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 俺達の学園は、見る人が見れば『王道』以外の何物でもない。

 山奥に広大な敷地を有する、全寮制の男子校。

 幼等部から大学院までをエスカレーターで駆け上がるのは、家柄の良いお坊ちゃま達。

 人気投票で決まる生徒会役員に、親衛隊、制裁、風紀による取り締まり。

 生徒会は教師よりも強い権限を持ち、学内の運営を全て任せられている。


 年に5名の外部枠を熾烈に争うのは、優秀かつ庶民のノンケ。

 ちなみに俺も外部生だ。

 学内ではほとんどがバイとゲイで占められている。

 全く、何処を取っても『王道』過ぎて実に説明し甲斐のない学園だ。


 そんな我が高等部に転校して来た、これまた例に漏れない『王道転校生』

 俺には全く関係のない話だが、2年生という中途半端な時期に、編入試験オール満点で合格したという理事長の甥。

 もっさもさな黒い髪にデッカイ黒縁眼鏡という、明らかに変装だろ!!

 …な、オタルック。

 転校初日に案内役の美人腹黒副会長にお約束の『笑顔が嘘臭い』と宣い、気に入られて名前呼び。

 理事長である過保護な叔父からは、生徒会さえ持っていないプラチナカードを渡される。

 迷った敷地の中で一匹狼だった不良の孤独を癒し懐かせる。

 寮長とは茶飲み友達になり、ダイニングフロアのウエイターには笑顔でお礼し喜ばれる。

 オムライスを食べていると副会長が現れ名前で呼び、その場にいた親衛隊を敵に回す。

 興味本位で近付いた俺様会長とチャライ双子会計書記に暴言を浴びせ、更には会長をぶん殴り全校生徒を敵に回す。

 同室になった平凡少年に何故か懐き、後ろ盾のない少年は親衛隊から八つ当たりされ、生徒会からは邪魔物扱い。

 自分こそが正しいと思い込み価値観を人に押し付けては友達面し、変に鋭い癖に妙に鈍いMr.KY。

 ポジティブの権化。

 本ッッ当に、心のどん底からどうでもいい奴。

 だが、ひとつだけ俺が許せないことがある。


 ―――それは、

 奴の同室者である平凡少年が、俺の大切な大切な仲間だということだ。

 忍耐強く目立つことが嫌いな俺の仲間は、奴が転校してきたこの1週間でありとあらゆる虐めを受けている。

 断固として拒絶できなかった彼にも勿論非はあるだろう。

 だがしかし、王道転校生の無邪気で無責任で向こう見ずな言動や行動によって狂い出した歯車からの負荷を、同室者というだけで彼一人に背負わせていいものか。

 一人必死に戦っていることにさえ気付かない転校生に、彼が親友面される謂れはない。

 俺達は仲間だ。

 今まであの人の顔を立てて我慢してやっていたが、仲間が傷付けられてはもう黙っていられない。


『王道転校生』

 いや、緋野陽。

 俺達『パンダ』を敵に回す恐ろしさ、身をもって味わうがいい!!




 ***




「陽、君が傍にいないと仕事が手につかないんだよ…お願いだから快諾して」


 HRも終わり帰宅部がのんびりと談笑し、部活生が足早に教室を出ようとしたその時、アイツ等はやって来た。


「俺らも~、陽ちゃんいないとつまんねぇよ!」

「一緒に生徒会室に行こうよぉ!」

「「てか、生徒会補佐になっちゃおうよ!!」」


 美しく長い栗色の髪をそよがせて、優雅に歩く副会長の名は阿部倉佳。

 右側が長いアシメの赤髪が会計の本間林檎、双子の兄。

 左側が長いアシメの橙髪が書記の本間蜜柑、双子の弟。


「うるせぇよ! 俺は宗太も一緒じゃなきゃやらねぇって!!」


 生徒会の3人を引き連れてわざわざSクラスから離れているCクラスまでやって来た、相変わらずのオタルック・緋野陽。

 ちなみに『宗太』とは緋野陽の同室者兼2-Cクラスメイト兼俺の仲間である、平凡キング・矢崎宗太のことだ。

 この腐れ転校生が生徒会補佐になろうが、恨みをしこたま買おうが、ボコられようがパコられようが写真バラ撒かれようが俺の知ったことじゃない。

 自業自得だ。

 だけど―――…


「助けて宗太ぁっ! このままじゃコイツ等こき使われちまうよーっ!!」


 デカイ声で宗太に声かけるんじゃねぇええっ!!

 見てみろっ、副会長の野郎が目から陰険ビーム出してるだろうが!

 双子が何気に宗太の足踏んでるだろうが!!

 廊下にいる生徒達も睨みまくってるだろうがッ!!

 宗太の頬が引き攣って可哀相な笑顔になってるだろうがぁあッ!!

 何故双子を一瞬で見分けられるのに、こんなにもわかりやすい嫌がらせには気付かないんだ!?

 これはわざとか!

 わざとじゃなかったら馬鹿なのか?

 視野がメチャクチャ狭いのか?

 というか何サラッと補佐入りの話に宗太を巻き込んでいるんだ!!

 もう辛抱堪らんッ!!


 バキィイッッ!!


 凄まじい轟音と共に一瞬にして辺りから雑音が消え去った。

 さっきまで口々に宗太を罵っていた奴らも、腐れ生徒会の連中も、宗太に抱き着いて離れない緋野陽も、一様に俺の目の前に転がっている最早机とは言えない塊と俺を凝視している。

 唯一この中で驚いていないの宗太くらいだ。

 困ったように笑っている宗太だったが、この機を逃さずちゃっかり緋野陽の腕から擦り抜けていた。

 うん、ナイスだぞ宗太!


「……し、篠宮、君?」


 重た過ぎる沈黙に耐え切れずに口を開いたのは、名前も知らないクラスメイトその1だ。

 廊下側の宗太の席にたむろしている緋野陽御一行と、窓側最後尾の俺の席とはかなり離れているがそんなの知るか。

 周りの怯えたような眼差しなんか気にならない。

 重たい空気なんか関係ない。

 ゆらりと顔を上げた俺を見て何人もの野郎共が息を飲むが、俺は見向きもせずに真っ直ぐ宗太に歩み寄り腕を掴んで引き寄せた。


「気安く宗太に触れてんじゃねぇよ、腐れオタルック」


 俺の声が静かな教室に響いた瞬間、今まで止まっていた時が一斉に動き出しそこここで囁き声が上がりはじめる。

 それもそうだろう。

 類い稀なる美貌を有している俺はいつも大人しく読書に勤しみ、平凡顔な宗太とは表立って一切の接触を取らなかった。

 それは一重に無尽蔵のように湧いて出る親衛隊対策でもあり、暇潰しのスパイスでもあったからだ。

 隠れて密会するスリルがまた楽しい。

 しかし、そんな遊びとも今日でおさらばだ。

 平凡と超絶美形の接触に教室は騒然となるが、そこは天下のKY姫。

 俺の腕にいる宗太を取り返そうと腕を伸ばしてきやがった。

 まぁ、間髪入れずに叩き落としてやったがな。


「―――ッ!」

「聞こえなかったのか、低能。俺の宗太に今後一切接触するな。呼ぶな話すな寄るな見るな考えるな思い出すな」


 俺よりも背の低い緋野陽が、叩かれた手を抑えて傷付いたように見上げてきている…と思う、多分。

 前髪のせいでその表情こそ見えないが、コイツの短絡的な考えなら手に取るようにわかる。

 恐らく自分で考えることなどせずに、子供のように『なんで』『でも』『きっと』を繰り返すんだ。


「なんでそんなこと言うんだよ!」


 ほらな。


「俺と宗太は親友だ! 触っていいに決まってるだろ? …あ、もしかして仲間外れにされたと思ってるのか? それなら大丈夫だっ、みんなちょっと強引だけど気の良い奴らばっかりだし、お前ならすぐに打ち解けられるよ! 俺は緋野陽。陽って呼んでくれ! で、お前は何て名前?」

「―――…は?」


 いや、これは最早何処からツッコんだらいいんだ?

 流石の俺も、これはちょっと想定外だ。

 助けを求めるように腕の中の宗太を見ると、諦めたように笑いながら首を竦めている。

 世渡りの上手い宗太がてこずるわけだな…

 何を言ってもこの勘違いポジティブ発言のマシンガン攻撃でかわされるというわけか。


「なぁ、名前聞いてんだけどッ」


 一向に名前を口にしない俺に焦れたのか、少し尖った口調で同じ質問を重ねてくる。

 コイツは自分が世界のルールだとでも思っているのか、欝陶しい。

 お前なんぞに俺の崇高な名前を呼ばれたくねぇんだよ!


「そいつは篠宮黄金。見た目は確かに良いかもしれないけど、陽が気にするような奴じゃないよ」


 ようやく我に返ったらしい副会長が、唯一の取り柄である顔を醜悪に歪ませ侮蔑を含んだ眼差しを俺に向けてくる。

 良くはわからないのだが、この腹黒は以前から俺を目の敵にしている節があった。

 何の恨みがあるか知らないが、勝手に人の名前教えてんじゃねぇよ!

 緋野陽のことだ、この後例のヤツが…


「俺と黄金は友達だ! 友情に亀裂が入るようなこと言うなよっ、佳!」


 ほら見ろッ!

 了承もなしに呼び捨ててるだろうが、こんのクソボケェエ!!

 亀裂も何も、端からテメェと俺の間に友情なんか存在しねぇんだよ!

 マジでイラつくな!!

 よく1週間も堪えられたよ…宗太、今日だけお前を崇め奉ります!!


「「ダメだよ、陽!」」

「コイツと仲良くしたら暴力が移る!」

「さっき素手で机を叩き割ったの見たでしょ?」

「「篠宮黄金は危険人物!」」


 テメェら双子はハモんなきゃ喋れないのか!?

 見た目も中身も立派な不良のクセして、台本があるみたいに息の合った台詞吐いてんじゃねぇ!


「違う!! 黄金はちょっと不器用なだけなんだ! 人との付き合い方を知らないだけで、本当は良い奴なんだよ! 大丈夫っ、俺はちゃんとわかってるからな黄金! いくら乱暴に振る舞って見せても、俺だけはお前を見捨てないから!!」


 ……おい、何笑ってんだ、宗太コノヤロー。

 いくら俯いてるからって、肩がブルブル震えてりゃ丸わかりなんだよ!

 緋野陽の中で何故か俺が可哀相な奴に仕立て上げられている。

 お前は俺を苛立たせるプロだ。

 もう、イライラマイスターだ。

 消えてくれ、緋野陽。

 今すぐ目の前から消えてくれないと、俺の回し蹴りが炸裂しちゃうゼ☆

 宗太の肩に回していた腕にぐっと力を入れると、僅かに身体を捻って足を踏み込む。

 俺の準備動作に気が付いたのか、ようやく宗太は笑い収めたようだ。

 踏み出した足に重心を傾け蹴りの体勢に入る。

 後は打ち付ける足を浮かせるだけだと思った矢先―――


「あれ、何で黄金君が宗太君を抱き締めてるの?」

「……コガネ、ブチ切れた…?」

「ボスはソータのことになると短気だからね~」


 邪魔が入った。

 教室はさっきの比じゃないくらい沸き立っている。

 余りのうるささに気が削がれて、準備動作に入っていた身体を脱力させた。

 コイツら、それを見越してタイミング良く声かけてきたんじゃねぇだろうな?

