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ヘヴンズ・ドアー  作者: 浮草堂美奈
第四章 人魚の歌編
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三十七話―作戦通り

 車を運転しながら、ウラジーミル大尉は告げる。その言葉遣いには無愛想さがにじみ出ており、噛んで含めるとは言い難かった。しかし、内容は分かりやすかった。

「阪口を貴様に引き渡す。その後の処遇は如何する?」

「処遇?」

 和泉は聞き返す。助手席で垂らしている尻尾は、水分が足りず鱗が乾いていた。

「ああ、貴様はソ連に属する。今後の身分は軍人となるだろう。貴様本人は戦士としてソ連軍の一員となり戦う。しかし、阪口は如何する? 軍人たる貴様と共に暮らすのか? 牢にでも繋いでおくのか? あるいは――」

 事もなげ

「殺すのか?」

「阪口さんは――」

 言葉を発したその時だった。

 突如、目の前が赤く染まった。

 炎だ。

 それを認識した瞬間、和泉はこじ開けられたドアから放り出される。

 こちらに体を伏せさせてドアを開けたウラジーミルと目は合わなかった。道路に叩きつけられ、尾びれが痛みで動きを停止させる。

 地面はアスファルトで固まっている。潮の香りが漂っている。海が、見える。船着き場だ。

「日本で張ってて良かったぜ」

 精悍な声と同時に、車がバンと音を立てて炎上する。ガソリンに引火した!

