吾輩が美少女になった件~紳士なダークヒーローが師匠に告白するまで~
「ありえぬ」
ジャドウ=グレイは鏡に映った己の姿を見て驚愕した。
億千年の時を生き不死身の肉体を持つ彼が驚くことなど滅多にないのだが、こればかりは現実を疑ってしまった。
鏡に映った彼は美少女になっていた。
常に逆撫でた銀髪は膝裏まで届くほどの長さになり、196㎝の高身長だった背丈は160㎝ほどに縮まっている。皺だらけだった肌は瑞々しく、自慢の白髭は跡形もなく消えている。
この世の悪意の全てを包み込んだような冷徹鋭利な黒い瞳は色こそ同じなものの、ツリ目がちながらキラキラと希望の光に満ちている。
「ありえぬ……!」
ジャドウは全身鏡の枠を掴まえ己を凝視するが何の変化もない。
彼はこの世で女が最も嫌いだった。女と会話するだけで虫唾が走る。
だから彼はスター流の女メンバーを拒絶している。特に闇野美琴に関しては彼が忠誠を誓っているスターのお気に入りという理由でことさら嫌っているほどだ。
その彼が女になっていた。
目を血走らせ奥歯を強く噛みしめ現実を否定しようとするが、元には戻らない。
普段は飄々としている彼も遂に絶叫した。
現実から逃避すべく彼は自室の酒を収納している棚に手を伸ばそうとして、動きが止まる。
無類の酒好きの彼は食べ物を摂取しない代わりにいつでも酒を飲んでいるほど酒を好んでいるのだが、酒を取ろうとすると指先から肩にいたるまで小刻みに震えるのだ。
肉体の変化が酒を拒んでいる。これまでの彼の生活からは想像もできない変化だ。
酒の代わりに猛烈に葡萄ジュースが飲みたくなった。欲望を抑えることができず、自室を飛び出して購入してきたジュースのキャップを外し、ラッパ飲みをする。甘く爽やかな香りが鼻腔を抜け、喉を通って胃を満たしていく。脳が冷静さを取り戻していく。
彼は深く長く嘆息をした。今すべきことは一刻も早く元の身体に戻ることだ。
そのために何をすればいいのか明晰な頭脳を誇る彼はすぐに答えを導き出した。
☆
「スター様! 偉大なるあなた様の力で吾輩をどうか元の身体に戻してほしいのです」
スター流本部の会長室にて。ジャドウは土下座をして師に懇願した。
豊かな金髪、星のように輝く青い瞳、茶色のスーツを着こなした三十代ほどに見える紳士はいつもと変わらぬ微笑を浮かべて言った。
「却下」
「な……!」
爽やかなスマイルから放たれた言葉にジャドウは絶句する。
「スター様、どうかご慈悲を! このままでは吾輩は正気を失ってしまいます!」
「今の姿も可愛いし、すぐに戻すのも勿体ない気がするから、しばらくはこの姿で過ごしてみたまえ」
可愛い。冷酷非情を地で行くジャドウにとって対極の言葉だ。
通常なら屈辱で拳を血が出るほど握りしめているだろう。
けれど、この時のジャドウは違った。
なぜか心がじんわりと温かくなるような感覚を覚えたのだ。
敬愛する師から『可愛い』などと言われたことが新鮮だったし、どこか称賛めいた響きがあったからだ。師が望むのならそれに応じるのが忠臣としての務めではないだろうか。
「……スター様の仰せのままに」
ジャドウは膨らんだ胸に手を当てて軽く腰を曲げて騎士風の礼をした。
☆
スターの命を受けたジャドウだったが暮らせと一口に言われてもどのように過ごすかは困難を極めた。
当初は自室に籠ろうかとも考えたが大量の酒瓶の匂いが強烈で耐え切れず、別のところで暮らすことにしたのだが、問題は誰のところに行けばいいかということである。
まず、ロディは却下した。あの西部開拓時代の保安官は単細胞で自分をバカにしてくると思ったからだ。
奴に嘲笑される屈辱だけは避けたい。ならば不動はどうか。ダメだ。女子を見ると弱体化する不動ではすぐに彼は総白髪となって倒れてしまうだろう。折り合いが悪いメープルやカイザーも候補から外す。
残ったのは李か美琴で、本部に近いという理由から彼は美琴とムースの住む安アパートへ赴いた。
「――というわけで、吾輩がもとに戻る間、協力していただけますかな」
「もちろんです。ジャドウさんはわたしの大切なお友達ですから」
美琴はいつもと変わらぬ穏やかな微笑で承諾した。優しい彼女は困っている人を見捨てない。