 まぁ、周りの嬉々とした声に目を白黒させている緋野陽を見て、ちょっとは気が済んだかもしれないから仕置きはやめてやろう。


「白峰に椿、奥薗まで…!? 何故お前達がここにいるッ」


 副会長の顔も青白くなってやがる。

 いい気味だな。


「「2年の各クラスの有名人が揃ったな!」」


 この双子が楽しそうにしているのは気に入らないけどな。

 家柄のいいSクラスでも最も目立つ、歩く猥褻物の白峰真紀。

 成績優秀者が集まるAクラスでも浮いている、潔癖症で人嫌いの椿ユキト。

 一芸入学者達が集うBクラスでも異才を放つ、チャライ風体の奥薗輪廻。

 そして、平凡塗れのCクラスに咲く至宝の華、天下無敵のこの俺、篠宮黄金。

 この学園に於いて持て囃されている役員よりも、より強大な存在感を誇る4人がここに揃った。

 プラス、平凡。

 俺達はこの5人で『パンダ』なのだ。




 ***




 広大な敷地を誇るこの学園には、教師すら知らない建物がある。

 森の奥、湖のほとりに建つ小さな家。

 まるでお伽話に出てくるような可憐なそれは、日本でも屈指のデザイナーとして有名な真紀の母親によるものだ。

 俺達『パンダ』に与えられた秘密の家。

 その中はイタリア製の家具が品よく並んでいる。

 思い思いのソファに座り、真紀がいれた紅茶を片手に先程の騒動について語らう。


「いや~、超ビビってたね、転校生! 俺的にはいい気味って感じだけど明日からが大変だね~」


 紺色のザンバラな髪に青い色眼鏡とiPod、棒付き飴が標準装備のチャラ男・輪廻が楽しそうに宣う。


「………うるさいの、嫌い…」


 2m近い長身の身体を小さく折り畳み、結んでいる長い黒髪を欝陶しそうにしながらソファで膝を抱いていたユキトは、さっきの喧騒や明日の煩わしさを思って険しく顔を歪めてる。


「遂に私達が仲良しだってバラしちゃったからね。子猫ちゃん達も驚いていたよ」


 灰色の髪に灰色の目を持つ甘い顔立ちの真紀が、首を竦めながら紅茶に口を付ける。


「ごめんな、僕が初めにきちんと拒絶しなかったから…」


『パンダ』の中で唯一黒髪黒目の平凡少年であり、唯一俺よりも身長が低い宗太が申し訳なさそうに小さく笑う。


「いや、アレはどうしようもねぇ。同室になった段階で、こうなることは決まってたんだ」


 宗太の隣に座った俺は、颯爽と教室から立ち去る俺達に何かを叫んでいた緋野陽を思い出し眉間に皺を寄せた。

 あれだけうるさい教室では話などできる訳がないだろうと、アホ生徒会とクソ転校生を置いてさっさとこの家にやって来たのだが…

 この胸にどす黒く渦巻くフラストレーションは解消されることなく、苛々をぶつけるように英国王室御用達らしいクッキーをバリバリと食べていく。


「そーそー、ボスの言う通り! ソータは悪くないよ~」

「……ソウ、よく頑張った」

「それに、バレたからにはこれからは堂々と動けるし、結果オーライだよ」


 宗太を慰めながらも、皆一様に目がギラつきはじめる。

 緋野陽に苛立っていたのは俺だけじゃない。

 この1週間、宗太がイジメられているのを静観するしかできなかった俺達のイライラは、今や最高潮に達している。

 これまではあの人からの頼みだからと甘やかしていたが、緋野陽は駄目だ。

 自分の物差しでしか物事を計れない視野の狭さ。

 自分の価値観でしか物事を考えられない想像力のなさ。

 嫌われることを知らない甘ったれなお坊ちゃん。

 緋野陽には言葉でどう説明しても、自分の都合の良いようにしか解釈しないから理解できないだろう。

 創造にはまず破壊を。

 徹底的に叩き潰して、緋野陽の目を覚まさせる。

 ついでに生徒会の腐れた連中も道連れだ。

 たかが色恋沙汰で職務放棄するような、ひょろい根性を叩き上げてやろう。

 全部引っくるめてブッ潰して、俺達が居心地のいい学園を作ってやる。


「…あぁ、バレたからには徹底的に…だ」


 それぞれが楽しそうに頷いたのを見て、隣に座る宗太の肩に手を置いた。


「宗太、お前は今まで通りに振る舞え」

「わかってるよ。『普通』は僕の得意分野だから」


 さっきまでの申し訳なさそうな表情を引っ込めて、今はにこにこと笑っている宗太。

 何処にでも溶け込んでしまえるような平凡顔は、宗太にとって強みにもなる。


 今までは秘密裏にしか動けなかったが、明日からは『パンダ』が表舞台に立つ。

 アイツらはせいぜい踊っていれば良い。

 俺が用意した台本の上でな。




 ***




 side:緋野陽




 この学園はおかしい!!

 前の学校でちょっとヤンチャしたからって、頑固爺に半ば無理矢理入れられた金持ちだらけの学園。

 昔から俺を可愛がってくれていた叔父さんが理事長をしてるから渋々了承したけど、無駄遣いとしか思えない学園の設備やら規模やらに開いた口が塞がらない。


「この学園は同性愛者ばかりなんだ」


 1週間前、叔父さんがいった一言が頭の中でリフレインする。

 正気の沙汰じゃない!

 男が男を追いかけ回すなんて、信じられるわけがないだろ?

 用意されていた黒い鬘と瓶底眼鏡を受け取りつつも、ある程度学園に慣れたらすぐにでも変装なんか取ろうと思っていた。

 だけど、蓋を開けてみれば叔父さんの言う通りだった。

 気の良い生徒会の連中と仲良くなったら、そいつらの親衛隊とかいうキモい集団が俺を邪魔物扱いし始めたんだ!

 生徒会の奴らが好きだからって、そいつに近付こうとする者を排除する。

 そうやって孤立させられたアイツらの気持ちも理解しない、自分勝手極まりない自己満集団。

 生徒会の連中もきっと友達がいたはずなのに、抜け駆けとか言われて制裁を受けたに違いない。

 そのせいで佳達は心に傷を負って、今じゃ他人を巻き込まないために人を近付けさせないようにしてる。


 俺は人を傷付ける奴が大嫌いだ!

 俺は腕っ節もあるし何を言われても気にしないから、他の奴らにどう思われようとアイツらの友達を辞めない。

 それに、この学園に来て最初に友達になった宗太も紹介してやった。

 やっぱり友達は多い方が楽しいに決まってるしな!

 勿論みんな喜んでくれた。

 陽は優しいねって笑った佳の顔は、初めに会った時と違って本当の笑顔だった。

 宗太は宗太で、クラスにも余り友達がいないみたいだからまさに一石二鳥だ!


 同室の矢崎宗太。

 どこにでもいそうな普通の奴なんだけど、傍にいると凄く落ち着く。

 生徒会の連中も友達だけど、宗太は親友だと言っても良いくらい俺達は仲が良い。

 教室は離れてるけど休みの度に遊びに行くし、昼飯もいつも一緒だ。

 まぁ、その時には佳達もくっ付いてくるんだけど。

 勿論帰るのも一緒だから、こうして今日も宗太のクラスにまで迎えに行く。

 隣では俺を生徒会補佐にしようと3人がいろいろ言ってるけど、逃げるように宗太がいる教室に駆け込む。

 困ったように笑いながらも俺の話を聞いてくれる宗太に、やっぱり他の奴とは違う癒しオーラを感じて物凄く落ち着く。


 いつものようなやり取りをしていたら、途端に破壊音が轟いた。

 何事だよ!?

 驚いて顔を向けたらブッ壊れてる机と、その傍に佇む一人の生徒がいた。

 頬にサラリとかかる金色の髪と、綺麗なエメラルド色の瞳。

 まるで人形のように綺麗な生徒に目を奪われていたら、いつの間にか宗太を盗られていた。


 …なんで?

 わけがわからない。

 宗太の親友は俺なのに、何でこの綺麗な男は怒ってるんだ?

 もしかして俺達の友達になりたかったのか?

 佳や林檎、蜜柑もコイツ…黄金を悪く言ってたけど、俺は仲良くなりたい。

 凄く綺麗な黄金。

 少し、ほんの少しだけどアイツに似てる気がする。

 もっと話したかったのに、いつの間にかやって来た変な3人組が黄金と宗太を連れて行ってしまった。

 周りはギャアギャアうるさいし、佳達も腕を引っ張るしで追い掛けることもできない。


「今夜寮で話そうなっ、宗太! 黄金!」


 小さくなる後ろ姿に向かって声をかけた。

 宗太とはどうせ同室だから約束なんてする必要はないんだけど、黄金は世に言う『ツンデレ』みたいだから、約束っていう建前を俺が作ってあげなきゃ来づらいもんな!

 黄金って見た目は綺麗だけど、性格は可愛いよな。


「ほら、生徒会室に行こう」


 俺の手を引き佳が廊下を歩きはじめる。

 後ろ髪は引かれるけど、段々生徒会室が近付いてくるにつれて俺の胸はドキドキと高鳴りだす。

 あそこにはアイツがいる。

 ちょっと黄金と似ているアイツが…




 ***




 side:???




 草木も眠る丑三つ時。

 もちろん同室者も眠っている。

 部屋をぼんやりと照らすモニターの明かりを眺め、そこに羅列してある文字に頬を緩ませた。

 最高レベルの防衛システムを持つこの学園のメインコンピュータにアクセスするのは、思ったよりも簡単だった。

 モニターに映し出された、『王道転校生』とかいうらしい緋野陽の呑気な顔。

 やっぱり王道なだけあって、素顔はかなりの美形だ。

 まぁ、この学園にはかなりどころかずば抜けて美しい生徒がいるから、その人と比べると見劣りしてしまうのは否めない。


 静まり返った室内にキーボードを打つ音が響く。

 いくらデータを改ざんしようと無駄なことだ。

 この手にかかればどんな情報も数分で丸裸になる。

 それは、この学園に於いて最も厳重な『緋野陽』の個人情報とて例外じゃない。

 この手で探れないのはただひとつ。

 この学園で最も美しい男、『篠宮黄金』に関することだけだ。

 高等部1年の時に、外部生として入学した。

 それ以前のことは一切不明。

 家族構成すらや戸籍、国籍すらわからない。

 もしかしたら『篠宮黄金』というのも偽名なのかもしれない。

 不思議な人だ。

 この手にかかってここまで探れないとなると、いっそ清々しい。


「……これが、緋野陽の弱みかな」


 世界中にその名を轟かすハッカー、『AAA(ノーネーム)』を敵に回した緋野陽を哀れには思うけど同情はしない。

 この1週間でそれだけのことをしてきたのだ。

 篠宮黄金の敵はAAAの敵。

 さぁ、踊れ。

 篠宮黄金の台本の上、AAAが張り巡らせた糸の中を。

 そうして自分の首を絞めていくといい。

 人形のように愛でられ、育てられた君にはお似合いだ。




 ***




 一夜明けて、翌日の宗太の机は凄まじいことになっていた。

 この学園は基本土足だから靴を置くロッカーがない。

 だから悪戯を仕掛けるには机しかないとは思っていたが、これが企業の次代を担う者がすることなのだろうか。

 木でできた表面には罵詈雑言が刃物で彫られていて、中の教科書は全て引き裂かれて辺りに散らばっている。

 引き出しの中は恐らく生ゴミが詰め込まれているのだろう、かなりの悪臭を放っていた。

 これは勘弁してほしい。

 平凡クラスは悪臭に汚染されても良いっていうのか、ふざけんなよ。


「酷い! 何だよコレ!!」


 俺が自分の席に座って悪臭に堪えていると、不快な声が教室にこだました。

 朝からコイツの声は、もろに頭に響く。

 昨日までは人目につかない陰険なイジメばかりだったから、緋野陽は宗太が怨みを買っていることを知らない。

 全く滑稽なことだ。

 親友とまで豪語している相手のことを、こうも知らないだなんて笑い話にもならない。

 緋野陽の隣に立っていた宗太は、自分の席を見詰めて顔を歪めている。

 恐らく、俺と同じで悪臭が堪え難いのだろう。


「おいっ、黄金!」


 不意にかけられた声。

 面倒臭い予感しかしないな。


「何でこの机、このままにしてんだよ!? 友達なら少しは片付けたりしようとは思わないのかよ! お前は怒ってないのか!?」


 もう十分怒ってるよ、お前に。

 何故こんなことになっているのかわからないお前が、一番の加害者だろうが。


「うるせぇな、朝から喚いてんじゃねぇよオタルック」


 まだ廊下にいた緋野陽にも聞こえるようにはっきり言ってやると、一瞬ポカンと口を開いたがすぐに教室に入ってきやがった。

 そして目指すは宗太の机。

 …ではなく、俺の席。

 近付いてくんじゃねぇよ、騒音発生機め。


「お前、昨日寮で話そうって言っただろ!? 何で宗太と部屋に来てくれなかったんだよ!?」


 エクスクラメーションマーク無しでは話せないのか、コイツ…

 てか、昨日教室から出る時後ろで喚いていたのはそれか。

 ちゃんと聞かなくて良かった。

 緋野陽が口にすること全て、聞く価値もねぇ戯れ事だな。

 俺相手に喚いているうちに、用務員が新しい机を持って来たことにいい加減気付け。

 そんで酷い机を撤去して、新しい教科書を置いて行ったことに気付け。


「俺達友達になったんだからさ、もっと黄金のことが知りたいんだ! 俺相手にそんな照れ隠ししなくていいから今度…」


 あ、宗太テメェふざけんなよ!?

 何普通に席についてんだ!

 熱弁しまくって眼鏡が擦れはじめてるコイツをどうにかしろ!!


「そうだっ、今日の昼は一緒に食べようぜ! 生徒会の連中もいるけどみんな良い奴だし、きっと黄金もすぐに仲良くなれるよ!!」


 何を基準に『良い奴』だなんて言ってるんだ。

 自分に優しくしてくれる人間は全部『良い奴』に分類されるんだろ、実に薄っぺらな男だな。

 しかも、こうもあからさまに無視してるのに気付きもしない。

 ここはそろそろキレてもいいだろうか…

 苛々としながら宗太に目をやると、窘められるように首を振られた。

 ……何か、計画とかどうでも良くなるくらいムカツクんだけど。

 てかコイツ、宗太の机のことなんて忘れてるんじゃないのか?


「……そう、だな。今日は宗太も他に用事があるらしいし、その代わりとして俺が行ってやっても…」

「え!? 宗太、用事があるなんて言ってなかったじゃんか!」


 テメェ、この俺の話を遮るとは良い度胸じゃねぇか。

 今すぐにその瓶底眼鏡カチ割ってやる…!

