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幻影学園  作者: 音哉
2/22

第2話 「兆し」


 一週間ほど経ち、クラスには多少話の出来るような奴が出来てきた。俺はいつもように朝、改札でハルミと会い、学校までの道を歩く。


「平和だねー。天気もいいし!」


「お前、なんかいつも同じこと言わないか?」


「だって、毎日そう思うんだもん!」


 ハルミは元気良く俺の前でくるくると回って見せる。スカートが綺麗に舞った。


「平和なのはこの一年だけだ。来年から俺達は受験生なんだからな。大体、お前は苦手な教科が多いし……」


「あっ! 思い出させないでよぉー。それを考えないようにしてこの一年過ごす予定なんだからっ! それに……勉強は優等生のヨシトに助けてもらうもん」


「三年のときも同じクラスになれるとは限らないぞ」


「う……。じゃあ、記念にこの夏は海に連れて行ってよ!」


 ハルミは俺の袖を持ち、上下に揺さぶってくる。


「……何の記念だよ?」


「はぁ……。この分じゃ、ヨシトは今年も彼女できないねっ!」


 袖を持ちながらも顔を俺からそらし、どこかへ向かってハルミはため息をフーっとわざとらしくついてみせている。


「どうしてそうなるんだよ。それに、……お前も同じだろ」


「私は作らないんだよっ!」


「物は言い様だな」


 ハルミは俺より先に走っていき、後ろを振り返って舌を出す。俺が追いつくと、また走って行き、そこで俺に向かって舌を出す。


「まったく……。元気な奴だ……」


 いつもの毎日だった。



 教室に着いた。早くも無く、遅くも無い時間だ。もう半分程度の生徒が登校していて、まだぎこちなさは取れないようだが、騒がしい話し声がする。


俺は廊下側の席につき、ハルミは窓際の席に向かう。俺の思いをよそに、最初の席替えでは残念ながら二人はもっとも遠い席になってしまっていた。


カバンを置くとすぐに俺は何やらもようしてきた。「先生、おしっこ」と、授業中に言うなんて高校生にあるまじき姿だ。まあ、おしっこなんて言葉は使わないが……。


すぐに立ち上がり、トイレに向かう。教室を出るそのとき……、


―ドンッ―


 少し気が廊下の先に向いていたからか、今入ってきた女子生徒と軽くぶつかってしまった。その子はカバンを落とし、その中から教科書やノートが散らばった。


「あ……ごめん」


「こちらこそ……」


 黒髪のその子はすぐにカバンの中に教科書を戻そうとする。俺もかがんでそれを手伝った。その時、拾い上げたノートからヒラヒラと小さな紙切れが二枚抜け落ちてくる。俺はそれを拾い、ノートに挟もうとしたところ、何気なくその紙切れに書かれている文字と写真が目に入った。


「あっ……、これ……。えっ? でも公開はもう少し先だよな?」


「うん……。知っているの? それ……試写会のチケットなの」


 その子は顔を上げた。大きな目と、まっすぐで綺麗な鼻筋が目立つ。このクラスなって一週間、男子の間の会話登場率一位のシズカさんだ。


「知ってるよ! この監督がすっげー俺好きなんだよ。それに出演者も演技派ぞろいだし。ペアチケットなんてどうしたの? なんかの応募? うらやましー」


 お世辞とか社交辞令じゃなく、本気で俺はこの映画に期待していた。しかし、ちょっと言い過ぎたか。欲しがっているように思われたかも知れないと考え、少しばつが悪く感じてしまった。


