え? 愛されると思っていたんですか? 本当に?
うちは子爵家で貴族の端くれだが貧乏だ。食べ物に困る程ではないが、ドレスを仕立てるのに困る程度には貧乏だ。私は十八歳適齢期だが、下にはまだ妹が二人いる。我が家に持参金を用意出来る程のお金がある筈はない。どこかで侍女として働けないかと仕事を探しているのだが、侍女の仕事だけで妹二人の持参金を用意することが出来るのかと不安はある。
「あー、空からお金が降って来ないかなあ」
或いは、金持ちの親戚が亡くなって遺産が入るとか。いえ、駄目ね。そんな親戚いないもの。では、親切にした行きずりのおじいさんとかおばあさんが、「遺産はあの時親切にしてくれたお嬢さんに」と言って遺産が転がり込んで来るとか? まだその方が現実味はあるかも、と私は小さな頃からなるべくお年寄りには親切にして過ごしていた。
やはり親切って大事よね。
縁談が転がり込んできた。しかも相手は伯爵家の嫡男様。持参金は要らない、実家に援助をしてくれる、と言われたら、どう考えても裏がある話だと分かっていても、この話には乗るしかない。美人だとは言われるけど、絶世の美貌という訳ではないので、私の評判が知れ渡り求婚された、なんてことは絶対にない。
両親も妹たちも必死に私を止めたけど、私を止める手は緩かった。だって、ぶら下げられたお金は欲しいものね。分かってる。家族は悪くない。みんな貧乏が悪いんだ。
という訳で、覚悟を決めて嫁に行きました。
はい。裏がありました。
ジュリアン・マクレガー様は伯爵家の嫡男で、金髪碧眼、眉目秀麗、近衛隊に属する若きホープ、さぞかし女性にもてるだろうに、何故かこんな会ったこともない貧乏子爵令嬢を嫁にした理由がありました。
「メアリー・ドルムント子爵令嬢に言っておく。私には離れ離れになってしまったが昔からずっと探している愛する人がいる。なので君を愛するつもりはない。親が煩くて止む無く結婚をしたが、三年子供が出来なければ正式に離婚することが出来る。それまでの我慢だ」
嫌そうにこちらを見下げてくるが、こちらも嫌なんですけどね?
「ということは、白い結婚で宜しいですか?」
「もちろんだ。君に触れる気もおきないね」
なるほど。まだいいかな。純潔を売ってお金をもらう、という覚悟で来たのだが、そこまで言われて見下げられてまで純潔を売るつもりはない。
「では、三年後に離婚するときには、もちろん慰謝料は頂けますよね?」
だって、子供出来ないの当たり前じゃない。私が悪い訳じゃないのに、私は「子供を授からなかった」と世間から白い目を向けられてしまうのだから。「白い結婚」だったと言ったところで、「魅力がなかったからだ」とやはり女のせいにされるのだ。理不尽だわ。
「金のことしかないのか。卑しいやつめ」
その金を餌にしてお飾りの妻を得た奴が言う事か?
「大事な事ですわ。契約書を交わしてください。三年待たずに旦那様の愛する人が見つかった場合は、すぐに離婚させていただきます。その時は、慰謝料の上乗せをお願いしますね」
考えるように眉間にしわを寄せてこちらを睨んでくる。ケチね。
「愛する人が見つかって迎えに行かれる時に、独身の方がよろしいんじゃないですか?」
「……そうだな」
という訳で、無事! 契約書を! いただきました!
最低限の社交はしてもらう、って厚かましくないですか? まあしますけど。パートナーが必須の夜会は出席不要ということで、昼間の御婦人方とのお茶会だけ出席した。何も喋るなと言われておりますから喋りませんけど、「体調不良」で夜会は欠席しているのに、お茶会には元気に出席しているんだから、皆さん自ずと事情を察してくださいました。
旦那様、女性を軽視しすぎじゃないかしら?
領地にいらっしゃるお義母さまがどう思われるか分からないけれども、侍女たちに苛められるということもなく、社交界の奥様たちに馬鹿にされるということもなく。いや、なかなか快適じゃない?
