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勇者ごっこ①

 衛里は歩いていた。しっかりと大地を踏みしめて。気負いはない。霧斗の暴走と、それをあっさり食い止めて見せたはじめの実力。そして怒りにまかせて乗り込んだ時に噛みしめさせられた、敗北の味。それらが衛里を落ち着かせていた。

 たった一度きりのアイテム。使い方を誤れば、魔王を倒す事はできない。

どう使えばいいのか。今は分からない。このアイテムで元の身体に戻れればそれが一番良いのだろうが、もしそれが叶わなければ、唯一のアイテムすら失ってしまう。今は危険な賭けをするべきではない。使うべき時、使うべき形。それはアイテムが教えてくれるはずだ。

「ほのか」

 大切な幼馴染みの名を口にする。今はどうしているだろう。はじめの、魔王としての本性を目の当たりにして、怯えているのではないだろうか。

 いや、ほのかは見た目に反して勝ち気な少女だ。それに強い。酔っ払いや痴漢程度なら、素手で撃退できる程だ。

 まさか魔王に手出ししちゃいないよな。

 いくらほのかが腕に覚えがあっても、魔王相手に通じるはずがない。下手に刺激していなければ良いのだが。

 いや、余計な心配はいらないだろう。いくらはじめが魔王の本性を出したとしても、女性に甘い事は変わりあるまい。仮にほのかが手を出したとしても、涼しい顔をして避けきって、決して手を出さず、魔法を使って眠らせるか何かして、ほのかの動きを封じるだけに違いない。

 今は、ほのかより自分の心配をするべきだ。

 昔、遊んでいた頃を思い出す。何度も何度も繰り返し遊んだ、勇者と魔王ごっこ。あれは遊びではなく、シミュレーションだったのだ。はじめの癖を思い出せ。自分が勝利した時の事を思い出せ。勇者を知略で勝たせた時の事を思い出せ。負けた時の事を思い出せ。徹底的に叩きのめされた時の事を思い出せ。

 衛里の頭の中で様々な出来事が組み立てられ、あらゆる場面を想定させる。その中から、確率の高い選択を選び出し、実行し、勝利しなければならない。選ぶのは、右か左か。伸ばすのは、腕か足か。振るうのは、剣か防具か。

 めまぐるしく思考が回転する。一秒も無駄にできない。時間的にも体力的にも、チャンスは一度きりだ。それを逃せば、このリアル勇者ごっこは魔王の勝利で終わる。そうなればほのかは宣言通り、魔王の側に置かれる事になるのだ。そして衛里に訪れるのは、死。

 衛里は駆け出した。できうる限りのシミュレーションはこなした。策も練った。それがどこまで魔王に通じるかは分からない。それでも、もうできる事はない。ならば実行しなければならない。このくだらない「遊び」を、勇者の勝利で終わらせるために。自分を信じて。自分の力と頭脳を信じて。

 何故かとても清々しい気分なのが、自分でも不思議だった。勝っても負けても恨みっこなし、とさえ思う。何故こんなにも落ち着いているのだろう。はじめに覚えていた怒りも、どこかに消えてしまっている。今あるのは、本物の魔王と直接、真剣に戦えるという、奇妙な高揚感。