 宗太の席に駆け寄る緋野陽の背中を見ながらゆらりと立ち上がる。

 一歩一歩足音も立てずに背後に忍び寄る俺は、傍目から見たらかなり恐ろしく映るだろう。

 現に緋野陽越しに見える宗太の顔は引き攣っている。

 ゆっくりと腕を伸ばしモッサモサな頭を鷲掴みにしようとした瞬間―――


「おはよー、ソータ。今日は約束通り一緒に昼飯食おうな~!」


 入口から頭だけを出している、色眼鏡にiPod、棒付き飴とフル装備の輪廻が明るい声を上げた。

 昨日といい今日といい、俺がブチ切れるタイミングを見計らったようにやって来るパンダメンバーにがっくりと脱力する。

 伊達に1年の付き合いじゃないな…

 俺の起爆スイッチに遊びがないことを熟知しているコイツらは、いつも巧みに俺の気を逸らしてしまう。

 まぁ、そのおかげで俺の本性は一部の人間にしか知られていない。

 その点に於いては評価に値するけど、はっきり言ってこのフラストレーションは何処に向ければいいんだ。


「おはよう、輪廻君。もちろんわかってるよ。というわけだから、ゴメンね緋野君」

「ならそいつも一緒に食べればいいじゃん! みんなで食べた方が楽しいしな!!」


 ざまぁみろ。

 輪廻の奴、緋野陽の余りのKY発言にいつもは飄々としてるクセに飴の棒に歯型が付くくらい噛み付いてやがる。

 俺の苛立ちが少しはわかったか。


「…俺らの中に対人恐怖症の潔癖人間がいるんだ~。だから大人数は無理。ゴメンね~?」


 チャライ言葉で断ろうとしているけど、このままじゃ十中八九緋野陽の勘違いマシンガントークの餌食になるだろう。

 仕方がない。

 ここはこの俺が一肌脱いで、輪廻に恩をしこたま着せてやる。


「緋野陽は、俺だけじゃ不満なのか?」


 緋野陽に伸ばしていた手を引っ込めて、少し哀れっぽい声を出す。

 すると弾かれたように振り返った緋野陽が、俺の手を両手で握り込んできた。


「そんなことない! 俺、嬉しいよ! 引っ込み思案なお前が自分から積極的に友達を作ろうとしてるなんて!!」


 輪廻テメェ、今何か言ったらぶっ殺す!

 さっきは俺を止めたクセに、今度は輪廻が緋野陽に掴みかからんばかりに鋭く睨み付けている。

 それを宗太が然り気なく抑えていた。


「……そうか、それなら昼は一緒に取る。だから今は教室に行け。そろそろHRがはじまるぞ」

「わかった、約束な!」


 単純な奴は操りやすくていいな。

 意気揚々と教室を出てここから離れたSクラスに向かう後ろ姿を眺め、込み上げてくる侮蔑の笑みを隠すように片手で口元を覆った。


「……で? 輪廻、お前は何をそんなに怒ってんだ? アイツがイライラマイスターなのは今に始まったことじゃないだろ」

「…俺は、転校生の言葉に怒ってんじゃなーいの。ボスの鈍ちん」


 苛立ちを紛らわせるように飴をガリガリと噛み砕く輪廻に、抑える必要がなくなった宗太が僅かに離れる。


「誰が鈍ちんだ、このオーバーセンシティブめ」


 俺に鈍いなどと言うのはコイツらくらいだ。

 神童と呼ばれ育ってきた俺としては、かなり新鮮な単語ではあるがな。


「黄金、ありがとね。用務員に連絡してくれたの、黄金でしょ?」


 入口近くにある自分の新しい机を指で叩き、嬉しそうに宗太が俺を見上げてくる。


「勘違いするな。俺は悪臭に堪えきれなかっただけだ」

「相変わらずのツンデレだね~、ボスってばカ~ワイ~」

「ツンデレの『デレ』は恋愛感情を含むという意味だ。よって俺はツンデレじゃねぇ」

「屁理屈~」


 語尾を伸ばすんじゃねぇよ。


「輪廻君もそろそろ戻らなきゃ。教室はすぐ隣だけど、もうチャイム鳴っちゃうよ?」


 ナイス、宗太。

 褒美にシャーペンの芯を一本やろう。

 渋々隣のBクラスに入って行く輪廻を眺めながらそんなことを考えていたら、それまで静かだった教室の中が急に騒がしくなった。

 恐らくこの俺と輪廻の美貌に声を出すことすら忘れて魅入っていたんだろう。

 今更騒ぎ出したクラスメイトに視線を向け、俺の中では最上級の営業スマイルを張り付けてやる。


「みんな、おはよう」


 途端に顔を赤らめて挨拶を返してくるクラスメイト達。


「誰にでも笑うなよ、バカ黄金」


 次々に声をかけてくるその他大勢の喧騒に掻き消されて、宗太の呟きを聞いた者は誰もいなかった。




 明け方、AAAから報告のメールが入った。

 俺でも調べられる内容だったが、何よりも面倒が嫌いだからかなり助かる。

 午前中の授業など端から聞く気などない俺は、懐から取り出した文庫本に視線を落として今朝のことに思考を巡らせていた。

 緋野陽の素顔なんかどうでも良かったが、あの奇抜なピンクの髪には流石に引いた。

 アホだ。

 というか、カツラ被るくらいなら染めた方が楽だろうに何のこだわりがあるってんだ…

 それにしても、『あの情報』は意外だったな。

 しかし、これは使える。


 ラテン語のクソつまらない詩を目で追いながら、後20分でやって来るであろう昼休みに向けて精神統一を試みる。

 本当なら緋野陽と同じ空間にいることすら堪えられない。

 しかも生徒が山ほどいるメインダイニングになんか誰が好き好んで行くものか。

 しかし、あの人からの頼みを無下にはできない。

 ここでブチ切れてギタギタに再起不能にすることは可能だけど、それじゃ根本的な解決にはならない。

 …嗚呼、何て面倒臭いんだろう。

 あの人には返さなくてはならない恩があるから仕方ないが、本当に苛々する。

 窓から降り注ぐ春の暖かな日差しですら、この俺の心までは癒すことはできない。


 ―――リーンゴーン、リーンゴーン…


 無情にも授業の終わりを告げる鐘が鳴る。

 教師の挨拶に教科書を引き出しにしまい、文庫本はジャケットの内ポケットに入れる。

 机の横にかけてあるバッグから巾着袋を取り出したところで、バカデカイ声が教室に響いた。

 言わずもがな、王道転校生・緋野陽その人である。


「こーがーねー!! 学食行こうぜ!!」


 煩わしそうな態度を隠そうともせずに立ち上がり、今にも教室に入って来ようとする緋野陽のところへ嫌々歩いて行く。

 チラリと宗太を見ればすでに反対の扉から廊下に出るところだった。

 相変わらず素早いな。


「その巾着、黄金って弁当持ってきてるのか!? 凄いな!」


 出て行く宗太に気付くこともなく、俺に話し掛けてくる緋野陽は珍しく一人だ。

 あぁ、確か4時間目に生徒会は会議があるって情報が入っていたか。

 となれば、メインダイニングで待ち合わせということだな。

 それまでコイツと2人か。

 ……俺の拳が火を噴かないことを祈るばかりだ。

 相変わらず教室は緋野陽が俺と会話することでかなりの殺気を放っている。

 よしよし、中々良い傾向だ。


「とにかく、メインダイニングに行くんだろ? 早くしろよ、オタルック」

「そうだな! 俺もう腹ペッコペコだし!!」


 機嫌が良いことだな。

 そんなに俺と飯を食うのが嬉しいのか…奇特なヤツだ。

 話の内容は聞いてなかったけど、廊下を歩きながらもいろいろと話し掛けてくる緋野陽のおかげで、周りを行き交う生徒達が怒りを増幅させていくのが手に取るようにわかる。

 この射殺さんとばかりの視線に気付かないコイツは、金剛石並の強靭な神経だ。

 もちろん悪い意味で。

 最早囁きどころではない緋野陽に対する周囲の悪態は、メインダイニングに入るとまさに嵐のような凄まじさと化した。


「生徒会の皆様だけじゃなく篠宮様まで!!」

「何なのっ、あのキモオタ!!」

「俺達の黄金ちゃんに話し掛けんじゃねぇ!!」

「篠宮様がお可哀相!!」


 最後の、お前良いヤツだな。

 俺も俺自身が可哀相でならない。

 こんなにも負の感情が渦巻いて血の池地獄のように煮え繰り返っている中、平然と生徒会用の2階へと上がって行く緋野陽を眺め頭が痛くなってくる。

 何故そうも当たり前のように階段を上っているんだ、コイツは…

 まぁ、上がってもらわないと困るんだがな。


「他の奴らは後から来るらしいから、先に食ってようぜ!」


 待たねぇのかよ。

 さっさとテーブルに備え付けてあるタッチパネルで定食を頼みはじめた緋野陽の向かいに座り、手に持っていた巾着袋から長方形の二段弁当箱を取り出す。

 蓋を開けば五目ご飯に肉じゃが、ひじきの煮物、ほうれん草の胡麻和え、出汁巻き卵、牛蒡と牛肉の時雨煮という純和風な料理が品よく並んでいる。

 もちろん全て俺の手作り…のはずもなく、同室者である椿ユキトの作品だ。

 人が作った料理を食べることができないほど潔癖なユキトは、必要に駆られて料理を作るようになりその腕前は今やプロ並。

 その料理を気に入った俺に、ユキトは毎日3食作ってくれている。

 何て優秀で可愛い犬なんだ。


「うわ! 黄金の弁当超美味そうじゃん!!」


 人の弁当箱を覗き込んでんじゃねぇよ、クソが。

 テメェはさっきニコニコしながらウエイターが運んできた中華定食でも食ってろ。

 教室で話した以来口を開かない俺を気にすることなく喋りまくる緋野陽。

 コイツがいるだけで弁当がまずくなるってのに、食事中に話すんじゃねぇ!

 唾が飛ぶだろうが!!


「お待たせ、陽。遅くなってゴメ……ン…」


 俺がマジで切れる5秒前に、会議が終わったらしい生徒会御一行が現れた。

 ハハッ、副会長の緩みきった顔が俺を見た瞬間に引き攣りやがった!

 わかりやす過ぎるだろ。

 そんなに顔に出してたら最早腹黒でも何でもないな。


「「あーっ! 机真っ二つ男!!」」


 黙れ双子。

 人を指差してんじゃねぇ。

 そしてユニゾンしてんじゃねぇ。


「陽っ、何でコイツがここに!?」

「俺が誘ったんだ! たくさんで食べた方が楽しいもんな!!」


 天下の副会長も緋野陽相手じゃ形無しだな。

 ちゃっかり隣に座りながらも、それ以上何も言えなくなった副会長を眺めニヤリと口の端を持ち上げてやる。

 途端にギリッと奥歯を鳴らす副会長に、さっきまでの憂さが少しは晴れた気がしてくる。

 例え俺を挟むようにして両隣に双子が座ったとしても、まぁ今なら見て見ぬ振りで通してやろう。


「……コガ、ネ……黄金、なのか…?」


 さっきから階段を上ったところでフリーズしていた男がようやく口を開いた。

 緩くウエーブを描いた濃い茶色の髪に鋭い瞳、イタリア系の血が入っているためどこか甘い容姿に大きめの口が印象に残る色男。

 ……だが、今はそんな端正な顔を間抜けに歪め俺を信じられない者を見るかのように、それはそれは穴が開くほど見詰めてくる。

 俺はちらりと横目で見ただけで、すぐに五目ご飯を食べはじめる。


「へ……? 知り合い?」


 俺とそいつを交互に見ながら、緋野陽が不思議そうに首を傾げた。

 副会長と双子も、いつにないそいつの反応に驚きを隠せないようだ。


「……この、学園に、え? いつからっ、どうして…は、夢…?」

「うるせぇよ。去年外部で入ったんだ。てか、何で今まで気付かねぇんだよ、生徒会長様のクセに」

「…黄金…っ!!」


 そいつ、生徒会長は握り締めた拳をわなわなと震わせはじめる。

 あれま、こりゃアレがくるな。


「俺を無視してんじゃねぇよ! 会長と知り合いだったのかっ、黄金!!」


 仲間外れにでもされていると思ったのか、実際に蚊帳の外だった緋野陽が椅子から腰を上げて俺に突っ掛かってくる。

 だから唾が飛ぶっつってんだろうが!

 言ってないけど。


「呼ぶんじゃねぇッ!!」


 途端に響く低い怒鳴り声。

 いつも余裕綽々な姿しか見たことがなかったらしい俺以外の奴らが、急に怒りを露にした会長を見て一様に目を見開いている。

 この光景は中々に面白い。

 特に、怒鳴られた本人である緋野陽の顔は見物だ。


「気安く黄金の名前を呼ぶんじゃねぇ!!」


 眉間に険しく皺を刻み込んで緋野陽を睨み付ける会長。

 おい、気付いてないのか副会長さんよ。

 緋野陽が可哀相に青ざめてるぜ?

