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ヘヴンズ・ドアー  作者: 浮草堂美奈
第三章 可愛い天使編
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二十八話―エゴイスティック

「お前、賢くないね」

 エレオノールの自ら行った説明。

 それは愚かを極める事。

「ジャック、チェーンソー執事を狙うよろし」

 唸り声を上げるチェーンソーの下を、屈んで走り抜ける紅玉が言う。

「分かった」

 ジャックは、チェーンソーの軋る中、懐に飛び込んだ。

 チェーンソーは大ぶりな分、間合いが広い。しかし、小技が利かないという弱点を持つ。

「加勢するぜライミー」

 ジャックに気を取られて、そちらにチェーンソーを振り下ろした瞬間、エミリーの二丁のリボルバーが火を噴いた。

 ジルベールの背中と足に二つの穴が空いた。

「クソッ」

 しかし、ジルベールは苦鳴を少しあげただけで、即座に体を回転させ、チェーンソーを走らせた。

「弾が当たったんなら倒れろよ!」

 逆になった背後をジャックが狙う。

 ジルベールが使っていたより大柄なサバイバルナイフ、それが執事服の背中に深々と突き刺さった。

 次の瞬間、ジャックは呻いた。

 娼館に帰れないクリスマスが頭に流れ込んできたからだ。

「忘れられない、とはこういう事かッ」

 思わずナイフを引き抜いて座り込む。

 双子の悲痛や希望が頭を氾濫する。

「ジャック!」

 凄まじい記憶の濁流はいきなり止まった。

 そして、流れ込んできたのはまた別の記憶だった。

 どこまでも可愛い、エレオノールの記憶だった。


 エレオノールは欲しい物を集めた。

 フランス革命で死亡した貴族、ヴァルハラで手に入れたのは、綺麗なお城と、ドレスと、髪飾りと、ヒールと、ネックレスとそれから――。

 キリがないわ。

 だが、エレオノールはそれが全て自分の物ではない事を知っていた。

「パパンは誰のもの?」

「パパンはママンのものだよ、エレオノール。永遠にね」

 エレオノールは知っていた。

 パパンがそれらをエレオノールに与えるのは、ママンに与える代わりに与えているのだと。

 同じ革命で死んだママン。

 でも、ママンはヴァルハラには来なかった。

 小さなエレオノールは、自分だけのものを探す。

 宝石、ぬいぐるみ、ボンボン、ショコラ。

 そしてついに見つけた。

 クリスマスプレゼントの双子の兄妹。

 彼らはエレオノールだけのものだった。

 純粋にエレオノールだけを愛してくれた。

 パパンはお嬢様付執事とメイドにしてくれたが、彼らがオーストリア人である事と、何より粗野な言葉づかいと態度に良い顔をしなかった。

 でも、それが逆にエレオノールには嬉しかった。

 煌びやかな闇に落ち窪むシミのような光。

 エレオノールの、所有物。


 それが流れ込んできた意味を、ジャックは顔を上げて理解した。

 エレオノールの首を、匕首が深々と斬り裂いていた。

 何か言いたげに動いたさくらんぼのような唇は、代わりに血を吐き出した。

 そのまま、ジルベールの方を、見た。

 青い宝石のような瞳はジルベールをじっと見て。

 うっすらと涙を浮かべた。

「お嬢様アアアア!」

 倒れ行くエレオノールに、ジルベールは飛びついた。

 チェーンソーは投げ捨てられて、のた打ち回るように跳ねて、止まった。

「お嬢様、泣かないでください! 痛いですよね! 笑って下さい! まだオペラを食ってないでしょう! ジャンヌが紅茶を淹れますから! だからだから」

 絶叫。

「死なねえでくれよお嬢様アアッ」

 エレオノールは最早、二度と動かない。ジルベールは叫んだ、咆哮した。それでも、もう、二度と動かない。

 泣いて遺体を抱きかかえるジルベールに、依子は問うた。

「先ほどのエレオノールさんの説明は本当ですか?」

 ジルベールは泣くだけで返事をしなかった。

 事実であると判定できた。

「依子、待――」

 制止は聞かない。

 その金髪の頭を銃弾が撃ちぬいた。

「寂しくないすよ、俺も、ジャンヌも一緒……」

 その言葉を最期に、ジルベールは死んだ。

 亡骸はエレオノールを守るように覆いかぶさっていた。

「何故だ! 何故撃った!」

 ジャックは叫んだ。依子に向かって。引き金を引いた女に向かって。

「その男はもう戦意なんて無かった! 生きても後7日だけだった! 俺が刺した傷も深かった! それを何故撃った!」

 硝煙の香りを纏った依子は、亡骸を見下ろした。

「7日あれば何人でも殺せます。この男は敵ですから、殺します。エレオノールを失った彼が廃人になったとして、それが味方を殺せないと言えますか? 殺す機会があれば、殺す戦力があれば、殺すしかありません」

 ジャックは思わず依子の胸倉を掴んだ。

 女の胸倉を掴むのは初めてだった。その相手がこんな小柄な少女である事等、予想だにできなかった。

「君には……正義が無いのか」

 依子の声が、初めて、激しくなった。

「欲しい物を奪い取りたいから戦争するんです。勝たなければ何をされても文句等言えません。勝ちたいから殺すんです。殺さなければ殺されます。殺したいから殺すんです。憎いから殺すんです。奪いたいから殺すんです。欲しいから奪うんです。戦争に」

 激しい声は空気を震えさせた。

「正義なんて必要ない!」

 ぽつぽつ、と雨が降り始めた。

 雨音も聞こえないほど、依子の息は荒かった。逆にジャックは息が出来なかった。

「少し頭を冷やして帰ります」

 それだけ言って、依子は瓦礫の山から歩き出した。

 遠くなっていく背中を追わず、ジャックは二人の亡骸に、瓦礫から引っ張り出したシーツをかけた。



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