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その7 火宮さんと踊る河童

落ちる!思った時にはもう水の中だった。


墨汁のような真っ黒な水に飲み込まれる。


パニックになって滅茶滅茶に手足を動かす。

月明かりも通さない暗闇の中で、上も下もわからなくなる。


もがきながら必死に水面を探るが、手は虚しく水を掻くだけだった。


ジタバタと足掻くほど沈んでいく。気付けば口の中にも水が入り込んできていた。


冷たい水に体温を奪われる。制服も水の中ではまるで鉛のように重い。


手にも力が入らなくなっていく。


急激に冷えていく体。


薄れゆく意識の中でぼんやりと、ボク死ぬのかな…なんて思った。


その時、大きな魚が近づいてくるのが見えた。


魚は青白い"手"をこちらに伸ばしてくる。


変な魚だな、なんて思いながらボクは意識を手放した。




─────────────────────


 


「──!」


遠くで誰かの話し声が聞こえる。


「────!」

「──────」


聞こえてくる声は2つ。

1つはここ数ヶ月で急に聴き慣れた声。間違えるはずもない。火宮さんだ。

2つ目は覚えのない声。低くて少ししゃがれた男性の声だ。


「息をしていないな。水を飲んでしまっている…!」


火宮さんの焦る声が聞こえる。あの火宮さんが焦るだなんて珍しいこともあるものだ。


「だ、大丈夫なんですか?!」


男のほうも火宮さんにつられて焦っている。声のわりにやけに腰が低いのが少しおかしかった。


「まず気道に入った水を取り除く必要がある」


「ど、どうやってでしょうか!?」


「こういう場合の正解は──」



「人工呼吸だ」



顔の上に影がかかるのを感じる。

誰かがかがみこむようにして顔を近づけているのだ。


何をしようとしているんだろうか。

話の流れ的に人工呼吸というやつだろうか。


人工呼吸ってつまるところ、キス…だよな。


気配はどんどん近づいてくる。


やがて息遣いが届く距離まで。


吐息が顔にかかるのを感じる。


生臭い匂いが鼻を突いた。


ん?生臭い…?



目を開けるとそこには、大きな魚の顔があった。



「うぉあぁあおごぼっ!ごほっ!ごほっ!!」


驚きの叫びと共に水を吐き出す。


「うわぁぁぁぁっぁ!?」


大きな魚も驚く。低くしゃがれた男性の声だ。


「しゃべっごほっ!ごほっ!」


それにボクはまた驚いてせき込む。


「とりあえず落ち着きたまえ。助手くん」


火宮さんが優しくボクの背を撫でる。


「目が覚めてよかった。体は大事ないか?」


「は、はい。大丈夫…です」


火宮さんのいつになく優しい声でやっと落ち着きを取り戻す。


「そうか、ボク池に落ちて…」


「あぁ。おぼれている助手くんをその方が助け出してくれたんだ」


そういって火宮さんがその人…人?のほうを見る。

ボクもその姿を改めて確認する。


目はぎょろりと飛び出しており鼻はつぶれ、首元にはえらのようなものも見える。顔は完全に魚だ。

しかしそこから人型の体へとつながっており2本の手足を持っている。

肌は全体的に青白くうろこでおおわれている。


一言で表せば人魚…というより魚人という方がしっくりくる。


「無事なようで何よりです」


そんな恐ろしい姿と裏腹に腰が低く丁寧なしゃべり方だ。


そういえばおぼれるときもそんな姿をちらりと確認した気がする。幻覚じゃなかったのか…。


「あ、あの助けていただいてありがとうございます」


「いえいえ、当然のことをしたまでですよ」


めちゃめちゃいい人だ…。


魚の口がいびつにゆがむ。ピラニアのような細い牙がちらりと見えた。

きっと笑っている…のだろう。


明らかに現実ばなれした存在との邂逅なのだが、本人の腰の低さのせいでシュールさがぎりぎり勝っている。


「改めて私からも礼を。助手くんを助けていただいてありがとうございます」


火宮さんも改まって礼を言う。


「名前をお聞きしても?」


「あぁ。少しお待ちください」


そういって草むらにおいてあった荷物を取ってくる。

荷物はスーツの一式と通勤に使うような黒いビジネスバックである。


バックの外ポケットから名刺ケースを取り出すと、そのうちの一枚を火宮さんに差し出した。


「そちらにも」


ボクのほうにも差し出される。そこには

田権(だごん)総合商社(そうごうしょうしゃ) 営業部課長 増田(ますだ) 魚尾(うおお)

と書かれていた。


サラリーマンなんだ…しかも結構偉い。まぁ実際課長というのがどれくらい偉いのかは知らないのだけども。

田権総合商社というのもCMか何かでで聞いたことがあるような気がする。


「丁寧にどうも。私は火宮 (あさひ)です」


火宮さんに続いてボクも自己紹介をする。当たり前だけど名刺は持っていないので口頭だ。


自己紹介を済ませると、増田さんは手に持っていたスーツを着始めた。

どうやら池に飛び込むために脱いでいたらしい。


人間のように股間に隠すべきものがあるようには見えなかったが…。


恐ろしい姿のわりにぴっしりとスーツを着るので少し面白い。

ちょっとデフォルメすればゆるキャラになれそうだ。


池の近くのベンチまで移動する。座ると濡れた下着が張り付いて不快感がすごかった。


「それで、え~と」


まず何から聞けばいいか。

聞きたいことはたくさんあるが、何をどれだけ突っ込んでいいのかわからなかった。


「増田さんは、その、どういう…」


曖昧ながら何を聞こうとしているかは察してくれたようで増田さんが答える。


「私は大いなるクトルゥフの眷属、ディープワンや深きものどもと呼ばれる存在です」


横文字が沢山出てきて耳を滑る。

火宮さんのほうをちらりとみてみるが、彼女もぴんと来ていない様子だ。


少なくとも河童でないことだけは確かだけど。


そんなボクたちの様子を見て増田さんは少ししょんぼりする。


「ご存じないですよね…。いえ、大丈夫です。

そんな人に我々の事を知ってもらうのが私どもの仕事でもありますので」


そういって鞄から単行本程度の本を2冊取り出す。そしてボクと火宮さんにそれぞれ手渡した。


「この本を読めば我々の事が少しは理解できると思います。お暇な時に是非」


その本の表紙には『サルでもわかるルルイエ異本』と書かれている。


「本来なら解読に50週間ほどかかるところを5時間ほどでご理解いただけるはずです」


そんなに分かりやすくして大丈夫なのだろうか...。


火宮さんは興味津々でそれを受け取る。なんとなく嫌な予感がするので後でこっそり回収しよう。


ご友人にもどうぞということで追加で3冊押し付けられた。それが仕事と言っていただけあって営業モード全開である。


「そ、それで増田さんはこんな時間に学校で何を?」


話題を変える意味も込めて次の質問をしてみる。


「そうですね…説明が難しいのですが…」


少し考え込む増田さん。


「そうだ!実際に参加してもらいましょう!その方が大いなるクトルゥフのすばらしさを理解できるでしょうし!」


名案とばかりに立ち上がる。

そしてボクたち二人に手を伸ばし言った。青白い腕には水かきがついている。


「さぁ」

『一緒に歌いましょう』



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