そんな事を考えながらチケットを丁寧にシズカさんに差し出した俺に、彼女から思いもかけない言葉がかけられる。


「よかったら……、一緒に行く? 家族の人誰もいけなくて……、今日、一緒に見に行ってくれる人を探そうと思って持ってきたんだけど……」


 俺は驚きのあまり数秒固まった後、目を見開いて口を開けた。


「うそっ! い……いいの? もちろん……誘ってくれるなら是非おねがいした……」


 そう言いながら、俺は何気なく目の端でハルミを見てしまう。窓際の席のハルミは…………机に突っ伏して目をつぶっていた。


「――――っ! 悪いっ! はいこれっ!」


 寝ているわけでない事はすぐに分かった。俺は持っていた荷物をシズカさんの胸に押し付け、慌てて教室の中に戻るとハルミの席へ向かう。


「ハルミ! どうしたんだっ! 気分でも悪いのかっ!」


 背中を揺すってもハルミは目を開けなかった。クラスの奴らも俺のその様子をみて黙り込み、教室は静まり返った。


「ほ……保健室! 悪い! どいてくれ!」


 俺は席からハルミを抱き起こした。そして抱えると、クラスメートが開けてくれたドアをくぐって保健室へ向かった。



 一時間ほど経った頃、保健室のベッドの上でようやくハルミは目を開けた。


「あれ? おはようヨシト」


「おはようじゃねーだろ。なんだよ、貧血か? それとも寝不足か? 教室で気を失ってたぞ」


 俺はいつものハルミの笑顔を見ると、安心して座っていた椅子の背もたれに身をもたれかける。


「べーだ。今日はその日じゃないよーだ! ……でも、ここまで運んできてくれたのはヨシト? ありがとう……」


 俺は布団から出してきたハルミの手をぎゅっと握ってやった。


「一年間……世話してやるって言ったろ?」


「……ふんだ。お世話をしてあげるのはこっちのセリフだよ!」


 粛々とした表情から一転、すぐにいつものいたずらっぽい顔になり、俺に向かって舌を出してくる。


「お前に……俺の何を世話できるってんだよ」


「べ……勉強とか?」


 俺から視線を逸らしながら、なぜか疑問形で聞いてくる。


「ほお。一年生の時、進級が危ないって言って泣きついてきたのは誰だったかな……」


「なによっ! そんな昔のことっ!」


 ハルミは頬を膨らまして俺に背を向ける。しかし、すぐにこちらを向いて口を開いた。


「それって……いつのことだったかな? なんか……すっごく遠い昔の出来事だったような気がする……」


「はぁ? 何言ってんだよ。二年生が始まってまだ一週間。春休みを挟んで一ヶ月くらい前の事だろ?」


「そう……だったかな……?」


 ハルミは軽く首を傾げている。やはり頭がまだボーっとしているのだろうか。


「まあゆっくり休めよ。俺はサボったさっきの授業のノートを誰から借りなきゃいけないんだから」


 俺は立ち上がり、何か名残惜しくて数秒間ハルミの顔に視線を留めた後、背を向けた。


「ありがとね、ヨシト! ……あの、頼りにしてるからっ!」


 振り返って、笑顔のハルミの顔をもう一度見てから俺は保健室を出た。




 十数分後、保健室の天井をじっと見ていたハルミの顔は突然ほころんだ。


「イシシ。ヨシトはきっと私に惚れているぞ。なんとか向こうから告白させるいい手はないものかなぁ……」


 ハルミはごろんとベッドで寝返りをうつと、窓の外を見た。


「……どうして保健室の先生はいないんだろ。それに、運動場の向こうの道路も誰も通らないし……。なんか……寂しい。作り物の世界に入れられたみたい……。ヨシトがまた後でお見舞いに来てくれないかな……」


[ガラッ]


 そのとき、保健室の扉が開く音がした。


「ヨシト! ……なわけないか。先生?」


 開けて入ってきた人はゆっくりと足音を響かせて歩き、白いつい立から姿をあらわした。


「あれっ? あなたは……」




 翌日、俺とハルミは昨日何事も無かったかのように時間通り待ち合わせの場所にいた。


しかし、ハルミの顔はどうも……浮かない表情だ。暗い…とまでは言わないが、若干影が差すというか、こんな顔は今まで見たことがない。


「どうした? やはり調子が悪いのか?」


「えっ! 私? べ……別に普通だよ! どこかおかしい?」


 表情が硬く、俺を見ている視線が不安定だ。


「ああ、おかしい。体の調子が悪いなら無理に出てくるなよ。家で休んでいろ」


「家……でね……」


 なぜかハルミはより悲しそうな顔をした。


「ノートなら気にするな。俺が完璧に二人分書いておいてやるから」


 とたんにハルミは唇を噛みながら俺に真剣な顔を向けた。


「ヨシト! 私の事っ!」


「お前のこと? がどうした?」


 すぐにハルミは視線を落として寂しそうに歩く。


「ううん。…………私が……私で無くなったら。ヨシトはどんな生活を送るかなぁって……」


「お前が……お前で無くなる? 何を言って…」


「なんでもない! ヨシトは……ずっと私の世話をしてよねっ! ハルミの世話を!」


 あいつは駆け出して学校へ向かう。まるで、俺に顔を見られたく無いように……。




 その次の日の朝、ハルミは待ち合わせ場所に来なかった。


連絡も無しになんて……こんな事は初めてだった。すぐに携帯でメールを打ってみたが返事が無い。学校に向かって歩きながら電話をかけてみたが繋がらない。不思議なことに、『電源が入っていない』などをお知らせするメッセージが流れるのではなく、雑音のような音がするだけだ。


