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ヘヴンズ・ドアー  作者: 浮草堂美奈
第四章 人魚の歌編
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三十五話―飼われてる外人さん

 くるくると天上から下げられた風車が回る。

 赤いガラス玉と赤い風車の中に、水色の打掛が流れる。

「誰?」

 和泉は澄んだ声で問うた。

 記憶の限り、和泉は阪口さん以外の人間の記憶は無かった。

 かすれたテレビで見るのが、人間と云うものだった。

 硬質な液晶の向こうに居る小さなものと違い、その七,八歳くらいの少年は

 生きていた。

「ヒロシいうよ! 外人さんいつからおるん? 此処は危ないから入ったいけんって母ちゃんが言うとったよ」

「ずっと……」

「ずっと?」

「ずっと……、いた」

 和泉は気づかなかった、己が涙を流している事に。

 少年が慌ててTシャツで頬を拭おうとして、ようやく、汗のにおいで気づいた。

「くさい」

 少し、笑った。

 

 少年は阪口さんが「町での危険度ナンバー1」と呼ばれていて、「シャブの売人」をやっている男だと言っていた。

「なあ、何で外人さん、此処におるん?」

 少年はまた聞いた。

「忘れちゃった……」

「お父ちゃんとお母ちゃん何処におるん?」

「デンマーク」

「知らんなあ」

 少年は首を二、三度振ったが、分からないようだった。しかしはっと思い出した。

「サッカー強い国や!」

「そうなの?」

「うん!」

 和泉は少年にビスケットを渡した。

「また来てくれる?」

「友達も連れて来るき!」

「ありがと」

 少年はまた植え込みを潜り抜けて去って行った。

 和泉は縁側で暫くぼう、と空を見上げて寝転がった。

「ともだち、どんなのだろ」

 打掛の裾にアキアカネが止まり、阪口が帰ってきた。

「おかえりなさい」

 阪口はいつもの日焼けした顔に、黄色いギザッ歯を見せた。

「おう、ただいま。今日はじゃことねぎいれた卵焼きじゃけの」

「卵焼き、嬉しい」

「箸用意しとけ」

「はい」

 茶色い塗りのお箸を出すと、阪口さんは魚のあらを入れた味噌汁と、卵焼きをと白米を持って来た。

「美味しい」

「そうか」

 阪口さんは魚の頭にかぶり付くと口の中で幾度も噛んで、骨を吐き出した。

「阪口さん」

「何じゃ」

「和泉、どれくらい此処に居るの?」

 阪口はいきなり眉を寄せた。

「何じゃ、どないした」

「何でも無い」

「ほうけ」

 今度は白米が口に入った。

「ずっと」

 それが返答なのはよく理解できた。

「ずっと……」

 和泉の足首には、赤い紐が結わえられている。和泉は魚のあらの、むき出しになった骨を見つめていた。


 翌日、ヒロシはまた来た。

「これ友達のヤスな!」

 ヤスと呼ばれた少年は、同じくらいの年ごろで、ヒロシよりやや小さかった。

「これ、ヤスの妹のカエデ!」

 カエデは小さなボンボンを揺らして「こんにちは!」と甲高い声で挨拶した。

「ヤスとカエデ、友達?」

「違う。カエデはまだ下っ端やから、友達に入ってない」

 よく分からなかった。

「可愛いね」

 笑いかけると、カエデはちょっと頬を紅潮させた。

「お兄ちゃん、この外人さんなんて名前なん?」

 ヤスは少し体をびくりとさせた。

「自分で聞けアホ!」

「えー」

 もじもじとしている間に、自分で答えた。

「和泉」

「いずみ?」

「和泉」

「何か日本人みたいな名前やなー」

「外人さんやのにな」

 本当の名前は、もう、忘れてしまった。

「じゃあ和泉さん、今日はお菓子ないんか?」

 ヒロシの言葉にまた笑顔を取り戻した。

「あられあるよ」

「祖父ちゃん家行ったみたいなチョイスやなー」

 それから少し話をした。

 あられはさくさくとお腹に納まった。

「じゃあ、和泉さん、そこから出てないん?」

「うん」

「紐で繋がれてるん?」

「うん」

「他の人に会わんの?」

「うん」

「何や飼われてるみたい」

 飼われてる。

「ヒロシ兄ちゃん、失礼やろが!」

 テレビで見たペットたちは、紐で繋がれて、家に入れられていた。そして飼い主達はとてもその子を大事にしていた。

「うん」

 にこり、と和泉は笑った。

「和泉、飼われてる」

 

 それから、毎日三人は来た。ある時は向こうがおやつを持って来たし。ある時はヒロシの家のごんを連れてきた。ごんはふわふわの雑種犬で、和泉は抱っこしようとしても、嫌がられて出来なかった。

「ごん、和泉、嫌いかな?」

「すぐ慣れるわ! おれん家来た時もこうやったからな! 明日また連れて来る!」

 ヒロシは汗をごんの毛で拭うと、「余計べたべたなった」と言って笑われた。

 

 その晩、和泉はテレビを見ながら、阪口さんに聞いた。

「女の人は、どうしてこんなに男の人と違うの?」

 阪口さんは冷酒を飲みながら、ああ、と呟いた。

「女は孕むからな」

「はらむ?」

「そや。孕んで、子供を産みよる」

「じゃあ、良いんだね」

 阪口さんは途中まで飲んでいた酒を流しに捨てた。

「良うない。あれは産むから、まんこで男を誑かす。まんこに銜え込む事しか考えとらん。タチの悪いもんじゃ」

 カエデも将来タチが悪くなるのだろうか。和泉にはとてもそうは思えなかった。


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