 慰めてやらなくていいのか。


「黄金っ、逢いたかった!!」


 早々に睨むのを止めた会長が、弁当を食べ続けている俺を背後から抱き締めてくる。

 胸と腰を強く抱かれよろけそうになるが、俺はあえて止めない。


「黄金ッ、黄金黄金黄金! 何で逢いに来ねぇんだよっ、1年も同じ場所にいたってのに…!!」

「テメェみたいなモテモテ生徒会長様に近付けるわけねぇだろ、面倒臭ぇ」

「生徒会長じゃねぇっ。名前で呼べよ、黄金…」

「へーへー。相変わらずの命令口調だな、十時」


 俺が名前を呼んでやると、身体に巻き付いた腕に力が篭る。

 いつもだったら速攻でぶん殴るところだが、俺に抱き着く十時を見てカタカタと震える緋野陽の姿が可笑しくてそのままにして置いた。

 コイツは気付いていないというのは本当らしいな。


『緋野陽は塚越十時に惚れている。ただし自覚はなし』


 中々良い情報だったぜ、AAA。


「何、だよ…っ、お前ら、どういう関係なんだよ…!?」


 声まで震えている緋野陽に、俺は端から何も話す気はない。

 俺が黙って弁当を食べていても、十時が勝手に答えるだろうし。


「黄金は俺の唯一だ。全てだ。世界だ。テメェなんかが踏み込んでいい場所じゃねぇ」


 俺が最後の出汁巻き卵を口に運んだ瞬間、ガックリと力が抜けたように緋野陽が椅子に座った。

 惨めだな、緋野陽。

 お前はこれでも俺を友達だといえるか?

 好きな奴の想い人に、今までと同じように接することができるか?

 さぁ、幕は上がった。

 精々自分で被った偽善者の仮面に苦しむといい。





 ***




 side:白峰真紀




 いつものように立入禁止の屋上にみんなで集まる。

 ここには広い屋根があってテーブルとベンチも備え付けてあるから、雨の日も私達はここで昼食をとっていた。

 だけど、今日は彼がいない。

 元々彼を中心に集まったような私達だから、今日の昼食は暗く重い雰囲気に呑まれている。

 いつも通りお重に詰められたユキトの料理は絶品だ。

 だけど、ここに彼がいないだけでどこか味気なく感じてしまう。


「今頃ボスは、カイチョーと感動の再会ってヤツしてんのかなぁ~」

「たしか4年振りとか言ってたよ」


 行儀悪く肘をついて時雨煮を突く輪廻のぼやきに、お茶を手にしながら宗太が話を広げる。

 ユキトはみんなと箸を突き合うことができないから、一人別に詰めたお弁当を黙って食べている。

 かく言う私も、ここにはいない彼の人に想いを馳せて心ここに非ずだ。


「それにしてもさ~、あの『男が男を追いかけ回すなんて信じらんねぇ!!』とか言ってた転校生が、まさかカイチョーにラブだとはね~」

「本人は無自覚らしいけどね。今思えば生徒会補佐になりたくないとか言って、反面足しげく生徒会室に通ってたし」

「私の子猫ちゃん達の情報では、塚越会長は全く相手にしてなかったみたいだけどね?」

「……カイチョ、面食い…」


 最後に呟いたユキトの言葉に一同納得してしまう。

 彼、黄金君と塚越十時生徒会長は腹が立つことに浅からぬ関係らしい。

 塚越十時、3-S。

 有名な塚越総理の孫で、ホテルやレストランを多数手掛けている富豪を父に持つ跡取り息子。

 曾祖母がイタリア人らしく、甘い顔立ちに強引な性格が子猫ちゃん達にも受けがいい。

 そしてあの、俺様で鬼畜でセフレがわんさかいる塚越会長は、あろうことか黄金君を何年も一途に想い続けているそうだ。

 とてもじゃないけど、信じられない。

 親衛隊の存在を許していないパンダで、唯一社交性のある私にはたくさんの子猫ちゃん達がいる。

 その子猫ちゃん達は誰もが何かしらの親衛隊に所属していて、必然的に私の下には様々な情報がもたらされてくる。

 その中でも塚越会長の想い人などという噂は皆無だった。

 しかしそういえば、塚越会長はお気に入りのセフレにもキスだけ許してないとか。

 可哀相に、泣いていた親衛隊の子を慰めてあげたのは一度や二度ではない。


 思考の海に浸っていると、不意にポケットの中の携帯が震えた。

 開く前に切れたところを見ると、どうやらそれはメールだったらしい。

 私にご執心の生徒会長親衛隊の隊長くんが、どうやらメインダイニングで起こったことを報告してくれたようだ。

 あらかた食べ終わっていた私は、そのメールに視線を落とす。


「―――ッ!! 何だと!?」


 急に立ち上がった私に他の3人も驚くけど、彼等にも今のメールを見せてやると一様に顔が険しく歪む。

 最初の方は転校生がどれほどの愚行を働いたか、黄金君と塚越会長が知り合いだったとかそんな内容だったけど…

 問題は最後の文だ。


『塚越会長が篠宮様に口付けをなさった』


 ………ふざけるなよっ

 私でさえまだ許されていない、あの可憐な唇を奪うなんて…!!

 例え彼が今回の協力者になろうとも、この怒りは治まることなく煮えたぎり続けるだろう。

 それはこの場にいるみんなの総意だ。

 塚越十時、万死に値する…!




 ***




 うざったいことこの上ない。

 緋野陽に十時との仲を見せ付けようとしたまでは良かったけど、まさかアイツがあんな暴挙に出るとは思わなかった。

 まぁ、他の奴らに見られないよう足を踏み付けてやったけどな。

 いつもの澄ました顔に冷や汗を滲ませる十時の顔は見物だった。

 だけど、まさかそれを親衛隊に見られていようとは…

 つくづくこの学園は俺を苛立たせてくれる。

 年初めには平穏になった学園生活も、あのクソ転校生のお陰でまた腐れ学園に逆戻りだ。

 これじゃ何のために去年動き回ったのかわからないじゃないか。

 忌ま忌ましい。

 またあの時のように暴れ回ることができたなら、少しは憂さが晴れるのだろうか…


 はじめは偶然だった。

 秘密の家がまだ建設中だったから、俺達は森の中の東屋に入り浸っていた。

 季節は春から夏に移り変わろうとしていて、高い湿度に苛々していたことを覚えている。

 その日も5人で東屋に集まり、先日ユキトの父親から送られてきたという揃いのニット帽を見下ろしていた。


「「「「何故にパンダ?」」」」


 消毒済みのニット帽を被ったユキトに一斉に視線が集まる。

 ふたつの黒い耳がついていて、目に鼻までついているちょっと立体的な帽子。

 涼しげな美形の頭に乗っていて良い物体じゃないぞ。

 そして、テーブルには同じニット帽が4つ。

 俺達の人数もユキトを除いて4人。

 つまりはこれは、俺達も被らなければならないということだろうか。


「……親父、中国人。友達できたって言ったら、コレ…被って写真、送れって…」


 それは嫌がらせか?

 いや、パンダは可愛いけど流石に5人揃ってコレを被るのはシュール過ぎるだろ。


「わ~、カーワイー! 貰っても良いの? サンキューな、ユキたん!!」


 楽しそうにパンダを被る輪廻。


「ユキト君ってハーフだったんだね、これ僕も貰うよ。アリガト」


 にこにこと柔和に笑いながらパンダを被る宗太。


「私くらいの美貌になると、帽子があるくらいが丁度良い。ありがとう、ユキト」


 サラリと髪を掻き上げてパンダを被る真紀。

 これは、俺も被らなければならない流れになってしまっている…

 何よりパンダを被った4人の視線が痛い。


「あ゛ーーっ、わかったよ! これでいいんだろっ、これで!!」


 テーブルに残ったパンダを引っ掴むと、乱暴に自分の頭に被る。


「もー、カワイーッ!!」

「似合ってる、黄金」

「子猫じゃなくて子パンダちゃんだね」

「………黄金、萌え」


 明らかに面白がっている奴らに腹が立つけど、ここで怒鳴り散らしても俺の頭にはパンダが鎮座している。

 更なる笑いを誘うことしかできないだろう。


「テメェら、うるせぇ。ほら、ユキト。さっさと写真撮るぞ!」


 俺達以外が滅多に立ち入ることのない森の中。

 まさかこの後、暴行現場に遭遇することになるなんて夢にも思わなかった。

 それにぶちギレた俺がその場にいた連中を全員ぶっ飛ばし、被害者もぶっ飛ばし、縛り上げて風紀委員室の前に放置するなんて。

 その事件を皮切りに俺達が『パンダ』なんて可愛い名前で呼ばれるなんて。

 俺が過ごしやすい環境にするためだけにうるせぇ連中をボコって回ることになるなんて。

 俺自身も思ってもみなかった。




 ***




 side:???




 暴行、恐喝、窃盗、強姦、不純同性交遊、弾圧…

 俺が在学しているこの学園では、毎日様々な悪行が当たり前のように頻発している。

 それは俺が高等部の2年に上がっても変わることはなかった。

 懇意にしていた先輩からの後押しによって、俺が風紀委員長の座についてからもイタチゴッコのように減ることのなかった悪行の数々。

 どんなに監視を強めても、奴らはその隙間をかい潜って弱き者達を虐げる。

 狡猾かつ大胆な犯行。

 しかし、ある時からそれらは激変した。


『喧嘩両成敗』


 あの集団が現れて、この学園は変わりつつある。

 騒ぎを起こした者達は加害者だろうが被害者だろうが問答無用で粛正する。

 その一方的な力の前には誰も適わず、独裁のような形を取りながらも全体の悪行は目に見えて減っていった。

 あの集団は化け物のように強い。

 そしてどんなに隠れていても、彼等の目を欺くことはできない。

 加害者は病院送りにされることを恐れ、被害者は以前よりもより防犯の意識を持つようになった。

 これは結果的には好転したように見える。

 だがしかし、恐怖による支配が必ずしも正しいとは思えない。

 弱者は以前と変わらずに怯えている。

 あの集団は一体何がしたいのだ?

 騒ぎが起きた時だけ姿を現し、自らの正義を振りかざすわけでもなく、かと言って倒した者達を配下にするわけでもない。

 いつも5人だけで行動している謎の集団『パンダ』

 ふざけているとしか思えない名前に、パンダのニット帽を目深に被った奇怪な男達。


 彼等は一体何者だ?

 彼等の目的は?

 彼等の目に映るものは?

 彼等は本当に実在するのか?


 気になって仕方がない。

 俺を捕らえて放さない強烈な存在。


「……あっ君ってば、まぁた奴らのこと考えてただろぉ?」


 風紀室のソファに座わり湯飲みを傾けながら思考の海に浸っていると、テーブルを挟んだ向かいに腰をかけていた風紀副委員長の和沢孝一郎に指摘される。

 白い短めの髪に赤い瞳、軽薄そうな薄い唇の孝一郎は何故かいつも俺の思考をたやすく読む。


「俺はそんなに顔に出やすいのだろうか」

「ノンノンノーン! オレがぁ、あっ君のことをぉ、よぉーく見てるってことだよん。あっ君のことならぁ、なぁんだってわかるんだぁ」


 相変わらず緩い喋り方をする幼馴染みを呆れ半分感心半分で見詰める。

 すっかり温くなってしまった緑茶を口に流し込み、ファイルが置かれているテーブルに湯飲みを戻す。

 二人きりの部屋ではそんな微かな音さえもよく響く。


「…孝一郎、俺はどうするべきだと思う? 『パンダ』を潰すか否か」


 皮張りのソファに背中を預けながら、最近ではすっかり大人しくなった『パンダ』への対応を思案する。

 いや、正確には『パンダ』が大人しくなったのではなく、他の生徒たちが大人しくなったのだが。

 しかし、それも数ヶ月で終わりを告げようとしている。

 たった一人の転校生の存在によって。


 生徒会のメンバーに気に入られ擁護されている転校生の代わりに、親衛隊は同室である矢崎宗太を標的にした。

 陰湿なイジメをやはり風紀では押さえ込むことができなかった。

 そこに加え極秘事項ではあるが、何やら生徒会が自分の親衛隊に矢崎宗太を学園から追い出せと命じたらしい。

 そうなれば、今まで不気味なまでの沈黙を守ってきた『パンダ』が必ず動き出すだろう。

 これをきっかけに、俺達は『パンダ』を解体できるかも知れない。

 しかし、『パンダ』という枷がなくなればまた悪事が横行するかも知れない。


「………それはぁ、奴らの正体を掴んでからでも遅くないんじゃなぁい? 潰すにせよぉ、利用するにせよぉ、まずはそっからでしょ?」

「…珍しくまともな意見だな、孝一郎」

「オレはぁ、いつだってあっ君のタメになることだけを考えてるんだよぉ」


 この10ヶ月もの間掴めなかった『パンダ』の正体。

 それを掴む為に生徒を危険な目に遭わせることは正しいとは思えない。

 だが、必ず矢崎宗太は俺達が守る。

 危害は加えさせない。

 だから、少しの間利用させてもらう。

 悪く思うなよ。




 ***




「ダメじゃないか、黄金君。君は人一倍、いや最早人間とは思えないほどの美貌の持ち主なんだから、簡単に唇を奪われるなんて言語道断だよ?」

「そーだよ~? ボスはこぉーんなにカワイくて~、男前で~、優しくて~、乱暴で~、賢くて~、ちょっと抜けてて~、カワイくて~、俺様なんだから~、もっと注意してくれなきゃ~」

