五十七話―死んだはずの生存者
ジャックは沈黙を貫いた。
これを言ってしまえば、彼女は逆上する。
運転中にそれでは交通事故を起こす。
そういった現実的理由で。
地下通路の、入口にその男は立っていた。足元には何やら大きな布包み。
「Hi、久しぶりだね!」
友好的態度に、全員が逆に警戒した。危ない橋を渡り続ける奴らである。
「アダム……!」
それは先日のアンダーグラウンドでの戦いで、殺し合った相手。
アンダーグラウンドの王の片割れ、アダム!
その双子の片割れたる、ダニエルを間接的に殺害したヘヴンズ・ドアーの面々に、心から友好的態度を取れるはずがない!
「また一戦か?」
ジャックの問いに、笑って首を振る。
「何をいってるのさ。君たちは僕らに勝ったんだ。値上げしない料金で、このアンダーグラウンドを通り、僕らに運び屋をやらせる権利があるよ」
「しかし、お前の兄は――」
アダムの笑みが、崩れない。
「あ、ダニエルなら、今、来るよ」
今来る?
彼は極めて平静な口調。いや、むしろ明るい口調で言った。
死んだはずのダニエルが、今来ると。
「幽霊でも来るあるか?」
紅玉が皮肉気に口角を吊り上らせる。しかし、その態度は、明らかな警戒。
しかし、問答無用に、靴音が響く。
こつり、こつり、と革靴の音が。
人影が網膜に映りだす。
暗闇から、黒いジャケット姿の男が現れる。
金色の髪。
宝石のように美しい、青い瞳。
バランスの取れた細身。
どこか気だるげな表情の左頬に、真紅の薔薇の刺青。
ぞっとするような美貌の男。
そして、アダムの鏡写しのように同じ姿―頬の薔薇と表情を除いては。
「何故……生きている……」
声が途切れた。
質問はとっさだった。
「May I ask your name?」(君は誰だ?)
ジャックの英語にダニエルは軽く指を振った。
「You are one's pronunciation is bad.Excuse my abrupt question, but where are you from?」(発音が悪うございます。失礼ながら、どちらのご出身ですか?)
見事なアッパークラスの英語だった。アダムのカリフォルニア訛りとの、明らかな相違点。
「本物だ。イラッときた」
眉を潜めて肯定するエミリーの言葉に、納得する他ない。
「で、何で生きてんだ? ジャック、走馬灯は確かに見えたのか?」
「間違いない。確実に。奴は死んだ」
兄弟の歪な関係の生涯、それは確実に見えた。それは、確かに死の瞬間にジャックに流れ込んでくる、死人の生涯だ。
「別に初めてじゃないしね。これから君たちを案内するのは、そこだよ」
「そこ?」
ダニエルが言葉を続ける。
「死者を蘇らせる医者の元に、あなた様方をお連れ致します」
「気を付けてねー、その人、ヴァルハラで一番の狂人だから」
笑いあう双子。
死者を蘇らせる。
そんなバカげた話を信じろというのか。
信じるのだ。
確実に死んだはずのダニエルが生きているのだから。
信じるほかに術はない。
「生き返らせるには条件があってね。死後二十四時間以内である事。肉体の損傷が致命に至るまで著しくない事。ダニエルはじわじわ失血死させたから、傷は致命傷ほど深くなかったんだよ」
「聞きたくねえよ」
エミリーが片手でシッシと払うポーズをする。
「まあ、聞きなよ。それから」
ダニエルが足元の布をまくった。
「死んで二十四時間以内の別の人間の死体、でございます」
そこには、頭がい骨を見事に割られた男の死体。
顔は潰れていて分からないが、かなりの長身だ。
「あなた方の提供ですか?」
眉一つ動かさず、依子は問うた。他は一瞬だけ息を吞んだ。
「ソ連からの頂きものでございます。何故、協力して下さるのかは分かりませんが」
「あ、後ね、一番重要なモノ!」
双子が指を一本立てる。
「その死人を愛する人の血液!」
「別段大量には必要ありません。一垂らしあれば十分」
ジャックは大いに納得した。
「成程」
「何が成程、なのですか?」
依子が表情を隠す笑みを浮かべたまま問う。
「店長の命令だ。今回は、一人も戦死者を出すな、と」
依子の笑みが消えた。
次に浮かべた表情は、明らかな憤怒だった。
ダイヤル式の電話がじりりりと鳴る。アンティーク調のそれを軽く手に取る。
「Hi、こちらヘヴンズ・ドアー」
「ソ連を利用、しくさりましたわね、サマンサ」
相手の上品なのか下品なのか分からない言葉に、微笑む。
「ええ、時間稼ぎありがとう、ブリタニア。おかげでロビンを足止めもできたし、ウラジーミルも呼べたわ」
「何故、ロビンと店員の小娘たちを殺り合いさせなかったのでございますか?」
女の声に、クスリ、と返す。
「可愛い女の子は殺したくないの」
「ウクライナ革命軍と、ソ連KGBはそれに乗じてドンパチやっても赦せるのに?」
「いいのよ。だってあの娘たちは知らないまま終わるだろうし。ロビンの護衛にウクライナが着いてくれると、安心だわ。それがうちの店員たちを殺さないようにKGBがついてくれるとなお安心」
「てめえでぶっ殺させれば宜しいでしょうが」
「ああ、それね」
サマンサはコーヒーを啜る。アメリカンだ。砂糖とミルクもたっぷりの。
「今回、あの娘たちには誰も殺さず、誰も殺されずにしなさいって言ってあるの」
「サマンサ、あなた、何を考えて――」
ブリタニアの声に電話越しの動揺が感じられる。サマンサは優雅に、蝶のように笑う。
「大英帝国の女王様の策略を、思いっきりぶっ壊すのって、最高にハイでクールだと思わない?」
見越している。
今回の事が、フィンランドとウクライナを味方につけ、ソ連崩壊の突破口にしようという企みである事を。
そして、更にヘヴンズ・ドアーの店員たちを、ロビンに殺害させようという意図もある事も。
「あの医者がいるカナダには、治療不許可の命令を出します!」
「あらそう、頑張ってね」
ガチャン、と受話器を叩き付ける音が耳元に響いた。
「愉快な子」
サマンサは、コーヒーブレイクに戻った。




