勇者の襲来②
ようやく祭りの人混みの中に辿り着いた。この中のどこかに、はじめと勇者がいる。勇者がはじめを見つける前に、何としてでもはじめを見つけなければならない。
「おっちゃん、はじめ見なかったか?」
手近な男性に尋ねてみる。はじめの顔は誰もが知っている。そして何故か目立つ。すれ違っただけでもいい、目にしていれば何らかの手掛かりになるはずだ。
「はじめかあ?そういやあ、今日はまだ見てないなあ」
「サンキュ!」
また走り出す。人波をかき分け、何とかはじめを見つけようと駆けずり回る。激しい喧噪の中、衛里ははじめを探し続けた。
同じ頃。同じ町の同じ祭り会場に、勇者一行は入ってきていた。
彼らをめざとく見つけた子供達が数人走り寄り、勇者達を物珍しげに眺めている。
「お兄さん、勇者?」
一人の子供が無邪気に尋ねる。
「うん、そうだよ」
勇者が気さくに答える。
「すっげー、本物の勇者だってよ」
「マジかっけー」
「本物初めて見た」
「お兄さん達、どこから来たの?」
たちまち騒然とする子供達に、勇者達は和んだ笑顔を見せた。こうした無邪気な歓迎は、彼らにとっても心地良いものだったから。
「お兄さん達はね、悪い魔王を倒すために旅をしているんだ。この町に魔王がいるって聞いたから来てみたんだけど…。これだけ明るい賑やかな町なら、ただの噂だったみたいだね。でもせっかくだから、お兄さん達もお祭りを楽しんでいこうかな」
その言葉を聞いた子供達が、不思議そうな顔をする。
「魔王ってはじめ兄ちゃんの事か?」
「そういえばはじめ兄ちゃんって魔王だっけ?」
「えー、魔王の弟じゃないの?」
「違うよ、はじめ兄ちゃんが魔王なんだよ」
子供達のこの会話に、勇者達の顔色が変わった。
「どういう事かな?この町には本当に魔王がいるのかい?」
「いるよ」
きゅっと勇者の眉がひそめられた。
「どこにいるのかな?」
そこにはもう和やかさはなかった。緊張感に支配された、魔王を倒すための勇者そのものだった。
「さっき射的で遊んでるの見たぜ」
「え、俺、リンゴ飴のところで駄々こねてるの見たけど」
「嘘だー、綿飴売り場でおねーちゃんナンパしてたぜ」
子供達から、あそこで見た、ここで見たと次々証言が飛び出してくる。それがかえって嘘臭くて、勇者達は信じる事ができなかった。
「君達、これは大事な話なんだ。嘘は許されないよ」
途端に子供達は血相を変えて反論した。
「嘘って失礼な事言うな!」
「そうだよ、はじめ兄ちゃんはちゃんとしたすごい魔王なんだぞ!」
「魔王はいるんだ!」
「黙れ!!」
突然勇者は、一番近くにいた子供を張り飛ばした。一瞬にして周囲は静まり返り、時が止まった。大人も子供も、身動きすらせず勇者達を見つめた。
張り飛ばされた子供が大声で泣き出す。しかし誰もそれに構おうとはしない。できないのだ。
「はっきり言ってもらおう。魔王はいるのか!」
カチンときたのか、クレープの屋台にいた女性が声を張り上げた。
「この子達は何も嘘なんて言ってないよ!いきなり殴るなんて、あんたそれでも勇者かい!」
そうだそうだ、と周囲から非難の声が上がる。勇者達は僅かに怯んだが、それでも硬い表情は崩さなかった。
「なんて町だ…。完全に魔王に汚染されている町なのか。浄化する必要がある」
腰に掛けられた剣に手をかける。それに気付いた人々から、恐怖の声が上がる。こんな雑踏で抜刀などしたら、一体どれだけの被害者が出るか。まるで見当がつかない。
その喧噪を破ったのがはじめだった。
はじめは騒然とした現場にゆっくりと歩み寄り、いまだ泣きじゃくっている子供を抱き上げた。
「大丈夫か?」
「俺、嘘なんて言ってないもん。はじめ兄ちゃんはちゃんと魔王だよね」
泣きながら訴える。はじめは優しく頭を撫でた。
「よく頑張ったな。偉いぞ」
子供はしゃくりあげながら、勇者を睨みつけた。
「俺、嘘なんて言ってない!」