「それにしても、外見と口調のギャップがすごいですわね……」
美琴の隣に座ったムースがひきつった笑みで言った。
いつもの渋い老人の姿で喋る姿は低音効果もあって彼に威厳を与えているのだが、膨らんだ胸の下で腕を組み、くりくりとした黒目で見つめてくる姿は可憐な美少女そのもので、面影はどこにもない。
「ジャドウさん。お腹が空いているでしょう? おにぎりしかありませんけれど、よかったらどうぞ」
美琴は急いで作ったおにぎりを皿に盛りつけてジャドウに差し出した。
「貴様は相変わらず握り飯ばかりだな。芸のないことで」
「最近はお米が高騰して大変なことになっていますのよ。そうでなくとも美琴様の優しい手で作られた愛情がたっぷりとこもったおにぎりを食べないなんて、人生が勿体ないですわよ」
ムースは頬をリスがドングリを詰め込んだみたいにぷうっと膨らませて不満を示してからぬうっと手を伸ばした。
「いらないのでしたらわたくしが」
「食べぬとは言っておらぬ」
すぐさまムースの手を叩き、ジャドウは大口を開けておにぎりを頬張った。普段は酒さえ飲んでいれば十分だったのだが、女になってからやたらと腹が減った。あっという間に平らげて言った。
「大変、美味でしたぞ」
「よかったです」
「美琴様のおにぎりですもの。当然ですわよ」
「改めて、よろしくお願いしますぞ」
「こちらこそ。よろしくお願いしますね、ジャドウさん」
「美琴様が承諾されるのでしたら仕方ありませんわね。元に戻るまで何日でも過ごすといいですわ」
「フフッ、ムースさんは優しいですね」
「そんなこと……少しはありますけれど」
金髪のツインテールを揺らしてムースはそっぽを向いたがその頬は真っ赤に染まっていた。
☆
それからの生活は彼にとっては未知の連続だった。
同性である美琴やムースと同じアパートに転がり込んで、寝食を共にする。
孤高の彼にとって長い時間を誰かと一緒に過ごすということはなく、任務以外で交流をすることのなかったふたりにいつしか情のようなものを抱くまでにいたった。
年若いながらスター流屈指の実力者に成長した美琴と数百年前に国を滅ぼし地獄監獄へ放り込んだが紆余曲折を経て改心し、流派に尽力してくれるムース。
因果な組み合わせだが、どこか心地よさを彼は覚えていた。
幸いなことにその間に任務が入ることはなく、穏やかな時間が過ぎていった。
ある日のこと。
美琴がジャドウに問うた。
「ジャドウさんはスターさんのことをどう思っているのですか?」
以前ならば『仕えるに相応しい偉大な方』と即答していただろう。
けれど、今は少しだけ間を置いた。考える時間が必要だったのか。
そして彼は己の想いを口にした。
「吾輩はスター様に……惚れているのだと……思う」
自分で口にしてジャドウは驚愕した。
男であった時はわからなかった感情。忠誠だと信じていた感情。
だが女となり言葉を口にすることで己のスターに抱いている気持ちがはっきりと形作られていくことがわかった。そして、どうしてこれまで自分が女を嫌っていたのかも。
嫉妬していたのだ。スターに好かれる可能性のある彼女たちに。
美琴は彼女の顔を覗き込んで言った。
「告白、してみませんか?」
唐突な提案。いつもなら即座に切り捨てていただろう。だが今は違った。
自分の感情に正直になった彼は、決心を固めた。
「そうだな。してみよう」
それから彼は数日間チョコレート作りに没頭し、やがて美しいハート型のチョコレートを完成させた。
自分の想いの全てを込めたチョコを美琴の助言で選んだ赤く薄い箱に黄金のリボンで包んでスター流本部へと赴く。
スターはいつもと変わらずその部屋で笑顔で立っていた。
「スター様。お話がございます」
「何かな」
真剣な眼差しで彼を見つめ、ジャドウは言った。
「吾輩はあなたを愛しております!」
高く澄んだ声で放たれた告白。
差し出されたチョコレート。
スターはそれを受け取って机に置くと、優しく彼を抱きしめた。
「スター様……」
「その言葉を待っていたよ」
ジャドウの瞳から一滴の涙が零れ、美少女から元の姿に戻ることができたのだが、彼は美少女になって過ごした日々を忘れることはないだろう。
おしまい。