四二話 煽り
エヌは後悔していた。
今日のベルクの対応は冷たく感じた。
原因は分かっている。ベルクが求婚してくれたのにそれを断ったからだ。
エヌにとってベルクは人生のすべてだった。
暗殺者としての辛い日々もベルクの隣に立つようになってからは感謝するようになった。
十歳から仕えて六年間。いつだって何があっても一緒に過ごして来た。
自分の仕事はベルクの隣にいること。それだけでも主人は喜び甘えてくれた。
しかし、エヌはベルクの求婚を断った。エヌは自分の考えを述べたつもりだったが、実際のところは身分や実力が釣り合ってないと感じていた。
自身が専属侍女になる利点を暗殺者の経験を生かしたその警戒能力と隠密行動しかない。それ以外はベルクの足元にも及ばない。戦闘の才能はそれなりにしかなく、貴族の天才たちと比べると大したことはない。
エヌにとってベルクはあまりに高みにいたせいで、自分よりいい人が必ずいると思い込んだゆえにエヌはベルクの求婚を断った。
その結果、ベルクはエヌに冷たくなった。ベルクの考えとは裏腹にエヌはそう感じてしまった。
ベルクがどこかに行くときにエヌを置いていくことはなかった。それが今日起きた。昨日の件が関係している。エヌにそう思わせるのには十分なタイミングだった。
エヌの脳裏に捨てられることがよぎった。エヌの存在価値はベルク様に愛されていることだけ。それ以外の利点はないに等しい。もし、愛想をつかされたら捨てられる。
一度入った思考を覆すことは難しかった。
空を通るから一人の方が都合がいい。聖国ではエヌに見せられないほど残酷なことをする。屋敷で何かが起こるから待機して欲しい。前向きに考えようとしたエヌだったが、それで気は静まらなかった。
エヌは最終的に、専属侍女は私しかいないから大丈夫ということで心を静めた。
ベルクが空間転移で帰って来た。その時、ベルクの隣にはベルクと近い年頃の女性がいた。
エヌはまさかと思った。
専属侍女が増えれば自分の立場がなくなる。
「この子は専属侍女にする――」
エヌは初めて主人の言葉を聞き逃した。どうやら、この子の指導をお願いされている様だった。
主人の顔を見るとまるで、友達と話しているかのように気軽な表情を少女に向けていた。
エヌはその少女の容姿を詳しく見た。
青い髪と青い目。その色はベルクの魂の目にそっくりの色合いだった。また容姿は並外れてはいないものの整っている部類であった。
そして、その目はだるそうなのに言動は明るめで、エヌと性格に被りがあった。
エヌの中に最悪がよぎった。
「あ、あの」
ベルクに真意を聞こうと思ったが、そんなことを聞く権利は主人の気持ちを無下にした私にはないと思い言葉を濁した。
また、主人は一人で外に行ってしまった。
その行動がエヌの焦りを助長した。
ベルクが去った後、侍女が二人残された。
「エヌ先輩。どうされました? 先輩はいつも明るく元気だって聞いていたっすよ。なんっすかー。その表情は?」
主人が連れて来た青髪の少女は生意気な言葉を投げつけて来た。いつものエヌだったら、軽く流していたが、前日からの出来事を考えてネガティブになってしまっていた。
「あなたは何ができるんですか?」
ライバルを追い詰めるかの用に鋭い視線をキリエスに向けた。
「そうですね。基本的に隠密行動と証拠集めとかが得意です。役割としては情報屋が適任だと思っています」
エヌの威圧を受けながらも少女は意にも返さずに答えた。その年齢の割に同等としたふるまいと言動にエヌはさらに焦りを覚えた。
「私は暗殺者出身です。あなたよりも隠密行動と警戒能力には自信があります」
「それはすごいっすね。じゃあ、勝負してみませんか? 部屋の中にいるおいらを見つけてみてください」
キリエスが消えた。文字通り目の前から透明になるように消えた。
それでもエヌは慌ててなかった。なぜならば、ベルクとの遊びの一環でかくれんぼを何度もしたことがあったからだ。魔法で隠れても探し出せる。ベルク以上に魔法が上手な人間はいない。
隠れる魔力を探す方法をエヌは知っていた。
しかし、キリエスはどこにもいなかった。
この世にベルクよりもすごい魔法使いはいない。そう確信していたエヌはすぐに部屋から出たことを疑った。そして、扉を開ける前に肩を叩かれた。
「おいらの勝ちっすね。ずっと隣にいましたよ」
「なっ。今度は私が隠れる番です」
エヌは魔法で霧を発生させて目隠しをした上で隠れた。
「流石暗殺者。隠れるのは上手っすね。ただ、相手が悪い」
キリエスは天井裏に隠れたエヌをすぐに見つけた。
「なんで、気配はなかったはずなのに」
「ベルクさんも言っていましたが、おいらはその手の悪魔と契約しているので、そういうのは得意なんっすよ」
察知能力と隠密行動。そのすべてをキリエスは上回っていた。
エヌは絶望をした。
唯一の長所を上回って来る少女をベルクが連れて来た。それが意味することを考えるだけで、エヌは呼吸が苦しくなった。
――捨てられる。
頭が割れそうだった。
すでにエヌは暗殺者の中でもトップレベルの戦闘能力を持っており、暗部に戻っても苦労をすることはなく、次の仕事に困ることはない。しかし、エヌにはベルクの隣以外の居場所を考えられなかった。
ベルクに捨てられる事は精神的な死を意味する。
キリエスは頭を抱えて伏している彼女を見下すかのように見ていた。
「ケケケ。無様っすねぇー。あなたがこんなんだからベルクの旦那は壊れたんだ」
「貴方にベルク様の何が分かるんですか!?」
「何って。おおよそ全部知ってるっすよ。特に女の好みとは今でも変わってないっぽいっすね」
キリエスの言葉に違和感を感じたが、それを言及するほど頭が回っていなかった。
「では、あなたが私の代わりってことですか?」
「何を言っているんっすか。おいらはカップル推しであって、自分が関わろうなんて気持ちはないっすよ。ただ、このままだとフェトラの姐さんが不憫だと感じただけっすよ」
「ベルク様の悪魔が不憫とはどういうことですか?」
「そもそも、あなたさえしっかりしていれば、ベルクの旦那は……姐さんとの契約でこれ以上は喋れませんが、今のエヌさんには旦那の隣にいる資格があるのか疑問ですね」
エヌにとって、ベルクの隣にいることが人生だと思い込んでいたが、身分も実力もベルクに相応しくないことは自覚していた。
それでも、ベルクが自分の事を好きだと求めるから隣にいる資格があると思っていた。
しかし、容姿の点においては自分より若くていい子は腐るほどいる。いつ心変わりするか分からない。
「せいぜい考えて下さい。姐さんだって通った道ですから。では、おいらは色々調達してくるので、消えますね。旦那が帰って来る前には考えをまとめておくことを勧めます」
キリエスが消えた。
「ベルク様のためにできること」
エヌは今朝撫でられた頭を触った。
「ベルク様……」
その目は暗殺者の時の様に冷たく凍った目をしていた。