「大体、自分が完璧だからって黄金は油断しがちなんだよ。僕みたいに平凡だったらもっと警戒心とか芽生えるのに、無防備過ぎだよ」

「…………コガネ、唇、消毒…」


 放課後、いつものように秘密の家に向かった俺を待っていたのは、苛立たしげにまくし立てるまるで小姑のような4人の男達だった。

 俺をソファに座らせると、口を開く前に怒涛のように文句を浴びせ掛けられる。

 俺の手を取って何処ぞの王子のように跪いている真紀は、しきりに俺の美貌を褒め讃えている。

 右隣に座っている輪廻は俺の太腿に手を置いて、褒めているのかけなしているのかわからない言葉を並べ立てる。

 いつものように左隣に座っている宗太は、言い聞かせるように俺の袖を軽く引っ張って説教を繰り返す。

 背後に立っているユキトは俺を抱き締めて、エタノールを染み込ませたコットンで唇を拭おうとしてくる。

 広い室内にも関わらず、この過密具合は不快にしかならない。

 どうやら心配してくれているようだが、この俺に限っては要らぬ気遣いだ。


「いい加減に離れろっ、欝陶しい!!」


 目の前の真紀を蹴り飛ばし、同時に右の輪廻を突き落とし、背後のユキトに頭突きをかます。


「「「うぐっ!!」」」


 一瞬で離れていった3人にようやくゆったりとソファに座り直し、脚を組んで背もたれに身体を預けた。

 床に這い蹲っている男達が恨めしげに俺を見上げているが気にしない。

 まさに自業自得だろ。


「ひっ、酷いじゃないかい、何も顔を蹴り飛ばさなくたって…」

「男が顔とか言ってんじゃねぇ」


 まぁ、真紀の取り柄の中でも『顔』が8割占めてるからな。

 頬が靴裏の模様の形に赤くなっているのが笑える。


「………痛い…」

「エタノールなんかで口拭いたら、荒れちまうだろうがアホ」


 鼻を打ったらしいユキトが目に涙を滲ませている。

 骨折しなかっただけラッキーだ…これは流石に痛そうだ。


「なぁんでソータだけ無傷なの~?」


 ソファの肘掛けで強打したらしい腹部を押さえる輪廻を見下ろした後、フンッと鼻でせせら笑ってやる。


「ここはいつも宗太の指定席だろうが。お前等もさっさと自分の椅子に座れ」


 いつもの場所に座っている宗太を力ずくで押し退ける必要なんかない。

 元々俺がやること成すこと口煩いのが宗太なんだから、こんなことは今更だ。

 現に今だっていつの間にか僅かに距離を取って、俺の行動を呆れたように眺めている。


「はいは~い、ボスはそーいう人ですよね~?」

「私達が気を付けなければならないということ、かな」

「………今更コガネ、変わらない…」


 何故か勝手に納得して勝手に諦めたらしい男達が、それぞれに自分のお気に入りの椅子に移動していく。

 この完璧過ぎる俺に向かって失礼だな、コイツ等。


「確かに今回は油断して、十時の野郎を調子づかせちまったからな。だけど、次はない。俺に二言はねぇよ」


 諦めたような溜息を吐き出す4人を余所に、俺は携帯を取り出してメール画面に切り替える。

 AAAからの情報によると、副会長の奴が動き出すらしい。

 この時期に動くということは、恐らく狙いは『新入生歓迎オリエンテーション』

 いくら広いといっても、学園内じゃ誰の目があるかもわからない。

 その点、緋野コンツェルンが保有しているリゾートアイランドを貸し切って行われるオリエンテーションは、奴にとってまさに渡りに船。

 いや、俺にとっても渡りに船…か。

 牙を剥いてくればいい、犬っころ。

 お前が歯向かった相手が、狼どころか龍だったことを思い知らせてやろう。


「まずはオリエンテーションでの部屋割を細工する。確か交流目的で4人部屋だったはずだ。3泊4日の間に副会長のクソ野郎に辛酸舐めさせてやるぞ、いいな」

「「「「了解」」」」


 これはまだプロローグに過ぎない。

 一先ず、軽いアクションでも起こすかな。




 計画は綿密に練らなくちゃ意味がない。

 相手の数手先を読んで、時に繊細に時に大胆に計画を実行に移す。

 ……しかし、


「やられたな」


 新入生歓迎オリエンテーションを明日に控えた今日、部屋割の発表が行われた。

 そこに張り出された部屋割表は、俺が根回ししたものとは全く違う。

 3泊4日に渡って行われるオリエンテーションに於いて、部屋割は部屋の割り振りだけの役目では終わらない。

 その旅行中は『グループ』として常に行動を共にしなくてはならなくなる。

 つまりパンダ以外と同室になるということは、それだけ動きづらくなるということだ。

 副会長の動きを聞きすぐさま行動に移したというのに、俺ともあろう者が後手に回ってしまった。

 この部屋割、明らかに副会長が操作している。

 そして恐らく、会長である十時も一枚噛んでいるだろう。

 何せ俺の部屋割があからさま過ぎる。


 篠宮 黄金

 本間 林檎(生徒会会計)

 片桐 篤彦(風紀委員長)

 塚越 十時(生徒会会長)


 これを作為的と言わずして何という。

 俺以外全員3年だし、全て十時の手駒で固められている。

 そして何より、風紀委員長と同じグループというのが最大の障害だ。

 今はまだ俺達がパンダだと知られるのはマズイ。

 ロビーに張り出された紙に視線を滑らせて宗太の名前を探す。

 この状況では宗太もかなり危ないことになっているはずだ。


 矢崎 宗太

 奥薗 輪廻

 和沢 孝一郎(風紀副委員長)

 阿部倉 佳(生徒会副会長)


 やっぱり、副会長の奴と同室だ。

 しかも風紀の副までいやがる…

 輪廻も同じグループだと言うことだけは救いだが、このメンバーだと用心に用心を重ねたとしてもまだ足りないだろう。

 宗太を白刃の下に曝すのは危険極まりないが、発表されたものを覆すのは流石に露骨過ぎる。

 宗太とは別の意味で心配なユキトの名前を探せば、そこに書かれているメンバーに重い溜息が出てしまった。


 白峰 真紀

 椿 ユキト

 緋野 陽

 本間 蜜柑(生徒会書記)


