エレンの家
エレンは助手席に戻り、ルミに向かって、
「ここを入って行くさね」
ルミは驚きを隠せず、声を上げた。
「は、入って行けって崖になってますけど!」
エレンは淡々と説明を続けた。
「3D投影で映し出された崖と脳に直接働きかける電波で、本物の崖にしかみえないだけさね。ガードレールも顔と指紋で開閉する仕掛けにしといたさね」
その言葉を聞いても、ルミはエレンを見ながら、半信半疑の表情を浮かべた。目の前の崖があまりにも本物そっくりなので、信じられないようだ。
エレンはルミの表情を読み取ったが、
「いいから、行くさね」
ルミは深呼吸をしてアクセルを踏み、崖に差し掛かった。
ルミは怖くなり、もう一度エレンに聞いた。
「猫さん、本当に大丈夫ですよね」
ルミは前だけを見て進んでいった。
3Dで出来た崖を越えると、本当の道が続いていた。
一応は道のようにはなっているが、ほとんど使われていないのか獣道のようだ。
エレンは前方を指差し、
「しばらく真っ直ぐ行けば、上り坂のトンネルになってるから、そこを抜けるさね」
車はエレンの指示に従って、薄暗いトンネルに入った。トンネルを抜けると、広場が広がっているのが見えた。広場の向こうには森が広がっている。
エレンはルミに再び指を差しながら、
「ルミ、そのピックアップトラックの後ろに止めるさね」
広場の左端、森の寸前に止まっているトラックの後ろに車を止めた。
全員が車から降り、エレンを先頭にして、みんなで森の中へと歩き始めた。
森の中は薄暗く、静寂が広がっていた。時々、何かの動物の鳴き声や、走る音が聞こえる。
ルミと子供たちは、エレンの後を追って進んでいった。
森の中をしばらく歩くと、木々のない、雑草が生い茂る場所に到達した。広さは家のドア2枚分ほどだ。エレンは片膝をつき、手で積もった土を退け始めた。
「確か、このあたりにスイッチがあるはずさね」
その声を聞いて、ルミと子供たちも、一緒に土を退け始めた。
しばらくすると、ルミの指が何かに触れた。
「猫さん、ここに何かありますよ」
エレンはみんなに、
「その辺りの土をどけるさね」
皆で土を取り除くと、やがてシャッターが現れた。
エレンは人差し指をシャッターの横の小さな丸い部分に置き、正面の木を見つめた。
少し待っても何も起こらない。ガードレールの門と同じく、指紋と顔認証で作動するはずだった。
エレンは木を指さしながら、
「ルミ、その木の真ん中にあるレンズを拭いてくれないかい」
ルミは小さなレンズを見つけ、慎重に拭いた。音もなくシャッターが開き始め、エレンは立ち上がった。
「これを動かすのは、8年ぶりさね」
シャッターが五十センチほど開いたとき、中から何かが飛び出してエレンの顔面を襲ってきた。
エレンはとっさに、パンチを繰り出した。
パンチは、襲ってきた猿の顔面にめり込んだ。
エレンは落ちていく猿を抱きかかえた。
「コン! 何やってんだい」
猿のコンは、エレンに抱かれながら説明した。
「キーキー、キーキーキキキ」
猿のコンはエレンの腕から降りた。
レイコがエレンに近づき尋ねた。
「そのお猿さんもお友達なの? お猿さんはなんて言ってるの?」
エレンは説明を始めた。
「コンはあたしを慕って、一緒にここに住んでるさね。初めてこのシャッターが動いたから、敵だと思ったらしいさね。コンはこの山のボス猿だから、縄張り意識が強いさね」
シャッターが開くと、下に階段が現れた。猿のコンが四足で階段を降り始めた。
エレンが皆に向って、
「階段を降りるよ」
エレンは階段を下り始め、ルミと子供たちもそれに続いた。下に降りると,明るい洞窟のような空間が広がっていた。階段の反対側には外へ続く道があり、左右にドアが並んでいる。
ルミが尋ねた。
「どうやってこんなのを作ったの?」
「この山で知り合った穴掘り名人の大ミミズがいるさね。金や宝石も持ってきてくれるから、お金には困らないさね」
エレンが外を指差し、子供たちに向かって、
「ここから外に出ようとするんじゃないよ。崖になってるから、落ちたら死ぬさね」
ルミは恐る恐る外に通じる方向に歩き、1メートルほど手前から下を覗いた。下は森が広がる崖だった。
「何ここ!怖すぎる」
ルミは戻ってきてエレンに、
「なんでこんな危険なところに洞窟を作ったの?」
「ここはあたしの出入口さね。」
「え!」
ルミは驚いたが、笑顔で
「またまた、冗談はやめてくださいよ」
エレンは真面目な顔で答えた。
「あたしゃ猫だからね。この程度の崖なら登り降りは簡単さね」
ルミの服が下から引っ張られた。レイコがルミの顔を見つめている。
「猫さんだよ。前にも猫さんていったのに」
ルミは意味がわからなかった。レイコに顔を近づけ、眉を寄せ、
「どういう意味?」
エレンがルミに向かって、
「着ぐるみじゃないさね。本物の猫さね」
そう言って、自分の頬を引っ張って見せた。
「え!」
ルミは目を見開いた。目の前にいるのは確かにあの着ぐるみだと思っていた猫。でも本物?頭の中で現実と非現実が混ざり合う。
「えー!!本物の猫...化け猫...妖怪!」
声を上げたものの、次の言葉が出てこない。思考が追いつかず、ルミは動けなくなった。
剛はエレンに、
「猫、俺たちの父ちゃんと母ちゃんを見に行ってくれるのか?」
「今、村に行くのは危険すぎるさね。たぶん、明日わかるさね」
「明日、見に行ってくれるんだな」
「あたしじゃないけど、見に行く予定さね」
エレンは少し歩いて、ドアを開けた。中はリビングになっていた。エレンはルミと子供たちに、
「今日はこの部屋に泊まっていきな」
悟がルミの手を引っ張り、リビングに向かった。
「ルミねえちゃん、中を見ようよ」
ルミの足は動いたが、まだ状況がつかめていない。フラフラした足取りだ。
ドアの入り口に来たとき、エレンが話しかけた。
「ルミ、猫のあたしじゃワクワクしないのかい?」
ニコッと笑っているエレンの顔を見たルミは、真顔でじっと見つめた後、ニコッと笑って悟と繋いでいない方の手でこぶしを握り、腰のあたりで腕を上下に振った。
「そうですよね!猫の妖怪ですもんね。すごいですよね。ワクワクしてきました」
エレンは笑いながら答えた。
「妖怪なんていないさね。あたしゃ、言わば進化した猫さね」
ルミは少しがっかりした様子で、
「そうなんですか。妖怪の方がカッコいいのに」
エレンは心の中で思った。
(妖怪の方がカッコいい?なぜさね?)
「ん~まぁいいさね」
リビングの床はコンクリートの打ちっぱなしで、その上に絨毯が敷いてある。ソファーが二脚あり、テーブルやテレビまである。
子供たちはソファーの上でジャンプして、無邪気な笑顔でキャッキャッと遊び始めた。