二十八話―エゴイスティック
「お前、賢くないね」
エレオノールの自ら行った説明。
それは愚かを極める事。
「ジャック、チェーンソー執事を狙うよろし」
唸り声を上げるチェーンソーの下を、屈んで走り抜ける紅玉が言う。
「分かった」
ジャックは、チェーンソーの軋る中、懐に飛び込んだ。
チェーンソーは大ぶりな分、間合いが広い。しかし、小技が利かないという弱点を持つ。
「加勢するぜライミー」
ジャックに気を取られて、そちらにチェーンソーを振り下ろした瞬間、エミリーの二丁のリボルバーが火を噴いた。
ジルベールの背中と足に二つの穴が空いた。
「クソッ」
しかし、ジルベールは苦鳴を少しあげただけで、即座に体を回転させ、チェーンソーを走らせた。
「弾が当たったんなら倒れろよ!」
逆になった背後をジャックが狙う。
ジルベールが使っていたより大柄なサバイバルナイフ、それが執事服の背中に深々と突き刺さった。
次の瞬間、ジャックは呻いた。
娼館に帰れないクリスマスが頭に流れ込んできたからだ。
「忘れられない、とはこういう事かッ」
思わずナイフを引き抜いて座り込む。
双子の悲痛や希望が頭を氾濫する。
「ジャック!」
凄まじい記憶の濁流はいきなり止まった。
そして、流れ込んできたのはまた別の記憶だった。
どこまでも可愛い、エレオノールの記憶だった。
エレオノールは欲しい物を集めた。
フランス革命で死亡した貴族、ヴァルハラで手に入れたのは、綺麗なお城と、ドレスと、髪飾りと、ヒールと、ネックレスとそれから――。
キリがないわ。
だが、エレオノールはそれが全て自分の物ではない事を知っていた。
「パパンは誰のもの?」
「パパンはママンのものだよ、エレオノール。永遠にね」
エレオノールは知っていた。
パパンがそれらをエレオノールに与えるのは、ママンに与える代わりに与えているのだと。
同じ革命で死んだママン。
でも、ママンはヴァルハラには来なかった。
小さなエレオノールは、自分だけのものを探す。
宝石、ぬいぐるみ、ボンボン、ショコラ。
そしてついに見つけた。
クリスマスプレゼントの双子の兄妹。
彼らはエレオノールだけのものだった。
純粋にエレオノールだけを愛してくれた。
パパンはお嬢様付執事とメイドにしてくれたが、彼らがオーストリア人である事と、何より粗野な言葉づかいと態度に良い顔をしなかった。
でも、それが逆にエレオノールには嬉しかった。
煌びやかな闇に落ち窪むシミのような光。
エレオノールの、所有物。
それが流れ込んできた意味を、ジャックは顔を上げて理解した。
エレオノールの首を、匕首が深々と斬り裂いていた。
何か言いたげに動いたさくらんぼのような唇は、代わりに血を吐き出した。
そのまま、ジルベールの方を、見た。
青い宝石のような瞳はジルベールをじっと見て。
うっすらと涙を浮かべた。
「お嬢様アアアア!」
倒れ行くエレオノールに、ジルベールは飛びついた。
チェーンソーは投げ捨てられて、のた打ち回るように跳ねて、止まった。
「お嬢様、泣かないでください! 痛いですよね! 笑って下さい! まだオペラを食ってないでしょう! ジャンヌが紅茶を淹れますから! だからだから」
絶叫。
「死なねえでくれよお嬢様アアッ」
エレオノールは最早、二度と動かない。ジルベールは叫んだ、咆哮した。それでも、もう、二度と動かない。
泣いて遺体を抱きかかえるジルベールに、依子は問うた。
「先ほどのエレオノールさんの説明は本当ですか?」
ジルベールは泣くだけで返事をしなかった。
事実であると判定できた。
「依子、待――」
制止は聞かない。
その金髪の頭を銃弾が撃ちぬいた。
「寂しくないすよ、俺も、ジャンヌも一緒……」
その言葉を最期に、ジルベールは死んだ。
亡骸はエレオノールを守るように覆いかぶさっていた。
「何故だ! 何故撃った!」
ジャックは叫んだ。依子に向かって。引き金を引いた女に向かって。
「その男はもう戦意なんて無かった! 生きても後7日だけだった! 俺が刺した傷も深かった! それを何故撃った!」
硝煙の香りを纏った依子は、亡骸を見下ろした。
「7日あれば何人でも殺せます。この男は敵ですから、殺します。エレオノールを失った彼が廃人になったとして、それが味方を殺せないと言えますか? 殺す機会があれば、殺す戦力があれば、殺すしかありません」
ジャックは思わず依子の胸倉を掴んだ。
女の胸倉を掴むのは初めてだった。その相手がこんな小柄な少女である事等、予想だにできなかった。
「君には……正義が無いのか」
依子の声が、初めて、激しくなった。
「欲しい物を奪い取りたいから戦争するんです。勝たなければ何をされても文句等言えません。勝ちたいから殺すんです。殺さなければ殺されます。殺したいから殺すんです。憎いから殺すんです。奪いたいから殺すんです。欲しいから奪うんです。戦争に」
激しい声は空気を震えさせた。
「正義なんて必要ない!」
ぽつぽつ、と雨が降り始めた。
雨音も聞こえないほど、依子の息は荒かった。逆にジャックは息が出来なかった。
「少し頭を冷やして帰ります」
それだけ言って、依子は瓦礫の山から歩き出した。
遠くなっていく背中を追わず、ジャックは二人の亡骸に、瓦礫から引っ張り出したシーツをかけた。




