エレンとルミとマンドラゴラとブサ
明るい時間であるにもかかわらず、国道は、彼らの無言の群れに支配されていた。
エレンは運転席のルミの方を向いて、
「ルミ、少しでも音が入らないように、窓をきっちりと閉めな」
マントのポケットからマンドラゴラを取り出し、右手で持つと、
「マンドラ、これを使いな」
エレンは小さなメガホンをマンドラゴラに渡し、
「歌えって言えば、このメガホンを使って、前に向かって本気で歌うんだよ。横向いちゃだめだよ」
マンドラゴラはおしゃぶりをしながら頷いた。少し疲れた様子で、
「わかった。でもお水がほしい。喉が渇いた」
エレンは優しくなだめた。
「もう少し頑張っておくれ。家に帰ったら美味しい水を飲んで、ゆっくり泥のお風呂に入れてあげるから」
マンドラゴラは手を挙げて、元気のいい笑顔で、
「わかった!」
エレンはルミに指示を出した。
「ルミ、出発だ。八十キロぐらいで突っ走っておくれ。速度が速すぎると、奴らが破裂する前に車にあたっちまうからね」
ルミは自信に満ちた声で、
「まかせといて!」
ルミはギアを一速に入れて発進した。車はゆっくりと前方へと加速して行く。耳を澄ませてエンジン音を頼りに時速八十キロまでアクセルを踏んでいった。
ブサは三百メートル上空まで羽ばたき、翼を縮めたかと思うと、矢のように急降下を始めた。ハヤブサの急降下記録は、時速三百五十〜三百八十九キロメートルである。
地上十メートルほどで翼を半分広げ、地上五メートルで翼を調節して水平飛行に移り、強力な強酸性溶解液を持つ大型ウツボカズラの液体を降らせながら、猛スピードで偽人間の群れを駆け抜けた。
まるで、熱した鉄球を氷の上に置いたかように、溶液のかかった偽人間の体が溶けていく。
エレンはボンネットの上で耳を折りたたんでフードを深く被り、左手でマンドラゴラのおしゃぶりを引き抜いた。
「マンドラ!本気でおもいっきり歌いな!」
マンドラゴラはメガホンを口にあて、聞いたことのない言葉で歌い始めた。
その高音は、空気をも振動させているようで、前方にいる村人の偽人間が、次々に破裂していった。
バシュ、ボシュ、バシュ、バシュ
エレンには、ボンネットの上から、村人の群れを抜けるのにあと半分というのが見えた。
「マンドラ、その調子だよ!頑張っておくれよ!もう少しだよ」
バシュ、ボシュ、バシュ、バシュ
車は八十キロで走り続け、状況は順調に見えた。偽人間が次々に倒れていく。
しかし、突如として激しい衝撃が車体を襲った。
ガゴォォン!!
車の前方が、何かに衝突し、その勢いで後部が跳ね上げられ、車は宙に舞った。
エレンは前方に飛ばされながら、マンドラゴラをポケットに押し込んだ。
空中を飛びながら下を見ると、いくつかの大きなスライムが、道にバリヤを張っていたのが見えた。
「スライムの塊に止められたのかい!奴らにゃ五感がないから歌が効かなかったんだね」
エレンは道路に叩きつけられる前に、体を回転させ、四本足で着地した。
前方から、エレンめがけて車が飛んできたが、横に飛んでギリギリでかわした。
車は縦に一回転して、屋根を上にして停止した。
エレンは急いで車に駆け寄った。車の窓はすべて割れていた。しかし、ルミも子供たちも大丈夫そうである。
ルミに声をかけた。
「生きてるかい」
ルミはハンドルを握ったまま、頼りなげな声で、
「なんとか...大丈夫です。布を取ってもいいですか」
「取りな」
エレンの布が衝撃を通さなかったおかげで、ルミの顔や頭には傷一つなかった。
エレンは、車に張り巡らされたロールバー(乗員の保護用パイプ)を見ながら、
「あんた、本格的な走り屋系コスプレイヤーで助かったね。これがなかったらやばかったよ」
エレンは後部座席に向かって、
「子供たちは、まだ布を取っちゃだめだよ」
三人で手を繋いでいる子供たちは、泣きながら頷き返事をした。
「ウン」
エレンはルミに尋ねた。
「運転できるかい?」
ルミは少し元気を取り戻した声で、
「大丈夫ですよ」
エレンは助手席に乗り込んだ。後ろを見ると、三十人ほどの村人が追ってきている。
「奴らが追って来てる。早くエンジンを掛けとくれ」
ルミも一瞬バックミラーを見て焦った。キーを回したが、キュンキュンキュンとセルモーターは回っているが、エンジンが掛からない。
村人が直ぐ後ろまで来ている。ルミは祈るように言葉に出して、
「エンジン!掛かれ!掛かれ!掛かれ!」
エンジンが掛かった。
ギュギュン、ドドド、ブォオオオン!!
