第二話 水と少女、そして始まり……
「お疲れ。じゃあ、後、頼んだよ」
「お疲れ様です。蓮さん」
夜のシフトの奴に挨拶をして、蓮はコンビニを出た。
「……あいつ、今日はあの後、来なかったな」
朝、薺が出て行った後、いつもならコンビニの前でタバコを吹かしているのに、今日は姿を見なかった。
「べ、別に気にしてるわけじゃない」
ぶんぶんと、何かを否定する様に、蓮は頭を振った。
(今朝のは、只の気まぐれ……そう、気まぐれだ)
蓮は一人でぶつぶつ呟きながら、家に向かって歩いていた。そして、帰路の途中にある、小さな公園に差し掛かった時、見知った人影が見えた。
「あれ? あれは、柊 薺?」
太陽も沈み始め、長い影が地面に写っていた。薺自身の影と、そして、薺に向かって伸びる影。
薺の向かい側には、男が不気味に笑い、薺の行方を塞いでいる様だった。
(俺は、薺の向かい側に立っている男は知らないはずだ。でも、何だ? 何かが引っ掛かる)
蓮は、薺達からは離れて様子を伺う事にした。
「あんた、あたしに何か用?」
「くくく………」
男は薺の言葉に、只、笑っているだけで、何も答えようとしなかった。
「はぁ〜。あんたさ、用事があるなら早くしてくんないか?」
「くくく………」
薺は一向に変わらない男の態度を見ると、その場を去ろうと一歩進んだ。
「わかった。じゃあ、あたしが行くわ」
「くくく………」
薺が一歩を踏み出した時、男は隠し持っていた刃渡り15cm程のナイフを取り出し、薺に突き付けた。
それを見た薺は、やっとかと、まるで男のその行動を待っていた様に言った。
「やっと出したね。最初から出せば言い物を」
薺は男の正面に立ち、腕を組んだ。
「あんただろ? 最近、ニュースでやってる、殺人犯ってやつは」
薺の言葉を聞いた男は、そこで初めて笑い以外の反応を見せた。
「気付いていたのか? しかし、俺の正体を知ってて逃げ出さないとは、只の馬鹿か? くくく………」
男は嬉しそうに、持ってるナイフを舌なめずりし、ポケットから掴み出した白い錠剤を口に押し込み、ボリボリと食べ始めた。
「はぁ〜……。お前、柔らかそうな肌をしているなぁ。ザックリと切り刻んだ後に、臓物を取り出し、目玉をくりぬき、皮だけ剥ぎ、俺のコレクションに加えてやる」
男は、まるで超高級料理でも、目の前にあるかの様に、よだれを垂らした。
「ごたくはいいよ。あたしは、あんたみたいな奴、大っ嫌いなんだ!!」
一方、その様子を二人から離れた位置で見ていた蓮は、
「そうか!? なんか見た事あると思ったら」
(でも、薺の奴、あいつを下手に刺激してないだろうな? いや、薺の奴の事だ。あの不良に絡まれてた時も、自分から挑発していた。
もし、あの殺人犯が薺に襲いかかったら、俺はどうする? また、見て見ぬ振りをするのか? 今朝の不良同士の喧嘩と違って、人一人の命が掛かっているんだぞ?
出て行ったとしても、俺に得な事は何もない。むしろ、損をする可能性の方が高い。下手すりゃ、殺される可能性だってある)
蓮が悩んでいると、男が薺に向かってナイフを取り出していた。
「!?」
(ふざけるなよ! 何でこんな場面に俺が出くわしてんだ!? 神でもいたら、ぶん殴りたい!)