「黙れ!!嘘を言うよりタチが悪い!魔王に心酔し、馴れ合うなど許される事ではない!」
はじめは黙って子供を下に降ろした。
「謝れ」
初めて勇者に対して発した言葉は、冷たく凍りついていた。
「子供を、まして嘘なんてついてないのに殴るなんて、俺が許さない。この子達に謝れ」
勇者はそれに答えなかった。腰の剣を半分程抜いて、はじめを睨んでいる。
「お前が魔王か」
見た目がまるで魔王らしくないため、まだ半信半疑のようだが、勇者は魔王から視線を外さない。
はじめは何も言わない。あくまで子供達に謝罪する事を要求しているのだ。
「答えろ!!お前は魔王なのか!!」
「それに答える前に、謝れ。話はそこからだ」
人々が固唾を呑んで事態を見守っている。いつしか魔王と勇者達の周囲にだけ、ぽっかりと空間ができていた。
「謝れ」
「黙れ!!」
ついに勇者が剣を抜き放った。他の者達も、次々と臨戦態勢に入る。
「邪悪な魔王め!町全体を洗脳するとは、何という非道!決して許されない!」
「やめろ」
はじめが静かに制止をかけた。その目には、明らかに嫌悪の色が含まれている。
「こんな人混みで何をするつもりだ。関係ない人を巻き込むな」
「もっともらしい事を言って、町を人質に取るとは卑怯な奴!覚悟しろ!」
貴様を倒して町を浄化し、解き放つ!そう言い放つ勇者は、己の正義を信じ切っている。
一方はじめは、正反対の静けさで勇者達を見つめるだけだ。
「町を浄化する…。。具体的にはどうするつもりだ」
「決まっている!魔王に汚染された町は、聖なる火によって浄化するしかない!」
はじめの目が、瞬間的に怒りの色に染まった。勇者は、町そのものを焼き払うと言っているのだ。そんな事をはじめが許すはずもなかった。
「その前に答えろ!!お前は本当に魔王なのか!!」
返答次第では、この場を収める事もできるだろう。うまく乗り切る事もできるだろう。しかしはじめにはできなかった。この町を、子供達を踏み躙った事を許せる心境になかったのである。
「どうしても謝らないつもりか」
それどころか、町そのものを消す気でさえいるのか。そう問うはじめの迫力に、勇者達は怯んだ。それだけの怒りをはじめは発していたのだ。
「そ…それは」
「それは?」
「魔王は悪だ!!悪を倒し、滅するのが我々の役目だ!!」
勇気を振り絞ったのか、語尾が僅かに震えた。
それでもはじめは揺るがない。哀れみの色さえ見せながら、怒りをほとばしらせている。勇者達を見る目は冷たい。
こんなはじめは、町の人達も初めて見るものだった。どうなるのか、どうするのか。誰もがそう問いたいという顔をしていた。
「魔王は俺だ。時と場所を変えろ。そうすれば、心行くまでお前達の相手をしてやる」
「馬鹿な!お前はそうやって我らを謀るつもりだな!戦え!!」
「無関係の人達を巻き込むつもりか!」
「巻き込んだのはお前だ!お前が彼らを洗脳したのだ!俺は彼らを解放してやるんだ!」
言うなり勇者は剣を振りかざしてはじめに斬りかかった。
はじめは避けなかった。避ければ子供達に降りかかる。それもあった。しかしそれ以上に、勇者達に対する怒りがあった。許せなかった。もうどうしようもないぐらいに。
勇者の剣は、はじめによって受け止められた。それも、素手の片手で。
刃先をつかまれ、引く事も押す事もできない。勇者が青ざめた。これまでの旅の中、何度も魔王の配下と称する者や、モンスターと戦った。だが、これ程までに圧倒的な差を見せつけられた事はなかったのだ。
足掻く勇者を歯牙にも止めず、はじめは勇者の一団を見回した。誰も彼も、油断なくはじめの睨みつけている。完全な臨戦態勢だ。もう彼らを止める術はない。
「出直してこい…そう言ってもお前らは聞かないんだろうな」
「当たり前だ!誰が魔王の言う事など…」
「力不足なんだよ」
言い様、はじめが手首をひねった。パキンとやけに軽い音を立てて、刃が折れる。その勢いで蹈鞴を踏んだ勇者は、折れた剣とはじめを見比べ、はっきりと顔色を変えた。今更ながら、力量の差に気付いたのだろう。