 哀れ過ぎる。

 潔癖症のユキトには緋野陽は天敵だろう。


 これでわかった。

 副会長は俺達の行動を徹底的に監視するつもりなのだ。

 俺達に脅威しながらも、虎視眈々と宗太を潰す計画を押し進めている。

 何処までも気に障る奴だ。

 今回は緋野陽よりも副会長にターゲットを絞った方がいいだろう。

 隣に立っている宗太を横目で見ると、苦笑を浮かべて肩を竦めている。


「ここまで副会長が迅速だとは思わなかったね。一本取られたよ」

「いや、これからだ。この俺にこんだけわかりやすい挑戦状を叩き付けてきたんだ、丁重に迎えてやらなきゃなるまいよ」


 もう用がないとばかりに宗太を連れ立ってCクラスに戻ろうとすると、背後から不快な大声が掛けられた。


「宗太っ、黄金!」


 廊下に貼り出された部屋割表を見ていたのは俺達だけじゃない。

 かなりの人混みの中、臆することなく空気を読まずに声を掛けてくる人物なんて俺には一人しか浮かばない。


「……どうしたの、緋野君」

「どうしたの、じゃねぇよ! 俺も一緒に見に行くって言っただろ!?」

「でも、緋野君のクラスは離れてるから」

「何遠慮してんだよっ、俺とお前の仲じゃん!」


 宗太がさりげなく距離を取ろうとする言動は、緋野陽にとっては遠慮に映るのか。

 あからさまに迷惑がっている宗太の表情にも気付かないなんて、コイツは本当にどうかしている。


「あーっ、俺、宗太とも黄金とも離れてるじゃんか! つまんねぇのっ」


 部屋割表で自分の名前を見付けたのか、周りに聞かせているのかと問いたくなるほど大声で話す緋野陽に頭が痛くなってきた。

 もう教室に戻ってもいいだろうか…


「なぁ、黄金もそう思うだろっ?」


 俺に話を振った瞬間、周囲の雰囲気が冷たいものに変わったことに緋野陽が気付くはずもない。

 親衛隊こそないものの、俺はこの学園に於いて絶大な存在感がある。

 普通の生徒は恐れ多いと自ら話し掛けてくることもなければ、俺が嫌がるのをわかっているから周りで騒ぎ立てることもしなかった。

 だが、そんな彼等も流石に緋野陽の行動を黙認できず、そこここで詰るような言葉が聞こえてくる。

 ま、それを気にするような可愛い性格ではないけどな、この緋野陽という男は。

 名指しで質問され渋々緋野陽に振り返ると、一瞬肩を震わせたその姿に内心笑いが込み上げてくる。

 もっさりヘアのせいで見えないが、きっと視線も面白いくらいに泳いでいるんだろう。




 ***




 メインダイニングでの一件以来、緋野陽の態度が僅かに変化した。

 コイツ自身が気付いているかは知らないが、俺の顔を見ると身体を強張らせ僅かに動揺を見せる。

 そして何より、昼食に誘われることがなくなった。

 余程俺と十時を会わせたくないんだろう。

 油断したとはいえコイツの前で十時と口付けたことが、もしかすると緋野陽に恋愛感情を自覚させる結果になったのかも知れない。

 どちらにせよ、コイツ自身は俺と友情を育もうとしているらしいが、醜い嫉妬と偽善の板挟みになり顔のパーツで唯一見えている口元さえ強張っている。

 初めての感情と衝動に不安で、懸命にいつもの風を装おうとしている緋野陽の姿が滑稽で仕方がない。


「お前は俺と同室になりたかったのか? それとも、俺が羨ましいのか?」


 俺の言葉にビクッと緋野陽の肩が跳ねる。

 俺の部屋割はアホの思惑で、ちゃっかり十時と同室になっている。

 どうやらコイツは、俺と十時が同室なのが気に入らないらしいな。

 隣で俺達の様子を伺っていた宗太も、緋野陽の動揺に内心笑っているに違いない。

 現に今、緋野陽を見る眼差しが愉快そうに細められている。

 相変わらず、一度敵と見做したら腹黒になる宗太の本性に感心する。


「うっ、羨ましいわけないじゃんか! アハハッ、黄金って冗談とか言うんだな? アハハ、ハハ…」


 あからさまに無理しているとわかるような硬い声と笑い声に、こっちの方が笑いそうになる。

 宗太も俯いて肩を震わせているから、十中八九爆笑しているに違いない。

 周りの生徒達は緋野陽への憎しみに目が濁っているから、この変化に誰も気付いていないようだ。


「オラッ、テメェら! もうすぐ授業が始まるだろうがっ、病院送りにされてぇのか!?」


 不意に轟いたドスを効かせた重低音に、ざわついていた廊下が一瞬にして静まり返る。

 視線を巡らせれば白衣を着たヤクザがいた。

 宇佐見暁。

 短い茶髪に人を何人か殺していそうな凶悪顔、この学園最強の教師であり保健室の番人でもある。


「……校医が病院送りにしてどうすんだ…」

「うるせぇよ、ここじゃ俺が法律だ」


 何故この学園には俺様が多いんだ。

 俺様はこの俺だけで十分だということが何故わからない。

 宇佐見の登場に、まるで蜘蛛の子が散らすように生徒達がそれぞれの教室に消えていく。

 いつの間にか宗太もいなくなり、廊下には宇佐見と俺、そして緋野陽の3人だけになった。

 もちろん、好きで残ったわけじゃない。

 俺も宗太に続いて教室に戻ろうとしたけど、宇佐見の野郎に腕を掴まれて逃げられなかったのだ。


「何してんだ、テメェもさっさと戻れ」


 周りの様子をキョロキョロと見て驚いていた緋野陽に、宇佐見が頭ごなしに命令する。

 おい、そいつにその態度は逆効果だぞ。


「何だよっ、誰かは知らねぇけどいきなり来て命令してんじゃねぇ!」


 …ほらな。

 それにしても、スーツの上に白衣を着ている大人に対して「誰か知らねぇ」はないだろ。

 明らかに教師だろ、多少悪人面ではあるが。

 宇佐見もいきなり噛み付いてきた緋野陽に呆れたのか、まるで汚物でも見るような眼差しでもっさりを見下ろしている。


「そいつ、転校生の緋野陽」

「あぁ…、俺は校医の宇佐見だ。オラ、さっさと教室に戻れ。反省室送りにするぞ」

「教室に戻れって、黄金だって戻ってねぇだろ! 何で俺だけ!?」


 煩わしそうに顔を歪める宇佐見に激しく共感していると、不意に腕を引っ張られ慌てて足を動かした。


「コイツはこれから保健室に用があんだよ」


 いきなり廊下を歩きはじめた宇佐見に引き擦られるようにして歩きながらも、初耳の用件にげんなりとうなだれてしまう。

 なんて強引な教師だ…


「テメェは教室に戻れ」


 それだけを言うと、緋野陽の言葉も聞かずにズンズンと廊下を歩いていくヤクザ校医。

 背後で何事か喚いている緋野陽には気付いていたけど、俺も宇佐見について行くことにした。

 丁度話したいこともあったしな。


 リーンゴーン、リーンゴーン…


 普通の学校と違って、この学園のチャイムは時計塔の本物の鐘が使用されている。

 本当に無駄な金の使い方だな。

 腕を引かれるままに廊下を歩いていたが、鐘が鳴ったこともあり擦れ違うものは誰もいない。

 立ち止まった宇佐見がポケットから鍵を取り出し、第一保健室の扉を開く。

 消毒液臭が立ち込める保健室の中は教室ほど広く、デスクに応接セット、12床のベッドが並んでいる。

 何故かドアの内鍵をかけた宇佐見に手を引かれ、そのままの流れで一番手前のベッドに押し倒されてしまった。


「これは、どういうことだ」


 仰向けで横たわっている俺の上に、覆い被さるようにしてベッドに乗り上げてくる宇佐見を冷たく見上げる。

 顔を挟むようにシーツに両手をついている宇佐見は、しばらくジッと俺を見たかと思えば不意に肩に顔を埋めて抱き締めてきた。

 その息苦しいほどの抱擁に顔を歪めると、気休め程度だが宇佐見の肩を軽く押す。


「……会長とキス、したらしいじゃねぇか…っ」

「相変わらず情報が早いな、流石は腐っても校医」

「話逸らすんじゃねぇ」


 何処か苛立ったように顔を上げると、そのまま唇を俺に近付けてくる。

 どんどんと接近してくる宇佐見の男らしく整った顔を眺め、視線を逸らすことなく目を細めた。


「だったら何だ。別に好きでしたわけじゃない」


 十時とは顎を押さえられて逃げられなかっただけだ。

 あそこでアイツをぶん殴るのは俺の計画に反してしまうから仕方がなかった。

 だが、


「…なら、俺にもさせ…、ぐぁっ!!」


 今は違う。

 脚を折り曲げて宇佐見の腹に足裏を宛がうと、思い切り伸ばして巨体を吹っ飛ばす。

 文字通り宙に浮いた宇佐見がドサッと音を立てて床に倒れ込むのを聞き、シーツに腕をついて上半身を起こす。

 俺にとって男一人吹き飛ばすことなど造作もない。

 乱れた前髪を掻き上げていると、大してダメージを食らっていない宇佐見が床の上で胡座を組み懐からタバコを取り出した。

 どいつもこいつも、俺に吹っ飛ばされたがるなんてマゾ以外の何者でもないな。


「……で? 用件ってのはそれだけじゃないんだろ」


 仮にも学園内だというのに我が物顔でタバコを燻らせている宇佐見を敢えて注意することなく見下ろし、鋭い眼差しが俺を見詰めてくるのを苦笑で迎える。


「黄金、お前のことだ。…全部把握してるんだろ?」

「当たり前だ」

「アイツ等の手駒も、目的も。なら事が起こる前に潰せばいいだろうが。何でわざわざ事を起こさせようとするんだ」


 宇佐見が言いたいことはわかる。

 俺達には生徒会なんか簡単に潰せるだけの力はあるけど、それじゃアホな奴は撲滅できない。

 アイツ等の懐に入って、再起不能になるまでにズタボロにしなきゃ意味がない。

 それに、


「こっちの方が面白そうだろ?」

「はぁー…ったく、お前は。心配する俺の身にもなれ」

「心配なんか必要ないっつってんだろ。俺に死角はねぇよ」


 大きく煙を吸い込み噛むようにして吐き出す身体に悪い吸い方をする宇佐見を余所に、俺はベッドから下りてソファへと移動する。

 冷たい革のソファは居心地が悪く、秘密の家にある気に入りのソファが恋しくなる。


「んなの、関係ねぇよ。心配なんだ、黄金が。いつだって心配してる…お前は何処か無防備なところがあるから」


 最近どっかで聞いたようなことをいう宇佐見に、ゆったりと脚を組みながら首を傾げる。


「俺の何処が無防備だっていうんだ。大体、人がいるところで話し掛けんなっつっただろうが」


 宇佐見とは俺が入学する少し前からの付き合いだ。

 母親同士が知り合いだった俺達は、この学園に入る際引き合わされた。

 俺の正体を知っている数少ない男。


「うっせぇよ。お前が中々逢いに来ねぇのが悪い」


 大人のクセに甘ったれたことを言う姿が可笑しくて、つい鼻で笑ってしまった。

 それを見た宇佐見は、タバコを口に咥えたまま立ち上がるとわざわざ俺の隣に腰を下ろす。

 さりげなく肩に回った腕を叩き落し、俺は大きな溜息を吐き出した。


「とにかく、今回は宇佐見にも手を貸してもらうぞ」


 俺の用件はこれだけだ。

 オリエンテーションの責任者はこの男なのは知っている。

 宇佐見さえ掌握できれば、あのリゾートアイランドをホームにできるのだ。


「黄金が手を出すなっつっても、俺は手を回すつもりだった。お前のためなら、何だってしてやるよ」

「…いい返事だ」


 手駒は全て揃った。




 ***




 一夜明け、事態は思わぬ方向に傾きはじめた。

 今回のオリエンテーションで総責任者だったはずの宇佐見が、本来の職務である校医に集中するべきだとその任を解かれたのだ。

 いくらアイツが教師の中で絶大な権力を握っていたとしても、理事長にだけは従わざるを得ない。

 つまりどんな大義名分を立てたところでその真意は、宇佐見が俺の息がかかった人間だと知った上で何者かが理事長を丸め込んだのだろう。

 恐らくは副会長の仕業だ。

 あんな中身がすっからかんの転校生に惚れているクセに、あれで中々頭は切れる。

 当日になって急な変更をされれば、すでにバラバラに行動を始めている俺達は計画を変更することもできない。

 携帯さえ交流の妨げになると没収されている今、俺達が互いにコンタクトを取り対策を練ることは不可能だ。

 その上3つに分けられたパンダにはそれぞれ副会長と双子が張り付いているため、直接会うことも難しいだろう。

 やってくれるじゃねぇか。


 離陸したジェットはもう後戻りできないことを告げている。

 このジェットが降り立ってしまえば、最早そこは副会長が張り巡らせた罠の中というわけだ。

 このままだと宗太を確実に危険な目に遭わせてしまう。


「どうしたんだ、黄金? 俺との旅が嬉しくねぇのか?」


 何の気無しに窓の外に視線を向けて頭をフル回転させていると、隣に座っていた十時が俺様スマイルを浮かべて顔を覗き込んできた。

 いや、コイツ…マジで空気読めよ!!

 テメェと旅行を楽しめる気分じゃねぇんだよっ、察しろ!!

