第18話 「イブの夜に」
人間達は17年のうっぷんを晴らすかのごとく勝ち続けた。本拠地の日本を一度も襲われることも無く、そのテリトリーを広げ続ける。
ハワイを拠点とした大隊が北と南のアメリカ大陸を制圧し、その他にもオーストラリア大陸、ユーラシア大陸の大部分を人間は取り返すことに成功した。
しかし、蟲の本拠地のアフリカ大陸に近づくにつれ抵抗が激しくなり、味方の被害も日に日に増えていく。
アフリカ大陸からは無限かと思われるほど蟲があふれ出してきて消耗戦の様子を呈してきた。じりじりと補給が間に合わなくなり、累積フィードバックダメージを積み重ねたパイロット達は姿を消していく。
俺達が日本を離れてから約3ヶ月。クリスマスの日だった。
俺とハルミは二人で地中海を偵察しに来ていた。俺一人で十分な任務なのだが、どうしてもハルミは付いてくると言って聞かなかった。
「しかし……ヨーロッパは散々だな。アフリカのすぐそばだからな……」
「うん……。何も……残ってないね」
先ほど通り過ぎた場所は、上空から見下ろした時に、半島の形がブーツのように見えた。つまり、イタリアであっただろうと思われる地域で、そこから30分飛んだこの辺りはフランスになるはずだ。自慢だったろう町並みは廃墟と化し、はるか遠い昔の遺跡かと思ってしまうほどの崩れようだ。
もちろん生命反応も基地のエネルギー反応も皆無。ひょっとするとこの辺りはシェルターを作る暇も無くやられたのかもしれない。
「フランスと言えばダンスじゃない?」
「そうか?」
「16世紀、王子様やお姫様が舞踏会。チャララララーン」
ハルミのガーディアンは俺のガーディランスの手をとって、クルクルと踊るように飛んでいる。
「遊ぶな! この辺りはアフリカのすぐそばだぞ!」
「だって今日はクリスマスなんだよ。好きな人と一緒に楽しみたいじゃない」
「えっ……。好きな人……?」
「あわっ! い……言っちゃった……」
ハルミの顔は赤くなり、すぐに映像通信を切ってきた。
「ヨシトから言わすつもりだったのにぃ……」
音声通信だけだが、「ぽかぽか」と頭を叩いている音が聞こえてきて、ハルミのコクピットの様子が目に浮かんだ。
「なんだ……。ハルミ、お前俺のこと好きだったのか? ……もてる男は仕方ないな……」
「なっ……なによぉ! 私だって知っているんだからねっ!」
「何をだよ?」
「ヨシトが私の事を好きだって事だよぅ!」
「ばっ……バカな事を言うな! お前の世話をしてやるって言ったからって……それは勘違い、自意識過剰ってもんだ!」
「ヨシト……」
急にハルミは声のトーンを下げて言う。
「ヨシトは……いつから私の事を好きなの? 私は……一年生の時からずっと……。気がついたら好きだったよ」
「お前……。だから俺は……。それに、よくそんなことが聞けるな? 俺は今年はともかく、二年生の時はずっとシズカと付き合っていた……らしい。お前と俺は……残念だけど……友達以上にはなれない運命かも…」
「実は……この遠征に出発する前の日に……シズカから聞いたの」
「な…何をだ? 俺の恥ずかしい癖とかか?」
「ううん……。シズカは私に謝っていた。彼氏を……とっちゃっていてごめんねって……」
「彼氏? 俺はシズカの元彼氏だろ? 何の話だそれ?」
「違うの。本当は……。本当は、ヨシトは高校二年生の一年間私と付き合う事に……なるの。毎回……毎回そうなんだって…」
「……っ! 俺が? 毎回? ハルミと付き合う? じゃあ…シズカは?」
「シズカがヨシトと付き合ったのは4回。ここ4年の事だったって言っていた。その前はずっと私。最初の年からずっと……12年間付き合うことを繰り返していたんだって……」
「な…に? ならその時シズカは?」
「普通のクラスメートだって言っていた。ほとんど会話する機会もない程度の…って。最初は自分の気持ちを抑えていたけど……ついに我慢できなくなって……。10年以上ヨシトを見てきた経験を生かして……ヨシトの気を引いて……。本人はズルしたって言ってた……」
「ズル……」
俺も思い出した。確かにシズカは「私はズルしたから……」と俺にも言ったことがあった……。
「私はヨシトと同じクラスになれたときすっごく嬉しかったよ! ……ヨシトは?」
「……なら言うが。俺もお前と同じクラスになりたかった。大体、ただの友達のために身代わりとなってガーディアンに乗るなんていう訳無いだろ?」
俺の前面モニターにハルミの照れた顔が映った。映像通信を再びONにしたようだ。
「えへ。そうかなぁって……思ってたけどねっ!」
「今日はクリスマスか……。そう言えば……」
俺は必要が無いと思い、記憶の片隅に追いやっていた機能を思い出してパネルを操作する。
「正確にはイブだけどね!」
「おっ! 出た! ハルミ、ちょっと来てみろよ」
俺は見晴らしの良い草原の上にガーディランスを着陸させた。ハルミのガーディアンもすぐに隣に降りてくる。
「何なに?」
ハルミは転送して俺のコクピットに姿を現した。
「わぁ! ケーキだ!」
パネルをテーブル代わりにしてその上に綺麗に生クリームでデコレートされたケーキを置いた。