俺は昨日ハルミが不思議な事を言っていたことを思い出し、不安になり学校へ着くとすぐに職員室へ向かった。しかし、担任の先生は、「大したことは無い」それを繰り返すだけだった。


 そんな日が何日も続いた。俺は心配で、気が気でなかった。しかし、なぜかクラスメート達の会話には一切その話は出ないのだ。まるで……ハルミなど最初から存在しなかったかのように……。


 今日も俺は自分の席から窓際の誰も座っていないハルミの椅子を眺めていた。すると、誰かが俺の前に立って視界をふさいだ。顔を上げると、黒髪のロングヘア、シズカさんだ。


「ご機嫌いかが?」


「機嫌? ……まあ…まずまずかな」


 彼女は誰もいない俺の目の前の席に座った。


「試写会……ご一緒します?」


「あっ……」


 数日前、ハルミの件でうやむやになっていたままの映画の試写会に一緒に行くという約束を俺は思い出した。


「いつだっけ?」


「今週の土曜日よ」


 正直、そんな気分になれなかった。ふと俺は、誰も話題にしないハルミのことをシズカさんに聞いてみようと思った。


「ハルミって……病気なのかな? ずっと休んでいるけど……」


「ハルミ? 誰ですかそれ?」


 その言葉に俺は凍りついた。しかし、シズカさんはそんな俺を見てクスっと小さく笑う。


「冗談よ。ハルミさんは心配ね。私も詳しく聞いてない……と言うか、なかなか話をする機会がないわ。最近よく休んでいるから……」


「ああ……、ビックリした。クラスの奴ら、あまりハルミの話をしないから……本気にしちゃったぜ。まるでハルミは俺の記憶の中にだけしか存在しなかったのかって思った……」


「そんなことないわよ。みんな心配している」


「そうかな……。俺が気にしすぎていただけか……」


 うつむき加減でいた俺の手をシズカさんは取り、その中に紙切れを押し込んできた。


「今週の土曜日よ! 絶対来てね。女の子に……一人で映画を見させるなんて……良くないことよ」


「う……うん。わかった……」


 シズカさんはそれまでの印象とは少し違った。結構強引に誘ってくるキャラだったんだ……。まあ、試写会の日が迫っているから当たり前か……。無駄にしたくないよな、普通。


 ハルミが姿をあらわしたのは、その試写会前日の金曜日だった。




 その日も俺はいつもの場所で待っていた。もう、一人で学校へ向かうことにも少し慣れてきた。腕時計を見る。そろそろ学校へ向かわないと間に合わない時間だ。俺は小さくため息をつき、誰に向けるわけでもなく首を横に振って歩き出そうとしたそのとき……。


「おはよう。元気ないね?」


 俺は、自分でもすごい勢いで振り返ったと思った。そこには、口を横に開いている笑顔のハルミがいた。しかし……その顔は真っ青だ。


「おまえ……」


 俺はその先の言葉が出なかった。


「何よ。私の顔……忘れちゃった? こんな美女を!」


 ハルミは俺の腕に抱きついてきた。しかし、それは……俺の腕を持って自分の体を倒れないように支えているように俺は感じた。


「聞いたよ。明日……シズカさんと映画行くんだって? このこのぉ!」


 学校へ向かって歩きながらハルミはそう言うと、肘で俺の体を突っついてくる。


「……誰に聞いたんだよ。お前……ずっと学校休んでたってのに……?」


「風の噂だよ! 悪いことはすぐ伝わってくるんだ! デートの日、シズカさんに変なことしたら……月曜日にはみんなに私が言っちゃうから気をつけてね!」


「べ……別に映画を見に行くくらい悪いことじゃねーだろ? それに……お前月曜日もちゃんと学校来るのかよ?」


「……どうかな。私……、忙しいから……」


「忙しい?」


 ハルミは明らかに体調不良だ。しかし、学校に来られない理由が……『忙しい』ってどう言う事だ……?


