第6話:無職勇者、ハローワークへ行く。
激闘から一夜が明けた。
国税局との死闘(確定申告)を終えた俺は、久しぶりに泥のように眠った。
夢も見なかった。
そして翌日の昼過ぎ。
王都の屋敷のリビングで、俺は遅めの朝食である堅焼きパンをかじりながら、とてつもない虚無感に襲われていた。
「……暇だ」
やることがない。
魔王を倒す旅をしていた頃は、朝起きれば剣の手入れをし、地図を確認し、襲いくる魔物を警戒する日々だった。
だが今はどうだ。
平和だ。平和すぎる。
窓の外では小鳥がさえずり、街の人々の笑い声が聞こえる。
「これが……勇者の求めた平和な世界か」
俺はコーヒー(泥水のように苦い)を啜った。
手元には、昨日の激戦の結果として残った預金通帳がある。
残高:200万ゴールド。
庶民が慎ましく暮らせば2年は持つ金額だ。
だが、俺は「元・世界を救った勇者」だ。装備のメンテナンス費もかかるし、飛竜のヴォルカンの餌代も馬鹿にならない。
「勇者様、何を呆けているのですか」
リビングの扉が開き、アリエルが入ってきた。 今日も今日とて、地味なグレーのローブに銀縁眼鏡。手には新たな書類の束を抱えている。彼女は俺の顧問税理士であり、現在は屋敷の居候(家賃代わり)でもある。
「ああ、アリエルか。……いや、平和だなぁと思ってさ」
「平和? 何をおっしゃっているのです」
アリエルは冷ややかな目で俺を見下ろし、書類の束をテーブルにドサリと置いた。
「昨日の確定申告は、あくまで『所得税』の話です。戦いはまだ終わっていません。むしろ、ここからが本当の地獄ですよ」
「……え?」
「まず、来年の6月頃に、王都の役所から『住民税』の納付書が届きます」
彼女は淡々と、呪いの言葉を紡いだ。
「住民税は『前年の所得』に対して課税されます。昨日の申告で、あなたの課税所得は約3億ゴールドで確定しました。税率10%として……来年、あなたは約3000万ゴールドを支払わなければなりません」
ブフォッ!!
俺はコーヒーを吹き出した。
「さ、3000万!? 馬鹿な! 俺の手持ちは200万しかないんだぞ!?」 「ええ。ですから、このままだと来年の6月に破産します。差し押さえですね」
「嘘だろ……?」
「嘘ではありません。これが『住民税の時間差攻撃』です。多くの成金冒険者がこれで死にます」
アリエルは眼鏡をクイッと上げた。
「回避する方法はただ一つ。……稼ぐのです。それも、安定した職に就いて」
彼女はテーブルに一枚のチラシを広げた。 そこには、見慣れた冒険者ギルドの紋章と共に、こう書かれていた。
『王国総合就労支援センター(通称:ハローワーク)』
『求む! 平和な世界を支える新たな労働力!』
「さあ、着替えてください勇者様。今日は『年金の手続き』をしてから、そのまま『職探し』に向かいますよ」
◇
1時間後。
俺たちは王都の行政区にある『国民年金事務所』の窓口にいた。
担当職員の男は、分厚い瓶底眼鏡をかけた、いかにも神経質そうな男だった。
「……えー、レオ・アークライト様ですね。検索します」
職員が魔導端末に俺の名前を入力する。
「あー……これは酷い」
「ひ、酷い?」
「『国民年金』、20歳になった時点から一度も納付されていませんね。現在、1年以上の未納状態です」
職員が汚物を見るような目を向けた。
「あの、俺はその期間、魔王討伐の旅に出てまして……世界を救うのに忙しくて、役所に来れなかったというか……」
「勇者特例はありません。国民の義務です」 「ぐっ……」
「未納期間があると、将来受け取る老齢年金が減額されます。また、万が一障害を負った場合の『障害年金』も受け取れません。……今すぐ追納されますか?」
俺はアリエルを見た。彼女は小さく首を横に振った。
今の所持金200万から、数十万の年金を払うのはキャッシュフロー的に危険だ。
「……免除申請はできませんか?」
「所得審査があります。……おや、昨年度の所得が3億ゴールドもありますね。全額納付の対象です。免除は却下されます」
詰んだ。
金がある(あった)せいで、貧乏人向けの救済措置も受けられない。
俺は項垂れながら、納付書を受け取った。
「とりあえず……分割で払います」
「毎度あり。期限を守ってくださいね」
事務所を出た俺の足取りは、ゾンビよりも重かった。
世界を救った代償が、年金未納者扱いとは。
「元気を出してください。就職して『厚生年金』に入れば、会社が半分負担してくれますから」
「……会社、か」
俺は顔を上げた。
そうだ、就職だ。
正社員になれば、給料も出るし、社会保険も完備だ。住民税だって毎月の給料から天引き(特別徴収)されるから、一度に大金を払わなくて済む。
俺には「勇者」という最強の肩書きがある。 引く手あまたに決まっている!
