啐啄同時
ふと、小学生の時の課題を思い出した。「自分を書いてみましょう」確かそんなお題だった気がする。
その時の私は何を思ったか、まぁるいタマゴを画用紙いっぱいに描いた。まんまるで、おおきくて、陰影もつけちゃったりして。
別に何か意図があったわけでもなかったはず。ただ、書きたかっただけ。
でも、周りの大人はそれをほめそやした。子供の想像力だとかなんだとか。
今思い返してみれば、周りの大人が勝手に言っているだけにすぎない。そんな言葉は無視すればよかった。でも、喜んでしまった。
あの時、”私”は殺されたのだ。
中学、高校と美術部に入った。理由は簡単。絵が好きだったからじゃない。ただ褒められたからだ。
うれしくて、うれしくて。目を閉じれば、私の楽園はそこに鮮明に映っている。
そこに向かって、ひたすらに走っていた。
しかし、1年、2年と経ってそのころにはもう気付いていた。
私に才能はない。
でも、もう、後戻りなんて。今更無駄にしろというのか。どれだけ描いたと思っているのか。
苦しい道のりを歩いてきて、楽しかったことなんてない。足の裏はボロボロで、多くの血を流して、それでふらっとやってきたやつに先を越される。
目を閉じても、頭をどれだけ振ってみても、夢にさえも、あの楽園は出てこなくなっていた。
足を出したのなら、ひっこめることはできない。
ただ描くしかない。血と骨と細胞と、私の持てる全てを注ぎ込んで、雲のように漠然としたソレを”何か”にするしかないのだ。
若さを注ぎ込んで、快楽を犠牲にして、欲望にふたをして。何も得られないという恐怖に抗いながら。
大学生にもなれないで、隙間の時間をつぎ込んで、どれほどの時間が経ったか。
ふと振り返れば、そこはまだ一歩と進んでいなかった。
この時、私の中で必死に積み上げて、守ってきたものが、ガラガラと音を立てて崩れるのを自覚した。
拾い集めてみればただのごみの塊。
そうして、私の足は折れて動かなくなってしまった。
絵という地獄から離れ、日常に足を踏み出した時、私にはそこが楽園に感じた。
何も持たぬ私でも、負け犬に落ちぶれた私でも、そこでは何かに成れる。
そうして、新たな足を手に入れた。
しばらくすると、恋人ができ、それが伴侶となり、そうして子供も生まれた。
絵のことしか考えていなかった日々も、今では、絵について考えることのほうが少なくなった。
あんなものにしがみつかなくたって、こんなにも大きなものを手に入れられた。
ある時、子供を見ると絵をかいていた。
パッと見たとき、それが何かわからなかったが、よく見てみればそれは水面だった。
きっと、家族で行った海を描いているのだろう。
そこには、砂浜も、太陽も、魚の一匹も描かれていない。
我が子はただ、海面に反射する太陽の光だけを描いていた。
あぁ、何と美しい絵か。
これはきっと、家族以外の誰にも理解されないのだろう。
でも、私にとってはそれは何よりの芸術だった。美の究極であった。
「すごい絵だね」
そう言おうとした私の口を誰かが止めた。誰であろう。そこには、私と子供の2人しかいない。
しかし、誰かが口をふさいだ、そんな感覚がしっかりとあった。
私はこの時、小学生の時のことを思い出した。
私の口をふさいだのはあの時死んだ私だ。
あの時殺された私が、今の私の口をふさいだんだ。
「すごい絵だね」なんて呪を吐くんじゃない。
私だけがつつくのではだめだ。それはこの子を殺してしまう。
この子につつかせないとだめなんだ。外の世界を見ようと思わせないとだめなんだ。
私がつつくのと、この子がつつくのと、それが同時になった時、この子は飛び立てる。
「何が描いてあるの?」
私はこう聞く。決して急がぬように、慌てぬように……。