そんなことを心の中で叫びながら、蓮は勢いよく飛び出すと、薺達に向かって走っていった。
男は薺の身体をじっくり視姦した後、ナイフを構え直した。
「それじゃあ、早速、お前の肉の感触を味わわせともらおうか」
男の言葉と同時に、薺の体にも力が入った。
「止めろ!!」
その時だった。薺と男の間に、全速力で走って来た蓮が割り込んだ。
「薺、何してんだ!? 早く逃げるんだよ!!」
蓮は薺の手を握り、その場から急いで逃げ出そうとした。
「竜胆 蓮? お前、何やってんだ!?」
薺は蓮に掴まれた手を振りほどいた。そして、薺の視線は蓮ではなく、ナイフを持つ男に向かって伸びた。
男は逃げ出そうとする獲物を狩る様に、嬉しそうな笑みを浮かべ、懐からさらにナイフを取り出し、一本を逃げていく獲物の脳みそ目掛け投げた。
この時、薺はすでに迎撃の体制を取っていたが、薺の視線を追った蓮には、男が投げたナイフ以外見えなくなっていた。
「薺――――!?」
咄嗟に薺を庇う様に、ナイフの前に立ちはだかった。蓮の行動を予想出来ていなかった薺は、結果を見ている事しか出来なかった。
男が投げたナイフは、確実に、蓮の額目掛けて迫ってきた。当たる瞬間、蓮は迫り来る死の恐怖から目を閉じてしまった。しかし、おかしな事に、蓮の額からは何の痛みも襲って来なかった。
普通なら、ナイフは蓮の額に深々と突き刺さり、血やら脳みそやらが流れ出しているはずだった。
その状況に蓮も驚いたが、ナイフを投げた男の顔は、蓮の思っている以上に引きつった笑いを浮かべていた。
「な、なんだ?」
男はさらに、蓮に向かって二本目のナイフを投げつけた。
しかし、そのナイフも先ほどと同じ様に蓮の額には届かなかった。男が外したのではない。ナイフが蓮を避けていったと言う方が、表現的には正しかった。
「――ぐっ!」
男は蓮の存在を不気味に感じたのか、一度、後ずさりをすると、そのまま姿をくらましてしまった。
あまりの出来事に蓮自身も、男を追いかけると言うところまで頭が働かず、その場に固まっていた。すると、蓮の前に今度は、薺の姿が現れた。
薺は一瞬笑みを浮かべた後、鋭い目つきに変わり、蓮の胸倉を掴み上げた。
「お前、何、偽善者ぶってんだよ!? あたしを助けようとしたのか!? ふざけるなよ!! あたしはそういうやつが大嫌いなんだ!!」
そう吐き捨てるように言うと、薺は蓮の胸倉を掴んでいる手を離し、咥えていたタバコを蓮の足下に捨てた。その瞬間、蓮の足下に捨てた薺のタバコは大爆発を起こした。その場にいれば、確実に死を逃れられない爆発だった。
しかし、蓮の身体は爆現地から離れた場所に移動していた。そして、蓮の目の前には黒い執事服を着て、テカテカに髪を固めたおっさん? と、巨大な水の壁が、連を守るように立っていた。
「あなたも能力を使えるのね。でも、火では、私の水に勝てないわ」
そう言ったのは、巨大な水の壁の側に立っていた、一人の少女だった。
「チッ!」
巨大な水の壁を前に薺は一つ舌打ちをすると、踵を返した。
「あっ!? 薺!?」
蓮が薺の名前を呼ぼうが、振り向きもせず、薺はその場を去っていった。
そんな薺を気にする様子も見せず、少女は蓮の方を振り向き、話を始めた。
「あなた、変わった能力を使うのね? 今のナイフの避け方からするに、物体を破壊するよりも利用する能力ね」
蓮は少女の言っている意味がわからなかった。
「あっ・・・・・・」
少女は、蓮の言葉を遮る様に休む事なく、話を続けた。
「そう言えば、自己紹介がまだだったわね。ごめんなさい。私はイキシア。イキシア・リーブ。こっちは執事のクロッカスよ」
「クロッカス・グロリオサと申します。イキシア様の執事をやらせて頂いております。以後、お見知り置きを」
そう言って、クロッカスと名乗った執事は、自慢の髭を人差し指と親指で摘んだ。
蓮は目に映った執事のオッサンを、ひとまず置いといて……イキシアの方を見た。そのたたずまいは、何処か気品を感じさせ、整った顔立ちに、瞳は透き通る様な青色、肌は白く、まるで、自らを象徴するように咲き誇る花の様なイメージがピタリと合う少女だった。
「あっと、俺は蓮。竜胆 蓮」
蓮もイキシアにつられて自分の名前を言った。
「蓮ね。っで、蓮のレクイムの能力を聞かせて」
「レクイム?」
聞いたことも無い単語を言われ、蓮はそのまま、イキシアに聞き返した。
「レクイムとは、イキシアお嬢様がつけた神の能力を使う者達の名前だ。お前も選ばれたのであろう?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺はレクイムとか言うのじゃないし、神様の能力を使うことなんて出来ないぞ」
その言葉にイキシアは不思議そうな表情をして、蓮の顔をじっと見つめた。
「蓮と一緒にいたあの人。あの人もレクイムでしょ?」
「………………」
蓮は解答に困ってしまい、イキシアの瞳を見つめ返すことしか出来なかった。
「お嬢様。こやつ、まだ、自分の能力に気づいていないようですな」
「ふぅ、どうやらその様ね」
イキシアは、あからさまに大きいため息を吐いた。
「それなら、場所を変えましょう。説明してあげる」
蓮はイキシアの言葉に流されるまま、場所を移すことにした。