だが、それでも彼らは引くわけにはいかなかった。これだけの人目がありながら、おめおめと魔王に見逃されるなど、勇者のプライドが許さなかったのだ。
はじめの顔が苦み走った。下手なプライドを持つ者には、威嚇さえ通じない。
「エンジュ!」
エンジュと呼ばれた魔法使いが、腕を振りかぶった。
「やめろ、一般人がいるんだぞ!」
人混みの中で魔法を使ったり、剣を振り回したりすればどうなるか。はじめでなくても理解できる。だが勇者達には、そんな分別もつかなくなっていた。
魔法の炎が放たれた。
と、それを球状にして封じ込め、消失させた者がいた。勿論はじめではない。
「何事ですか!」
祭りの警護に当たっていた護だ。騒ぎを誰かが通報したのだろう、数人の警備員を伴って走ってきた。
「こんな人混みで騒ぎを起こす馬鹿がいますか!さっさと出直しなさい!」
この魔王は隠し事はしても嘘はつかないし、逃げも隠れもしない。そう言って勇者達を追い払おうとしたのだが、頭に血の上った彼らはそんな忠告すら聞く耳を持たなかった。
「お前も魔王の仲間だな!浄化する!」
完全に逆上していた。
賢者らしい年長の男が、新しい魔法の呪文を唱え始める。勇者も新しい剣を武闘家から渡され、正面切って構えている。その武闘家の二人も、それぞれの武器を構え、はじめの隙を伺っている。
「護さん。こいつらは勇者だ」
それを聞いて、護はハッとした。はじめの覚悟を感じ取ったのだ。
「皆さん、ここを離れてください!落ち着いて、ゆっくりと!」
やるべき事をすぐに判断し、護は行動に移った。周囲の一般人を避難させる事を優先したのだ。子供達を先頭に、護と警備員の指示で市民は素直に従った。
その間、はじめは何もしなかったわけではない。賢者が呪文を唱えきるより早く、音もなく、風のように彼の懐にまで潜り込んだ。
そして。
「唱え終わるまで待ってやる程、俺は寛大じゃないんだよ」
ドッ。
鈍い音がした。
異変に気付いた市民達が振り返る。
そこには、はじめの腕で胸を貫かれた男の姿があった。
はじめが腕を引き抜くと同時に、男の身体は棒のように倒れ伏した。絶命している事は一目で分かる。
初めて悲鳴が上がった。無論、勇者達に対してではない。はじめの行為に対してのものだ。
パニックになった人々が、一斉に走り出す。そこにはもうさっきまでの祭りの陽気さはどこにもなかった。勇者と魔王の戦いの場。それだけだった。
「落ち着いてください!走らないで!」
護や警備員の必死の呼びかけが虚しく響く。
人々は、改めて理解させられた。自分達の町にいたのは、幼馴染みでも子供でも孫でもない。残虐で恐ろしい魔王だったという事を。
その間も戦いは続いていた。武闘家の放った鎖が、はじめの腕に絡みつく。間髪入れずに、魔法使いの風の刃がはじめに襲いかかる。
はじめはまず風の刃を、はね返す事も受ける事もせず、自らの魔法で包み込んだ。そのままその塊を、魔法を放った本人めがけて投げつけた。自らが作ったカマイタチに全身を包まれ、無残に切り裂かれる魔法使い。
同時にはじめは己に絡みつく鎖に手を掛けた。引かれる反動を利用して、宙を舞う。そうして武闘家の背後に降り立つと、何の躊躇もなく、すでに血に染まった右腕を振り下ろした。
三つ目の遺体が転がる。
残っているのは、勇者と武闘家一人。
そこへ衛里が駆けつけた。人混みをかき分け、必死にはじめの名を呼ぶ。しかしそれは人々の悲鳴と混乱で、決してはじめに届かなかった。
「殺す前に一つ聞く。お前達が殺した俺の配下とやらは誰だ。どの国だ」
「ま…魔王め…!」
それをはじめは冷めた目で迎え撃ち、右腕を上げた。
「や、やめてくれ!もう逆らわない、出て行く、だから命だけは助けて…」
武闘家は最後まで言わせてもらえなかった。ただ無造作に心臓を貫かれ、その場に倒れた。