 ほのか。もう少し待っててくれ。必ず助ける。例え魔王に負けたとしても、決して魔王の側に置く、なんて未来は選ばせない。そう、この命を懸けてでも。ほのかは取り戻す。

 そして衛里がはじめの家に戻ってきた時、日はすでに暮れかけていた。タイムリミットギリギリだ。

 衛里は深呼吸を一つ。これで自分とほのかの運命が決まる。

 ドアを静かにノックした。中からは返事がない。

 臆する事なく衛里はドアを開け、リビングに足を踏み入れる。衛里が訪れた時のまま、散らかり放題のリビング。

 そこに半ば埋もれた形のソファで、ほのかが眠っていた。やはりほのかは黙っていなかったらしい。はじめの魔法だろう、触れてもピクリとも動かず眠り続けている。

「時間ギリだぜ、衛里」

 いつからそこにいたのか、はじめがすぐ上の階段から身を乗り出していた。

「ほのかちゃんなら心配ない。眠ってもらっただけだ」

 そうでもしなきゃ、俺が危なかったんだよ、とはじめは苦笑交じりに言った。

「ほのかちゃん、いつの間にあんなに強くなってたんだよ。衛里のパーティーについていくつもりだったのかな」

「さあな、俺も気が付いたらほのかに殴られるようになってた」

 二人でしばし笑い合う。まるで子供の頃のように。

 やがてはじめが、ゆっくりと階段を降りてきた。

「で?アイテムは手に入ったのか?」

 衛里は黙って小さな水晶玉を取り出した。はじめが満足そうに微笑む。

「正解だ」

 でも使い方は教えてやらねえ。少し意地悪そうに言うが、元々衛里とてはじめにそんな事を望んでなどいない。相手は「敵」なのだから。

「やっといて良かっただろ?子供の遊び」

「ああ。感謝するぜ、連れ出してくれて」

 衛里の小さな手が、小さな水晶玉を握りしめる。と、水晶が光を放った。

 思わず目を閉じた衛里が次に見たのは、細身のレイピアと化した水晶玉だった。

「衛里はそれを望んだのか。ちょっと意外。てっきり魔導書だと思ってた」

 それには返事をせずに、衛里はレイピアの柄を握った。手にしっくりと馴染む。まるで衛里のためにあつらえたかのように。

 たった一度だけ、持ち主の願いを叶える水晶。魔王を倒すのに必要なアイテム。それはレイピアに姿を変え、衛里の手に収まった。これが正しいのか、そうでないのか。試すのはこれからだ。

「ああ、気になるかもしれないから教えといてやるな。ほのかちゃんなら心配ない。絶対に巻き込まれないように、どんな影響も受けない結界が張ってある。どんなに俺達が暴れても、ほのかちゃんを巻き込む事はない」

「お気遣いどうも」

 冷笑を含んで衛里が返す。自分から売った喧嘩だ、それぐらいの事はしてもらわなければ割に合わない。

「いくぜ」

「いつでもどうぞ」

 まるでチェスでも指すような、何気ない言葉の応酬。しかしそれは始まりでしかなかった。

 衛里のレイピアが風を切って舞い、はじめの足元を狙った。それを軽々とかわし、はじめが踵落としの体勢に入る。

 それをのんびりと待ってやるつもりなどない。衛里は転がってそれを避け、瞬時にレイピアをなぎ払った。

「おっと」

 続けざまに足元を狙われたはじめが、蹈鞴を踏む。

「そういや昔はよく足元すくわれたっけなあ」

「覚えてやがったのかよ」

「忘れいでか、容赦なく殴りやがって」

 まったくお前は手加減てものを知らない、とはじめは言う。そんな事を言われたくない。大人げなく子供達を揶揄っていたのは、はじめの方なのだから。

 そして今は「ごっこ」などではない。本当の「殺し合い」なのだから。

 レイピアの刃先が、下からはじめの喉元を狙う。それを器用にのけぞってかわし、逆に反動をつけて衛里に蹴りを入れる。衛里ものけぞってそれをかわすと、反動のままレイピアを振るう。今度ははじめの髪先を捕らえた。数本が宙に舞い、衛里の視界を僅かながら遮る。それを狙っていたかのように、はじめの腕が伸びてきた。視認するのが精一杯だった。衛里はあっという間に胸倉をつかまれ、床に叩きつけられた。息が止まる。間髪入れず、はじめの踵が降ってくる。

 かわしきれなかった。踵が衛里の左の二の腕を捕らえ、打ち抜いた。骨が折れなかったのが不思議なぐらいだった。

 痛みをこらえてレイピアを払う。今度ははじめが避けきれなかった。左の臑が切り裂かれ、ズボンの生地が繊維を振りまいた。

「やっぱ足元かぁ。ちっちゃいと便利だねえ?」

「成長してねえなあ、はじめ兄ちゃん?」

 互いに憎まれ口を叩く。まるで昔のように。

 そして同時に動いた。衛里はレイピアを、はじめは拳を前に叩きつける。はじめは間違いなく刃を捕らえ、凪ぐように払いのける。その勢いに流され、衛里の身体まで流される。そこへはじめの肘が衛里の首筋めがけて落ちてきた。そんな所をまともに殴られたら、最低でも失神は免れない。それは即ち、敗北だ。

 衛里は必死に身をひねった。ギリギリで肘が首筋を掠めていくのが分かった。床に落ちると同時に、衛里は転がった。正解だった。顔すれすれに、はじめの脚が落ちてきた。床板を踏み抜く。食らっていたら、頭蓋がどうにかなっていただろう。次から次へと落ちてくる脚をかわしながら、何度も身体を転がす。

