序章
少年は白い壁に囲まれた狭い一室に閉じ込められそこで本を読んでいた。閉じ込められてから二ヶ月が経過するが少年は静かにそこで暮らしている。
…………否、暮らしているのではなく、幽閉され警察の監視下に置かれていた。
そんな彼に与えられるものは三つ。
一つ目は一日を生きていくのに必要な十分な食料。今朝はバターのついたパンとミルク、昼は米と味噌汁と焼き魚。ウマくもなければ不味くもない、平均的な食事だ。
二つ目に暇をつぶすための本。一週間に一度渡される本、ほとんどが小説で内容は様々だった。恋愛のときもあれば、魔法の世界で悪魔と戦うファンタジーの時もあった。
少年はあとがきまで読み終えた本を静かに閉じた。今週の小説の内容は普通の日常を生きてきた主人公がある日殺人の容疑で逮捕され、そして無実を訴えながら発狂死していく……そんな話だった。まさに悲劇だ。
しかし少年はただそれを退屈そうに読み終えた。何故ならフィクションで書かれた悲劇の物語より彼の置かれた現状の方がよっぽど悲劇的であるからだ。
彼は過去に取り返しのつかない人生に足を踏み入れ、全てを失った……らしい。そう、『らしい』のだ。
彼は彼の生きてきた十五年間を知らない。
しかし彼は過去を知りたくもなかった。その過去こそが彼の過ちの全てでそれを知ったら彼はもう元の自分には戻れなくなる、そんな気がしたのだ。
「面白くなかったの、それ?」
その時少年の後ろから少女の声がし、彼は後ろを振り向く。と言っても、この部屋に入ってくる人といえば一人しかいない。
「今日は早いね、澪」
少年に与えられる三つ目のもの、それは一日に一度の自分の幼馴染み『と名乗る』少女との会話時間だった。
外の世界を知らない彼にとって、彼女は外の世界に自分を導いてくれる唯一の存在である。
「アンタが本を読むのが早いのは昔からだけど、三日で読み終えるなんてね」
「次に本を持ってくるなら詩集がいいかな。久しぶりに茨城さんの詩が読みたくなったよ」
少年がそう言うと、何故か彼女は苦笑いを浮かべた。
「ゴメン、今日でここに来るのは最後になりそうなの……」
「え?」と少年が困惑しているのをよそに、彼女は真剣な表情を浮かべ少年に言った。
「また……もう一度…………戦ってくれない?」
右手で新聞が握り締められる。見出しの記事は『渋谷で銃を持った《狂犯》暴れる。警察の抵抗虚しく、二十人が死亡』。
時は二〇九五年、世界中で犯罪者の心身に影響を及ぼす《Meme》が蔓延っている時代だった。