 …と叫べたら、どんなに良かっただろう…

 クラスメイトは俺の信者だから、どんなに本性出そうと特殊なフィルターで儚く可憐に映るらしい。

 だが、ここには他の生徒達も多分に乗っている。

 しかも1年はまだ入学して2週間しか経っていない。

 俺は極力目立たずに行動しているため、おのずとその知名度はまだまだ高くはなっていないはずだ。

『儚い』『か弱い』というイメージは実に都合が良かったが、ないならないでどうということはない。

 しかし、今回の件が片付くまでは出来ればそのイメージを守りたいのが本心だ。

 よって…


「……塚越会長。僕なんか相手にせず、他の人に話し掛けてあげてください。ほら、あちらの方は親衛隊の人じゃありませんか?」


 控えめに苦笑を浮かべて無難に流すことにする。

 もちろん十時の太腿をギリギリと抓り上げたのは言うまでもない。


「―――ッ、わ、かった…。そう、いえば…疲れてたんだ、少し、寝かせてもらう…っ」


 サァッと顔を青ざめさせて痛みに小さく悶えながらも、大人しくシートを倒して頭からブランケットを被る十時に免じて手を離してやる。

 コイツにはこうやって身体で教え込むのが有効だ。

 頭は悪くないというのに昔から不思議な行動ばかりをとる変わった男、それが塚越十時に対する俺の印象だ。

 そんなことよりも、今は至急考えなければならないことがある。

 何故、奴等は宇佐見が俺の息がかかった教師だと見破ったかだ。

 学内ではもちろん入学前に会った以来、満足に会話すらしていないはずだというのに何処から漏れたのか。

 この事実を知っているのは当事者の俺と宇佐見、そしてその家族。

 これはまず有り得ないな。

 残る選択肢はただひとつ。


 パンダのメンバーに裏切り者がいる。


 盗聴器の類がないことは調査済みだから、導かれる答えはどんなに信じられなくてもこれしかない。

 思えば後手後手に回ってしまった事態も、裏切り者がいるとなれば納得だ。

 宗太を巻き込んだ転校生に惚れている副会長…に、肩入れしているメンバーがいる。

 いや…肩入れしているだけなら未だしも、この俺の懐に仲間面して入ってきた上で狡猾にも欺こうとするなど許されることじゃない。

 最早ここからは、パンダのメンバーだからといって気を抜くことはできない。

 内部に裏切り者がいることで、宗太に降り懸かる火の粉は何倍にも増すだろう。

 アイツの身を守るためにも態勢を立て直さなければ。




 一度もリクライニングシートを倒すことなく数時間に渡るフライトは終わりを告げ、機体はゆっくりと離島に着陸した。

 学園から常夏の楽園といわれる海上の小都市へと舞台を移し、俺と奴等のプライドを賭けた喜劇が今幕を開ける。




 ***




 このリゾートアイランドに複数あるホテルの中でも、世界最高峰と名高い『ホテル・インペラトーレ』

 バロック様式を用いた絢爛豪華な佇まいに、内装も数mはあろうかという絵画が飾られていたりとかなりの豪華さだ。

 これが将来十時の所有物になるのかと思うと、ペンキでもぶちまけてやろうかという気になってくる。

 十時の家は、十時の曾祖父が一代で創り上げた所謂『ホテル王』というヤツだ。

 世界各国に馬鹿デカイホテルを次々に造り、その顧客には各国のVIPが名を連ねるという。

 日本でも1、2を争う大富豪の息子だ。


 ちなみに、塚越家と肩を並べているのが阿部倉家といって、まぁ副会長の家なんだが。

 阿部倉家は塚越家と違い、平安時代から続く由緒正しい医者の家系で、数々の病院を設立しこの国の政財界に深く食い込んでいる名家だ。

 副会長もいずれは医者になるんだろうけど、あの性格じゃ奴の患者になる未来のクランケ達に同情してしまうな。

 少なくとも俺はごめんだ。


 話は逸れたが、俺達は今ホテルのセレモニーホールに集結している。

 なんでも、学園と生徒会からの挨拶があるそうだ。

 すり鉢状の客席にところ狭しと座っている生徒達の姿は中々に圧巻だ。

 旅行で浮足立ってざわついている生徒達を余所に、俺の隣には涼しげな面持ちで背筋を伸ばし座っている男が一人。

 濡れたような艶やかな黒髪に長い睫毛に縁取られた黒い瞳、凛とした姿から女性的ではないものの何処かたおやかな雰囲気を持っている日本美人だ。

 この男が、生徒会と双璧をなす風紀委員の委員長・片桐篤彦だ。

 生徒会の挨拶があるため、俺のグループである十時と本間林檎はここにはいない。

 つまりは、委員長と二人きりのようなものなのだ。

 全く話さないのも不自然だが、話しすぎるとパンダの存在を嗅ぎ付けられてしまう恐れがある。

 しかし、事が起こるであろうこのオリエンテーションで、委員長の人となりを把握しておくことは必須だ。

 委員長の出方次第では、俺の動きが制限されかねない。

 ここはいつもの儚い篠宮黄金で様子を伺うのが得策だろう。


「…あの、片桐先輩。今回はよろしくお願いします」

「あぁ、よろしく頼む。確か君は、2年C組の篠宮黄金君だな」

「はい、そうです」


 話しかければきちんと返してくる姿は、それなりに好感を持てる。

 少なくとも生徒会のアホ共とは違うと、たったこれだけの会話で窺い知ることができた。


「図書館を良く利用しているだろう? 俺も度々利用しているから何度か見かけた。本が好きなのか?」


 声は低くもなく高くもなく落ち着いた響きで、さりげなく話を振ってくる委員長にどんどんと好感度が上がっていく。


「はい。本を読んでいると空っぽになれるから」

「中々面白い答えだな。普通は物語に想像を膨らませるものだろう?」

「そうなんですか? 俺は本に集中すればするほど、現実から切り離されて頭が空っぽになっていくような気がするんです」


 正直に言えば、俺にとって本は周りから話し掛けられないためのバリアにしか過ぎないのだが、ここでそんな本音を吐露するほど馬鹿ではない。

 委員長の好感を得ることができれば、仲間に引き入れることは無理でも利用できるかもしれない。


「そうか、君は面白い感性をしているようだな。是非ともいろいろな話をしたいものだ。しかし、俺の立場を思えば到底無理な話なのだがな」


 自分の立場をきちんと理解できている。

 己を律することも、相手を思いやることもできるこの学園では珍しく常識的な人物のようだ。

 これならいけるかもしれない。


「俺も、もっと先輩とお話してみたいです。直接は無理ですが、もし良ければ電話でお話しませんか?」


 俺の容姿にも靡かないようだし、パンダとしても委員長から情報が貰えれば利が大きい。


「そうだな、電話という手があったか」


 普段ではどこか冷たそうなイメージだが、ふわりと笑う委員長はかなりの破壊力だ。

 これは親衛隊の規模が大きそうだな。

 俺は懐から取り出した生徒手帳に走り書きすると、それを破って小さく畳み他の生徒に見られないよう委員長に手渡した。


「俺の電話番号とメールアドレスです。ここじゃアレなんで、一人の時に見てくださいね?」


 俺が意味深に笑うと、知的な委員長の顔が悪戯っ子のような笑みに変わる。


「わかっている。学園に戻ったら電話するから、必ず出るんだぞ?」


 委員長に頷き返した矢先、挨拶が始まったようだ。

 生徒会の登場に喚く生徒達の中、俺は一人ひっそりと浮かぶ愉悦の笑みを隠すことに専念していた。




 ***




 side:阿部倉 佳




 私の人生は常に負け続けだ。

 日本でもトップクラスの財力と影響力を持つ家系に生まれながらも、長男ではなく次男に甘んじている。

 家督を継ぐことはできない。

 歳の離れた兄は全てに於いて私よりも上をいく。

 容姿も、学力も、スポーツも、人徳も、カリスマ性も、父からの信頼も、母からの愛情も。

 私は何ひとつ兄に勝つことができない。

 幼等部から在籍しているこの学園も、私を1番にしてはくれなかった。

 塚越十時の存在が、それを許さなかったのだ。

 一代で成り上がった歴史の浅い家にも関わらず、私の家と拮抗する程の財力を有している塚越家の一人息子。

 私が人知れずどんなに血反吐を吐いて努力しようとも、決して塚越十時に勝つことはできない。

 小等部でも中等部でも、そして今も、塚越十時が生徒会長で私は副会長だ。

 ここまでくると滑稽過ぎて笑えてくる。

 まるで哀れなピエロだ。

 いつものように笑みを張り付けて、時期外れの転校生を迎えに行った。

 面倒だったが理事長直々の頼みなら断れない。

 そして私は出会った。

 枯れ果てた私の心を潤してくれる唯一無二の存在に。


 緋野陽。

 それが彼の名前だ。

 誰も見破ることのできなかった私の仮面に気付き、『本当の笑顔が見たい』と言ってくれた。

 私の容姿に媚びることなく、真っ直ぐな瞳で『友達だ』と言ってくれた。

『順番なんか関係ない、俺は一人の佳としてお前が大切だ』と言ってくれた。

 涙が出るかと思った。

 私の身体に長年絡み付いていた柵が、彼の言葉ひとつひとつで霧散していく。


 私が彼を愛おしいと思うまで、時間はかからなかった。

 彼を独り占めしたい。

 私だけを見てほしい。

 そんな想いに支配され、それは止めることのできない濁流となり私の心を支配していった。




 ホテルでの挨拶が終わると、そのままレストランでのディナーが始まる。

 自分で仕組んだとはいえ、陽がいない食事は味気ないものだった。

 そして今、私はホテル内のカフェラウンジで携帯を眺めている。

 生徒会の権限で、私達だけは携帯を持つことを許されているから誰も咎める者はいない。

 まぁ、それ以外の者達もこっそり持ち込んでいるかもしれないけれど。

 現に今私とメールしている人物は、生徒会とは何ら関わりのない男だ。

 そして、私にだけ情報をリークしてくれる大切な大切な『矢崎宗太の仲間』を装っている手駒。

 まさか奴らも自分達の中に裏切り者がいるとは夢にも思わないだろう。

 もしバレたところで、駒はいくらでもいる。

 奴一人に罪を被ってもらえば、私自身は痛くも痒くもない。


『閉所恐怖症と暗所恐怖症あり』


 メール画面に映し出された文字に、口の端が自然と持ち上がっていく。

 陽が感心を示す存在は許せない。

 もちろんコイツとて例外じゃない。

 最も苦しむ方法で精神をズタズタに切り裂いて、自分から退学したくなるように仕向けてやる。

 恨むなら自分の迂闊さと裏切り者を恨むといい。

 一人では寂しいだろうから、その内お前の仲間もお前を裏切った者も、必ず退学に追い込んでやろう。


 テーブルに置かれたコーヒーに口を付けながら、片手で携帯を弄り哀れな裏切り者に指示を出していく。

 全てが私の思うままに進んでいる。

 私が書いた脚本の上を、忠実に踊る手駒と役者達。

 この悲劇が終演を迎えた時の奴らの顔を思い浮かべば心が躍る。

 堪らない高揚感に目を細めて、携帯を懐にしまい込んだ。

 ―――陽は私のものだ。




 ***




 初日には何も起こらなかった。

 眠る時に十時が添い寝しようとしたり、それを委員長が止めたり、双子兄が囃し立てたりしていたが、まぁ取るに足らないことだろう。

 恐らく、事が起こるのは今日の自由時間後…恒例の肝試し辺りだろう。


 学生の肝試しと侮ることなかれ。

 森ひとつを舞台にしたプロのスタッフによる肝試しは、有名なお化け屋敷なんかよりも余っ程リアルで恐ろしい。

 毎年失神者やリタイアが続出している。

 ちなみに去年は俺とユキトで回り、最初から最後まで雑談をしながら歩いたものだ。

 確かパンダのメンバーでは真紀だけがリタイアしたと思う。

 何でも一緒にいた子猫ちゃんに泣いて頼まれたらしいけど、リタイアした後その生徒と真紀がどうなったかは聞かなかった。

 俺はそこまで野暮でもないしな。


 メインダイニングで凄まじい数並べてある4人掛けのテーブルの中のひとつに座ると、クロワッサンにスクランブルエッグ、ベーコンという純洋風の朝食を食べていく。

 それが済むと後はグループの自由行動となり、全ては生徒達個人に任せられている。

 この3泊4日の間貸し切りになっているリゾートアイランドには、テーマパークをはじめサファリパークに水族館、シアターにショップも立ち並び、常夏のためマリンスポーツも充実している。

 学園の制服を着ている者は、買い物以外はフリーパスになっているらしい。

 つまり、遊びたい放題というわけだ。

 そして今、俺達がいるのは…


「なぁなぁっ、今度はあのジェットコースターにしようぜ!?」

「本間は絶叫系マジで好きだよな…付き合いきれねぇ…」

「そういう塚越会長は絶叫マシン苦手がなんだな、意外だ」

「会長ダッセェ!!」

「煩い!! あの落ちる瞬間の浮遊感が生理的に受け付けねぇんだよ!!」


 何故かテーマパーク…遊園地に来ていた。

 というのも、特に行きたいところがなかった俺達を引き連れて双子兄が勝手に行き先を決めていたのだ。

 俺は人込みじゃなければ後は何処でも良かったのだが、驚くことに十時と委員長は遊園地に来たことがなかったそうだ。

 子供の頃遊園地にも行かないなんて、一体どんな幼少期を過ごしていたんだか…

 双子兄はイメージ通り絶叫マシンがお気に入りらしく、入場してからかれこれ5つの絶叫系アトラクションを梯している。

 流石貸し切りといったところで、学園の生徒が数多く来ているもののさして並ぶこともなく乗れるから十時には相当堪えただろう。

 十時の言い分も理解できる。

 女性と比べて男は人体の構造上、あの浮遊感を生理的に不快に思う人が多い。

 しかし、それでも常に俺の隣の席をキープして絶叫マシンに乗る十時の根性には感服した。

 顔を真っ青にして今にも気を失いそうなクセして、必死にバーを掴んで目を閉じている十時の姿は写真に残せないのが残念なくらいの面白さだ。

 だがそこは委員長が見逃すはずもなく、十時のギリギリの体調を見抜き強制的に休憩させようとしている。

 カフェテラスのパラソルの下に無理矢理座らせ、今は飲み物を買いに行ってくれているようだ。

 十時の世話をかいがいしくしている委員長の姿はちょっと可愛かったな。

 ぐったりとテーブルについた腕に顔を埋めている十時を隣の席から眺め、本当にギリギリだったのだと改めて思う。

 そんなに辛いのなら乗らなければいいのに。

 はじめての遊園地にはしゃいでいたのかも知れないな。

 デカイ図体のクセに意外と可愛いところもあるもんだ。


「黄金っ、俺あっちのホットドック食いたいんだけど」

「買ってくればいいだろ」

「グループ行動だろ? ほら、一緒に行こうぜ!」


 双子兄がおもむろに俺の腕を掴んで立たせると、止める暇もなくズンズンと先を進んでいく。

 助力を求めようにも十時は使い物にならないし、委員長はまだ戻って来ていない。

 ホットドックを売っているショップを素通りする双子兄に、不安が的中してしまったことを思い知る。

 やっぱりこれは、事態が動き出したということだろうか。

 それならばここで暴れて目立つような行動は控えたい。

 俺の思考を知った上か、双子兄は振り返ることもなく園内の奥へと進んでいく。

 もう、なるようになれ。




 連れて来られたのは、観覧車だった。

 ただの観覧車なら良かったが、これは世界最大の観覧車で1カプセルに15人ほど乗ることが可能な上、内部にはテーブルセットが並びソファが備え付けてある。

 そして最悪なことに、これは1周40分もかかる。

 つまりは、そんな長い時間密室で敵の手駒と二人きりというわけだ。

 はっきり言って自信がない。

 コイツをボッコボコにしない自信がない…


「ほら、黄金。さっきこれ買ってきといたから飲めよ」


 いつの間に買ったのか、袋から漁って取り出したのはペットボトルの紅茶だった。

 俺は自分で言うのも何だがかなりのグルメだ。

 しかし、だからといってハードルが高いわけでもなく、人がマズイというものでも平気で食べられてしまう。

 だからペットボトルの紅茶でも全く問題ないのだが、この学園に通っている身で平然とこれを買ってきた双子兄が意外だった。

 いや、見るからにジャンクフード好きっぽいし、好奇心も旺盛だから金持ちのクセに抵抗がないのかもしれない。


「…サンキュ」


 双子兄が差し出してきたペットボトルを受け取ると、蓋を開けながらソファに腰を下ろす。

 そんな俺を双子兄は面白そうに見詰めて、少し離れたソファに座った。


「へー、飲み慣れてんね」

「俺は外部生だぞ、これくらい当たり前だろうが」


 俺を試していたのか?

 流石はチーム・リーデレのヘッドだ。

 AAAからの情報によると、本間兄弟は毎晩学園を抜け出しては、街で一番大きなチームのヘッドとして遊びほうけているそうだ。

 ただの喧嘩好きとは違い、頭脳戦も得意とするチーム・リーデレは最早敵無しだとか何とか。


「お前も、ペットボトルなんか飲むんだな?」

「当たり前じゃん。夜中の街に繰り出して、毎回毎回お上品な喫茶店で淹れたての珈琲飲むわけじゃねぇだろ」

「確かにな」


 コイツ、どうやらチームのことを隠す気がないようだ。

 一体何を考えている。


「あれ? 驚かねぇの?」

「鏡見てみろ。不良丸出しの格好しやがって」


 ド派手な赤い髪にアシメで短くなっている方から覗くピアスの束、一応は制服を着ているもののズボンを腰で穿きシルバーのチェーンがついている。

 シャツもボタンを開けまくり首にはクロスのチョーカー、指にはゾロリと厳ついリングを嵌めている男を見て、真面目な生徒だと思う人間が何処にいる。


「アッハハ、確かに!」


 ソファの背もたれに腕を回して、偉そうに長い足を大きく組む。

 足をテーブルに乗せなかっただけでも上出来というべきか。


「……ところで、副会長のことなんだけどな」


 来た。

 これからが駆け引きということか。

 さぁて、どう出る。


「俺達今回は関与しないことにしたから」

「……は?」

「だって折角の旅行なのに、目一杯楽しまなきゃ損じゃん。副会長には悪いけど、今回はパースってこと」


 本気か?

 俺の目には双子兄が嘘をついているようには見えない。

 残念ながら俺には輪廻のように特殊な才能はないが、少なくとも双子兄は今真実を口にしているように感じる。


「今回って…何か起こす気か?」

「またまたぁ、知ってるクセに!」


 楽しそうに笑いながら、グッと俺の方に身を乗り出してくる双子兄。

 嘘はついていないが、その真意がわからない。

 間近に迫った双子兄の茶色い瞳を見詰め、その中の真実を探ろうとするが中々に骨が折れそうだ。


「見れば見るほど綺麗な顔してんな。髪なんてキラキラしてるし、碧い目ん玉も吸い込まれそう……」


 バキィッッ!!