たった一人残った勇者は、震え出した。剣を持つ手は大きく震え、真っ青になって冷や汗を流している。魔王と己の圧倒的な力の差に、今更後悔しているのだ。
「許されると思うな。お前は魔王に喧嘩を売ったんだ」
冷たいはじめの宣告。それは死の宣告。
「はじめ!!」
やっと人混みから解放された衛里が叫ぶ。それでもはじめは視線を動かそうともしない。確かに聞こえているはずなのに。
「やめろ、はじめ!!」
聞こえているはずの、衛里の必死の叫びも届かない。
はじめはただ、魔法をまとった腕を突き出すだけ。
その瞬間。勇者が動いた。手近にいた子供を一人引きずり出すと、その首に剣を当てた。
「く、来るな!来たらこいつを殺す!」
「殺させねえよ」
冷酷な反論。勇者が怯んだ。
その瞬間、はじめの魔法が飛んだ。人質の子供が、勇者から魔王の腕に移る。
「く、来るな…!」
子供を解放した魔王が、勇者に迫る。咄嗟に勇者ははじめに背を向けた。
「どけ!どけ!」
剣を振り回し、脱兎の如く逃げ出した。目を血走らせ、ただ自分が逃げる事だけを考えている。その剣の先には、運悪く衛里の姿があった。
殺される。
衛里は死を覚悟した。それほど勇者の狂乱振りはすさまじかった。
勇者の剣が衛里に振り下ろされようとした、まさにその瞬間。
「衛里!!」
聞き慣れた高い声が響いた。
次いで、人が切り裂かれる鈍い音。
衛里の眼前を、茶色の髪が流れていく。
騒ぎを聞きつけたほのかだった。彼女は騒ぎの中心に衛里がいるのではと考え、我が身を振り返る事なく駆けつけ、傷付けられようとした幼馴染みの前に立ち塞がったのだ。
「ほのか!!」
信じられないといった表情で、はじめが目を見開いているのが衛里には見えた。
「ほのか!!ほのか!!しっかりしろ!!」
衛里の声に答える事なく、ほのかは青い顔で目を閉じている。肩から胸に掛けてざっくりと切り裂かれた傷口から、とめどなく真っ赤な鮮血がほとばしっていく。
はじめの目が、完全に怒りの色に染まった。
相変わらず剣を振り回し、人々を押しのけ、見苦しく逃げていく勇者を睨み。
はじめは飛んだ。
今また、更なる犠牲者を出そうとしていた勇者の剣を、はじめが受け止める。
そして。
最後の遺体が転がった。
その時には人々は逃げる事すら忘れ、ただその光景を見ていた。恐怖と、困惑と、嫌悪の入り交じった目で。
不気味な程静まり返った場は、まるで時が止まってしまったかのようだ。ただほのかを呼ぶ衛里の声だけが、時の経過を表していた。
「落ち着きなさい、衛里君!」
何とか人混みから抜け出した護が、衛里の頬を叩く。それでも衛里の混乱は収まらなかった。ただ壊れた人形のように、ほのかの名を呼び続ける。
護はそれ以上何も言わず、素早くほのかの傷口に手を当てた。医療魔法特有の暖かい光が、ほのかの傷を包む。
「応急処置と止血はしました。早く君の家に運んでください。すぐに私も向かいます」
それでも衛里は動転したまま。
「衛里君!しっかりしなさい!ほのかさんを救いたいんでしょう!」
その言葉に衛里はやっと冷静さを取り戻し、護の顔を見た。その落ち着いた表情に安堵したのだろうか。顔馴染みの男性が、素早い動きでほのかを抱いて走り出す。続いて衛里もまた走り出した。
それから護は、初めてはじめの側に歩み寄った。
周囲は血の海と化し、五人の遺体が転がっている。ついさっきまでの楽しい祭りの空気は、一掃されてしまった。
はじめは冷たい目のまま、勇者達の遺体を見下ろしていた。怒る事も動揺する事もなく、ただ無表情に。
「はじめ君」
「分かってる。俺は魔王だ」
それだけの言葉を発すると、はじめは一歩を踏み出した。
ざっと人波が分かれる。自然にできたその道を、はじめはゆっくりと歩んでいった。言葉もなく。
小さくなるその背に、誰一人として声を掛けようとはしなかった。恐怖に満ちた目を向けて、魔王がこのまま去ってくれる事を願っていた。