とりあえず、離婚した後のことを考えないとねえと、それとなくお茶会で何か仕事はないかと情報を探る日々となった。
そんな或る日。
「愛しい人が見つかりそうだ。契約通り出て行ってもらおう!」
「分かりました」
こちらがあっさりと頷いたからか、旦那様は目を丸くしていた。「嫌だ」と言われるとでも思ったの? そんな訳ないじゃない。こちらを透明人間のように扱ってきたくせに。
「では、明日には出て行きましょう。よろしければ実家に戻るついでに離婚届も出しておきますわ。見届け人として、どなたか従者をつけていただけますか?」
「明日? 荷物は」
「御心配ありがとうございます。大丈夫ですわ。常に、この時の為に荷造りはしておりましたから」
こっちだって、こんな家はさっさと出て行きたいから、荷物は最小限で生活をしていた。殊勝な心掛けとでも思ったのか、旦那様は満足そうに頷いている。
「それで、慰謝料は?」
「ああ、すぐに用意しよう」
一番大事なことなんだから、眉を顰められても食いつかせていただきます。
「今から離婚届と一緒に用意する。パトリック、君が明日一緒に行って見届けてくれ」
「かしこまりました」
帳簿の見方を教えてくれていた執事見習のパトリックが、私の隣で頷いた。帳簿の見方やつけ方などを、極秘資料ではない伯爵家の帳簿を元に色々と教えて貰えて、これだけはこの屋敷に来てよかったと感謝できる。感謝の相手は旦那様ではないですけどね。
翌日、旦那様がいつも通りに出勤した後に、私は荷物を纏めて馬車に乗せ、受け取った小切手と離婚届を抱えてパトリックと共に役所に行って晴れて伯爵家とは縁が切れた。
結局、結婚生活は一年と少し。子供が出来ないことを理由にしての離婚であるから、そんな短期間で? と旦那様いえ元旦那様の評判はまた落ちるんじゃないかしら?
貴族の方は女性を大事にしなければならない、と教えられているのに女性を蔑視していることを隠そうともしないから、私のような貧乏子爵の娘に求婚するしかなかったのだろう。
「心から愛する人」には優しく接するのかしら? 見当違いな優しさじゃなければいいのだけれど……ってもう関係ない人の事を考えても仕方ないですよね!
嫁入り前が水底に沈む寸前だった我が家ですが、今はかろうじて浮き輪に掴まることが出来ている程度で、お金がない状態には変わりはない。
さあ、頑張ってお金を稼ぐぞ!
お茶会で集めた情報、人脈、慰謝料を元に我が家は商いを始めた。領地の特産品で商いをする、と思いついてくれたのは、私が救世主と呼ばせてもらっているパトリックだ。もうパトリック様様である。
毎日忙しく働いていた或る日、思いもしなかった客が我が家にやってきた。
「………………」
「………………」
玄関で、両手いっぱいに薔薇を抱えた元旦那様とお互いに無言で向き合ってしまった。
「何故、お前がいる!」
「何故、ここに来た!」
お互いに声が被ってしまった。
「いえ、ここ、私の実家ですし……」
何を言ってるんだろう? と思いながら一応答えると、元旦那様はあんぐりと口を開けていた。
「嘘を吐くな!」
「知らない人の家で出迎えられる訳ないでしょう。嘘じゃないですよ」
そう言えばこの人、結婚決まった時も一度も挨拶に来たことなかったわ。全部代理人だった。
「ここにメアリー・ドルムント子爵令嬢がいる筈だ!」
「…………私ですが?」
「……嘘を吐けっ!」
「嘘じゃないですよ(何度も言わせるな)。私との結婚証明書でも離婚届でも書類を見てみたらいいじゃないですか」
何、この人? 元妻の名前も覚えていなかったの? 確かに名前も呼ばれたことなかったけど……いや、初日に愛する人がいるって言った時に私の名前を呼んだよね?
元旦那様は後ろを振り返り、控える従者はとても疲れた顔でこくりと頷いた。ああ、言おうとしても聞いてもらえなかったんだね……と、私は彼に深く同情した。
「……なんてことだ。ずっと探していた私の運命の人は、私の傍に居たのか。やはり私たちは結ばれる運命だったのだな」
「……………………は?」
心底意味が分からなくて訊き返せば、元旦那様は頬を染めて私にきらきらの笑顔で笑いかけてきた。いや、そんな顔初めて見たわ。そんな表情出来るんだ。
「憶えているだろうか? 昔、ピスカル湖で会った時のことを。確か君は八歳だと言っていた」
ピスカル湖? お金持ちの人達の別荘地よね。そんな所に行く余裕は我が家にはないけれども、行った覚えはある。道で具合が悪いとしゃがみこんでいたお婆さんを家まで送ってから時々家に遊びに行くようになり、嫁に行った娘夫婦が招いてくれたから良かったら一緒に、って他人の別荘地に遊びに行ったことはある。
でも、元旦那様と会った覚えはない。
「朝靄かかる湖畔で初めて君と会った時、私は妖精が舞い降りているのかと思ったよ」
浮かれて早く起きることはあった。
「それから、二人で湖を一緒に眺めて」
ん? 話はしていない?
「もう明日には、家に帰らないといけない……って、君は泣いていたね」
泣いた覚えはある。家事をしなくていいし、ご飯が出来れば呼ばれて食べるだけって天国か! って生活がもう終わりなんだ、って涙ぐんだ覚えはある。
でも、元旦那様の記憶はない。
え? この人、話したこともないのに、運命の女性とか言ってずっと探してたの?
怖っ! めっちゃ怖っ! 何その思い込み!