「いい子よ!」
無表情で追ってきた村人の一人が、両腕を伸ばしてハッチバックを掴んだ。
車はホイールスピンしながら走り出した。
エレンが後ろを見ると、村人の偽人間は引きずられながら、少しずつ腕を縮めて近づいて来る。
ルミはギアをニ速に入れ、アクセルを全開にする。
回転計が四千五百回転を示すと、ターボ計が強烈な加給圧を示して、物凄い加速が始まった。
アクセルは全開のままだ。
「六百馬力の加速よ!手を離しなさいよ!」
それでも、偽人間の村人は手を離さない。
ルミは三速にギアを入れた。
緩やかなカーブに差し掛かると、スピードメーターは百四十キロを指していた。
タイヤがギャーギャーと悲鳴を上げ、車内には緊張感が漂ってる。
後ろにしがみつく偽人間の村人は、空中に浮いているが、まだ手を離さない。
エレンはバックミラーで偽人間を一瞥して、
あいつ一匹ならマンドラで倒すか。
マントのポケットからマンドラゴラを取り出すが、元気がなさそうだった。
脱水症状を起こしている。喉が渇いたって言ってたね。早く水を与えてやらないと死んでしまうさね。マンドラなしでどうする。ウツボカズラもハエトリ草もないし...
前方に四車線の国道が現れた。
穏やかなカーブから繋がるT字路だ。
曲がるには速度を抑えなければならないが、逆に速度を落としすぎれば、後ろの偽人間の村人が一気に車に乗り込んでくる。
ルミは自分を奮い立たせるように叫んだ。
「百回以上『Dの峠』を読んだんだからね。行くわよ!」
ハンドルを握るルミの顔は完全に戦闘モードになっていた。
アクセルを全開のまま慎重にハンドルを右に切った。タイヤがギャーと鳴り響き、後ろのタイヤが滑りながら車全体が左側に滑って行く。
ガン!ガキガキ!
車の左側がガードレールにぶつかった。それでも、ルミはアクセルを全開にしたままだ。エレンがバックミラー越しに後ろを見た。
偽人間の村人もガードレールにぶつかったが、何も感じていないようだ。
ルミは左右に暴れる車を立て直し、全開のまま直線を走り続けた。
だが、スピードメーターが上がらない。
「スピードが出ないよ!」
ルミは焦りながら叫んだ。
もう一度アクセルを踏み直すが、スピードは上がらない。水温計を見ると、針が振り切れていた。
ルミは目を見開いた。
「オーバーヒート!」
エレンが尋ねた。
「どうするさね。車を止めて戦うさね?」
ルミは困った様子でエレンを横目で見た。
「どうしよう...」
その時、対向車に大型トラックが見えた。
ルミは気合を入れ直し、
「これしかない!みんな、掴まっててよ」
「何をするんだい!」
車内に緊張が走る。
ルミは一瞬だけ右にハンドルを切り、すぐに左へハンドルを切りながらサイドブレーキを引いた。
車は左に回転した。後ろにしがみついていた偽人間の村人が対向車線に飛び出し、大型トラックに激突した。
その瞬間、偽人間の村人は四散した。
作者より
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