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ヘヴンズ・ドアー  作者: 浮草堂美奈
第十二章 北米大陸を焦土と変えよ編
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百一話―一番の狂人

 地下から出ると、青空には雲一つ無かった。

 嫌な空だ、とエミリーは思った。

 こういう一点の陰りも無い昼間が耐え切れなくなって、よく人が死ぬ。

 カナダ国立病院の敷地内の出口には、葉っぱを落とした木々が森となっていた。

 周囲には雪が少し積もっている。

 以前、ロビンと”やらかした”森だ。

 あのオランダ人兄妹は如何しているだろうか。

 ヨーロッパの水質汚染の影響は受けているはずだ。

 人を殺してきたばかりなのに、他人の安否を気遣う自分に、こう言ってやった。

「あたしは人情家なんだ」

 まったく、依子と紅玉(ホンユイ)がいないと、皮肉ばかりが口を吐く。

 たかが70年一緒だっただけで、どうにも居るのが習慣になってしまったらしい。

「これはアレだ。この嫌な森が悪い」

 そう呟いたところで、赤い車が視界に入った。

 そのスズキ・キャリィが小型の救急車である事に気付いたエミリーは、また呟いた。

「嫌な森だ」

 目の前で救急車が停止し、運転席からカナダ国立病院院長パーシー・コレットが下りて来たので、まっさきに言ってやる。

「救急車代は払わねえぞ」

 その様子を見ても、パーシーにいつものハンサムな笑みは浮かばなかった。

「いや、必要かもしれなかったんだよ、事情を今から話すね」

 それを遮るように、助手席から男が下りてきた。

 筋肉質な弟のパーシーとは真逆の、ガリガリに痩せて度の強い眼鏡をかけた男――ケネス・コレットだ。

 彼はキャラメル味のポップコーンの袋を、こちらに差し出した。

「召し上がりますか?」

 明らかに食べかけであるそれを、手で避けながら「いいよ」と言うと、彼は続きを食べ始めた。

 時折白衣に零しているが、パーシーは特に注意しない。

 今はそんな無駄な事をしていられないらしい。

 いつも過剰な程に兄を気に掛けるパーシーの、この慌てぶりはよほどの事だと身構える。

 しかし、ケネスは慌てた様子も無く、指についたキャラメルを舐めながら言った。

「アンダーグラウンドがねえ、封鎖されたんだそうでござりますよ」

 エミリーは耳を疑った。

 何せアンダーグラウンドのボスである双子と、5時間前に別れたばかりだからだ。

「おい、どういう事だよ?」

「さあ?」

 ケネスは残ったポップコーンを袋に直接口を付け、中身を流し込んだ。当然大いに零れ、白衣がキャラメルでべたべたになる。

 さして噛みもせずに飲み込むと、ケネスはにこやかに言った。

「そんな事より、雪が美しいでしょう。良い季節にいらっしゃいましたね」

 エミリーはこの男と対峙した時に、密かに感じた背筋の寒気をまた感じた。

 ケネスはヴァルハラで一番の狂人だ。

 温和で人当り柔らかで戦いを好まず――。

 自らに、一切の価値を感じていない。

 発狂した男は、のんびりとカナダの雪の美しさを語っている。

「兄さん、ちょっとごめん」

 パーシーがそれを遮った。

 兄思いの弟に見えるが、エミリーは真実を知っている。

 パーシーが、パーシーを含めた家族というものが、生前のケネスの世界の全てで。

 そして世界はケネスを愛さなかったと。

「あら、構いませんよ、なんでも」

「うん、ちょっと僕が説明するよ」

「何でもいい、早くしてくれ。物事はイージーに済ませたいんだ」

「アンダーグラウンドの構成員から、アメリカ軍が突入してきたと連絡が入った。僕はすぐにアダムとダニエルに連絡を取った。しかし、通信機が壊れているらしく、連絡が取れない。だから、ホワイトハウスに連絡をしたんだ。どういう事かってね。そしたら、アメリカ合衆国大統領マイケルが行先を誰にも告げずに出て行き、行方不明という事だった」

「OK、大体推測できた」

「ああ、おそらく、マイケルはアンダーグラウンドに向かった、と、いう事を政府は隠している。そして、アダムとダニエルかマイケル、どちらかが死んだ。僕と考えの相違点はないかい?」

「極めて無い。畜生くそったれ」

 ケネスはぼうっと木の枝に残った雪を見つめて言った。

「味方がいなくなっちゃいましたねえ」

「いや、兄さん。僕らにはブリタニア女王と大英帝国がバックについてるんだよ」

「そうでしたっけ? あら、野兎が落ちた雪に吃驚して逃げていきましたよ、お馬鹿さんでござりますねえ」

 とりあえず、話した事でパーシーも落ち着きを取り戻したらしい。

 話したというか、戦力がある者と会話になる会話をしたというか。

「まあ、それで、あたしか大怪我した双子が穴倉から出てくるかもしれないと、救急車で駆けつけてくれた訳だ、白衣の天使は」

「僕はナイチンゲールじゃないよ、医者だ。まあ、君に怪我が無くて良かった。とりあえず病院に戻って、ブリタニア女王の指示を待とう」

 そこまでパーシーが言った時、救急車の通信機が鳴った。

 止める間もなくケネスが取る。

「もしもしい?」

 若い女のように語尾を上げて出ると、「はいはーい、わかりましたー」と明るく切った。

 そして告げた。

「北欧連合軍に病院が襲撃を受けているーって受話器の向こうで言ってらっしゃいましたけど、銃声がして切れちゃいましたよ」

 明らかにそんなテンションで話す内容ではない事を告げると、ケネスは今度はチョコレートボンボンを取り出して、エミリーの目の前にぶら下げた。

「召し上がりますか?」

 笑顔のケネスを無視し、エミリーは救急車に駆け寄った。

「戻るんだろ!?」

 パーシーはケネスを抱き寄せるように助手席に乗せながら、怒鳴り返した。

「大急ぎでだよ!」

 救急車は猛スピードで雪道を駆けて行った。

 医学では修正できないものが、過去というものだ。

 そして修正したい過去を得た時、最も手にしてはいけないものが、信仰というものだ。

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