「どうか、私の妻になって欲しい」
「え、嫌です」
どう言えばいいんだろうと考えたのに、反射的に素直な気持ちが口から出てきてしまった。
「そんな、どうして?」
「いえ、私、妻でしたよね? 追い出したのはそちらですよね?」
「それはだって、君だと知らなかったから……。君も言ってくれれば良かったのに」
いや、私はあなた知らないから! 知らないのに何を言えと? 雑談もしなかった間柄でしたよね? 何をさり気なく私のせいにしてるんだ。
「会話もなく、会うこともなかったのに、私が何を言えと?」
「仕方がなかったんだ。君だと分かっていれば大切にした。今度はきっと、大切にする」
何が、仕方なかったんだろう?
「女性に冷たい方は嫌いです」
「私は、この容姿や家柄目当ての女たちに昔から言い寄られてきた。地位だ金だと煩い女たちばかりで反吐が出る。君だけが特別だ。君だけに優しくする」
いや、その家柄と金で私を買ったよね? 何言ってるの?
「……私は、ピスカル湖で貴方と出会った記憶はございません。貴方の運命の人ではありません」
「心配しなくても大丈夫だ。私が覚えている」
何が大丈夫なんだ! うわああ駄目だ! 言葉が通じない!
「散々、私のことを無視して蔑んで会うこともなく、会話もなく、偶然出会ったら虫を見るように顔を顰めてきた人を愛せるわけがないでしょう?」
「これからは優しくするって言っているのに?」
何で驚いた顔をするのかな? え? この人、私が「はい喜んで」と頷くと思っていたの? 愛されると思っていたの? 本当に? どうやって?
「これからどんなに優しくされても、あなたに対する嫌悪感はもう拭うことは出来ません! それに、私には愛する人がいますので、貴方を愛することはございません!」
「ただいま、メアリー。お客様かい?」
ああ、私の救世主!
「パトリック……、お前がどうしてここに?」
「御無沙汰しております、旦那様」
旦那様は回り込んで、私の隣に並んでくれた。
「ご挨拶が遅れました。お屋敷を暇させて頂きましてから、メアリー・ドルムント令嬢と結婚させていただいております」
元旦那様は、茫然と私たち二人を見比べた。
「別れてまだ半年経っていないのに」
そうなのだ。女性は離婚した後も子供がどちらの子供か分からないとなっていはいけないので、再婚するまでに半年時間を置かなければならない。
しかし。
「だって、私は白い結婚でしたもの。教会に旦那様との契約書と医師の純潔であるという証明書を提出いたしまして、無事、婚姻届は受理されております」
私は心からの笑顔でそう言った。
思えば、この方の前で心から笑ったのは初めてである。
パトリックは旦那様から冷たくあしらわれている私が不憫で気にかけてくれるようになったらしく、私も色々と気を配ってくれるパトリックに惹かれていった。そういった経緯を言えば「不貞だ」と言われても困るので言わないが。
「旦那様と別れた後のメアリーが気になりまして、色々と相談に乗っているうちに惹かれました」
ここですらりと無難な流れを作ってしまうところがさすが私の旦那様!
子爵家に婿入りしてくれた旦那様を中心に商いを始め、今少しずつ子爵家を立て直そうと家族みんなで奮闘している最中である。
やりがいがあって、毎日が楽しい。
「旦那様と出会わせてくれたことには感謝しております」
にこりと旦那様と向かい合って微笑み合えば、元旦那様はよろよろとした足取りで出て行った。
「……なんだか気の毒だね」
玄関先に捨てられていった薔薇の花束を拾いながら、旦那様は呟いた。
全然そうは思わないけど。
尊厳を踏みにじられ、蔑視されてきて、今更愛せる訳もない。
「そうね、次の方とはちゃんと愛し愛される関係になると良いわね」
今、そう思えるのは、旦那様が私を愛してくれるからだ。
まあ、あの考え方がそう簡単に改まるとは思わないけどね。
ピスカル湖。白い湖です。この湖の水が濃いと感じるか薄いと感じるかで家がお金持ちか貧乏か分かります(笑)
6/15追記:元旦那についてのご感想ありがとうございます。皆様、感想が同じで笑います。蛇足で付け加えますと、元旦那は別荘地で離れてて見かけた程度なので、ヒロインは会った認識はありません。元旦那は探し始めたのは大人になって結婚をせっつかれてからです。それまでは、理想の女性として美化して妄想を温めてたのでここで彼の頭の中だけの人間が出来上がっております。元旦那、何者か探しましたが、別荘が親切にした行きずりのお婆さんの嫁いだ先の娘夫婦が別の人から借りた別荘に赤の他人のヒロインが遊びに行きましたので、お婆さんも亡くなったりしまして中々ヒロインに辿り着かず見つけられなかったのです。その間にヒロインと契約結婚をして、書類を見て最初に名前を呼びましたが、すぐに忘れます。「運命の人」が見つかりそうだ、で別れて、見つかった、と名前を見ますが、ヒロインの名前忘れてますから一致しません。サイテーですね。