三十七話―作戦通り
車を運転しながら、ウラジーミル大尉は告げる。その言葉遣いには無愛想さがにじみ出ており、噛んで含めるとは言い難かった。しかし、内容は分かりやすかった。
「阪口を貴様に引き渡す。その後の処遇は如何する?」
「処遇?」
和泉は聞き返す。助手席で垂らしている尻尾は、水分が足りず鱗が乾いていた。
「ああ、貴様はソ連に属する。今後の身分は軍人となるだろう。貴様本人は戦士としてソ連軍の一員となり戦う。しかし、阪口は如何する? 軍人たる貴様と共に暮らすのか? 牢にでも繋いでおくのか? あるいは――」
事もなげ
「殺すのか?」
「阪口さんは――」
言葉を発したその時だった。
突如、目の前が赤く染まった。
炎だ。
それを認識した瞬間、和泉はこじ開けられたドアから放り出される。
こちらに体を伏せさせてドアを開けたウラジーミルと目は合わなかった。道路に叩きつけられ、尾びれが痛みで動きを停止させる。
地面はアスファルトで固まっている。潮の香りが漂っている。海が、見える。船着き場だ。
「日本で張ってて良かったぜ」
精悍な声と同時に、車がバンと音を立てて炎上する。ガソリンに引火した!
炎がゴジラに襲われたかのように噴き出す。
「大尉!」
悲鳴を上げたが、笑い声でかき消された。
「おお、確かに人魚だ」
またしても笑い声。おずおずと振り返ると、コート式の軍服を纏う、大柄な白人の若者。そして軍服だが、別の軍服を纏った白ひげの老人が立っている。
老人は太った体を軽く揺らした。
「和泉君かね?」
愛嬌のある笑顔に、おそるおそる頷く。老人は髭を撫でる。
「わしはフィンランドの元帥、アールネ・ラーティノヤ。こっちのやかましいのは、これ、そろそろ笑いやまんか」
「おお、悪い悪い。イェンス・イェンセン、デンマーク国王だ。お前の祖国で王様やってる。よろしくな!」
差し出していない手を強引に掴み、振られる。イェンスにはそれが常態であるようで、気にしていない。
「早速だが、行こうか」
アールネの微笑みに慌てて首を振る。
「和泉……ッ、取引……」
「あの男なら居場所を確認してあるよ。いや、彼も君を探しているようだ。ほっほ、会いたいかね? わしらと一緒に彼の元へ行かないかね?」
目を大きく見開く。
「会いたい……、でも大尉……」
イェンセンが車を指さす。余裕の調子である。
「あんな燃えてるんだぜ? 死んでるに決まってんだろうよ」
しかし、アールネからは笑みが消えた。
「どうしたよアールネじいさん?」
アールネは返事をせず、無言で古いマスケットを構えた。
骨董品と呼んでいいその銃は、車に向けて弾丸を吐き出す。
燃えている車を撃つ事に何の意味があるのか? その疑問は湧く余地がない。
キン、という空気が冷える音。
車から炎が消え、全体が凍りつく。
言葉もない和泉に、「特殊な弾を使っていてね」と教え更に「こいつじゃないとこの弾は扱ってくれないんだ」とマスケットを見せる。そして、即座にもう一弾詰めはじめる。
「おい、じいさん、念入りすぎ……、まさか」
イェンセンの言葉が途切れる。
金属が軋む音。
砕けるドアにびっしりついた霜。
ウラジーミル大尉が、車から何事もないかのように出てくる。
「頑丈だね、お若いの」
「フィンランド軍元帥、これは手間が省ける事だ」
「手間? 何の話かね」
「貴様を殺して、フィンランド侵攻を容易にする、ということだ。ご老人、そろそろ木製のベッドが恋しかろう」
抜かれる特殊警棒。
「そこのうるさい王と共に、ゆっくり眠るといい。土をかけるのは残された者に任せてな」
「なに、若い者には荷が重い事も多い。少し荷を軽くしてやるのも年寄りの役目だよ。君も昇進して退役できた方がいいだろう」
はじける殺気。マスケットに突っ込まれる弾籠めの索状。