◇
そして到着したのが、冒険者ギルドの裏手にある『王国総合就労支援センター』、通称ハローワークだ。
かつては魔物討伐の依頼書が貼られていた掲示板には、今は地味な求人票がびっしりと並んでいる。
待合室は満員だった。
職を失った鎧姿の戦士、杖を持った魔法使い、さらには人間に混じって、平和条約で人権を得たオークやゴブリンの姿もある。
「うへぇ……ライバル多いな」 「平和になった反動ですね。戦闘職の需要が激減し、みんな事務職や生産職へジョブチェンジしようと必死なのです」
アリエルに促され、俺は受付で番号札を受け取った。
そして待つこと3時間。
ようやく俺の番号が呼ばれた。
「42番の方ー。1番ブースへどうぞー」
ブースに座っていたのは、モルドという名札をつけた、顔色の悪い中年の相談員だった。 彼は俺の顔を見ても驚きもせず(毎日何人も元英雄を見ているのだろう)、事務的に一枚の紙を差し出した。
「はい、まずはこの『履歴書』と『職務経歴書』を書いてください」
「えっと……今ここで?」
「はい。書かないと紹介できませんから」
俺はペンを握った。
履歴書。自分の人生を紙切れ一枚にまとめる作業だ。
名前、住所、年齢……ここまではいい。
問題は次だ。
【学歴・職歴】
俺は田舎の村で剣術道場に通っていただけだ。学校には行っていない。
職歴? 勇者って職業なのか?
「あの、アリエル……」
「正直に書いてください。ただし、アピールになるように」
俺は悩んだ末にこう書いた。
15歳:聖剣に選ばれ、実家を出る
16歳:勇者として認定される
18歳:四天王の一人、バルバロスを討伐
21歳:魔王グランツを討伐し、世界を救済
完璧だ。
誰が見ても輝かしい経歴だ。
俺は自信満々で次の欄へ進んだ。
【資格・免許】
・普通馬車免許
・聖剣所持許可証(国王認定)
【自己PR】
体力には自信があります。どんな逆境でも諦めない根性があります。得意技は光速の剣撃で、山一つなら一太刀で両断できます。
「よし、書けた!」
俺はモルド相談員に書類を提出した。
彼は眼鏡の奥のどんよりとした目で書類に目を通し……そして、深ぁーい溜息をついた。
「はぁ……」
「えっ、何? 何か不備でも?」
「アークライトさん。……あなたは、この平和な世界で何をしたいんですか?」
「え? いや、仕事をしてお金を稼ぎたいと」 「山を両断して、どうやってお金を稼ぐんですか?」
モルド相談員は冷淡に言った。
「今の王国で、山を斬ったら『器物損壊』および『自然環境保護法違反』で逮捕されますよ」 「えっ……」
「それに、この『魔王討伐』という経歴。……これ、一般企業では何の実務経験にもなりません」
「なっ、なんだって!? 世界を救ったんだぞ!?」
「ええ、すごいことです。でも、企業が求めているのは『協調性』とか『魔導計算機操作』とか『簿記検定』なんですよ。あなたは魔王を倒す過程で、予算管理や部下のマネジメントをした経験は?」
「いや、マネジメントっていうか、皆勝手に戦ってたし……」
「つまり、実務経験なしの『未経験者』ってことですね」
ガーン。
未経験者。21歳にして、俺はただの素人扱いされた。
「それに、この『聖剣所持許可証』ですが……平和条約の締結により、街中での帯刀は原則禁止になりました。就職するなら、その剣は預かり所へ預けていただきます」
「そ、そんな! エクスカリバーは俺の魂だぞ!」
「魂で飯は食えません」
モルド相談員は魔導器をカタカタと叩き、端末画面を俺に向けた。
「あなたのスキル(剣術Lv.MAX、身体強化Lv.MAX、勇気Lv.MAX)を活かせる求人は……現状、これしかありません」
提示された求人票は3つだった。
1.王宮近衛騎士団・新人隊員
・業務内容:王城の門番、警備
・給与:月給18万ゴールド
・条件:上官の命令に絶対服従できる方。残業多め。
2.解体業「ドワーフ工業」
・現場作業員
・業務内容:老朽化したダンジョンの破壊、整地
・給与:日給8000ゴールド(日払い可)
・条件:体力自慢求む。剣で壁を壊せる方優遇。