そして更に操作をすると、俺の座っている椅子が横に広がる。ハルミは俺の隣に腰掛けた。
「何これ! どうしてこんな事が出来るの? ケーキ美味しい!」
ハルミは指でクリームをすくって口に入れて嬉しそうな顔をしている。
「ケーキもホログラムなんだよな。でも、俺達もそうだから普通に食べられるってわけだ。俺達は戦闘に出ると腹が減らないから普通はこんな機能いらないはずなんだけど……。どういうわけかガーディランスには無駄に食べ物や飲み物も出せる機能がついているみたいなんだ」
「無駄じゃないよ! 次はシャンパン! それにフォーク!」
「シャンパン? アルコールはダメだろ。俺達は高校生なんだから」
「どうしてよぅ! ホログラムで作られた本物のお酒じゃないでしょぉ!」
「あ、そうか。……でもそんなことを言い出したら俺達も本物じゃなくなるから……。えっと……ややこしいな……」
「早くだせぇ!」
「はいはい……」
俺達はシャンパンをグラスに注いで乾杯をした。それを一口飲むと、ハルミは顔を赤くして俺によりかかってきた。
「ふぃー。酔ったぁ……」
「嘘だろ? アルコールってそんなすぐまわらないぞ!」
しかし、俺もグラスに口をつけると、すぐに眩暈がして頭がボーっとしてきた。
「な……なんだこれ……。もしかして……本当の人間なら徐々に酔ってくるはずだけど……。俺達はデータだから……。アルコールが体内に入ったって情報がインプットされるとすぐに『酔い』の状態になるんじゃ……。ば……バグだ、プログラムミスだ……これ……」
俺も体の力が抜け、椅子の背もたれに寄りかかった。
「こらぁ。ヨシトめ……。ケーキで私を釣って自分の部屋に呼び入れて……。へんらことする気じゃないらろろなぁ!」
「ば……か……言うな。部屋ってなんだよ、コクピットだ。それに、気分が悪くてそれどころじゃ……おわっ」
ハルミが操作をしたのか、背もたれがリクライニングして完全にフラットになった。そんな俺にまたがり、ハルミは俺を見下ろしてくる。
完全に目が据わっている……。
「隙だらけだぞ、ヨシト君。……好きなヨシトが隙だらけ……。ぷっ! ぐふふ……」
ハルミは両手のこぶしを口にあて、目を細めておかしな笑いをしている。
こっ……怖い……けど動けない。
「ハルミ……。俺のコクピットに長時間いたら……それってケンタロウ達は気がつかないが、俺達の高校の基地にはバレバレだぞ……。あそこで全てを管理しているんだから。シズカにばれるぞ?」
「ふふん。シズカは私に出発する前、ヨシトを襲っちゃえって言ったのだ。……あれ? 告白しちゃえだったかな……? まあ、どっちでもいいや…」
「ど……どっちでも良くない! 全然ちがうぞ!」
「まずは唇からいただきましょうかね……」
ハルミは、口を俺の顔に近づけてくる。そんなハルミの肩を俺は両手で押して来させまいとするのだが……腕に力が入らない。
「待て! 待てって! こういうのは普通もうちょっとムードを……。って、なんか男と女の役が反対じゃねーか?」
「ヨシトくぅーん……」
「や……やめれぇー!」
パリの空に俺の声が響き渡った。
「ハクション!」
東京の基地では一人の女性がバスタブにつかっていた。
「何かしら……。誰かに噂された気分……」
その女性は立ち上がってかけてあったバスタオルを手に取った。
「今日は……クリスマスイブ。ヨシト達は何をしているのかしら……。って、戦っているに決まっているわよね」
スタイルのよい体をタオルで拭い、水気を取ると下着を身につけ、バスローブを羽織る。
「でも……今日くらい秘蔵のお酒を飲んでもいいかな……」
棚からワインを手に取ると、コルクを抜き、グラスに注ぎながらソファーに座った。
「ヨシト……。それにみんな……無事帰ってきてね……」
彼女はグラスに口をつけ、一気に傾けた。
30分後。
「ったく! 蟲のせいよ! 蟲のせいで……。どうしてこんな美人がクリスマスイブに一人でお酒を飲まないといけないのよ! 管理者の男達なんてヨシトに比べたらジャガイモみたいな奴ばっかだしっ! 大垣君なんてハゲてるじゃない! 密かにシステムつかって毛生え薬を作ろうとしていることをちゃんと知っているのよ! みて見ぬ振りしてあげてるんだから!」
女性の前のテーブルには空になったワインボトルが2本転がっていた。
「ああ……やっぱりヨシトがいいなぁ……。ハルミに譲っちゃったけど……惜しいことしちゃったかなぁ……。恋愛にズルなんて言葉は無いよね! 卑怯と言われようがいい男を手に入れた者勝ちよ!」
そう言いながら激しくグラスをテーブルに置いた彼女だったが、寂しそうな顔をしてそばに置いてあった鏡を手に取った。
「でも……。私はもう34歳。よーく考えて。蟲がいなくなった世界を私とヨシトが一緒に歩く……。完全に……母親と息子じゃない! いいとこ歳の離れた姉弟ってとこよ! 大垣君の事を言ってられないわね……。私も若返りの薬を作ろうかなぁ……」
ため息をつきながらまたグラスを手に取ろうとした彼女だったが、それをやめて両手で鏡を持って覗き込む。
「あれ……。小じわが……減ってない? 照明のせいかな?」
朝方まで鏡とにらめっこをする彼女だった。