二十三話「―「エルのよ!」
「お嬢様、今日のお茶菓子はオペラで良いすか?」
メイドの言葉の不躾さにも、その少女は全く笑みを崩さず、それどころか歓声を上げた。
「オペラは大好きよ! ジャンヌもそうでしょ? 後で一切れ食べさせてあげるわね」
「ありがとうございます」
無邪気な声は止まない。
「ジャンヌにあげるなら、ジルにも上げないと不公平ね」
「あいつは別に良いような気もするんですけど」
「ダメよ! ジャンヌもジルも平等! 平等に」
決定事項。
「エルのよ!」
艦は粛々と白波を立て、欧州大陸に向かっていく。
司令官室から出てきた幾之助は、クリスティーナを見ると首を横に振った。
「やはり見つからないようです」
「……そうか」
「ええ、そのメイドと執事に該当するようなフランス人は、何処の記録にも残っていないとの事でした」
「……黒幕が分からない事には……この作戦は使えない……」
船が少し、揺れた。
「占拠地まで一日かかります。待ちましょう」
その女は紫煙をくゆらせながら、丸々と太った足を組み替えた。
「残念だけどね、此処はイタリア領だよ。KGBの証明より金を持って来て、女を買って枕語りから根気よく聞きだすんだね」
軽くトカレフが向けられるも、女は動じない。
「必要なのは股の間のピストルだよ、坊や」
「『貴女の為に赤い薔薇を買って来た』」
ぴくりと眉が動く。
「『それからルビーのブレスレッド。二人を繋ぐ手錠には、赤が望ましいだろう』」
女は鼻から煙を吹くと、仕方なく煙草をもみ消した。
「ボスの紹介か。なら仕方ないね。ただ、今度は札を持ってきな。コインで買えるほどうちは安くないよ」
「高い金を出してイタリア産を買わなくても、豚なら間に合ってる」
「娘達に言わなきゃね、剃刀は忘れるなって」
階段奥の名簿置場に入っていくウラジーミル大尉を見ながら、やはり日本城に行って正解だったな、と。軍曹は思う。
ただ、多少不躾ではあったな、と先ほどの行為を回想しながら。
「おいお前達、女性にとって最も隠蔽したい過去とは何だ?」
「セクハラは訴訟あるよ。KGBから予算出るか?」
日本城の座敷で七ならべをしている四人の元に、ウラジーミルが訪れた理由はこうであった。
「お前達なら女性と言う性であるだけで、肩書ではないから問題ない」
「どういう意味だコラ!」
威勢よく答えながらも、トランプを置かない紅玉、エミリーとは対照的に、姿勢を正した依子であったが少し赤面して俯いた。
ジャックは如何にも思いつかないようで、トランプを置いて思案する。
その思いつかないのがおかしい、と言った風にエミリーがスパンと言った。
「ウリだろ」
「ウリ……売春か」
紅玉もハートの5を出しながら言う。
「そんな事誰でも分かるよ。わざわざそんな事聞きに来たあるか。現役でやってるならまだしも、堅気になったのならまずばらすないね」
さくさくと答える二人と、気まずい沈黙をする二人、見事に別れた。
「依子、あんな本読んでるのに何が恥ずかしいんだよ」
「そういう事もかなり隠蔽したい事実です! お願いします!」
「あんな本……?」
「お気になさらないで下さいジャックさん! 大したことでは、ちっとも大したことではありませんので!」
必死の依子に軽く後ろに下がりながら、ジャックは頷く。と、いうより頷かないといけない気がした。
「そうか」
「メイドの方から探ってみてるか?」
「その質問は拒否する。では、お前達も準備をしておけ」
再び、襖が閉まった。
右手の人差し指でちょいちょい、と手招きされ、軍曹は回想をやめた。
「オーストリア人だ、軍曹」
「は」
「双子の男女の名前が載っている。金髪や、顔形など、全てが揃っている」
「ヨハンナ・プロハスカ、ギルベルト・プロハスカ。ジャンヌとジルベールのドイツ語読みですな」
「ダー。日本城に伝えろ。30分以内に【お嬢様】を調べ当てるから、武器を出せとな」
「ホットワインが飲みたい……」
「我慢しろ。あのドイツ人共が来るまでの我慢だ」
フランス兵たちは陣地を張り終え、小休止中である。
寒い。
花が咲き乱れる、正確には咲き乱れていた、季節だったのにその荒野は酷く寒かった。
「それにしても不思議な場所ですね。潮風がこんなに当たるのに、塩分に弱い花も咲いていたなんて」
「全くだな。俺が先に見つけていたら、可愛い女の子に丸ごとプレゼントしてたよ」
はは、と笑いが漏れる。
その笑いが消えるまで、後一日。
頼みの綱のメイドと執事は、現在――。
その少女は、とても可愛かった。
十四ばかりであろう年頃の若い肌は真珠のように輝き。
青い瞳はまるで宝石のようにきらめき。
すんなり伸びた手足に、華奢な体を淡い桃色のドレスで包んでいる。
ゆるくウェーブした金髪を結い上げた様は、あたかも人形のようだ。
「フランス人形……」
思わずため息を漏らした依子に、ジャックは何かを言いかける、がやめる。
「如何なさいました?」
「……よく知らないが、日本人形も美しい、らしい」
「……」
お互い、赤面。
「はいはい、めんどくさいやり取りそれで終わりよ」
紅玉がさっくり割って入ると、ぼーっとしている少女に声をかけた。
「意識はあるか?」
さくらんぼのような唇から声が発せられる。
「うん……。エル……一緒に行くの……」
不可解な言葉、しかし、紅玉の言葉が説明となる。
「はい、よろしよろし。ジャック、洗脳解けぬよう頑張るよ」
フランス軍大幹部の娘、エレオノールの拉致、成功。
メイドと執事が追ってくるのに一日はかかるだろう。