3.冒険者ギルド・倉庫整理アルバイト
・業務内容:ポーション瓶の仕分け、薬草の梱包
・給与:時給950ゴールド
・条件:単純作業に耐えられる方。
「…………」
俺は絶句した。
1番の騎士団は、かつての部下たちが幹部になっている組織だ。
今さら「新人」として彼らに敬礼しろと言うのか?プライドが死ぬ。
2番は肉体労働。3番はバイト。
「あ、あの……もっとこう、幹部候補とか、アドバイザー的な仕事は……」
「実績のない方に、いきなり管理職を任せる会社はありません」
モルド相談員は無慈悲に言った。
「アークライトさん。勇者という過去の栄光は捨ててください。今のあなたは、ただの『高卒・職歴なし・特殊技能(殺傷能力)あり』の危険人物なんです」
危険人物。
その言葉が胸に突き刺さる。
横にいたアリエルが、助け船を出すどころか「的確な分析ですね」と頷いている。味方はいないのか。
「……分かりました。出直します」
俺は履歴書をひったくり、逃げるようにブースを後にした。
◇
ハローワークを出ると、夕日が街を赤く染めていた。
カラス(いや、小型のワイバーンか)が鳴いている。
「……世知辛ぇな、チクショウ」
俺はベンチに座り込み、ぐしゃぐしゃになった履歴書を眺めた。
特技:山を斬れる。 今見ると、確かに頭の悪い自己PRだ。
「現実は厳しいですね、勇者様」
アリエルが隣に座り、缶コーヒー(加糖)を渡してくれた。
「でも、これが『普通』なんです。誰もが剣一本で生きていけるわけじゃない。みんな、頭を下げて、スキルを磨いて、社会の歯車として生きている」
「……お前もか?」
「ええ。私も魔王軍時代はブイブイ言わせていましたが、こっちに来てからは必死に人間の税法を勉強しましたよ。夜鍋してね」
彼女の横顔が、少しだけ優しく見えた。
元敵幹部ですら、そうやって努力して「税理士」という居場所を見つけたのだ。
それに比べて俺はどうだ。
「勇者だから」とふんぞり返って、社会のルールを学ぼうともしなかった。
「……悪かったな、アリエル。俺、ちょっと甘えてたわ」
「おや、素直ですね」
「決めたぞ。俺は働く。……騎士団は嫌だが、解体屋でもなんでもやってやる。まずは金だ。金を稼いで、住民税を払って……それからだ」
俺が立ち上がろうとした、その時だった。
「――お探しですか? 『あなたにしかできない仕事』を」
不意に、背後から声をかけられた。
振り返ると、そこには奇妙な男が立っていた。 全身を高級そうな白いスーツで包み、シルクハットを被った、胡散臭い笑顔の男。
手にはステッキを持っている。
「誰だ、あんた」 「お初にお目にかかります、英雄レオ・アークライト様。私の名はメフィスト。しがない人材コーディネーターです」
メフィストと名乗った男は、優雅に一礼した。 その目には、国税局のヘルガとも、相談員のモルドとも違う、底知れない「商売人」の光が宿っていた。
「ハローワークでは良い案件が見つからなかったようですね。……いかがでしょう? 私なら、あなたのその『山を斬る力』を、高く評価してくれるクライアントを紹介できますよ」 「……なんだと?」
「ただし、少々『訳あり』の案件ですがね。報酬は弾みます。……年収5000万ゴールド、いかがですか?」
5000万。
騎士団の給料の20年分以上だ。
怪しい。明らかに怪しい。
だが、今の俺の懐事情と、傷ついたプライドには、その言葉はあまりに甘い毒だった。
「勇者様、やめた方がいいです。この男からは『闇』の匂いがします」
アリエルが小声で警告し、警戒態勢をとる。 しかし、メフィストは気にせず名刺を差し出した。
「お考えください。あなたの力が必要な場所は、光の当たる場所だけとは限りませんから」
男は名刺を俺の胸ポケットにねじ込むと、煙のように人混みへと消えていった。
残された名刺には、ただ一言、こう書かれていた。
『株式会社・黄昏興業 代表取締役社長 メフィスト』
ハローワークでの挫折。
そして忍び寄る、怪しいヘッドハンティング。 無職勇者の就職活動は、思わぬ方向へと転がり始めようとしていた。