 一瞬の隙に、レイピアを突き上げる。刃先が僅かにはじめを捕らえたかのように思えたが、それは結局かすりもせずに空を切った。

 それでも立ち上がり、体勢を立て直すだけの猶予が生まれた。改めてレイピアを構え、はじめに突き出す。

「ぅわっ!」

 刃先がはじめの襟首を捕らえ、突き抜けた。僅かに首からも出血する。一撃が加えられた。それが衛里に自信をもたらす。自分の感覚は間違っていない。この小さな身体で一矢報いられたのだ。元の身体なら確実にはじめの首を狙えたはずだ。

 身を立て直したはじめが、床に散乱していた本を蹴散らした。衛里の眼前を、何冊もの本の花が咲く。

 完全に視界を遮られた間隙を縫って、はじめの脚が飛んできた。まともに腹を捕らえられ、衛里は飛ばされると同時に息を詰まらせた。更にほのかの眠るソファに激突し、新たな痛みと苦痛に襲われる。

 はっとするや、目線を送る。穏やかに眠るほのかの顔が目に入った。守らなければならない。この大切な幼馴染みを。かけがえのない大切な存在を。そのために、今、自分は戦っているのだ。

 再びはじめが衛里の胸倉をつかむ。同時に遠心力を使って、全力で階段向けて叩きつけた。

まずいと思う間もなかった。衛里の小さな身体は階段にのめり込み、破壊した。普通ならここでリタイアとなるはずだが、衛里は違った。衝撃がなかったとは言わない。だが現実に反して、それはあまりにも僅かなものだったのだ。口の中を切ったのか、錆びついた鉄の味がする。が、骨のどこにも異常はない。筋を痛めた様子もない。

 階段を壊しつくして壁に激突した衛里は、ようやくその理由に気付いた。レイピアが微かな光を放っているのだ。

 そう。水晶が叶えたのは、「魔王に対抗する力」。攻撃だけではなく、防御にも能力を発揮していたのだ。

「感謝するぜ、おっちゃん!」

 衛里はすぐさま瓦礫の中から飛び出した。今度は完全にはじめの不意を突く事ができた。

 レイピアは、はじめの左鎖骨のすぐ下を貫いた。真っ赤な鮮血が宙を舞う。

 勢いに押されたはじめが後ろによろける。そこへ更に剣先を押し込み、衛里ははじめを押し切った。その攻撃力は、はじめもろとも床板にめり込ませる程だった。

 チャンスだ。衛里はそれを見逃さなかった。はじめの肩からレイピアを引き抜き、再び大上段に構え、真っ直ぐ下に振り下ろした。

 その瞬間。

 はじめの魔法で、衛里の身体は重力に逆らって吹っ飛んでいた。下から上へ。吹き抜けの天井に体を叩きつけられる。

 今度の衝撃は受け止めきれなかった。身体が天井にのめり込み、瓦礫をまき散らす。

 その衝撃に負け、レイピアが衛里の手を離れた。そのまま重力に従って落ちていく。

 下でそれを受け止めたはじめが、床を蹴る。ものすごいスピードで、衛里に向かって突っ込んでくる。が、狙いが甘かったのか、傷が痛むのか。刃は顔すれすれで外れ、天井に突き立った。

 咄嗟に衛里は腕を払った。それははじめの頬を捕らえ、一撃を加える事になった。その勢いのまま腕を伸ばし、レイピアを奪い返す。奪ったままの姿勢で、剣を繰り出す。

 レイピアの柄が、はじめの肩を捕らえる。ぐらりと二人の身体が揺れた。今度は上から下に、真っ逆さまに落ちていく。

 と、今度ははじめの腕が動いた。衛里の身体を横から殴りつけ、吹っ飛ばす。小柄な衛里の身体はそれに逆らいきれず、二階の部屋のドアをぶち抜いた。勢いは止まらず、部屋の書棚を破壊して、ようやく止まる。