「面白くなってきやがったなあ」
イェンセンがアクアビットの瓶を取り出す。
「お前も出てこいよ」
「不意打ちが叶うと思うな」
突如かけられた声に、一瞬の間。そして、姿を現す袴に黒髪の男。
「よくお気づきで」
廃車となった車の陰の茂みから姿を現す、飯塚幾之助。
「いつからお気づきですか?」
「最初から付けていただろう」
「おやおや、やはり私には忍者のスキルはないのですね」
肩を軽く竦める。
「さて、和泉さん。私も阪口さんと引き合わせることができるようになった訳ですが、日本武士に付きますか?」
「ふざけるな、俺についてきただけだろうが」
「お前もだ! 捕まえたのは俺たちだぞ!」
三すくみ、となりそうなこの事態。確かに、阪口を「引き渡す」ことはこの場の誰もに可能だ。手段は如何であれ、全員阪口の元にたどり着いた。最初に位置を突き止めたのはデンマーク、フィンランドだが、それを利用してはいけないなどと規定はしてない。何より、まだ和泉と阪口は会っていない。取引は、『和泉と阪口を会わせる』ことだ。
しかし、和泉の中にはエミリーの案のこの言葉がある。
『捕まえた国が気に入らなければ、何かその国にあるものと、自分の身柄を他国と交換させる。勿論、それで納得する国は無いから、和泉を巡って国同士戦争状態になるだろう。その隙に乗じて、逃げる』
気に入らない、訳じゃない。
目的と合わないだけだ。
「次の取引、する」
ぽつりと言ったセリフに、全員が和泉に向き直る。
「和泉と何かを交換しあう。和泉の代わりに何か、を手に入れて、納得できる国は、それで、降りて」
特殊警棒を肩に担いだウラジーミルの表情が消える。
そのまますたすたと背を向けて歩き出す。
全員の顔が意外に固まる。まさか、この条件なら納得するのか? という疑問が湧く。
ウラジーミルが電柱の横に立つ。
そして、地響きのような絶叫が響いた。
「ふ、ざけるなああああッ」
次の瞬間、ウラジーミルの足が電柱に叩きつけられた。常人なら足が折れる。
しかし、彼の場合は電柱が折れる。
表情が無くなったのは、あまりの怒りに作ることができなくなったためだったのだ。その証拠に、今は歯を食いしばり、目を見開き、誰が如何見ても大激怒である。彼は蹴り折った電柱を掴むと、そのまま思いっきり反動をつけて、やり投げの要領で、投げた。
電線が千切れ、人を容易に押し潰す質量が飛び込んでくる。狙いは和泉からは外れているが、幾之助とイェンセン、アールネはしっかり攻撃範囲内だ。潰れる!
と思った瞬間、響いた、遠吠え!
「WOWWOWWOWWOWWOWWOWWOー!」
電柱が切り裂かれた訳ではない。
切られたのは、電柱の背後の樹木だ。
幾ら何でも電柱は切れない。故に、樹木を切って電柱に当て、軌道を逸らした。
「やあ! 和泉君、計画通りだね!」
「クリスティーナさん……っ」
「助かった……」
思わず顔を綻ばせる。幾之助と、イェンセン、アールネは生還を実感する。
姿を現すクリスティーナ、彼女は快活にこう言った。内容は予想できていない事だった。
「しかし和泉君、計画通りなのはこれまでなんだ! よく考えたんだが、やっぱり嘘はいけないからね! 叶えるつもりのない約束をしてはいけない!」
和泉がポカンとする。
「そういう訳で、君が彼らの戦争に紛れて他国に渡るのは阻止させてもらうよ! 簡単な事だったよ、戦争をさせなければいいんだ!」
狼の毛皮を纏った掌から、指がピンと立てられる。
「この場で戦いを終わらせてしまえばいい! この場にいる全員を叩きのめしてしまえば、君に阪口さんを『引き渡す』人はいなくなるよね! 途中までは『人の助けを借りた』けれど、最後は『自分で阪口さんの元にたどり着いたことになるよね! なんせ、まだ君は彼にひきあわされていないんだから!」