「い゛でぇえ゛ええっ!!」


 何を血迷ったのか唇を寄せてこようとした双子兄の鳩尾を、つい反射的に手加減なく殴ってしまった。

 こんな不良でもセクハラ男でも腐っても先輩だ。

 ここは一先ず謝るのが先決か。


「………スマン」

「………それだけぇえっ!?」


 これ以上何を言えばいいというんだ。

 大体謝ってもらいたいのはこっちの方だ。

 だが、恐らく明日には真っ黒な痣になってしまうだろう鳩尾に免じて謝罪したというのに、全くもってやってられない。

 ソファに座ったまま腕を組むと、底冷えのするような眼差しを床に横たわっている双子兄に向ける。


「貴様こそ謝罪しろ。俺の唇はそんなに安くねぇんだよ」

「………………調子に乗ってすみませんでした!!」


 この後カプセルが地上に戻るまでの20分もの間、双子兄は土下座したままの状態で震え上がっていたのだった。




 ***




「本間と何を話してたんだ? 俺には言えないことなのかよっ、まさかアイツが好きなんて言わねぇだろうな!? それとも、もしかして俺には言えないようなことをアイツにやられたとか!? ふざけんなよ本間の野郎ッ、俺の黄金に手を出したらどうなるか…親の会社ごと再起不能になるまでブッ潰してやる!!!!」

「…るせぇっ!」

「―――ッ!!」


 勝手に妄想しまくった揚句、勝手に暴走をはじめたアホを回し蹴りひとつで沈めると、持っていた懐中電灯の光りで地面に倒れている十時を照らしてやる。

 ここは鬱蒼と繁った深い森の中。

 上を見上げても木々の隙間から見える空は、星が煌々と輝いている以外光源が見当たらない完全な夜と化している。

 こんな薄気味の悪いところを何が悲しくて十時と二人で歩いているのかというと……つまりは現在、肝試しの真っ最中だということだ。

 日中の自由時間の後半、ようやく十時と委員長に合流した俺達は散々叱られた。

 もちろん委員長にだ。

 十時の奴は何とかのひとつ覚えのように、やれ何があっただ、やれ何をされただと煩く纏わり付いてきていた。

 委員長がいれば引き剥がしてくれるところだが、今はグループ内でのくじ引きの結果コイツと肝試しを回らなくちゃならなくなったから最悪だ。


「ほら、いい加減に立てよ。そこまで強くは入れてねぇだろ」

「…ったく、相変わらず黄金は凶暴だな。俺にくらい優しくしろよ」

「だから何でテメェは命令口調なんだよ…」


 ブレザーに付いた土を払いながら立ち上がる十時を見上げ、俺はすぐさま規定のコースに戻ろうと踵を返す。

 話がしたいとか何とか言いながらコースを逸れる十時に黙ってついて行った俺が馬鹿だった。

 何か生徒会絡みの話が聞けるかと思いきや、合流してから散々聞かされたことと同じことをまたここで言われただけだ。

 なんて馬鹿な男。

 目の前にいるコイツが、学年首席でクールな俺様会長と名高い塚越十時とは思えないな。


「…行くな」


 来た道を戻ろうと懐中電灯を向けた瞬間、背後から抱き締められ歩き出していた足が自然と止まる。


「行くなよ、黄金…」


 耳元で囁かれる甘く低い声に震えが走った。

 ついでに鳥肌も立った。

 コイツの軽口を聞いていると、流石はイタリア人の血をひいているだけあるなと感心してしまう。

 俺以外にそれを発揮してくれるんなら全く問題はないんだけどな。


「あのなぁ、いい加減にしとかないと、気絶させて全裸に剥いて親衛隊共の中に放り込むぞ」


 俺を抱き締めていた腕がギクリと硬直する。

 十時の親衛隊嫌いは有名な話で、世に言う『王道生徒会長』と違ってセフレなんか皆無だ。

 いや、厳密にいえばセフレかもしれないけど…フェラさせるだけでセックスはしないらしい。

 自称セフレの奴らは変なプライドのせいか、抱かれてはいないということを他人に言えずにいるそうだ。

 思えば『俺様生徒会長』なだけで、十時はことごとく王道とは掛け離れているかもしれない。

 王道転校生のことを好きにならないし、ヘタレだし、仕事熱心だし、初恋を未だに追い掛けてるし、もしかしたらチェリーかもしれないし。


「…そ、それは流石に勘弁だな…」


 名残惜しそうではあるがちゃんと腕を離した十時を振り返ると、親衛隊に襲われるイメージでも浮かんだのか案の定顔色を悪くしている姿についつい口許が緩んでしまう。

 なんてイジリ甲斐のある男なんだろう。

 懸命に悟られないようにはしているが、怯んでいる様子が手に取るようにわかり思い切り泣かせてやりたくなってくる。

 ちなみに俺はSじゃない。

 ただのイジメっ子だ。

 気が強い奴をイジメて泣かせるのが楽しくて楽しくて仕方ないだけで、別にそれで興奮するわけじゃない。

 まぁ宗太には、イジメっ子の方が余っ程質が悪いって言われてるけど。


「そうやって殊勝な態度でいれば、俺だってそれなりに優しくしてやるよ。十時」


 再び歩きはじめながら甘やかすような言葉を吐いてやる。

 人を従わせるには鞭鞭鞭鞭鞭鞭鞭鞭鞭飴が効果的だ。

 これは俺の場合に限ったことかもしれないけど、ギタギタにイジメまくっても最後に優しくしてやると何故かコロッと懐く奴が多い。

 まぁ、スパルタ調教だな。

 コイツもその中の一人だ。


「……黄金、クソッ、なんでそんなに可愛いんだよ…!」


 抱き着きたくても抱き着けないジレンマに、手を開いたり閉じたりを繰り返している姿は滑稽以外の何者でもないだろう。

 本当に馬鹿な男だ。


 暗い獣道のような地面を懐中電灯で照らしながら歩いていくと、肝試しの規定コースに入る寸前、不意に遠くで声が聞こえた。

 その微かな声を聞いた瞬間、俺は考える間もなく走り出す。


「なっ、黄金!? どうしたんだっ!」


 飛び出した俺の後ろで十時の声がするけど今はそれどころじゃない。

 懐中電灯を持っていない十時は俺について来ることも出来ない。

 肝試しで悲鳴が聞こえるなんて当たり前のことだ。

 しかし、俺が聞いたのはコースではない森の中。

 事前にAAAが調べ上げていた地図によると、恐らくは倉庫小屋のような建物があった方向から聞こえた。

 しかもその声が宗太のものならただ事じゃない。

 獣道なんか気にすることなく、道なき道を恐らく最短距離で走り抜ける。

 耳のすぐ傍を木の葉が掠める音を聞きながら、頭の中の地図と照らし合わせて疾走する。


 そろそろ小屋の辺りに差し掛かるというところで、唐突に立ち止まった。

 もちろん状況もわからずに飛び込むほど、俺は短絡的でも情熱的でもない。

 懐中電灯を消し足音を忍ばせて木の影に身を隠しながら少し進むと、プレハブのような小屋が見えた。

 恐らくまだ小屋には連れ込まれていないのだろう宗太のくぐもった声が聞こえる。

 俺の方からは明かりがなくよく見えないが、今まさに小屋の扉が開かれたようだ。

 助け出すなら今だと僅かに腰を屈めた瞬間、


「やはり来たか」


 背後から回った腕に首を締め上げられた。


「うっ、ぐ…ッ!」

「抵抗すると、矢崎宗太の身の保証はしない」


 この声は、例え顔を見なくてもわかる。


「副、会長…!」


 胸糞悪い気取ったようなカンに障る話し方は、どう考えても副会長しか有り得ない。

 まさかこんな軟弱野郎に背後を取られるなんて、気分は最悪だ。

 首に回った腕を退かそうとしていた腕をだらりと下ろし、抵抗の意志がないことを示すと締め上げていた力が僅かに緩む。


「腕を後ろで合わせろ」


 高圧的な物言いにカチンとくるが、ここで堪えなければ宗太の身に危険が及ぶ。

 渋々後ろに回した手首を恐らくは結束バンドで拘束された。

 こうなったら並大抵の力では解くことは難しいだろう。

 自由が利かない腕に人質の宗太とくれば、俺には全く手出しができない。

 そのまま背中を押されて無理矢理歩かされ、一歩、また一歩と小屋に近付いていく。


「……黄金っ」


 月明かりにぼんやりと見えはじめた宗太が、俺に気付いて悲痛な声を上げている。

 それと同時に後ろでその身体を拘束していた人影がゆらりと姿を現した。


「これはどーいうこった。まさかテメェが裏切り者か? …輪廻」


 縛り上げられている宗太の後ろから現れたのは、紛れも無くパンダのメンバーである奥薗輪廻だった。

 こんな暗闇の中でも外さない青眼鏡に、ここからでも音洩れが聞こえるiPod。

 ザンバラの髪に棒付き飴はコイツの必須アイテムだ。

 間違いようがない。


「ごめんね~、ボス~。裏切り者は俺だったんだ~」


 いつも通りの気の抜けた喋り方が、今日はより一層俺の神経を逆撫でしまくる。


「輪廻、俺にこんなことして…ただで済むとは思ってねぇよな?」

「怖いよボス~。もちろんわかってるよ~。…だから、痛い目見てもらうね~?」

「……まさか…」


 この状況、そして輪廻の言葉に俺の予想が根底から覆るのを悟った。

 俺の策は副会長が目障りだと思っている宗太がターゲットだという大前提の上に成り立っていた。

 それが、そもそも間違っていたとしたら…

 コイツ等のターゲットは、紛れも無く……俺。


「奥薗から聞いた。お前…閉所と暗所恐怖症らしいな?」

「―――ッ!!」


 副会長の言葉に頭をぶん殴られたような衝撃が走った。

 途端に様々な過去の情景がフラッシュバックする。


 子供の笑い声。

 楽しそうに踏みにじられる腹。

 暗く狭い場所。

 寒さ。

 身体の痛み。

 乾いて切れた唇。

 鉄の味。

 悲しみ。

 苦しみ。

 憎しみ。

 ―――絶望。


 目の前がチカチカと点滅する。

 何かを叫んでいる宗太が見えたような気がした。

 副会長の心底楽しそうな声が、輪廻の嬉しそうな声が耳に届く。

 だけど、俺にはもう自我を保っていることなんてできなかった。




 ***




 side:阿部倉 佳




 笑いが止まらない。

 あの儚いと噂の猫被り男が、まんまと私の罠に嵌まった。

 学園一の美貌を誇っていた私に、転校早々屈辱を味わわせた男。

 確かに金髪碧眼の整った顔をしているけど、私が負けるなんて考えられない。

 しかも、この男に会長もご執心らしい。

 篠宮黄金を精神的にズタズタにすれば、その余波は会長にまで及ぶというわけだ。

 まさに一石二鳥。

 流石に今回はこの裏切り者・奥薗輪廻がいなかったらここまで見事に成功していなかっただろう。

 初めに近付いてきた時には警戒したが、様々な情報をリークしてくれるお陰で先手先手を打つことができた。

 今にも狂いださんばかりに震えている篠宮黄金を小屋に放り込んでも、ただ楽しそうにニヤニヤと笑っている奥薗はやはり歪んでいる。

 閉所と暗所、ふたつの条件を満たした時、篠宮黄金は幼少時のトラウマで発作が起きることもあるとリークしてきた時にも、今のように何処か恍惚とした表情を浮かべていた。


「どう、して…? 輪廻君…黄金のことが好きだったんじゃないの?」


 ロープで雁文搦めに縛り上げられている矢崎宗太が、信じられないモノを見るような目で奥薗を見上げている。


「え~、スキに決まってるよ~。だから見てみたいんじゃ~ん。ボスの恐怖に歪んだ顔とか~、悲鳴とか~、絶望してる姿とか~」


 狂気すら滲ませている奥薗に、近くにいる矢崎宗太どころか私まで背筋が寒くなってきそうだ。

 不意に遠くから足音が聞こえてくる。

 恐らくは篠宮黄金の仲間であるあの二人だろう。

 しかしこちらには人質がふたりもいる上に、小屋の裏には金で雇った20人ほどのチンピラを待機させている。

 私に死角はない。


「…どっ、どういうことだい!? 何故輪廻が宗太をっ」

「………黄金、小屋…?」


 状況が把握できていないらしい白峰真紀と椿ユキトが、手を出すことを躊躇い茂みを掻き分けてやって来たはいいが足踏みを余儀なくされている。


「奥薗はお前達を裏切ったんだよ。矢崎宗太を餌に篠宮黄金を罠に嵌めたんだ」

「そんな、まさかっ」

「………リンネ、裏切った?」

「副会長が言ってることは、本当だよ…輪廻君が黄金を…ッ」


 学園の生徒達の注目を集める2年の連中。

 白峰真紀と椿ユキトの絶望した顔が愉快で仕方がない。

 陽に纏わり付く矢崎宗太の絶望した顔が滑稽で仕方がない。

 これで精神を崩壊させた篠宮黄金を見て、歎きに歪む塚越十時の顔さえ拝めれば最高だろう。


「ふふ…、ハハハッ! いい気味だなっ、篠宮黄金ひとりを手に掛けただけで、こうも目障りな奴等を纏めて絶望させることができるとは! 黄金様々だな!」

「……そりゃ、ありがとよ」

「―――ッ!?」


 背後で硬く閉めたはずの小屋の扉が開く音と共に、忌ま忌ましい声が聞こえた。

 ゆっくりと軋む首に鞭を打ち振り返ると、そこにふてぶてしい態度で立っていたのは―――


「しっ、篠宮黄金ッ!?」

「よぉ、よくも俺の首を締めやがったな。テメェ、ただじゃおかないぜ?」


 何故だ!?

 何故だ何故だ何故だ何故だッ

 篠宮黄金は閉所と暗所恐怖症のはずだ。

 現に先程まであんなに自失していたし、様々な記憶を辿ってか瞳孔も細かく揺れていた。


「どういうことだっ、説明しろ奥薗!!」

「え~、俺に言われても~」


 相変わらず苛立つほど間延びした言葉尻に神経を逆撫でされる。


「輪廻も中々いい芝居だったけど、俺にはまだまだ及ばねぇな」

「ボスってば凄いんだも~ん。瞳孔揺れてたし~、マジでパニクッてたかと思って~、俺もソータもビビッたよ~。ね~ソータ」

「ホントに、こっちが焦るくらい迫真の演技だったよ」


 演技…?

 演技だと!?

 篠宮黄金の恐怖症の芝居どころか、奥薗が裏切るところから芝居を打っていたというのか!?


「ば……馬鹿な…っ、そんな…」

「副会長、テメェはいい役者だったぜ。俺の書いた脚本の上で、実に忠実に動いてくれた」


 私が、この私が負けるというのか?

 また敗北してしまうのか?

 こんな惨めな敗北、今までの比じゃない…

 篠宮黄金…

 篠宮篠宮篠宮篠宮ッ

 篠宮ァアアアアアアアッ!!

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