に居ることを言っておこう」

 ふー、とアンドレアはシスターが持って来たワイングラスを飲み干す。

「どいつもこいつも下っ端寄越しやがって。頭が出て来いよ、頭が」

「貴様のようなヤクザ家業と違って、忙しいんだ、通常はな」

 先日の件で一触即発と云ったアンドレアとウラジーミルに不安そうな顔をするが、サマンサは笑みを崩さない。

「大丈夫よ。この酒場では、口論以上はできないわ」

 ドイツ男がまた口を開こうとするが、突如襲ってきたグラスが割れる音に会話は止まった。

「てめえ、いい度胸じゃねえか!」

「何だァ? 刺してみろよ、オラよッ」

 向こうのテーブルだ。ポーカーをやっていた男達が口論の末、一人がナイフを持ち出した。

「け……喧嘩……」

 ぎらつく刃に慌てる依子だが、他は平然としている。

 そこに先ほどの若いシスターが近づく。

「何だよ、尼は引っ込んでろ!」

 ナイフをちらつかせるのに、依子は更に慌てる。しかし、シスターは淡々とした口調でこう告げた。

「当教会は、我が祖国スイスに従い、絶対中立となっております。全てに味方を致しません。全てを敵に回しません」

 小さなリモコンのようなスイッチをシスターは取り出すと、スイッチを押す。

 ドオン

 椅子とテーブルに爆発が起きた。騒いでいた男たちは肉体を引き裂かれ、飛び散る。

「よって、この教会での争いは、絶対中立の立場に従い、吹っ飛んで戴く事になっております」

 血や肉片が飛び散った酒場に、クカカカカと云うアンドレアの笑い声だけが響く。

「久方ぶりにやりやがった」

 何事も無いように清掃を始めるのを依子が呆然と見つめる中、再びドイツ人は切り出した。

「話を続けよう。最近、妙な客を扱っていないか?」

 問いはサマンサに向けられたものである。

 未だバラバラになったテーブルを見つめる依子の頭を、軽く撫でると、サマンサは答える。

「扱ったわ」

 続けられた言葉で、ようやく依子は現実に帰ってきた。

「ジャック・ザ・リッパーよ」


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