五十八話―大和撫子の憤怒
戦慄く唇。
震える空気。
燃える瞳。
「戦死者を出さない……?」
ジャックは頷く。
「それは味方の軍にですか?」
依子はまだ怒鳴らない。しかし、着火点は近い。
「いや……」
ジャックは珍しく洗脳以外の意図で人の目を見た。
「敵も含めて、だ」
「敵を殺さない?」
依子は、小さく「ころさない、ころさない」と呟いた。
着火。爆発。
「自らも敵ものうのうと生き延びて、何の為の戦でありますか!?」
絶叫。
「依子」
「戦とは殺すために行うのです。そうでなくば己が死ぬのです。どちらかに死を与えるために、戦とは存在するのです」
「依子、落ち着け」
「戦において死ぬに非ずんば、私たちは」
「依子」
「何のために死んだのですかアッ!」
ヘヴンズ・ドアーは戦を受け入れる、狂人のみの世界。
殺し合いで死んだ者が、死後の世界でも戦い続ける。
天上の戦場――それがヴァルハラだ。
依子は怒鳴り続けた。
「敵を殺さずんば、己が死ぬべし、さもなくば、父祖に顔向けができません!」
「それは」
紅玉とエミリーがジャックの両肩を掴む。
「何言っても聞こえないね」
「ジャパニーズのよくある思想だ。連中は殺すか死ぬかしか頭にねえ。勝ち負けなんて頭からすっぽ抜けてる」
「我達も大概頭おかしいあるが、日本人は著しくおかしいね。何、こう言えばいいだけある」
二人の声が揃った。
「「上官の命令であります」」
依子はぴたりと止まった。
そして、ひくくと顔を引きつらせた。
「死地は別のところにありますか?」
「ああ、そう――」
次の瞬間、ジャックはエミリーと紅玉を振りほどき、依子を抱きしめた。
「生きてくれ。頼む」
「ジャックさん……」
突き飛ばされる。転がる。
「私の死を、あなたまで否定なさるのですか!」
それはまさにいつも浮かべるアルカイックスマイルの別の顔。
阿修羅の表情であった。
それに対して、ジャックは酷く陰鬱な
「死を否定してるんじゃない」
聖者のような表情を浮かべた。
「生を肯定しているんだ」
暫く、ふーふーと息遣いのみ響いた。
「車を」
依子は珍しく、笑みをまったく浮かべていない、よくわからない表情で言った。
「車を出してください」
そのまま、六人乗りのオープンカーというアメリカ人しか分からない発想の車のトランクに、乱暴に死体を投げ入れた。
「OK、君たちも乗ってよ」
運転席に、今まで傍観していたアダムが乗り込む。
その助手席に、依子は「失礼します」とだけ言って座る。
「Oh……」
アダムは何か言いたそうにしたが、黙った。
エミリーががっとジャックの肩を掴んだ。
「Nice!」
「我達も時間かかったよ。あれ鎮めるのは」
ジャックは小声で問う。
「君たちは、どうやって、止める方法を知ったんだ?」
ふと、真面目な顔に二人はなった。
エミリーは赤毛を掻き上げて、首筋を見せた。
紅玉はチャイナパンツの裾を捲りあげて、太ももを見せた。
明らかに、何か凄まじい力で引き裂いたであろう、傷があった。
「そういうこった」
「女の過去詮索する良くないね」
そのまま、二人は最後尾に座った。
ジャックも真ん中のシートに座ろうとした。
その耳元に、囁き声がした。
「ジャック」
「ダニエル、何だ?」
何度も弟に殺され続けながらも傍を離れようとせず、それでいて他者には至極サディスティックに、そして享楽的に振る舞うこの男が、ジャックは苦手意識を抱いていた。
「あなたは、異端です」
「異端?」
「このヴァルハラにおいて、異端です。その思考は現世では普通であり、このヴァルハラでは」
離れ際に更に囁かれる。
「ありえない、思考です」
そのまま、ダニエルはシートの真ん中に座ると、長い脚を組み、ジャックに「お座りくださいませ」と促した。
ネクラーサはブリタニアからの電話を取った。
「ああ、分かっているよ。派手すぎるこたあしないさ」
立ったまま、モデルのように立ち直す。
「あたしらの狙いはあくまでKGBだ。いや、言い直そう、ウラジーミルだよ。ソ連最強のあの番犬さえ、屠っちまえば、ソ連の戦力は大きく崩れるのさ」
また、何か話す声。
「用意周到だねえ。あたしゃ、そんな事しなくても、ロビンに殺られちまうと踏んでるんだが。ああ、悪いね。楽観はしてないよ。ただ、あの小娘を、頭のねじの焼き切れたロビン・ファン・ヒューリックをちっとばかし買ってるのさ」
少し、苛立った声。
「分かってるよ。カナダは英連邦の長女だろ? 釘を刺しときゃ抜ける事ぁまずないさ」
少しの会話の後、電話は切れた。
また、かけ直した。
「通信できてるかい? うん、重畳重畳。じゃあ、改めて言わせて貰おうか」
急に、声から婀娜っぽさが消え、軍人らしい張りを帯びた。
「独立のために流すロシアの血潮は、小麦のかでとなり、やがては海に流れ込み、魚を生むだろう! ウクライナ独立の時は今にかかっている! さあ! 撃鉄を起こせ!」




