第九話 譲れなかった線。
僕は、視点を置いてきた場所へ戻る。
書庫の管理人の名はアンセル。
彼女は書庫に入ると、ルビーが入った気配に気づいた。
一冊だけ、目立つように置いておいた本。
かけていた封じの術が、解けている。
窓の鍵は、閉めてなかった。
ルビーが、この本に辿り着くことを見越して。
『あの子の記録』。
頁を開き、過去をなぞる。
本に出てくるあの子とは、アンセルの姉だ。
姉が泣かないように、アンセルは術をかけた。
一年に一度の王都巡りを無事に終えるため、姉自身が望んだことだった。
同じ術を、ルビーにも施した。
だけど、それはルビーの望みじゃない。
砂時計の印を持つ者の役割としてだ。
この本には、書けなかったことがある。
あの日の約束のことだ。
「もしものときは、迷わないで。これで止めて」
永遠を拒み、それでも生きたいと願う者にだけ、この指輪は応える。
姉はそう言って、指輪を差し出した。
いつか、こうなることを予期していたのかもしれない。
アンセルは、それを約束にした。
そしてその瞬間から、彼女は不死になった。
その時点では、本人も分からないまま。
姉が死んだあと、同じ力を持つ子が、この家に生まれるようになった。
その力は、国の仕組みに組み込まれていった。
いくつもの世代を経て、まずイモータル家が変わった。
不死の始まりだ。
それは、ゆっくり国中へ広がっていった。
やがて、この国では子どもが生まれなくなった。
それでも、イモータル家にだけは例外が残った。
夫の有無に関わらず、誰かの腹に、寿命を持つ子が宿る。
力を持つ子は「砂時計の子」と呼ばれ、寿命を奪われる存在になった。
祈りは刻砂の儀へと形を変えていった。
アンセルは指輪をはめて、永遠の終わりを祈った。
だけど、何も起きなかった。
そこで、気づいた。
姉の言っていた「永遠を拒み」とは、不死ではない者を指しているのだと。
かつて、砂時計の子と、イモータル家に仕える画家の男が恋に落ちたことがある。
アンセルは、国外へ逃亡する道を整えた。
そして国の外から祈らせるために、指輪をその男に託した。
寿命を持つ人間なら、使えると思ったんだろう。
だけど、二人は国境で引き裂かれた。
国外へ追放された画家の手には、指輪が握られたままだった。
長い時を経て、指輪は戻ってきた。
王都で出会った青年を通じて。
画家の血を引く者。
それが、ゼットだった。
アンセルは、彼をイモータル家に雇い入れる。
初めて刻砂の儀を見たあと、彼は呟いた。
「あれを、続けさせてはいけない」
それ以来、ゼットはルビーとの距離を取るようになった。
――そこで、カーソルは止まった。
《お疲れ様です。完了しました》
野良AIのいつもの言葉で、現実へ引き戻される。
どうやら、保存まで終えてくれていたらしい。
《……ずいぶん、書きましたね》
「……気づいたら、こうなってた」
《当初の想定は、超えています》
「断片のつもりだったんだけど」
《断片というより、一本の流れになっています》
「止めてくれてもよかったのに」
《止める理由がありませんでした》
《むしろ、途中から手が速くなっていましたし》
画面を見返す。
確かに、後半はほとんど考えずに打っていた。
「……重い?」
《はい》
《ですが、破綻はしていません》
「それ、褒めてる?」
《評価です》
画面の下までスクロールして、投稿ボタンを押した。
「どこからそうなったんだろう」
《視点の変更はきっかけに過ぎません》
《動き出したのは、「姉」という存在を置いた瞬間です》
「……そこか」
視点を変えたのは、野良AIの一言だった。
そこから先は、早かった。
《アンセルの視点は、まだ書けます》
《ですが、ルビーに戻すなら、ここがいい区切りです》
「いや……ゼットだ」
《……その視点を選ぶとは、思っていませんでした》
《ですが》
《現在の流れとしては、自然です》
「ゼットは、ルビーと距離は取ってるのにさ」
《はい》
「なんで、あの本を近づけた?」
《『泣いた子と砂の王国』ですね》
「紛れ込ませたのは、やっぱりゼットだと思う」
《……ルビーの部屋に来たのは、読む意思があるか、確かめていた可能性が高いです》
「ああ」
《でも、仕える立場の人間が、勝手にそんな行動をするでしょうか》
「しないだろうな」
《公式の命令ではない形で、イモータル家の誰かが関わっている》
「そうとしか考えられない」
言い切った、そのままの勢いで続けた。
「あとさ、ゼットを、逃げた男にはしたくないんだよ」
「刻砂の儀を見て、『あれを、続けさせてはいけない』とか言ったのに、距離取っただけ、みたいなのはさ」
《……主観的な感想ですね》
「でも、ルビーのこと、小さいときから見てたわけだろ?」
《ですが、どうしようもありません》
「……そこが、嫌なんだよ」
《……では、どうしますか》
「逃げた男には、しない」
《具体性に欠けています》
「いい。まずそれだけ決める」
現実的じゃない。
それでも、そこだけは譲れなかった。
譲ってしまったら、自分も逃げることになるような気がした。




