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ヘヴンズ・ドアー  作者: 浮草堂美奈
最終章 天上の戦場編
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番外 家庭は私に向いていない

いつもご覧くださってありがとうございます。リクエストにお応えして、飯塚依子と幾之助の日常話。この兄妹はホントにどうしようもないですね。

ぼた雪がぐっしょり脹らんで、だらしなく降り続いている。

 白黒に分かつべき空を、いらぬ水分。

「いやらしいこと」

 依子はよい具合に冷めた湯呑を差し出す。

 幾之助はおぼつかぬ手で受け取り、ぐびぐびと飲み干す。

 焼酎の香りがこたつにしみこんでいる。

 ぐいのみ一杯分だけ減った一升瓶。

 呑み散らかされたぐいのみ。畳に倒れる兄。

 寝巻きの袂を直す。

 幾之助はうう、とうめく。

「なんだってこんなにお召しになったのです」

 静かに問うように努めるも、生える棘。

「薩人を信用したからですよ」

 兄は明るい酒ではない。弱いのだ。割らずに一杯でもうだめになる。心より体がだめになってしまう。呑むときはお猪口に一杯。ちびちびなめるのがちょうどよい。

 以前、「宴の席ではどうしておいでですか?」と問うたところ「うるさくすすめる方の頭めがけて吐くんです。そのまま倒れてしまえば、もうすすめられはしません」と、のたもうた。嫌いなのは宴の方であろう。

「厳島がうまいからと押し付けたのですよ。いつもろくに味わえぬから、ゆっくり家で味わえと。ありがたい心遣いを無下にできますか」

「嘘おっしゃい。意地でしょう」

「意地ですよ。男は半分意地でできてます」

「後での半分は」

「ろくでもないものばかり」

 ふふ、と少し笑う。起き上がれもしない。雪の中に投げ捨ててやろうかしらん。

 この笑顔が似ているとよく言われる。

 嬉しくない。こんな人でなしみたいな笑顔。そもそも似ているはずがない。血のつながりもなく、生まれた時代も死んだ時代も違う。かたちばかりの兄妹である。そもそも三十路も終わりなのだから、十七の女子は養女が道理。

 解。

 道理がお天道様と違う。

「お兄様、ご家族は?」

「お前がいますよ」

 べしゃりと雪が落ちる音。

 幾之助は投げやりに繰り返す。

「お前がいるからいいじゃありませんか」

 ぐいのみを直す。萩の安物である。いつからあるのかは知らぬ。本人も忘れてしまったに違いない。

「ご結婚は、なさらないのですか」

「ひどい。お前はたまにひどいことを言う。悪趣味ですよ」

「ひどいのはお兄様の生き方でしょう」

「わかってますよ、そんなことは。え、伺いますよ。私が花嫁御寮をいただいて、夜ごと風呂だの飯だの体だのたかってですね、朝に切り火を切って送り出してもらうんです。カチカチ。いってらっしゃいませ、旦那様」

 おや、心から嘆いている。珍しいこともあるものだ。

「そのカチカチが鳴ったとたんに、私はそんな女のことなんか忘れてしまいます。いいえ、うちにいたってほとんど覚えちゃいない。ねえ、お前、考えてごらんなさい。私がその女のことを思い出したとしたら、その女を叩き斬った瞬間だけですよ。顔もよく見もしません。刃が通りやすかったかしか。脂ですよ。私が嫁を貰ったら、それでもしその女のことを思い出したら、思い出すのはその女の脂の具合だけですよ」

 自覚しているならどうしようもない。この兄はそういう男だ。

故郷さとのことも、脂しか?」

「脂脂アブラカタブラ」

 無意味な呪文を唱える。ようよう体を半分立てる。またよろける。酩酊。今なら討ちとれたもうや?

「だいたい、お前はどうなんです。十七じゃありませんか。十七ですよ。十七」

 ため息。

わたくしの、古い知り合いのお話なのですけれど」

「知り合いですか」

「知り合いですよ」

「男ですか」

「女ですよ」

 雪。雪。雪。水。人間は水で創られた。

「中年の女ですよ。さほど美人ではなかったけれど、わるいひとでもありませんでした」

 水。幾度も幾度も水をくぐったのに。鋼は刃となり果てた。

「その方が、大事なことですよ、とよくお話しなさったのです」

 カチカチ、カチカチ。

「男の人の前では、お酒は弱いふりをしておきなさい。よいところにお嫁にいけますから。それが一番大事な教えとでもいうように。何度もお話しなさっていた」

 切り火。火花。いってらっしゃい。いって参ります。劫火。

 依子は焼酎の瓶を手に取る。

「依子、お前の家族は?」

「お兄様がおられます」

 片手で一升瓶を取り。口をつける。酒精が熱い水を、ぐいぐいぐい干してしまう。

 水滴一つ残らぬ瓶を置く。静かに。水は我らと生きられぬ。

「弱いですねえ、お兄様」

 微笑。雪はやむ。

 いやだ、そっくり。



平成30年12月18日執筆

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