「ぐっ…」

 ダメージが大きすぎる。すぐに立ち上がれない。早くしなければ、はじめが攻撃を仕掛けてくる。気持ちは焦るが、身体が思うように動いてくれない。

 何とか瓦礫から這い出した時、はじめが音もなく現れた。左肩からは、とめどない血があふれ続けている。

「俺に魔法まで使わせるとはな。成長したじゃん、衛里」

「んだよ…。手加減されてたんじゃん」

「そりゃ、子供にあんまり手荒な事はできないし?」

「よく言うぜ」

 衛里の頬を、ぬるりとした感触が伝った。頭のどこかを切ったらしい。あれだけの衝撃でこんな怪我ですんだのは、行幸だろう。これも水晶の加護なのか。

「これってマズいなあ…。元に戻しちまったら、お前、すっげえ脅威じゃん」

「覚悟しとけ。そん時は確実にお前の首、取ってやるよ」

「なら危ない芽は早めに摘んでおくに限るよな」

「させるかよッ!」

 叫ぶなり衛里は、はじめの胸元めがけて突っ込んだ。

 レイピアははじめの胸を掠め、返す手で再び胸を撫でる。もう魔法を使う隙を与えるつもりはなかった。攻撃は最大の防御。まさに衛里はそれを体現していた。

 息つく間も与えず、レイピアを振りかざし、突きつける。それは何度かはじめの衣服を切り裂き、そのたびに小さな糸屑と鮮血を空に舞わせていた。

「調子に乗るなよ、衛里!」

 はじめが下から拳を繰り出してきた。床すれすれからめぐってきた拳は、衛里の腹を確実に捕らえ、真上に振り上げた。衛里の小さな身体は天井を突き破り、一瞬空を舞い、屋根に叩きつけられる。

 今度も無傷ではいられなかった。肋が折れたのが分かる。嫌な音が耳の奥で響いていた。

 屋根の別の場所が弾ける。はじめも屋根まで飛び上がってきたのだ。

 衛里の一メートル程前で止まり、無傷の右手を衛里に向ける。

 魔法が来る。

 咄嗟に衛里はレイピアを眼前にかざした。と同時に、魔法の稲妻が衛里に向かって放たれた。レイピアの加護で何とかそれを防ぐが、その力はあまりにも強い。踏ん張った脚が屋根にめり込み、膝を付かせた。

 痛めた肋が痛む。体も言う事を聞かなくなってきている。うまく動かない。小さな身体に限界が来たのだ。今は気力で保たせているようなものだ。もし衛里の集中力が切れたら、その瞬間に全ての加護は解放され、動けなくなるだろう。

 なら賭けに出て、一気に決着を付けた方が得策だ。何とかはじめの隙を見いだし、その瞬間に全ての力をねじ込む。それしか方法はなさそうだった。

 と、はじめの稲妻が止まった。同時に異様な力の高ぶりを感じる。こちらを圧倒してくる気配をまとい、実際、屋根に脚がめり込んだ。

「衛里。お前は勇者になるのか」

「お前を倒すのが勇者なら、そうする。ほのかは俺が守る」

「ほのかちゃんを守るために勇者になるのか?」

「勇者であろうとなかろうと、俺はほのかを守る。それが勇者かどうかなんて、俺には関係ない」

「勇者になる気はない?」

「その必要がなければな」

 小さい頃は、勇者か賢者になりたかった。だが成長した今は違う。勇者も賢者もどうでもいい。ただほのかと二人、小さくていい、幸せな家庭を築き、穏やかに暮らしたい。

 だが、もしその幸せを壊す輩が現れたら。衛里は勇者でも、魔王にでもなる。ほのかを守るために。

 いつだったかほのかのそう話したら、彼女はやっぱりいつものようにお日様みたいな笑顔を見せて、照れながら「衛里って意外とジジ臭いのね」と言ってきた。

 あの時のような、お日様みたいな笑顔を守るためなら、衛里は何でもできた。そう、はじめを倒す事も。

「そっかぁ…。衛里は勇者になるかもしれないわけかあ」

 どこか遠い所を見ながら、少し淋しそうにはじめが言う。

 チャンスは今しかなかった。

 衛里は痛みをこらえて屋根を蹴った。レイピアを大上段に構え、今までよりも強い気力でもって、振り下ろした。

 レイピアはそれに応えた。力を球体として衛里の全身を覆い、はじめにぶつかっていった。

はじめも魔法のシールドを張り、それを受け止めた。二つの力はまともにぶつかり合い、軋み、拮抗した。

 両者の足元が歪み、崩れ、突き抜ける。二人は向き合った体制のまま屋根を突き破り、二階を破壊し、床板を飛び散らせた。

 質素な家はその力に耐えきれず、土煙を上げてあっという間に崩れ去った。球状の結界で守られた、ほのかの周囲を除いて。


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