 炎がゴジラに襲われたかのように噴き出す。

「大尉!」

 悲鳴を上げたが、笑い声でかき消された。

「おお、確かに人魚だ」

 またしても笑い声。おずおずと振り返ると、コート式の軍服を纏う、大柄な白人の若者。そして軍服だが、別の軍服を纏った白ひげの老人が立っている。

 老人は太った体を軽く揺らした。

「和泉君かね?」

 愛嬌のある笑顔に、おそるおそる頷く。老人は髭を撫でる。

「わしはフィンランドの元帥、アールネ・ラーティノヤ。こっちのやかましいのは、これ、そろそろ笑いやまんか」

「おお、悪い悪い。イェンス・イェンセン、デンマーク国王だ。お前の祖国で王様やってる。よろしくな!」

 差し出していない手を強引に掴み、振られる。イェンスにはそれが常態であるようで、気にしていない。

「早速だが、行こうか」

 アールネの微笑みに慌てて首を振る。

「和泉……ッ、取引……」

「あの男なら居場所を確認してあるよ。いや、彼も君を探しているようだ。ほっほ、会いたいかね? わしらと一緒に彼の元へ行かないかね?」

 目を大きく見開く。

「会いたい……、でも大尉……」

 イェンセンが車を指さす。余裕の調子である。

「あんな燃えてるんだぜ? 死んでるに決まってんだろうよ」

 しかし、アールネからは笑みが消えた。

「どうしたよアールネじいさん?」

 アールネは返事をせず、無言で古いマスケットを構えた。

 骨董品と呼んでいいその銃は、車に向けて弾丸を吐き出す。

 燃えている車を撃つ事に何の意味があるのか? その疑問は湧く余地がない。

 キン、という空気が冷える音。

 車から炎が消え、全体が凍りつく。

 言葉もない和泉に、「特殊な弾を使っていてね」と教え更に「こいつじゃないとこの弾は扱ってくれないんだ」とマスケットを見せる。そして、即座にもう一弾詰めはじめる。

「おい、じいさん、念入りすぎ……、まさか」

 イェンセンの言葉が途切れる。

 金属が軋む音。

 砕けるドアにびっしりついた霜。

 ウラジーミル大尉が、車から何事もないかのように出てくる。

「頑丈だね、お若いの」

「フィンランド軍元帥、これは手間が省ける事だ」

「手間? 何の話かね」

「貴様を殺して、フィンランド侵攻を容易にする、ということだ。ご老人、そろそろ木製のベッドが恋しかろう」

 抜かれる特殊警棒。

「そこのうるさい王と共に、ゆっくり眠るといい。土をかけるのは残された者に任せてな」

「なに、若い者には荷が重い事も多い。少し荷を軽くしてやるのも年寄りの役目だよ。君も昇進して退役できた方がいいだろう」

 はじける殺気。マスケットに突っ込まれる弾籠めの索状。

「面白くなってきやがったなあ」

 イェンセンがアクアビットの瓶を取り出す。

「お前も出てこいよ」

「不意打ちが叶うと思うな」

 突如かけられた声に、一瞬の間。そして、姿を現す袴に黒髪の男。

「よくお気づきで」

 廃車となった車の陰の茂みから姿を現す、飯塚幾之助。

「いつからお気づきですか?」

「最初から付けていただろう」

「おやおや、やはり私には忍者のスキルはないのですね」

 肩を軽く竦める。

「さて、和泉さん。私も阪口さんと引き合わせることができるようになった訳ですが、日本武士に付きますか?」

「ふざけるな、俺についてきただけだろうが」

「お前もだ! 捕まえたのは俺たちだぞ!」

 三すくみ、となりそうなこの事態。確かに、阪口を「引き渡す」ことはこの場の誰もに可能だ。手段は如何であれ、全員阪口の元にたどり着いた。最初に位置を突き止めたのはデンマーク、フィンランドだが、それを利用してはいけないなどと規定はしてない。何より、まだ和泉と阪口は会っていない。取引は、『和泉と阪口を会わせる』ことだ。

 しかし、和泉の中にはエミリーの案のこの言葉がある。

『捕まえた国が気に入らなければ、何かその国にあるものと、自分の身柄を他国と交換させる。勿論、それで納得する国は無いから、和泉を巡って国同士戦争状態になるだろう。その隙に乗じて、逃げる』

 気に入らない、訳じゃない。

 目的と合わないだけだ。

「次の取引、する」

 ぽつりと言ったセリフに、全員が和泉に向き直る。

「和泉と何かを交換しあう。和泉の代わりに何か、を手に入れて、納得できる国は、それで、降りて」

 特殊警棒を肩に担いだウラジーミルの表情が消える。

 そのまますたすたと背を向けて歩き出す。

 全員の顔が意外に固まる。まさか、この条件なら納得するのか? という疑問が湧く。

 ウラジーミルが電柱の横に立つ。

 そして、地響きのような絶叫が響いた。

「ふ、ざけるなああああッ」

 次の瞬間、ウラジーミルの足が電柱に叩きつけられた。常人なら足が折れる。

 しかし、彼の場合は電柱が折れる。

 表情が無くなったのは、あまりの怒りに作ることができなくなったためだったのだ。その証拠に、今は歯を食いしばり、目を見開き、誰が如何見ても大激怒である。彼は蹴り折った電柱を掴むと、そのまま思いっきり反動をつけて、やり投げの要領で、投げた。

 電線が千切れ、人を容易に押し潰す質量が飛び込んでくる。狙いは和泉からは外れているが、幾之助とイェンセン、アールネはしっかり攻撃範囲内だ。潰れる!

と思った瞬間、響いた、遠吠え!

「WOWWOWWOWWOWWOWWOWWOー!」

 電柱が切り裂かれた訳ではない。

 切られたのは、電柱の背後の樹木だ。

 幾ら何でも電柱は切れない。故に、樹木を切って電柱に当て、軌道を逸らした。

「やあ! 和泉君、計画通りだね!」

「クリスティーナさん……っ」

「助かった……」

 思わず顔を綻ばせる。幾之助と、イェンセン、アールネは生還を実感する。

 姿を現すクリスティーナ、彼女は快活にこう言った。内容は予想できていない事だった。

「しかし和泉君、計画通りなのはこれまでなんだ! よく考えたんだが、やっぱり嘘はいけないからね! 叶えるつもりのない約束をしてはいけない!」

 和泉がポカンとする。

「そういう訳で、君が彼らの戦争に紛れて他国に渡るのは阻止させてもらうよ! 簡単な事だったよ、戦争をさせなければいいんだ!」

 狼の毛皮を纏った掌から、指がピンと立てられる。

「この場で戦いを終わらせてしまえばいい! この場にいる全員を叩きのめしてしまえば、君に阪口さんを『引き渡す』人はいなくなるよね! 途中までは『人の助けを借りた』けれど、最後は『自分で阪口さんの元にたどり着いたことになるよね! なんせ、まだ君は彼にひきあわされていないんだから!」


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