「ねえ……ヨシト。……映画を誘ったのが……私でも……来てくれた? 私はシズカさんほど綺麗じゃないけど……」


 ハルミの唇はどうしてか震えている。目もなぜか潤んでいるようだ。


「もちろんだ。一年生の時もたまに遊びに行ったろ?」


「ううん……。だってあれは……グループで……」


「一年生のときのグループ。そういやぁ、あいつ等どこのクラスになったんだろうな? とりあえず、俺達二人になったわけだ。まあ、じゃあしゃーねーから二人で行くか?」


 ハルミはなぜか視線を下げた後、俺の腕を握る手に力をこめて顔を上げた。


「絶対だよ! 次誘っちゃうから! できるだけ……早く!」


 これから一年も同じクラスだと言うのに、どうしてハルミはそんなに急ぐのか。そう考えると可笑しくなり、俺はハルミを見ながら笑っていた。




 土曜日、俺とシズカは映画を見終わった後カフェに入る。そうそう、「さん」付けは会ったとたん正された。


「はい砂糖」


 シズカは俺に二本のシュガースティックを渡してきた。俺は、コーヒーを飲む時は必ず二本だ。しかし、それを言った覚えは無い。


「どうして……知ってるんだ?」


 俺はその二つを同時に折り、コーヒーに砂糖を入れる。


「どうしてかしら。前世でも……一緒にコーヒーを飲んだ仲かも?」


「ふっ……。茶飲み仲間ね……。新しい発想だな」


「……恋人だったりして」


「ぶっ!」


 コーヒーを噴き出しそうになった。俺はカップから口を離すと、シズカの顔を見て「冗談よ」の言葉を待つ。しかし、彼女は何も言わずにコーヒーを飲んだ。


「シズカって……なんかこう、冗談が尖ってるよな」


 それを聞くと、寂しそうな顔を見せてくる。


「いつも……いつも彼氏に忘れられ……。私ばかり年をとっていく……。そんな時の過ごし方をしていると……性格が曲がっちゃったかも?」


「え? ちょっと……意味が……? 前彼に……よく忘れられたって事? 約束とかを?」


「違うの。……私との記憶。楽しかった事……。すべて……忘れちゃうのよ……。その人」


「……それって冗談? そんな人いないでしょ?」


「いるの……。すぐ目の前に……」


 俺は後ろを振り返った。そこはほとんど女性客ばかりで、何の変哲もないカフェの風景だった。前を向き直り、シズカを見ると、まだ俺を見ている。恐るおそる俺は自分を指差して言う。


「……俺?」


 そんな訳が無い。俺は彼女とこの春初めて知り合った。それに、俺はまだ誰とも恋人関係になったことは無い。


「ごめん……。冗談よ。ちょっと分かりにくかったかな?」


「わ……わかんねーよ」


 やっぱりからかっていただけか。俺は安心してコーヒーに口をつける。そんな俺をまだ見つめている視線をシズカから感じる。


「ヨシト。私と付き合わない?」


「んんっ!」


 俺はコーヒーを『喉につまらせた』。こんなことがあるのかと、慌てて水を流し込む。


「なっ……何を言っているんだ……。俺達まだ知り合ったばかりじゃないか……」


 俺がどう目をそらそうと、彼女の視線は俺を追ってくる。


「ううん……。私はもう……何年も前からあなたを見ている。あなたは忘れているだけ……。ヨシトをきっと満足させる事が私には出来るわ」


「ま……満足って……」


 俺はついつい、シズカの顔から視線を下げてしまう。そこには、ハルミには無い大きなものが二つばかり付いている。


「いや…、あの……。もうちょっと……ゆっくりでも……」


「ゆっくり……? ダメってこと? そんな……どうして……」


 シズカはまるで断られる事を想像していなかったような顔をしている。


「やっぱり……。あの時……。変わってしまったのね……。もしかして、ハルミさんの事が気になっている?」


「は…ハルミ? どっ……どうしてあんな奴の事が出てくるんだよ! あいつとは一年生の時からの腐れ縁で一緒に登校しているだけだって!」


 俺は、軽く手を顔の前で振りながら言った。


「ハルミさんは……。ヨシトはきっと後悔する。……いえ、それすらも気が付かず……忘れちゃうんだけど……」


「忘れる? ハルミを? 何言ってんだよ。あんなバカめったにいないから……忘れるわけないぜ!」


 どうしてか、自信を持って「忘れるわけが無い」と強調してしまった自分に驚く。


「ハルミさんは……。 ……ううん、なんでもない。私はまだ時間がたっぷりある。また、誘っていい? ヨシト……」


「まあ……。そりゃあ、断る理由ないし。いくらでもどうぞ」


 俺達はそれからしばらくの間、映画の話をしてから店を出た。シズカと別れた後、帰り道で俺は顔がにやけるのを感じた。少し話しの中に分かりづらい部分があったが、あんな美人から告白されたのは間違いない。今度ハルミに自慢してやろう。そう思っていた俺だったが、週の明けた月曜日。やはりハルミは学校に来なかった……。


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