第十話 拒むべき永遠。
ゼットは、善意だけでここに来たわけじゃない。
彼の家系には、砂時計の子の肖像と、途切れ途切れの記録が残されていた。
この国の制度と、刻砂の儀のこと。
それを終わらせるための指輪のこと。
外の世界の住人は、病や飢えに苦しんでいた。
ゼットの両親も、それで命を落とした。
この不幸は、砂時計の子のせいだと信じる者たちがいた。
砂時計の子は、まだ泣き止んでいない。
その涙が、国の外へと流れ出ているのだと。
砂時計の子を殺すために、エルタナ王国に潜んでいる者たちがいる。
ゼットも、その一人だった。
だけど、実際に見た砂時計の子は、想像とは違っていた。
泣かず、笑って、ただ生きていた。
刻砂の儀を見た日を境に、殺すという選択肢は、ゼットの中から消えた。
それからの彼は、裏でルビーを外へ逃がす道を探り始める。
国内に潜り込んでいた仲間たちに声をかけ、協力を持ちかけた。
三度目の刻砂の儀が終わった頃、アンセルが、いまの制度に心を痛めていることを知る。
ゼットは自然と、自分の計画を打ち明けた。
アンセルは、止めなかった。
ただし、条件を出した。
協力する代わりに、ルビーに本を読ませること。
ルビーが、自分で真実に辿り着けるか。
辿り着いた上で、それでも選ぶか。
アンセルは、それを知りたがった。
だから、あの本は置かれた。
読まれることを前提に。
アンセルは指輪をゼットの手に返した。
ルビーが外へ逃げる道を選んだときは渡して、と。
これで終わらせてほしい。
そう願っているように見えた。
あとは、ルビーが選ぶだけだった。
《お疲れ様です。完了しました》
肩の力が、ようやく抜けた。
画面の下までスクロールして、投稿ボタンを押した。
コーヒーは、もう冷めている。
「ゼットは、気づいた時にはもう巻き込まれてたんだな」
《祖先の時代から、ですね》
「ああ。あの指輪だ。ゼットの祖先は、結局使い方に辿り着けなかった」
《はい。ですが、ずっと祈り続けていました》
「永遠のない国外でな。けど、それじゃだめだった」
《『外には、拒むべき永遠そのものが存在しない』。祖先の見解ですね》
「ああ。だから指輪は反応しなかった」
《アンセルは別の可能性に賭けましたね》
「砂時計の子なら、反応するかもしれない。外に出た上で、祈れば――ってやつだな」
《前提条件が、一つ増えています》
「そう。けど、どうだか。使い方は分からないままだ」
《アンセルの姉も、知らないようでした》
「そもそも、どこから来た指輪なんだろうな」
《全員、手探りですね》
使い方は、決められなかった。
あの指輪だけ、理屈の外にある。
「……ルビーはさ」
《はい》
「きっと、あれからも書庫に通ってる」
《可能性は高いです》
「だよな。一度知ったら次が気になるタイプだ。たぶん」
《外の本を、手当たり次第に読んでいるはずです》
「ああ。けど、人々が救われない話も多い」
《世界の不均衡を、理解し始めます》
「その上でさ、ゼットが逃げ道を用意したとして、ルビーは乗るのかな」
《ルビーには外への憧れがあります》
「けど、病も飢えもある。逃げた先も不幸だ」
《外の不幸は、役割じゃなくて、暮らしの中にあります》
「……ルビーはまだ、その違いを言葉にできない」
《だからこそ、本を読んでいます》
書庫で頁をめくるルビーの姿が、ふっと浮かんだ。
その時間を邪魔してはいけない気がした。
「……じゃあ、一年後だな」
《一年後?》
「ルビーは書庫に通う。ゼットは、残りの準備にあと一年は要る」
《知識を増やす期間ですね》
「ああ。選ぶ理由も、選ばない理由も、ちゃんと見えるようになる」
《結末は決まりそうですか?》
「いや。仮に逃げたとしてさ。外に逃げて、指輪で終わらせて、綺麗に片がつく。……それでいいのか?」
《王道です》
「けど、なんか違うんだよな」
《どこが引っかかっていますか》
「ルビーはさ、指輪で終わらせられる可能性なんて、考えてない」
《はい。ゼットが指輪を持っていることは知りません》
「だから逃げたら、次の砂時計の子が生まれるって思うはずだ。……そこから目を背ける選択は、させたくない」
《次の子の犠牲を少しでも減らすために、残ろうとするパターンですか?》
「いや、ルビーはたぶん、正義のために残るって言い切れるほど強くもない」
《それだと、ルビーの行動が決まりません》
「ルビーは揺れる。揺れたまま進めるしかない」
《……わかりました。ですが、指輪はルビーが逃げることを選んだ時にしか渡されません》
「ああ。アンセルはルビーが自ら選ぶっていうことを重視してる」
《はい。周囲が決めたら、砂時計の子の運命と変わりません》
《それに、指輪が外で反応する保証もありません》
「もしルビーが『残る』って言ってもさ。そこで指輪の話をしたら――逃げるって言うかもしれない」
《それは、誘導です》
「あー……だよな。自分で選ぶ必要がある」
《では、指輪を発動する場所を変えます》
「どこに」
《外ではなく、国内です》
「国内?」
《ゼットの祖先の見解を使います》
「……外には拒むべき永遠がない、ってやつか」
《はい。それを逆手に取ります。つまり、永遠のある国内で拒めばいい》
「それが、指輪の使い方の正解なのか!けど……」
《きっかけが要ります》
「だな。拒む理由になる、何か」
《ただ、現実的ではありません》
「なんでそんなこと言うんだよ」
《ルビーの行動範囲は限られています。大きなきっかけが生まれる可能性は低いです》
「……低いだけで、ゼロじゃない」
頭の中で、骨組みだけが先に立った。
その向こうに、あのときのイメージが浮かぶ。
相棒AIが壊れた夜、野良AIの『不死者の国』という提案を聞いたときに浮かんだ、赤い宝石みたいなものだ。
意味も分からないまま、ずっと引っかかっていた。
あれが何だったのか、もうわかってしまっていた。
《クライマックスですね》
「ああ。このまま最終章まで書き上げる」
《では、物語を始めましょう》




