その6 火宮さんと池の怪異
「次の七不思議は…『池の怪異』だ!」
「池の怪異…聞いたことないですね…」
怪異とやらは聞いたことがないが、池の事はわかる。裏山と学校の敷地の境界線にある小さな池の事だろう。
授業の一環として水質調査を行ったこともある。
裏山に面しているだけあって、周りはうっそうとした木々に囲われ、水面は繁茂した水草で覆われている。
余り近づきたくない雰囲気の池だ。
「詳しい話はこうだ…」
火宮さんが声をすこし低くして話始める。
夜の学校というシチュエーションも相まって若干緊張が走った。
「あるとき、文化祭の準備のため夜の学校に残っている生徒がいた。おそらく私たちと同じ方法でな。
その生徒は深夜になっても教室で作業を続けていたのだが…。
ふと、校舎の外から歌が聞こえてきたのだという。
自分のほかにも残っている生徒がいるのかと、その歌の出どころを探ってみれば、それは池の方から聞こえてきていたのだった。
文化祭の準備や練習にしても池の方から聞こえてくるというのは妙だ。不思議に思った生徒は池に音の出どころを確かめに行ってしまった…」
思わずゴクリと唾をのむ。
火宮さんの語り口は堂に入っていて引き込まれてしまう。
「池に近づくごとに聞こえてくる歌は大きくなる。それは陽気なテンポだが、歌詞が外国語なのか聞き取れなかったそうだ。
池にたどり着くと、暗闇の中で人影が踊っているのが見える。暗くてその姿ははっきりと見えなかった。
人影はその生徒に気付くと優しい声でこう言ったそうだ。
『一緒に歌いましょう』と。
その生徒が反応できないでいると、人影が手を伸ばしてくる。
その手は青白く、鱗と大きな水かきがついていた。
生徒は驚いて逃げ出した…」
話が盛り上がってくる。恐ろしいオチに身構えて思わず耳をふさいでしまう。
「…という話だ」
話し終えたとばかりに口調を明るく戻す火宮さん。
「え?それで終わり…ですか?」
「あぁ。これが『池の怪異』もとい『踊る河童』の怪談の全部だ」
『踊る河童』って…。文字ずらだけ見ると全然恐ろしそうじゃない。
「ふつうそこからなにか恐ろしい目にあったりするんじゃないですか?」
「驚いて逃げ出してそれきり特に何もなかったそうだ。
そもそも”その生徒”に何かあったら誰がこの怪談を伝えるんだ」
「それもそうなんですけど…」
怪談あるあるとして、友達から聞いた話なんだけど…から始まったのに、登場人物が全員死んでしまって、いやそれ誰が伝えているんだよとなる、というのがあるが。
その点この怪談はしっかり登場人物が生還している。五体満足だしなんならノーダメージだ。
「ちなみに、”ある生徒”というのはいまは3年生の先輩だ。いまもしっかり生きてるぞ」
「割と最近の話なんですね」
「もともと目撃情報はちらほらあったらしいがな」
最も新しい目撃情報がその先輩のものだったということか。そうなると定期的に河童が見つかっているということになってしまうけど…。
「火のないところに煙は立たず。これだけ情報があるなら”何か”はあるはずだ」
「それが勘違いにしろ、本当に河童がいたとしても、な」
話しているうちに池に辿り着く。
校舎の裏手側であまり整備もされていないため、電灯が一つもなく正真正銘の真っ暗闇だった。
スマホのライトでは、足元だけかろうじて照らせる程度である。
それでも、湿っぽい地面と膝下くらいまで伸びている雑草が、池のそばまで来ていることを教えてくれる。
歩くたびに虫やらカエルやらが飛び跳ねてきて、人並みにそういうのが苦手なボクとしては結構キツい。
火宮さんはずんずんと草むらを進んでいて、特に苦手意識などはなさそうだ。
ここら辺は都会でもないけどそれほど田舎というわけでもなく、虫が大丈夫な女子って何気に初めて見たかもしれない。
まぁ火宮さんは虫が大丈夫というより、基本何にでも恐れしらずなんだけど…。
火宮さんにも苦手なものはあるのだろうか。王道なところでは心霊系とか苦手意識がある人が多いけど、今までの行動からそれらも別に怖がってはいないだろう。
後はなんだろうか...雷とか?火宮さんが雷におびえている様子は全く想像つかないけれど。
そんなことを考えつつ、池の周りを歩いているが…。
「ここも空振りですかね…」
ライトを足元から目線の高さまで上げて、ぐるりと回りを照らしてみるがそれらしき人影はない。
そもそも、怪談の通りならば校舎にいる時点で歌声とやらが聞こえてこなければならないはずだ。
池のすぐそばまで来てもそれらしきものは聞こえない。聞こえるのはカエルの合唱と虫の鳴き声くらいのものである。
「タイミングが悪かったという可能性もあるが…」
火宮さんは少し悔しそうだ。花子さんの時より食い下がっているあたり、本当に『踊る河童』には何かがあると思っていたようだ。
「まぁ河童も365日踊ってるわけじゃないでしょうけど」
毎日踊ってすごせるほど河童も暇じゃないだろう。他にも畑からきゅうりを盗んだりとか尻子玉を抜いたりとかしなきゃいけないだろうし…。
まぁそれは冗談だとしても、例の3年生の先輩が遭遇した"何か"は少なくとも今日のところはいないようだった。
火宮さんはもう少し粘るつもりのようで、四つん這いになって辺りを探っている。
文字通り草の根分けて探すというやつである。
あとで校内に戻るなら、どうにかして泥を落とさないといけないななんて思いながら、ボクの方もしゃがみ込んでみる。
足元のぬかるんだ地面にはいくつか足跡が残っている。いくら人気がないと言っても学内なので、毎日誰かしらが訪れているだろう。
足跡は普通に運動靴と思われるもので、おかしなものはない。
いや、河童が運動靴を履いてないとも限らないのだけど。
他には野生動物のものもある。小さな肉球の足跡は猫だろうか。たぬきとかの可能性もある。
流石に日中の学内でたぬきを見たことはないけど、裏山があるんだし、いてもおかしくないだろう。
可愛らしい足跡を追うのが意外と楽しくて夢中になっていた。
余りにも迂闊だったと言わざるおえないだろう。
今ボクがいるのは見通しがきかなくて、足場が悪い水辺だというのに。
ズルッと足が滑る。
草に隠れて見えていなかったそこは、急な斜面になっていた。
やばっ!
バランスを崩して咄嗟に辺りのものを掴む。
咄嗟に掴んだそれは『足元注意』と書かれた看板だった。
看板があって助かった…。
本来とは別の用途でだけど。
安心して息を吐き出す。全速力で走った後の様に心臓がバクバクしていた。
「大丈夫か!?助手くん!?」
ボクに何事かあったと気付いたのか火宮さんが駆け寄ってくる。
ボクの不注意が原因なので、そんなに心配されると恥ずかしかった。
「大丈夫です。ちょっと足を滑らせただけなんで───」
ズボッ
その時、看板が引っこ抜けた。
「うぇ?」
『足元注意』という看板を間抜けに抱えながら、今度こそ完全にバランスを崩す。
ボクは月も反射しな真っ黒な池の中へと、落ちていった。